魔法皇女プリンセス☆サリア
池田 風太郎
みなさん初めまして、ボクの名前はケーア。唐突ですが、実はボク、この世界の者ではないんです。もちろん人間でもありません。といってもまあ、ボクの姿……地上の生物に例えるならば二股の尾と銀色の毛なみを持つ、手のひら大の猫……といったところでしょうか。この姿を見れば人間と見間違うことなんて恐らくないとは思いますが、念のため。
ではお前は何者なんだという質問が聞こえてきそうなので、説明させて頂きますね。ボクは一般的に『妖精』と呼ばれる種族です。この種族には様々な特殊能力を秘めたものがおり、能力によって生息域・活動原理・思考形態などが大きく異なります。この世界を含む多くの世界ではほとんど物語の中だけでの存在として認知されているようですが、ボクの住んでいた世界リペルラッド≠ナはごくごく普通に存在する種族です。
様々な世界が、重なり合うようにして存在します。世界と世界は並行して存在し、触れ合わないながらも僅かずつ干渉し合って両界の平衡を保ちます。コインの裏表のように、秤の左右のように、両者は決して相容れない、しかし片方として欠かせない、付かず離れずの様相で存在するのです。
そして、今回ボクがするのはリペルラッド″に隣り合って存在する世界マルテスタ≠ノいた頃のお話です。人間という種族が存在する世界です。このような説明が必要になるのは、ボクの世界に人間という種族が存在しないからです。似たような形状の妖精なら存在しないこともないですが、これは特に重要なことでないので割愛させて頂きます。
さて、妖精には個々様々な特殊能力があると前述しました。この能力によって、妖精をグループ分けすることが出来ます。例えば大木を住処にし木々を育てる者なら『森の精霊』、空を行き風を起こす力を持つ者なら『風の妖精』といった具合です。そしてボクが属しているのは『補助妖精』というグループです。
補助妖精は、リペルラッド≠ノおいては何の力も持ちません。しかし隣り合って存在する世界を行き来できる他、渡った世界に生息する存在と契約することで、本来持たない特殊な力を与えるなどといった能力を持っています。ボクがマルテスタ≠ヨ渡り来たのもそのためです。
しかし、ボクにはもう一つマルテスタ≠ノ渡った理由がありました。それはかつて僕の仲間が契約した『ある存在』に憧れたからで、ボクと契約した者にもそうなって欲しいと願ったからです。
説明が長くなってしまいましたが、これが最後です。ボクの憧れた『ある存在』とは、元々ごく普通の人間、それも少女でありながら、契約によって不思議な力を手に入れ、やがては世界を蝕んでいた危機を祓い、世界を救った……そんな存在です。人々はそんな『ある存在』の能力に感嘆と羨望を込め、こう呼びました。
―――『魔法少女』、と。
「はぁー……」
深いため息が一つ、夕映えの空へと消えて行きました。その主は、この場にいる唯一の存在……つまりは、ボク。希望を持ってマルテスタ≠ノやってきたボクは、早くも問題にぶち当たっていました。それも、とびきりの問題に。
ボクも含めた補助妖精たちは大抵、契約者候補に割と多くのものを求めます。基礎的な運動能力や頭脳、自身との共鳴度(契約後の特殊能力発現率に関わる、補助妖精との適合度を示す独自指標)などなど、自分の契約者の力量に関わるからです。一度契約してしまうと容易に契約解除することは出来ないので、妖精たちは自身の契約者の完成度に拘るのです。
ですが、とりわけ重視されるのは、力量にあまり関係しない『容姿』という事項です。ボクだけでなく多くの妖精たちから憧憬の的となっている『ある存在』の登場以来、契約者が美少女であることは一種のステイタスのようになっていて、ほとんどの妖精はまず容姿を第一の優先事項としています。
このように選り好みをするので、いつになっても契約者と巡り遇えない妖精は数多く存在します。そこで契約者に巡り遇えない妖精の多くは、一時的に肉体を他の物体に封印し、各々の世界の物流に乗って契約者を探します。中にはランプに身を隠し、契約者のとある動作によって一時だけ身を現すという風変わりな者もいたようですが、そのような利用法でなくとも、自力を使わず契約者を探して流浪できる便利な手段です。
また、例え契約にぴったりな者が見つかっても、相手側が契約を拒否する場合も少なからずあります。現にボクの知り合いには、いくら契約を迫っても身に危機が迫っても一向に契約しようとしてくれない少女がいると嘆く者もいました。
ですが、実はボク、既に契約を済ませているんです。ボクは始めから宝石のあしらわれたブローチに身を封じてマルテスタ&浪を始めたのですが、さほどの時間も掛けずに契約者と巡り逢えました。
彼女は完璧な少女でした。容姿は抜群に『美しい』と言えるものでしたし、何か日頃から鍛えているのでしょうか、身のこなしも優雅で軽やか。おまけに教養もあり、溢れ出す知性を感じさせました。補助妖精は背景を知らずともこのような才を感じ取ることができます。
