はじめての魔王退治

池田 風太郎

 

 それはいつかの時代のお話。ある国に魔王と呼ばれる男が現れ、人々を恐怖と混沌のどん底へと陥れました。ふらりと現れては町を焼き、城を破壊し、姫をさらう。魔王の悪行に、人々は頭を抱えていました。

 困りかねた王様はお触れを出し、魔王討伐に繰り出す勇者を募りました。しかし魔王の恐怖をその身をもって知る国民は誰もが恐れ、名乗りを上げません。

 そんな中、一人の勇敢な若者が魔王討伐へ名乗りをあげました。これは、若き勇者の挑戦と苦悩を描いた冒険手記の、ほんの一部。魔王と勇者の出会いを描く、始まりの物語――

 

*****

 

 魔王の居城を前に、私は呆然と立ち尽くしていた。

「これ……は……」

 子どもの頃からその恐ろしさを聞き伝えられて育ち、また遺した爪痕を目の当たりにしたこともある。体の芯まで刻み込まれた恐怖、まさにその元凶の根城へ乗り込もうとしているのだ。度胸はある方だと自負してはいても、怖くないと言えば嘘になる。

 だが。それ以上に、私の目の前にあるその建物は、私の想定を軽く打ち砕く姿で、静かに佇んでいた。

「普通の、一戸建て……?」

 シンプルな外観、冬の豪雪にも耐えうる頑丈な屋根、小さな段の先にある玄関扉、どれを取っても一般の家屋にしか見えない。庭はよく手入れされて花も植えられ、外観を損なわせない色どりで可憐に咲いている。おまけに、設置された可愛らしい仔猫の置物。表札にはご丁寧にも、しっかりとした読みやすい字で『魔王』と書いてあり、ここが魔王の住む城……もとい、家であることを疑いようのない事実として認めさせている。魔王って肩書きじゃなく本名なのか……?

 予想の遥か上を(むしろ下を)行く魔王の住処の有り様に、私は王様に貰った地図を何度も見直しながら立ち尽くしていた。

「本当に、魔王の……?」

 そもそも、立地からおかしい。地図により示された場所は、帝都から直通の列車で約三十分、降りた駅から徒歩五分。都会の喧騒から程よく離れつつも、商店・娯楽施設などの各種施設も適度に揃う、住み良い郊外の町だ。このような場所だから、まずは仲間がいるとか、何かしら協力者の元へと遣わされたのかと私は考えていた。手ぶらで協力してもらうのも心苦しいと、手土産の菓子折りも持ってきた。だというのに、まさかのこの状況だ。

 誰がこんな一等地に魔王が居城を構えていると考えるだろうか。魔王なら魔界とか地獄とか、もっとそれらしい場所に住むべきだ。

「どうしよう……」

 ともあれ、行動を起こさねばなるまい。こうしている間にも、既に開始から一ページを過ぎようかというところに差し掛かっているのだ。もっともこれはサイト版なので、部誌版はどこでページが区切れていたなんてわからないわけだが。いや、メタ発言は控えよう。
無駄な思考にばかり頭が周り、肝心の体は行動を起こしかねる。私はただ『魔王』と書かれた表札をまじまじ見つめていた。

 予想外に訪れた唐突な最終局面だが、私は勇者だ。遅かれ早かれこの存在に立ち向かわねばならないのに違いはない。単にその時が早まっただけのことである。だが、なまじ見た目が普通の家である分、どうにも踏み込みにくいのだ。いっそインターホンでも鳴らしてみるか。

 表札に対して一方的に睨めっこを仕掛けながら、やがて私の思考はある予想をはじき出した。

「……まさか、罠……?」

 なるほど、そう考えれば合点がいく。この普通の家は、見た目で欺き、油断させたり混乱させたりするのが目的なのだろう。さすが魔王、姑息な手を使う。

 だが、そうと分かれば迷うことはない。臆せず油断せず、突入あるのみだ。緊張感に欠ける菓子折りはここに置いていこう。でも勿体ないから帰りに回収しよう。

「よし、やるぞ……! そう、私は勇者だから!」

「……お前、他人の家(うち)の前で何やってんの?」

「ひィぇあッ!?

