交錯した想いの先
                    紫陽花


 多くの人でごった返しているショピングモール。その中を一組の男女が歩いている。何故か二人とも、口の両端をつり上げていた。
「意外とバレないもんだな。これで何度目だろ」
 男はそう、隣を歩いている女に声をかける。女はその言葉に同意するように頷いてみせるが、でも、と残念そうに付け足した。
「彰君は気づいてたみたいね。悔しい……!」
 二人に心底呆れた顔を向けていた谷口彰のことを思い出したのだろう、女はニヤニヤしていた口元をへの字に曲げている。男はその様子を見て苦笑した。
「あいつ変なとこで感良いからな。……で、抜けたはいいけど、これからどうする? 二時間くらいは戻らないつもりなんだろ?」
 話題を変えようと切り出すと、女は待ってましたとでも言いたげに手を叩いた。そこに浮かんでいるのは先ほどまでのニヤニヤした顔でも悔しそうな顔でもなく、何かを企んでいるような笑顔。
「もちろん付き合ってもらうわよ、ウィンドウショッピング! せっかくのゴールデンウイークなんだから」
 女――峰涼子は、男――原翔悟の腕をとり、近くにあった雑貨屋へと向かった。


「……あれ?」
 高橋梨乃は手にしていた商品から目を離し、周りを見回した。知り合いの顔がどこにもないことに気づき、手にしていた物を慌てて棚に戻す。自分が迷子になったのか他がはぐれてしまったのかは分からない。どちらにしろ、三人をこの人混みの中から探さなければならないと思った。
その場から離れようと駆け出したその時、
「っ!?」
「――きゃっ!!」
 誰かにぶつかった。
 その反動で体が後ろへと傾き、背中が地面へと真っ直ぐに向かっていく。体への衝撃を覚悟した梨乃は思い切り目を瞑った。
 ところが、体は予想とは反対の方角へと引っ張られ、梨乃は何か温かいものに全身を包まれた。
「大丈夫か?」
 頭上から振ってきた聞き覚えのある声にそっと目を開くと、心配そうに顔を覗き込んでいる彰がいた。その言葉に大丈夫と頷く。
 と、そこで、梨乃は自分がどういう状況にあるのか理解し、顔を真っ赤に染め彰から少し距離をとった。
「あ、彰くん、涼子と翔悟くんがいなくて―」
 平常心を取り戻すために話題を変えようとするが、それは彰によってとめられることになる。
「あの二人は自分から迷子になっていったから、気にするな。……せっかく二人なのに」
 梨乃の顔が先程よりも赤くなったのは言うまでもない。

   *

 ゴールデンウイーク初日にあたる5月3日。大型ショッピングモールは人でごった返している。峰涼子、原翔悟、高橋梨乃、谷口彰はそんな中にいた。
 四人は大学でよく行動を共にしており、今日のように四人で遊ぶこともしばしばある。そして今日のように、涼子と翔悟がこっそり抜け出すこともしばしば。その理由は、梨乃と彰が恋人関係であるということにある。二人きりにするという名目で後でたっぷりからかうために、涼子と翔悟は進んで迷子になるのだ。
 そんな梨乃と彰が付き合うに至るまでには様々なことがあったのだが、それはまたの機会に語ることにしよう。

   *

 手ぶらな涼子といくつかの袋を持っている翔悟は、落ち着いた雰囲気の喫茶店にいた。店の中は人の出入りが少なくBGMもクラシックが心地よく流れていて、人の多い外とは切り離された別世界のようであった。
「つっかれたー」
「そりゃあ、あんだけあちこち見て歩いてたら疲れるって。全然ウインドウじゃないし」
 倒れこむようにテーブルの上に突っ伏す涼子はその言葉に、だって、と頬膨らませながら睨みつける。彰は本日二度目の苦笑を浮かべ、荷物を差し出した。
「荷物持ちありがとー」
 姿勢を正し、涼子は差し出された荷物を受け取る。すると、その袋の内の一つから、可愛らしくラッピングされた小さな箱を取り出し、翔悟に差し出した。
「何これ?」
「荷物持ちプラス買い物に付き合ってくれたお礼。たいした物じゃないけどね。ほら、開ける開ける!」
 半ば急かされるように翔悟はリボンを解き、包装紙を広げる。現れたジュエリー用の箱を開けると、中には小さな十字架のピアスがあった。その中央に済んだ緑色の石が埋まっている。
「あ、これ、さっきのパワーストーンの店?」
 喫茶店の前に、二人はパワーストーンの専門店に訪れていた。そこは石単体や、石を使った様々なアクセサリーが売られていて、今もらったピアスもそお店で売られていたような気がしたのである。
「そうそう、あの店。それ綺麗でしょ? アベンチュリンっていうんだって」
「うん、綺麗な色だ。この石はどんな効果が?」
 ピアスを眺めながら問いかけるが、返事がない。どうしたのかと顔を上げてみると、言いにくそうにしている涼子の顔があった。
 何か変なことを言っただろうか、と悩んでいると、涼子が口を開いた。
「気になるなら帰ってから調べたら? 今は内緒」
 彼女にしては少し不自然なその言い草。
「えー?」
「……可愛くないわよ、それ」
 少しおちゃらけてみたが一蹴される。
 