ですから、ボクは迷いもなくこの少女の前に姿を現しました。そして少女も、ボクの話を柔軟に受け入れ、ほとんど二つ返事で契約を承諾してくれました。まさに順風満帆、最高の出だし――ボクはそう信じて疑いませんでした。
しかし、この早々の契約こそがボクを悩ませる種になるとは、このときボクはまだ知らなかったのです。
「はあー…………」
先程よりも長く深いため息が、再び空へと消えて行きました。しかしその色は既に夕映え鮮やかなものではなく、うっすら闇を含有した暗いものへと移り変わっています。
どうしてこうなった。ボクはそんな鬱々とした思いを胸中に、ただただ闇色に染まっていく橙を見つめています。
「お待たせしましたわねケーア、準備ができましてよ!」
ボクの陰鬱な気分とは対照的な明るい声がして、背後に一つの気配が現れました。それが誰かを考える必要はありません。妖精の姿は契約者を除き、この世界の住人には見えないらしいというのを契約後に知りましたから。
ゆっくり振り返ると、そこには一人の少女が立っていました。ふわりとした金の巻き髪、澄んだ瞳、優雅なドレス。誰の目線も釘づけにするだろう高雅な出で立ちは、まさにボクの描いていた契約者の理想像に寸分違わぬものです。
「待ちくたびれたよサリア。二時間四十八分五十秒も掛けて一体何を準備してたのさ?」
「まあ呆れた、律儀に数えていましたの? 残念ですが質問には答えられませんわ。中に入ればわかることでしてよ」
「…………」
ですが彼女の性格は、とても僕がコントロールできるようなものではありませんでした。あまりに奔放で、しかも悪戯好き。無邪気と呼べば聞こえは良いのですが。
「……また入口に虎バサミが仕掛けてあって、しかも頭上から鍋が降ってくるような仕掛けがしてある……とかじゃないよね?」
「まあ、貴方程の方に二度も同じ手が通用するとは思っていませんわ。今回は虎バサミの代わりに落とし穴を、鍋の代わりに熱湯が降り注ぐ仕掛けを用意しましたわ! この熱湯に使う水には魔法を掛けて、少しの後に赤く変色するというサプライズも用意しています」
聞きましたか、今の発言。とんでもないことをサラリと言ってのけました。ボクをどんなレベルの生物と認識しているのか分かりませんが、契約以来たびたびボクを部屋からテラスに追いやっては、契約で得た力をこんな仕打ちに利用するんです。しかも全く悪意はなく、あくまでコミュニケーションの一環としてやっているのだからさらに性質が悪いです。
しかも無駄に周到で、仕掛けが単純な割に時間を掛けているのは引っ掛ける相手(この場合はボク。悪戯自体は契約前から頻繁に行っていたようです)の歩幅や角度などをきっかり計算し、仕掛けも周りの置物などに擬態させるという高等な手段まで用いている為です。警戒していても引っかかる程で、本人は『命中率百パーセント』と自慢していました。
加えて、重度の天然。これは彼女が制御不能たる最大の要因です。もっとも、これが救いになることがあるのでボクとしては一概に否定ばかり出来ないのが悲しい現実なのですが。とにかく、こんなことをバラしてもまだボクがノコノコ部屋に入っていくと本気で信じて疑わないのです。
「うん、じゃあボクは入らないから早く元に戻してね」
「な、何故ですの!? せっかく苦労して作りましたのに!」
「いや、何故って言われても。ボクそんなのに引っかかりたくないし。それに、色付く水なんて……あまり部屋汚したらまたお父さんを困らせるよ?」
「うっ……」
サリアの動きが止まりました。彼女にとって父親は特別な存在なのです。さらに前回の虎バサミ&鍋で一度困らせているので、効果は覿面です。
「わ、わかりましたわ……」
渋々ながら、サリアが部屋へと引っ込んで行きました。ボクは内心で非常に安堵しながら、仕掛けが片付くまでの時間を、再び空を眺めることで潰すことにしました。
すっかり空が黒一色に塗り潰された頃。ボクは広々とした部屋の中に幾つか点在する大きなクッションの一つに乗り、体を丸めてリラックスしていました。やはり風当たりのあるテラスよりも部屋の中のほうが落ち着きます。
「サリア、明日こそ出掛けようね」
「……またその話ですの?」
ボクの問いかける唯一の対象・サリアは今、ボクの乗っているクッションのすぐ傍にある天蓋付きベッドに転がっていました。身もとろけよとばかりにフカフカのベッドは乗る者の体重を支えてゆったりと沈み、転がる者に至福の癒しを提供します。特注品だというのも頷けます。
「もう……契約のとき話したろう、ボクは人助けがしたくて君と契約したんだよ!」
「あら、それは私を助けたいと申したのではありませんの? 事実、貴方は立派な執事として動いてくれているではありませんか」
「執事じゃないっ! ていうかそもそも、サリアが身の回りのこと出来なすぎなんだよ!」
「だってそれは私には不要のことですもの」
サリアの悪戯っぽい笑顔を、頭上のシャンデリアが煌びやかに照らします。なんとも悔しいことに、この笑顔がサリアには非常に似合っています。