 心臓が口から飛び出るかと思った。実際に出たのはなんとも珍妙な恥ずかしい悲鳴だったが。

 悲鳴と共に飛び退く私、その背後にいつの間にか現れた声の主は、少し背の高い中年の男だった。黒い帽子に黒いコート、黒いデニムに黒いブーツ。これでもかとばかり黒い衣服で固めている。某轟竜の亜種でもリスペクトしてるのだろうか。

「だ、だだだ誰!?

「……この状況なら、誰って聞くのは本来俺の側だと思うが。まあ大体想像はついてる、お前が勇者ってやつだろ」

 実に面倒そうに話す男だ。バクバクする心臓を必死で落ち着かせながら、私は男の様子を窺った。

 どこをどう見ても、普通の黒いオッサンだ。普段なら例え隣を通ったとして、気に留めることもないだろう。だが、彼は先程確かに言った。『うち』、と。つまり、導き出される答えは一つ。

「お、おおお前が、魔王、さん……?」

「そういうことだ。まぁよろしくな」

 軽っ! 魔王、軽っ!!

 全く威厳の欠片もない。何の変哲もないこの男が、本当に国を恐怖に陥れた元凶だというのだろうか。だが疑いながらもうっかり魔王を『さん』付けで呼んでしまった私は、自分で思っている以上に臆病者(チキン)なのだろう。

「とっとにかく! お前が本当に魔王だってなら、私はお前を倒す! だって私は勇者だから!」

「へぇ……?」

 返ってきたのは気のない生返事。だが次の瞬間、私は目の前にいる中年が確かに魔王であるのだと、嫌でも思い知ることとなった。

「……ッ!」

 一瞬、ごうっと強い風が吹き抜けるような感覚が体表を洗う。次いで背筋に冷たい震えが起こり、全身が硬直してしまう。

 理由がほかにあるはずがない。間違いなくこれは、目の前にいる男のせいだ。直前までの無気力はどこへやら、出鱈目に巨大な気を全身から放つ魔王を、私は直視することすら出来なくなっていた。

 魔王の姿にこそ変わりはない。しかし、その溢れ出る威圧感(プレッシャー)は凄まじく、私には魔王が幾回りも大きくなったように見えた。

 息をするのも苦しいほどの重圧。私の両足は、意思とは裏腹にゆっくりと後退を始めていた。

(こ……これが、魔王と呼ばれる者の、実力……!)

 正直、ここに着いてからの状況から、私は魔王を侮っていた。だが目の前にいる男の絶大なオーラは、私の考えが愚かで浅はかであったことを痛感させた。罠だと見抜いたつもりが、その時既に私は捕われていたのだ。

(やられる……!)

 私は間もなく迎えるであろう結末を思い、ぎゅっと目を瞑った。

 ――瞬間。全身を支配していた重圧が唐突に失われる。予想外の事態に驚いて目を開けると、魔王は既に私の真横を通過し、玄関扉の前まで移動していた。

「あー悪い悪い、ちょっと脅しただけだ。本気でやりあおうってなら相手はしてやるけど、ちょっと待っててくれ。先に犬の餌やりしなきゃ」

「は……?」

 私は一瞬、男の言っていることが理解できなかった。

 そんな理由で私を、仮にも勇者であり敵である私を開放したというのか。有り得ない。いや、有り得ないのはそもそもここに来た時点からそうなのだ。これもきっと罠なのだろう。間違いない。

「犬……まさか、魔界の番犬ケルベロスを……!? 餌ってのは、私のこと……!?

 私は腰に収めていた剣を引き抜き、魔王へと向けた。本人が手を下さず、まずは前座……というのは、悪の親玉との戦いにおいてつきものだ。それにしても姑息な、何気ない会話に見せかけて魔界生物をけしかけようだなんて。

 いきり立つ私の様子を見て、魔王が動きを止めた。にやりと怪しい笑いを口の端に浮かべ、口を開く。

「……いや、ロングコートチワワだ。可愛いぞ。超可愛いぞ」

 思わず全身の力が抜けてしまった。魔王のペットがロングコートチワワ。意外という言葉で済ませて良いレベルではない。

「お前、それでも悪人か!」

「あァん?! 悪人がロングコートチワワに頬ずりしたり抱いて寝たりしたら悪いかコラァ?!