 その時だった。

「あー!! 見つけたッ!!」
 突然店内に響き渡った声。その方に目を向けると、二人を指差した梨乃が立っていた。もう、と言いながら近づいてくるその少し後ろには彰もついてきている。
「きゃーみつかったー」
「どうしよかリョウコちゃんー」
「なんで棒読み!? こっちは、急にいなくなったから心配してたのよ?」
 梨乃の様子からして、本当に心配していたのだろう。ごめんね、と涼子が言おうとするよりも先に、翔悟が口を開いた。
「そんな可愛い顔しないでよ梨乃ちゃん。ゴメンって」
「――ッ!!」
 その言葉は凶器に近かった。鈍器で頭を思い切り殴られたような衝撃が涼子を襲う。
 涼子は、翔悟に片想いをしている。しかし、翔悟は別の女の子に片想いをしていた。過去形なのは、現在がどうなのかが分からないからである。その女の子は想い人と晴れて両想いとなり、翔悟は身を引いた。今でもその子のことが好きなんじゃないかと思うような言動をする翔悟に、涼子は身動きができないでいた。
 さきほど翔悟に送ったパワーストーンはアベンチュリン。意味は心身やオーラに溜まったエネルギーの汚れを掃除して綺麗にする、失恋の傷を癒す、など。早く失恋から立ち直って新しい恋をしてほしい、願わくばその相手は自分がいい、という、涼子のささやかな願いが込められている。
「……」
「ちょ、無言で殴ろうとするな! お前のそれが一番恐いわ!」
 本気で翔悟を殴ろうとしている彰、彰を必死に止めようとしている梨乃、彰に弁解をしている翔悟。その光景を、涼子はどこか遠い景色を見るかのように眺めていた。

   *

 その日の夜。
 涼子はベッドの上をごろごろと転がっていた。喫茶店での翔悟の発言が忘れられず、家に帰ってからずっとこんな感じである。できれば今は考えたくないと思うのが、頭の中から翔悟が出て行く様子はない。
 と、ベッドに小さな振動が走った。枕元で放られていた携帯電話が震えている。何かと画面を覗き込むと、今考えていた人物からの着信であった。涼子はしばらく考えた後、先程と同じように携帯を放った。今は、これ以上、傷を広げられたくないと思ったのである。やがて携帯の振動は止まり、部屋に静寂が戻ってきた。
 ところがそれから一分もしないうちに再び着信を知らせる振動が鳴った。発信者は同じである。もう一度切れるまで二分ほど待った。が、再びの着信。
 これ以上は本当に悪い気がして、涼子は四度目の着信でようやく電話を繋げた。
「……もしもし?」
『あ、涼子ちゃん? やっと繋がったー。四回もかけたんだよ?』
「ごめん、気づかなくて……何かな?」
 いつもならもっと聞いていたいと思う声なのだが、今は早く用件を言ってくれないかとばかり考えている。
『今日くれたピアスのさ、えっと……アベンチャラン、だっけ? 調べたよ』
「正しくはアベンチュリン、ね」
 そうだっけ、まぁいいじゃん、という翔悟の声が電話越しに聞こえてきた。そのキョトンとした様子や開き直った様子が容易に想像できて、思わず吹き出しそうになるのを必死に堪える。
 少しだけ、いつもの調子に戻れた気がした。
「で、調べたんだ?」
『調べた調べた。なんか、身体の疲労を取ったり、心の安定させてくれたり、って意味らしいね』
「そうそう。いつまでも失恋引きずってないで早くいい相手見つけなさいよっていう私からのホンの気持ち」
 本心に気付かれないように、それでも嘘をつくことはなく、あくまでいつものように、涼子は言った。少しだけ胸が痛いが、気付かない振りをする。今はそんなものにかまっている余裕はない。
 しばらく沈黙が続いた。何か変なことを言っただろうかと考えるが、いつもと変わらない様だった気がする。
 どうかしたの、と涼子が問いかける前に、じゃあさ、という翔悟の声が聞こえた。その数秒後。
『俺と付き合う?』
「……え……」
 一瞬、翔悟の言葉が理解できなかった。彼が言った言葉を何度もアア真の中でくり返す。
“俺と付き合う?”
 それは告白以外の何ものでもない。しかし翔悟の性格上、冗談と言う可能性も残されている。
『あ、言っとくけどマジだからね。今の言葉』
 どうやら可能性は一つに残されたらしい。
それは彼の口から、彼の声で、一番聞きたかったの言葉。ところが、涼子の口から出てきたのは、
「何で私?」
 驚きの言葉だった。言ってからすぐに後悔したが、それをフォローする言葉も見つからない。
『とりあえず出てきてくれない? 意外と寒いんだけど』
 必死に言葉を探していると、翔悟が震える声で言った。今夜は冷えると天気予報で言っていたのを思い出し、同時に、翔悟が家にいるわけではないことに驚く。時計の針は九時三十分を回っていた。
「は、え……どこにいるの?」
『涼子ちゃん家の前』
 気持ちいいくらいの即答だった。
「はぁ!?」
『とりあえず出てきてよ、ほんと今日寒いんだって。こんな日に自転車三十分も飛ばすもんじゃないね』
「とりあえず馬鹿なのはよく分かった。すぐ出るからちょっと待ってて。あ、一回電話切るよ」
 ため息を一つ吐き、クローゼットからパーカーを取り出して羽織る。
 扉を開けたらなんて声をかけよう。とりあえず馬鹿と言ってみるか、どうして自分なのか問いかけるか。それとも、好きだと告げてみるか。

 電話を切る直前に聞こえた“早く会いたい”と言う言葉に胸を躍らせながら、涼子は玄関へと急いだ。

<終>

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