ボクの契約目的は、契約者とともに困っている人を助けることです。この世界には『ある存在』のように立ち向かう巨悪が存在しないので英雄は望めませんが、人助けをすることで『ある存在』に近付くことは出来ると信じています。
……が。当のサリアがこの調子なので、ボクの目的はちっとも進んでいません。むしろ契約者がこの調子だと、目的に向かって進めない分マイナスですらあるのではないでしょうか……。
ところで。テラスのついた広い部屋に天蓋ベッド、シャンデリア。どれも一般家庭に備えついているようなシロモノではありません。それを何故、まだ少女であるサリアは所有しているのでしょうか。
答えは彼女の身分にありました。サリアの父はマルテスタ¢S土を統治する皇帝、マデラXI世。サリアはその一人娘、つまり皇女にして帝位後継者でもあるのです。
サリアの母は彼女を生んですぐに亡くなったらしく、彼女は父皇の愛情を一身に受けて育ちました。しかし賢帝と名高いマデラXI世は当然ながら多忙で、育てたのは多くの従者たちです。身の回りのことは全て従者たちがしてくれるので、何不自由なく育ったサリアは、家事はおろか着替えや飲み物を自分で用意することすらしません。仕方なくボクが必要に応じてこれらのことをしたので、彼女はボクを執事だと思い込んでしまったようです(ボクの姿は他の者に見えないので、正規の従者たちはサリアが急に身の回りのことをするようになったと思っているでしょうが)。
皇居内の暮らしは退屈らしく、サリアが悪戯を始めたのはそれが原因のようです。この悪戯は先のように性質の悪いものも少なくないので、厳格な父皇も頭を悩ませているようです。
「とにかく! 君がなかなか自由に出歩けない身なのは重々承知してるけどさ……明日は街に出る許可が出てる日でしょ? せめてお忍び外出の時くらい人助けして回ろうよ」
「ふふ。私が人助け、ですか?」
転がっていたサリアが不意に身を起こし、ボクの方を見つめてきました。その瞳には先ほどまでの悪戯っぽい輝きはなく、大人びた、しかしどこか冷めた憂いが見て取れました。
その表情を見て一瞬言葉に詰まったボクに、サリアは一言だけ言いました。
「人助けなど、私がせずとも適任がいるでしょう。世の中には『なんでも屋』なる人々がいると聞きます。それに、父上や大臣たちも頼むという手もあります。変わり者で世間知らずな私が動くより、よっぽど人々の役に立てるでしょう」
常なら「世間知らずだって自覚してるんだ」と冗談を言いたくなる所ですが、今のサリアにはそんな冗談を発することも許さない、暗く静かな迫力がありました。
結局受け取られるまま返答を得なかった言の葉にどこか哀しい余韻が漂い、漆黒の虚空へと消えて行きました。
空は澄み陽光が燦々と降り注ぐ、真昼の城下町はとても賑やかです。市場では売り子の元気な声が響き、広場では大道芸人が身に付けた技の数々を披露し、競技場ではする者・見る者のそれぞれが各々の方法でスポーツを楽しみます。活気に溢れる街は、道をただ歩くだけでわくわくするような何かを感じさせました。
それはボクの隣を、二人の従者を伴って歩くサリアも同じく感じているようです。いえ、むしろボク以上に楽しそうでした。
サリアは今、動きやすい庶民服と質素な帽子を身につけ、ふわりとした巻き髪は後ろで一つに束ねていました。束ねられた金色がご機嫌にゆらゆら揺れています。普段皇居から出る機会があまりないので、何をするでもなく街を見て回る、それだけの行為がこの上なく楽しいのでしょう。
「あれを見て下さい、ケーア! あの木です」
「ん?」
従者が隣にいるにも関わらず、サリアは気にせずボクに話しかけます。ボクは驚いて様子を窺いましたが、どうやら従者たちは全く気にする様子がありません。見えない存在を認めるなんて……こんな柔軟すぎる人たちが育てたから、サリアはこうなったんじゃないでしょうか。まあ変に詮索されるよりは好都合ですが。
「とても良い高さ、そして枝の具合です。籠に球を入れて、縄で仕掛けを作れば……!」
……絶対に『何をするでもなく街を見て回る、それだけの行為』以上のことをさせてはいけないようです。被話者を気にしていない従者も、内容を聞いて思わず苦笑いを浮かべています。ボクは見逃しませんでした。
雲一つない晴天が広がっていた城下町でしたが、お昼時を過ぎた頃、空が表情を変えました。何処からか流れてきた暗雲が一面に広がり始め、地表に微笑みかける太陽にマスクを被せます。さらには雨もぽつりぽつりと降り始め、石造りの街路を濡らしていきます。先ほどまであれだけ活気に溢れていたのが嘘のように、町からは人の気が失せていました。
そんな中でも、簡素な桃色の傘を差したサリアは楽しそうに歩を進めます。道行く人も疎らになった道を、静かに零れ落ちる雫の下をくぐり抜けて歩くその姿は、周りのもの全てを観客としたファッションモデルのようにも見えました。
「普段窓の外にしか見ることの出来ない雨を、こうして体感出来るのも悪くありませんわね」
話しかける対象は、やはりボク。しかし今度はわざわざボクに話しかけたのではなく、単純に話しかける相手がボクしかいないというだけのことです。