「わけわかんないよ!」

 彼の沸点が私には理解できない。内容があまりにラブリー過ぎることもあり、恐ろしさすら全く感じない。さっきの重圧は何処へ?

「いいかよく聞け、ロングコートチワワの良さはなぁ!!

 あ、まだ言ってたのか。

 

 

 暫くの後。

「……ふう。これでお前にもチワワの良さがわかったろ」

 延々とチワワ語りをして満足したらしい魔王と対象に、私は大きなダメージを負うことになっていた。主に精神に、だ。何が悲しくて魔王にチワワ語りされなくてはならないんだろうか。

「ほら、質問ねえか?」

「……はい。えーと、私、一応勇者で、敵なんだけど。何でそんな緊張感ないの?」

「お前は初対面の相手を威嚇するなと、小学校で習わなかったか?」

 確かに初対面の相手を威嚇しないのは普通だが、私の知ってる小学校ではそんなこと教えない。ていうか言われるような子がいない。

「……って、威嚇なら思いっきりやってたじゃん! さっきの怖いのは何!」

「ああ、やっぱ怖かった? あれ、決まって初対面の奴にやるんだが、お前の反応なかなか面白いほうだったぜ。打ち上げられた魚みたいな顔しててよぉ!」

 ケラケラ笑う中年魔王に、私は段々イライラしてきた。言ってる事とやってる事が真反対なのにもだが、圧倒的な力量差を確信しているからなのか、それとも単純にこういう性格の奴なのか、この余裕こそが非常に腹立たしい。

「それに俺は女と()り合うの好きじゃねーんだわ。だからこうやって脅して逃げ帰らせようって思ったんだがな。特にお前、弱そうじゃん。乳もないし」

「大きなお世話よ!」

 どうやらこの男、意外にフェミニスト指向らしい。戦うのは嫌でも脅すのは好きとか、不徹底感がどうにも拭えないけど。

「まあ俺はそっちの方が好きだけどな。あと年下だとなお良し」

 ああ、フェミニストじゃなくてロリコンなのか。おまわりさん、この人をお願いします。もっとも、警察で捕まえられる相手じゃないから勇者(わたし)が必要なんだろうけど。

 ……そうだ、私は勇者なんだ。魔王を倒すために立ち上がった勇敢な戦士なんだ。無駄話をしにきたのではない。

 自身の言葉で挫けそうな心を奮い立たせ、私は再び剣を握る手に力を込めた。本題に戻ろう。脇道に逸れれば、向こうのペースだ。

「……私は、あんたを許せないの」

「ほぉ……?」

 魔王が、珍しく私の言葉に耳を傾ける素振りを見せた。私はこみ上げてくるものを堪えつつ、言葉を続ける。

「三年前、あんたが焼いた町。そこには私の家があった。亡くなったお母さんの形見も、みんな一緒に焼けた。こんなの、全然大したことじゃないと思うよ? けど、私にとっては……!」

 思い出すだけで、身を焼くような怒りがふつふつと湧き上がってくる。私は堪えきれず、剣を構えて魔王へと突進した。

 魔王は一瞬驚いた表情をしたが、迷いのない動きで私の剣をかわし、さらに剣の腹へと何か固いものを打ち当てる。たった一撃で握力の許容を超えた剣は私の手から弾け飛び、乾いた金属音を立てて近くの地面に転がった。

 

 

