魔王からの贈り物

池田 風太郎

 

 昔、昔の話。絶大な魔力と恐怖によって世界を支配していた、一人の魔王がいました。
魔王は世にも恐ろしい魔法の数々を用いて町を襲い、空を汚し、人を豚に変え、逆らう者たちを次々と焼き、それはそれは悪逆の限りを尽くしました。
人々は魔王の影に怯え、しかし逆らう術はなく、陰惨な日々を強いられていました。


 魔王は、かつて存在した小国の王様でした。それがある日、国の人々を皆殺しにし、自らを魔王と称して世界征服に乗り出しました。

 心穏やかで民にも慕われ、名君と名高かった王様。そんな彼が何故このような暴挙に出たのか。乱心だとか、元々穏やかに見えた性格こそが偽りだったとか、様々な説が存在します。が、その本当の理由を知る人は誰もいませんでした。

 

*****

 

 松明の灯火を飲み込み、揺らめく紅蓮が燃え広がる。

 禍々しい姿の銅像。歪んだ配色の絵画。刺々しい玉座。腕を広げる炎が、それら全てを飲み込み灰燼へと変えていく。魔王自ら放った闇の炎、それが彼の居城を紅く染め上げていた。

「ふ、ふふ、ふっふふふ……よくぞ、よくぞこの私を打ち負かした。強くなったものだな、勇者よ」

「……俺だけの力じゃない。助けてくれる仲間が、いたからだ」

 炎の中、二人の男が対峙する。片方は眩い白銀の鎧に身を包む青年。そしてもう一方は、血を吹く腹を押さえ蹲る男――魔王だった。

 長きに渡り、魔王によって苦しめられ続けた世界。その怒りが化身したかのように、彗星の如く現れた青年がいた。どこから来たのかも定かでない彼は、強いリーダーシップと、魔王にも負けない魔法の数々を駆使して、次々と魔王に脅かされた地を解放していった。民衆の先頭に立ち、しかし共に歩む彼を、人々は『勇者』と呼んだ。

 幾多の戦いを経て成長した青年はいま、まさに宿敵たる悪の権化・魔王に立ち向かい、刃を届かせたのであった。

 最後の力を振り絞って放った魔王の炎も、勇者には通用しない。強大な支配の象徴であった玉座を、自ら焼き落とすばかりだった。

「どうした勇者よ、とどめを刺さないのか。まさか、今更この私を殺すことに躊躇いはあるまい?」

 地に膝を突き、痛みに引き攣る口端を必死に引き上げ、魔王は未だ笑顔を作る。張りぼての余裕。勇者はその哀れな姿を冷たく見下ろしながらも、手にした剣をすっと鞘へと収めた。

「お前の魔力は封じた。二度と悪さは出来ない。故に、命は取らない。後は、お前ならどうにかするだろう」

「よく言う。魔力を奪い、深手を負わせた今、私が助からぬことくらい、わからぬお前ではないだろう?」

 喘ぎ喘ぎ笑う魔王に、勇者が返事を返すことはない。怖気をも感じさせる無表情の裏で、彼は何を思うのか。彼自身の思いを一切に明かさないまま、勇者はすっと踵を返し、滅び行く城から、魔王から、背を向け歩き出した。

 炎の勢いが強まる。支えを焼かれた魔獣の剥製が壁から剥がれ、鈍い音をあげて床に落ちた。

 炎に包まれ、色を形を歪めていく魔獣の生首。横目にその様子を見ながら、去りゆく青年に魔王は短く一言、小さな声で投げかける。

「意外に短いものだったな、十年とは」

「……お前に虐げられた人々にとっては、長い時間だった」

 勇者は振り向かず、しかし今度は背中越しの言葉を返す。地這いに延びる炎が、その背中を徐々に隠していく。

「話は終わりだ。さよなら、魔王……いや、父上」

 姿はもう見えなかったが、その言葉は確かに魔王の耳へと届いていた。

 

 

 燃える玉座の間に、残された魔王が独り蹲る。誰も助けに来ない辺り、もう魔王の元に駆けつけられる魔物の部下も残ってはいないのだろう。

「くっくくく……勇者――我が息子よ。お前は本当に強くなった。まさか、まさか本当に、この私を討ち負かすとは……くくく、笑いが止まらんよ」

 城は焼け、魔王も倒れ、その部下すら残されてはいない。正真正銘、最期の時である。にも関わらず、魔王は血を吐き喘ぎを漏らし、なお笑い続けていた。

「……ちょうど十年前。まだ一国の王として在った頃、私は考えた。やがて国を継ぐであろうお前の成人の日、その喜ばしき日に与えられる最高のプレゼントが、何であるか」

 よろよろと這い、まだ炎の回っていない壁際に移動すると、背を凭れさせ息を吐く。霞み始める魔王の視界は、炎の中に別の景色を見せ始めていた。

「何せ国一つを受け継ぐ身だ、私個人から何を与えてもそれ以上だと思えるものが思いつかない。私は考えに考え、そしてようやく一つの結論を導き出したのだ」

 小さな子どもが走り回る。それを微笑みながら見つめる男女、そして家臣たち。在りし日の小さな幸せが、揺らめく炎に幻視される。

「お前の手に渡るには、長い年月を要した。私は様々なものを失った。当然の代償だ。だが、全てはこの日のため。一日の誤差もなく……全て、全て計画通りに進んだ。終わってみれば早かったものだ」

 誰に向けたものでもない、魔王の独白が続く。焼かれ形を歪ませた魔獣の剥製だけが、静かにそれを聞き届ける。

「私を慕った家臣を、民を、妻をも皆殺しにし、世界を恐怖で支配しようとした私。そしてその恐怖が消え去った平和な世界。間もなく、人々はお前を英雄として崇め讃えるだろう」

 もう体が言うことを聞かない。魔王の視界に映るものは殆どなくなり、代わって闇が訪れる。彼にとっては、とても穏やかな闇が。

「そう、それこそがお前自身の掴み取った、最高のプレゼントだ。雄大だろう! お前の手に入れたものは、新たな世界、丸々一つだ!」

 掠れる笑いも、次第に力を失っていく。弱々しい声で、魔王は最後の言葉を紡いでいく。

「この話を聞いたら、お前は私を身勝手だと罵るだろうか。それとも子煩悩だと笑うだろうか。恐らくは前者であろうな、くくく……」

 炎がさらに伸びる。動かぬ魔王はその腕に抱かれ、徐々に輪郭を薄れさせる。

「誕生日、おめでとう。息子よ、新たな世界を……エゴにまみれた愚かな父の、最後の贈り物を、大事にしてくれ」

 やがて全ては赤く包まれ、世界を脅かす魔王とその城は炎の中に消えていった。

 

*****

 

 見事魔王を打ち倒した青年は人々から賞賛され、英雄と呼ばれました。凱旋のその日は、世界中どこの国でも宴が開かれ、お祭り騒ぎはひと月も続いたとされています。

 平和になった世界。誰もがそれを喜び合い、英雄の齎したもの、その活躍を、後世へと語り継ごうと決めました。

 

 さて、その英雄の青年がこのあとどのような人生を歩んだのか。平和を手にした人々がどう動いたのか。

 それはまた、別のお話……

 

 

魔王からの贈り物……fin

 

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