というのも、二人の従者たちは突然の腹痛に襲われ、いわゆるもよおしもの≠ナ席を外しています。原因はサリアが昼食のアップルパイに大量の下剤を仕込んで食べさせた事で、ボクはその瞬間をきっちり見ていたのですが、存在を認知されないボクでは伝えることができません。己の無力を呪います。
「サリア、あんまり歩き回っちゃダメだよ。御手洗いの外で待ってるよう言われてるでしょ。だいたい、人助けしようって言ってるのに逆に困らせてどうすんのさ……」
「従者たるもの、守るべき者の隣で何時たりとも警戒怠るべからず……ですわ」
「いや、でもまさかその守るべき者に毒を盛られるなんて考えないでしょ普通」
付け加えると、従者がサリアにアップルパイを買わせた理由は『買い物をしてみたい』といサリアの要求に対してのもので、社会経験の為と考えた上でのものです。サリアの為を思って取った行動の結果がこれだと、なんとも浮かばれません。
「毒とは人聞きが悪い。排泄は体内の不要物を排出し、腸内環境を整える大切な営みですことよ?」
「……仮にも女の子なんだし、下剤飲ませて排泄語るのやめようよ……」
「女の子だって排泄は……!」
「皆まで言うな!!」
お食事中の方、申し訳ありませんでした。謹んでお詫び申し上げます。
さて。待機しているよう指示されたサリアですが、言われたからといってじっとしている彼女ではありません。すっかり人気のなくなった町を、行く当てがあるわけでもなく悠々と歩き続け、ついには町外れの橋までやってきました。その直下には国内有数の川幅を持つレヴァ河が、轟音を立てて流れ続けています。数日前にあった豪雨で水量が増しているためか、以前来た時よりも流れが激しくなっています。
「ねぇサリア、やっぱり戻ったほうがいいよ。こんな所まできちゃって……」
「大丈夫ですわケーア、私には貴方に戴いた力があります。従者なしでも不埒な輩には負けませんわ!」
桃色の傘を揺らし、上機嫌に言い放ちます。よっぽど町歩きが楽しいのでしょう。ちなみにボクの心配はサリア自身ではなく(サリアの言う通り、魔法少女の力があれば悪漢などは恐れる対象ではありません)、姫を見失った従者たちの方に対してあるのですが、どうやらサリアにそれを理解させるのは非常に難しいようです。
「ねぇってば――」
「ケーア」
再び呼び掛けようとしたボクを、サリアが制しました。それはいつになく真剣な表情と声色で、ボクも圧されて思わず言葉を切りました。上機嫌だったほんの一瞬前とは全く違う、僅か緊張に強張った表情が、動きを止めた傘の内側にありました。
「ど、どうしたのさ?」
「しっ。静かに」
事情が分からず尋ねるボクを、サリアが再び黙らせます。耳を欹てる様子と静粛を求める行動から、ボクはサリアが何らかの音声を聞き取ったのだと判断しました。そこでボクはサリアに何を尋ねるではなく、一緒に耳をすましてみることにしました。
サ――……空の雫が大地を叩く連続音が聴こえます。
ザ――……清流が強く流れゆく連続音が聴こえます。
天から地へ、上流から下流へ。一方から一方へと移動する水の音だけがただ、耳へと流れ込んできます。
「…………?」
その中にふと、流れゆく水音の中に違和感を感じ取りました。不協和音というものでしょうか、とにかく自然の生み出す音とは異なる音が混じっている、そんな違和感です。その主が何なのかは分かりませんが、これがサリアの感じ取ったものでしょうか。
「ケーア、貴方にも聴こえまして?」
「うん。何だかは分からないけど、何ていうか……不協和音、そんな感じ。徐々に遠くなってるけど」
「まあ、あなたそれでも私の契約者ですの!?」
サリアが珍しくヒステリックな金切り声をあげたので、ボクは驚いて飛び上がりました。声調にも驚きましたが、サリアの口から契約者という言葉が出てきたことも驚きでした。
「じゃ、じゃあサリアには何が聴こえたの?」
「悠長に話している暇はありません! 徐々に遠くなっているというのなら、急がなければ!」
「だから、何をそんなに急ぐのさ!? 解決を急ぎたいなら、まずは情報を整理しないと! 最初に、サリアは一体何を聴いたの?」
半ばパニックなりかけているサリア。その言葉からも様子からも事の性急さが感じられますが、肝心の内容がわからなければどうすることも出来ません。
もとより、視力や聴力は基本的に妖精であるボクの方が上です。それでも感知できていない何かを聴き取っているとすれば、それは恐らくボクが注意して聞いていなかった時――つまり、一番最初にサリアがボクを制した、あの直前である可能性が極めて高い。ボクはそれを聞き出そうとしました。
サリアもボクの言葉を聞いて少しだけ落ち着きを取り戻したらしく、声のトーンを少しだけ戻して答えました。
「……そうですわね、確かに貴方の言う通りですわ。ケーア、大急ぎで河を見て下さい」
「河……って、このレヴァ河?」
「他に何がありますの? 私が聞いたのは……悲鳴。きっと何かが流されているに違いありませんわ!」