 からん、からん……

 石畳と刃、尋常ならあり得ない組み合わせで楽器となったその音を聞いて、私は我に返る。同時に、再び彼との力量差を痛感することとなった。

「…………」

 声も出せないまま、私はその場へと崩れ落ちた。目頭に熱いものがこみ上がってくるのを感じる。

 この男には、絶対に勝てない。ふざけた態度であろうとも、その実力は長年一国を悩ませた魔王のそれに違いなかった。

「いやー、悪かった。お前の町だったのか、あれ。いや、あの日は寒かったから暖炉代わりに、な。人居なかったしいいかな、と……」

 なんという滅茶苦茶な理由だ。町ひとつ焼いて暖をとるとか、常人の考えじゃない。まぁ常人並みの思考の持ち主であれば、そもそも魔王になどなっていないのだろうが。

「そんな理由で、私の……お母さんの……」

「いや、その……ほら、チワワ抱かせてやるから、な?」

「どうせそんなんじゃ、他の悪行も大した理由じゃないんでしょ!城を襲ったのはパチンコに負けた腹いせだとか、姫様をさらったのは一人暮らしで寂しいから話し相手が欲しいだとか!!

「お、お前……なんでそれを……」

 当たってるのかよ!! 本当にどうしようもないダメ人間だ。強い力を持ってる分、性質(たち)の悪さが半端じゃない。

「許せない……」

 この時、私の中で強い思いが膨れ上がっていた。

 魔王(こいつ)を、許せない。それは勇者に志願した理由の再確認でもあり、これまでどこか実感のなかった魔王本人への強い怒りという、新たに生まれ出でたものでもある。

「私は、あんたを倒す! 今は無理だけど、いつか必ず! 絶対に、地の果てまで追いかけて! はぐれメ○ルを狙うみたいに!」

「なんか急に元気になったなお前。地の果てなんて行かなくても、俺はずっとここに住んでるぞ」

「黙れええええ!!

 もう一秒も、こいつの前にいたくない。私は耳を塞ぎ大声で叫ぶと、そのまま来た道を猛スピードで駆け戻り始めた。

 決して振り向きはしない。あんな奴に、これ以上涙を見せてたまるものか……! ――この意地を張ったせいで、菓子折りを回収し忘れたことに気付くのは、帰りの列車に乗り込んでからになってしまった。

 

*****

 

 こうして、勇者と魔王は衝撃の対面を果たした。

 後に勇者の少女は修行によって大きな力を得、魔王に立ち向かう。その結末がどうなったのか、それはまた別のお話……

 

*****

 

 小さな部屋に、大きな机。紙束を抱えた一人の青年が、隣に座る少女へと熱弁を振るっている。

「っていう話を考えたんだけど、どうかな?」

「……十四点。勇者も魔王も機嫌がコロコロ変わりすぎで感情移入し辛いし、心情描写を前面に押し出しすぎて読み辛いし、何より流れが滅茶苦茶。何もかも唐突だわ。出直してきなさい」

「はは……手厳しいなぁ」

 青年は苦笑しながら、紙束を自分の鞄へと仕舞った。辛口だが、彼女なりに真剣な評価を下してくれたのだ。致し方ない。

「努力は認めるわ。文芸部らしい活動の一環として作品を書いてきた、それは良い事だと思うわよ。私は面倒だから絶対にしないけど」

「ありがと。あと、君は仮にも部長なんだから、書かないにしても面倒だからってのを理由にするのは慎んだ方がいい」

「私は読む専門(ヨミセン)なの。それに、こんな作品を書いて、作者がリアルの批評会でどんな評価を受けるか。それを考えれば、そんな危ない橋を渡ってまで書くメリットがないわ」

「メタ発言も慎むように」

 顔を見合わせて、お互い理由もなく笑ってみる。彼らの属する文芸部はいつもこんな感じ。今日も平和だ。

「まあ、たまにはいいかな。でも、そろそろだから、以後はシャキッとね」

「わかってるわよ」

 少女の返答と同時に、小さくコンコンとノックの音が聞こえる。「来た」

 二人はまた顔を見合わせ、先ほどと違う種類の笑顔を浮かべた。

「開いてるわ。どうぞ入ってちょうだい」

 部室の扉が、ゆっくり開かれる。その向こうには、数人の学生がおずおずと控えめな様子で、部室(なか)の様子を窺っていた

「入学、おめでとう。そして入部、ありがとう」

 青年と少女は、入部希望者であろうその学生たちに向け、満面の笑みを贈った。

 桜舞う季節。これは一つの、始まりの物語。

 

 

 

はじめての魔王退治…fin

inserted by FC2 system