「なっ……!?」
返ってきたのは大いに想定外な答えでしたが、さすがに今度は驚き固まっている場合ではありません。ボクはサリアの頭に飛び乗ると、下流の方へ目を凝らしました。飛び乗られたサリアがあからさまに嫌な顔をしたのは言うまでもありませんが、非常事態を理解している故に文句は言われません。
元々それなりの高さがある橋なので、お世辞にも高身長とは言い難いサリアの頭上からでもかなり広域を見回すことが出来ます。加えて、前述した通りボクたち妖精は非常に優れた視力を持っています。これは契約した魔法少女の助けとなるため発達した機能なので、まさに今、如何なく発揮されるべき力でした。
「どう、見えまして!?」
「待って、必ず見つけるから……!」
こうしてサリアと組んで働く日がようやく来たと、ボクの心は不謹慎ながら高鳴っていました。執事紛いの迷走した日々に永久の別れを告げ、魔法少女の右腕として生きる……そんな熱い思いがボクを奮い立たせます。
はっきりと、よりはっきりと。轟々と流れる河中に目を凝らし、いつもの比にならない集中力で視線を回します。やがてボクの視覚は、とある一点に浮かぶ存在を認知しました。
板、でしょうか。大きめの平たい木材が激流に押され、右へ左へと進路を変えながら流されて行きます。そしてその上に胸元あたりから上を乗せるようにしてしがみ付いているのは、サリアよりもさらに幼く見える、おさげ髪の少女でした。既に顔色は真っ青で、命を繋いでいるあの木材が転覆しようものならもう泳ぐ力も残っていないでしょう。いや、むしろあのような幼子がこの激流の中でこうして耐えていること自体、信じられることではありません。
「サリア、見つけたよ! 女の子が流されてる!」
「やはり……!」
ボクはサリアの頭から橋上に飛び降り、振り返ってサリアを見上げました。焦燥感がピークを迎え、元々色白な顔はもはや蒼白になっています。
「では早く、周辺の誰かに助けを求めましょう……!」
「ダメだ、あんなに流されてる。泳いでも追いつけっこないよ!」
「ではお父様に連絡して、早急に救助部隊を……!」
「それもダメだ、救助部隊が到着する前にあの子が力尽きちゃうよ!」
「ならば……釣りあげましょう!」
「落ち着いてよサリア、そんなの無理だってわかってるでしょ!? 釣り糸届かないし、釣り針流されるし……っていうかそもそも釣り竿なんか手元にないし!」
「ではどうしろというのです!」
徐々に強さを増す雨の中、サリアの頬を雨粒とは違う雫が伝いました。サリアなりに知恵を絞り、打てる手を必死で考えているのでしょう。
だから、ボクは思い出させます。意識してか否か、サリアが除外して考えている最善の策を。採るべき道を。
「サリア、君がやるんだ」
サリアは涙を拭くことも忘れ、キョトンとしてボクの顔を見ました。ボクは決して目を逸らさず、サリアをしっかりと見つめて言葉を続けます。
「ボクは人助けをしたくて君と契約した。魔法少女としての力を預けた。そして今君は、あの女の子を助けたいと願ってる。助けたいというボクらの求めは一致した。なら今こそ、その力を使うべき時だ」
「で、でも……私はこの力、まだ全然使い方を理解していませんわ。私は悪戯くらいしか能のない無力な存在……人助けなんて、とても……」
「できるんだよ! 君にはその為の力がある。無力なんかじゃない。今あの子を救えるのは、サリア、君だけだ! 君しかいない!」
「私……だけ……?」
無力感から虚ろになりかけた瞳に、徐々に力が戻っていくのが見て取れました。蒼白だった頬にも朱が戻ってきて、発奮を感じさせます。
――あと一息!
「サリア。自分と、ボクの預けた力を信じて。『魔法少女』ってのはね、どんな不可能だって希望の力で打破できる、そういう存在なんだ。出来ないことなんて何もない。奇跡だって引き起こせる!」
「奇跡……!」
その単語を復唱した瞬間、サリアの足元に黄金色の紋様が現れ、陣を描き出しました。そこから噴出される黄金の輝きは陰鬱な空の暗さを切り裂いて立ち昇り、サリアを足元から美しく照らし上げています。
サリアは服の袖で頬に張り付いたままの涙を拭うと、桃色の傘を放り捨て、身に着けていた帽子と髪留めへとおもむろに手をやり、引き剥がすようにして外しました。解放された艶やかな金髪が風になびき、踊るように解れていきます。
「わかりました。私は……やれることを、精一杯やることにしますわ。それで、私はどうすればよろしくて?」
「右手を天に。心に光を。そして自分の在りたい姿を強く思い描いて!」
頷いたサリアが開いた右手を勢いよくかかげると、陣から立ち上る黄金色が鮮やかな虹色へ変じ、さらなる強さを持って辺りを包みこみました。同時に、今や目を焼く程になった眩い輝きの中、サリアの姿が転じていきます。
まず初めに、着ていた質素な庶民服が無数に解け、虹色の糸になって風に溶けていきます。露出した素肌も虹色の輝きに覆われ、服が無くなったことによる不都合″をカバーします。これは大人の事情による処理ですが、名目はあくまで肉体強化です。
そして何処からか現れた純白の光が手足に集中し、輝く絹糸になって編み上がっていきます。まず腕に肘までを覆う上品な手袋を、次いで足に白鳥を模した飾りのある靴を、最後に胴体に豪華なフリルと宝石がふんだんに配された華美絢爛なドレスを、それぞれ形成していきました。ちなみにこれらの服は全てボクの手作りで、わざわざ魔法を使って分解し、有事に備えていたのは内緒の話です。ボクのこの姿でどうやって服を仕立てたのかは企業秘密です。
今、天空から降ってきた一本のプリティなステッキがサリアの手に収まりました。先端にあしらわれた大きな星飾りがひときわ強く輝き、見る者に変身動作の完結を察知させます。この間僅か半秒。描写すれば長いですが、実際の変身は瞬きするよりも早く完了しています。
「困窮せし民救うため、立ち上がりし純白の彗星……魔法少女サリア、いざ参る!!!」
虹色の光が収束すると同時に、ステッキを手にしたサリアが優雅な決め台詞と決めポーズを取りました。先程までの帽子に庶民服の質素な出で立ちと異なり、絢爛な純白ドレスを身にまとい、美しい髪を自由に棚引かせた気品十分なものへと変わっていました。しかも、意外とノリノリです。
「……って。なんですの、この無駄に華美な服装は。別に変身しなくても魔法は使えますし、機能面で不自由なのでは……?」
「何言ってるのさ! 魔法少女は活躍する前に変身するものって相場が決まってるんだよ!」
「は、はぁ……」
サリアは何となく納得いかない様子でしたが、まあボクたちと思考形態が違うので仕方ないですね。おいおい慣れて貰うことにしましょう。
「そんなことよりサリア、早くあの子を助けないと!」
「そ、そうでしたわ!」
河の方を見ると、おさげ髪の少女が掴まった板は所々飛び出している岩にぶつかりながらも、ひっくり返ることなく流れ続けていました。もちろん、少女もまだ無事です。
「どうやって助ければ……」
「よし、泳ごう! 身体能力が強化された今なら、この激流の中でも飲み込まれず泳げるはずだ!」
「…………」
サリアの表情が不安に歪み、血の気が引くのが見えました。もしやと思いおさげ髪の少女の方を見ますが、特に状況が変わったようには見えませんでした。
「……サリア?」
「泳ぐ案は却下です。私は泳げないのです……身体能力以前に、泳法を得手としていません。沈みます」
「…………」
今度はボクが閉口する番でした。ああ……神秘の魔法少女の力を以てしても、そもそも泳ぐ方法がわからないのではどうしようもありません。
「じゃあ……飛んでみよう!」
「まあケーア、忘れまして? 以前飛行訓練をしたとき、私は力を制御できずに皇宮を破壊していますのよ。そんな速過ぎる飛行であの子の下へ向かい、万一制御しきれなかったら……」
「……う」
そういえば。契約して間もない頃、サリアをその気にさせて飛行の練習をさせたことがあるのですが、まるで弾丸のように飛行するものだから衝撃波が発生して周辺の木々をなぎ倒したり、皇宮のガラスが割れたりしたことがありました。幸い『サリアの悪戯』程度に処理されていますが、常人が『悪戯』程度で済ませられる事態ではありません。皇帝は楽天的過ぎます。
「んー、じゃあ……釣り上げてみるってのはどうかな?」
「……貴方、自分がさっき何と言ったかお忘れで?」
何とも尤もな突っ込みが返ってきました。この場合、ボクが欲しいのは的確な突っ込みではなく的確な打開案なのですが。
「もう……結局何もできないじゃありませんの!」
確かに奇跡を起こす魔法少女の力ではありますが、あれだけ離れている上に本人が能力行使に不慣れという二重苦のせいで、無策では上手くいきそうにありません。しかし時間はなく、ボクとサリアは適当な案を摸索し頭を捻ります。
「……はっ、そうですわ!」
そのとき、サリアの表情が一瞬得心に輝きました。そしてそのまま地面を強く蹴って数十メートルほどジャンプし、そのまま宙に静止しました。どうやら飛び回ることは上手く出来なくても、同じ位置に留まることなら可能なようです。ちなみに数十メートル跳ぶのは常人には手の届かない超技ですが、魔法少女にとっては朝飯前のことです。
「何をするの、サリア?」
「あの子の周りを爆撃し、水を吹き飛ばしつつ河底を陥没させ、水があの子の周りに行かないようにします!」
「……へ?」
一瞬、サリアの言うことがすっと頭に入りませんでした。あまりにあっさり言ってのけたので、実際起こるだろう事態を頭に描く機能が麻痺していたのです。
ボクがサリアの言った意味を噛み砕く間も、雨足は強くなっていきます。束の間空からの打ち水に身を濡らし、ようやくボクはサリアの言ったことを理解しました。
「……ッ、無茶すぎるよサリア! 爆撃なんてそんな力使ったことないし、もし制御できなかったらあの子を巻き込む……どころか、さらに大変なことになるよ!」
「無茶などではありませんわ、ケーア。貴方は、自分とこの力を信じるよう言ったではありませんか。私は絶対にやり遂げますわ。奇跡を起こせるというのも貴方の言葉です」
だったら飛ぶとか泳ぐとか、もっと現実的な方の手段を出来ると信じて選択すればいいのに……よりによって河を吹き飛ばそうだなんて。ヒト一人助けるために地図を書き換えなければならないようなことをしようだなんて、それこそ『とある存在』が立ち向かった悪の親玉もビックリの発案です。
ですが、サリアは本気でした。目を見開いて対象範囲を見定め、両手で構えたステッキに膨大な力を集中させています。変身をしたことで視力に磨きがかかり、しっかりと姿を捉えられるようになったのでしょう。とにかく、その姿からは少女を救おうという気持ちがビリビリと伝わってきて、結局ボクは止める言葉を失ってしまいました。
ならば、ボクに出来ることは信じることのみ。契約者の少女を鼓舞し、最大限の成果を願うことだけでした。
風が強くなってきました。雨が風に乗って叩き付けるように降り注ぎ、波立つ河の勢いに拍車をかけます。
「視界が悪くなってきた。それに、風と水流でいつあの板が転覆してもおかしくない。それでもやるの?」
「当然ですわ、私は『命中率百パーセント』の女ですわよ。精度計算なら、魔法少女としての力以上に手慣れていますわ」
「なら、ボクが言うことはただ一つだ」
ボクは大きく息を吸い、叩きつける豪雨の音に負けないよう大声で叫びます。
「……頑張って!!」
サリアはボクの方に少しだけ笑いかけてみせると、再び表情を引き締めて対象範囲を見据えました。純白の衣装が風に暴れ、前に突き出したステッキの星は熱く輝きを発しています。
「この一撃で――決めますわ!」
頭上でステッキをくるりと一回転させ、勢いをつけて振り下ろした瞬間。膨大な閃光と熱エネルギーが極太の光線として具現し、極光のような軌跡を残して荒れ狂う河に食らい掛かりました。
まるでサリアを頂点とした天幕のように、閃熱は傾いた円錐状の光輝を形成します。その足元では流れを割って霧散させ、弾けた水滴も雨粒も一緒くたにして蒸発させ、天へと還していきます。河底に到達した光線は留まらず大地を削り、抉りこんでいくのが橋の上からでも見えました。凄まじい轟音と大振動が、その破壊力を物語ります。
蒸発した水が辺りに立ち込め、深い霧が掛かりました。そこでサリアは光線の放射を止め、ステッキを横薙ぎに鋭く振ります。その動きに呼応して一瞬の暴風が吹き荒れ、即座に霧を吹き飛ばしました。
「う……わ……」
そのあまりの迫力に、ボクは思わず言葉も失って見惚れてしまいました。そして開かれた視界の先にあるものを見て、更なる衝撃がボクを襲います。
河の中ほどが底の見えない程深い谷となって陥没し、周囲から流れてきた水が滝となって奈落へ落ちていきます。轟々たる音は河の流れよりも、流れ落ちる水音の方からはっきりと聞こえてきます。
そしてその底の見えない陥没の中心から、塔のように岩が生えていました。いや、正確には岩ではありません。周りをくり抜かれ、独立してしまった河の一部でした。
(ほんとに……ドーナツ状にくり抜いたんだ……)
よく見るとその塔のようなものの頂点には水が溜まっています。端に多数の岩石が積み上がり、盆のようになって水が流れ落ちるのを阻止していたのです。
「ふう……やりましたわね! 中心を御覧なさい、彼女は無事です!」
サリアが高度を下げ、ボクの隣に降り立ちました。なるほど。確かに、見れば岩石の一つに乗り上げるようにして少女が横たわっています。胸が上下しているので、呼吸も問題ないようです。
なんで泳ぎも飛行も満足に出来ないのに、こんな大規模な攻撃魔法だけ正確に成功させられるのでしょうか。彼女、絶対生まれてくるべき世界を間違えています。退魔の剣を持った屈強な戦士と組んで三界支配を目論む某大魔王にでも立ち向かうべきではないでしょうか。
ともあれ、とりあえず救出作戦は一応成功の目途がつきました。『成功』と言えないのは、目下もう一つ問題が残っているからです。
「凄いじゃないかサリア、初めての仕事でここまでやるなんて。でも、一つだけ問題が残ってるよ」
「まあ、これだけ完璧にやったというのにまだ何かありますの?」
サリアが呆れた顔をしてこちらを見てきましたが、あれは間違いなくサリアの残した問題です。なので、ボクはきっちりとその問題点を告げました。
「ねえ、あそこに取り残された彼女……どうやってこっちに連れてくるの?」
「…………あ」
サリアの口から、一切の感情が抜け落ちた声が漏れました。
いつしか雨は小降りになり、雲の間に僅か明かりも見えてきていました。
「ん……」
「あら、気がつきまして?」
少しの後、おさげ髪の少女が目を覚ましました。場所は先程までいたのと同じ橋の上。サリアの飛行は速くすると非常に危険なので、歩くよりも遅いくらいのスピードにまで落とすことで何とか飛行し、少女を抱えてここまで連れてきたのです。
雨は上がりましたが、桃色の傘がまだ少女の横に立てかけてあります。濡れた服も魔法で乾かしたので、少女に求められるのは安静でした。
「もう大丈夫ですわ。衰弱している以外特に怪我はありませんし、温かいものを食べてゆっくり休めばすぐに良くなりますわ」
ちなみにこの内容、ほぼ全てボクの発言の引用です。まあボクが言ってもこの少女には見えも聞こえもしないので、サリアが伝えるほかないのですが。
おさげの少女はゆっくりと上半身を起こすと、まだ焦点のはっきり合わない虚ろ気な目でサリアを見つめました。
「お姉ちゃんが、助けてくれたの……?」
「礼には及びませんわ。一般庶民を助けるのは上に立つ者の務めで――痛ッ!?」
「サリアっ!」
少女が尋ねると、サリアはやや誇らしげに答えようとします。ボクは慌ててサリアの腕に噛みついて言葉を切らせました。
「何をしますの、ケーア!」
「魔法少女は正体を明かしちゃダメなんだよ!」
「何故ですの!」
「そういうものなの! それよりホラ、ボクの姿は見えないんだからあまり人前で話さない!」
サリアはどうしても納得できない様子でしたが、少女が向ける訝しげな視線に気付くと渋々引き下がりました。魔法少女の正体をばらさないというのも、ボクたち妖精が欲する魔法少女の条件の一つです。
「……貴方は、何者なの?」
「わ、私は通りすがりの魔法少……ごほん。皇……違いますわね、えーと……そ、そう、正義の味方! 正義の味方プリンセス・サリアですわ!」
あーあ、モロバレ……一応お忍びということもあって皇女の身分も隠そうとしたようですが、やはり彼女、隠し事は上手じゃありません。おさげ髪の少女も不思議そうな眼差しを向けています。
「お姉ちゃん……もしかして、サリア、様……?」
少女が少し遠慮がちに尋ねます。はぅぅ、やっぱりばれてる……!
「ちっ、違います、私はプリンセス・サリア。皇女サリアとは一切の関係がありませんわ!」
「…………」
おさげ髪の少女は少しの間困ったような表情をしていましたが、やがて微笑を含んだ表情をサリアに向けました。
「……わかりました。プリンセス・サリアさん、この度は助けて頂いてありがとうございます。私、この恩は忘れません」
「……あ、…………」
急に敬語。やっぱりばれてますよねこれ……サリアより幼そうなのに、中身はサリアよりも大人です。
そしてそのサリアは、少女のお礼を受けるなり何故か顔を真っ赤にし、黙り込んでしまいました。ボクが不思議に思って覗き込もうとすると、無言のまま凄い勢いで立ち上がりました。
「さ、さて、私はもう行きませんと! 従者たちが探しておるかも知れませぬ故にっ!」
「どうしたのサリア、何だか喋り方が微妙におかしいよ。っていうか、従者のこと覚えてたんだね」。
「そんなことはどうでもいいのです! さあ、じきに河の様子を見に警備隊が来るでしょう。その前に行きますわよ、ケーア!」
いつの間に回収していたのか、サリアは脱ぎ捨てていた質素な帽子を急いで目深に被ると、ボクの前脚を乱暴に掴み、おさげ髪の少女を置いたまま物凄い勢いで走り出しました。変身を解いたわけでないのでその加速力は半端なものではなく、前方からの風が激しくぶつかります。
確かに今警備隊に見つかれば大変なことになるでしょうが、そもそも河を破壊して警備隊を呼び寄せるような真似をしたのはサリアです。自然破壊に加えて救助人を置いて行くなんて……仕事人としてどうなんでしょう。
「痛い、痛いってサリア!」
誰に聞こえることもないボクの悲鳴が、振り返りもせず走り去るサリアの代わりに、そこに在った余韻を残して響いていました。
そして。走り去っていく恩人の背中を、一人の少女が苦笑交じりの笑顔で見送っていました。いつまでも、いつまでも。
凄まじいスピードで、風を切って走る姿がありました。あまりに速いので純白の線が地走りしているようにも見えます。自称したように、まさに純白の彗星です。
人気のある街路を避け、薄暗くなりつつある道を駆け抜ける流星は、未だ赤く染まったままの顔で、誰に言うでもなく呟きました。
「私……初めて、ありがとうなんて言われましたわ……」
「ああ、なるほど。だから様子がおかしかったんだ。あれ、照れてたんだね?」
ボクはそれを拾って問いかけますが、返事はありません。ですが決して心地悪くない沈黙が、ボクの発言を無言のままに肯定していました。ボクはクスリと笑い、もう一つだけ尋ねます。
「ねえ。人に感謝されるのって、なかなか悪くないでしょ?」
またも返事はありません。ですが、目深に被った帽子の下で、サリアの真っ赤な顔が僅か上下に動いたのを、ボクは確かに見逃しませんでした。
雨上がりの少し湿った風が、心地よく僕らの横を通り抜けて行きました。
さて、いかがだったでしょうか。今回のお話はこれでお終いです。この後もまだまだボクたちの物語は続きますが、それはまた次の機会にしましょう。
余談ですが、警備隊たちは河を破壊したのが何であったのか結局究明できず、地盤沈下という形で処理せざるを得ませんでした。地盤沈下なんてレベルじゃないことは目に見えてわかることでしたが、どうやらあのおさげの少女は何も話さなかったらしく、他に説明のしようがなかったのです。
魔法皇女プリンセス☆サリア…fin