さがしもの

池田 風太郎   

 

 気がつくと、足元に自分の体が転がっていた。この足元とはもちろん誰でもない自分のものだ。つまり今、俺は倒れている自分の体を見下ろすという異常な状態にあった。

(ん、と……俺は何をしてたんだっけか)

 夜風に木々のざわめく深夜、時計の針は午前二時を指し示している。この時計は?立って見下ろしている自分?ではなく?倒れている自分?が身につけているものだ。立っている方の自分には、倒れている自分が身につけている物の一部が装備されていなかった。それは腕時計であり、靴であり、背負っていたリュックサックであり。そして――

(ああ……そうだ)

 ――首に巻きついていたロープもまた、立っている今の自分の首を締めつけてはいなかった。

 そう、俺はほんの僅か前に首吊り自殺を図ったのだ。場所は近所の公園の端にある雑木林のような場所。手頃な木にロープを掛けたのだが、どうやらリュックを背負ったまま吊ったからか枝が重さに耐えきれず、地面に落下して転がったらしい。証拠として、転がる自分に巻きついたロープの先には、荷重に耐えきれなかった枝の亡き骸が道連れに横たわっていた。

 転がっている自分はピクリとも動かない。それを他でもない自分自身が見下ろしているのだから、恐らく俺は予定通り死ねたのだろう。

(ってことは、こっちの体は幽霊なのか)

 足ではあったが足はちゃんとあり、頭や背に天使の輪や翼が付いているなどということもない。そんなものを信じていたわけではないが、幽霊というイメージにありがちな状態にならかったので、どうにも自分が幽霊になったという実感がなかった。

「あー、こんな顔で死んでやがる……発見されたとき恥ずかしいじゃん。どうせならもっとマトモな表情で死ねよな、俺……」

 だが俺の興味はもっと緊張感のないところにあった。相手を取り得ない呟きは、闇に包まれた虚空に消えていった。

 

 

 

 死んだはいいが、幽体の俺には特にすることもなく、ただ周囲や足元に転がる自分の屍を眺めることしか出来なかった。覗き込むと、真夜中の暗さでも分かるほど歪んだ表情で死んでいる。首吊りはダメだ。もし来世でも自殺することになるのなら、首吊りだけは絶対に避けよう。自殺する前提で来世を考えるのもおかしな話だが。

 ただでさえ目に付く場所でない上、真夜中だということもあり、人が通る気配はない。自分が発見されるのはまだ先のことになるだろう。

 他の場所に移動してもよかったのだが、特に行くあてもない。もとより、この世に未練などないので成仏してしまいたかったのだが、残念ながら俺は成仏の仕方を知らなかった。死ねば勝手に向こうの世界に移動できるものだと思っていたが、実際そう甘くはないらしい。そもそも浮いてすらおらず、地に足が付いたままだが、死後の世界というのは歩いて行ける場所にあるのだろうか。

「いや、待てよ……飛ぼうと思ったら、飛べるのか?」

 おお、これはいい線を突いているのではないだろうか。飛ぼうとしないから飛べないだけで、実際は飛べるのかも知れない。飛べれば天国に行ける。ならば試してみるしかない。

「おおおおお! 俺は鳥になる!!

 両手をばたばたと動かし、俺は全力で空を飛ぼうと羽ばたいた。

 

 

 

 だが俺のあくまで大真面目な試みは、あっさりと中断させられることとなった。背後で何か声が聞こえたのだ。何と言っているのかまでは聞き取れなかったが、人がいるということは、ようやく自分の死体が発見されるということだろう。

 俺は動作を中断し、振り返る。そこには、俺と同年代か少し年下くらいに見える、黒い短髪を揺らした小柄な少女が立っていた。

 星明りのない暗夜の下でもはっきりわかる、妙に全身の輪郭がはっきりとして見える少女。独特の雰囲気を漂わせるその少女は、少しだけ驚いた表情を浮かべていた。そして、その様子を見た俺も少し驚いた。死体を前にしてこの少女、軽い驚き以上の動揺が感じられず、平然とも見える様子で立っている。普通の反応だと、絶叫しながら逃げていっても不思議はないと思うのだが。

 それに何より、少女の視線は転がっている方の俺ではなく、立っている方の俺に向いているように見える。俺が本当に幽体なら見えているはずはない筈なのだが……いや、もしかするとこの子が霊能力者だという線も――

「……変わってるね。私も色んな人を見てきたけどあんたみたいにゴキゲンな行動してる人は初めて見た」

「……んなッ!?

 今度は本当に驚いた。今の言葉は間違いなく俺の顔を見て、俺に向けて放たれたものだ。だとすれば、彼女には俺が見えている可能性が極めて高い。

「えーと……俺のこと、見えてんの?」

「私のこと見えてるでしょ? 同じこと」

 彼女の言う理屈はよくわからないが、会話は成立している。見えているとみて間違いないだろう。本当に霊能力者なのだろうか。

「あー。いいよ言いたいことは分かるから。私が霊視できるとかそんなこと思ってるんでしょ。違う違う。単に同族だから見えるし話せるってだけの話」

 この子は心でも読めるのだろうか。面倒そうな半目をこちらに向けながら、俺の思ってることをズバリ言い当てて見せた。それにしても、同族とはどういうことなのだろうか。

「え、俺に霊能力なんてない……と思うけど」

「? 何言ってんの?」

「違う? じゃあ親戚ってことか。ん、でも親戚だからって見えるわけじゃないよな……」

 戸惑う俺の様子を見て、少女が大きな溜め息をついた。そして、半ば侮蔑のようにも見える冷たい目線と共に言葉を紡いだ

「あんた思ったより物分かり良くないんだね。なんか勘違いしてるみたいだから言っとく。私もあんたと同じ幽体――つまり死人なの」

 少女は当たり前のように言ってのけた。が、俺の理解が追いつくまでには少しの時間を要した。

 ようやく俺の理解が追いついたとき、少女のものではない大きな叫び声が、閑静な夜空高くに吸い込まれていった。

 

 

 

「まったく……自分が何なのかわかってんの? 幽霊くらいで驚かないでよね」

「いやぁ……すまない」

 少しの後。落ち着きを取り戻した俺と少女は公園のベンチに並んで腰掛けていた。俺はまだよくわからない状況に惑い、少女は呆れた様子で俺を観察している。幽霊を見て驚くな、などというのも妙な話だが、確かに彼女の言うとおり、自分の立場を考えればもっともだ。

「……といっても。まぁあんたは私と違って完全に死んじゃいないみたいだけど」

「え、それってどういうことだ?」

 少女は腰掛けていたベンチから立ち上がり、振り返りながら言った。少し儚げながら、可愛らしい笑顔だった。

 見た目は可憐にも見えるその姿だが、それとは裏腹に、彼女は随分と早口でまくし立てるように喋る。マシンガントークというやつだろうか。だが、不思議と聞き取れないことはなかった。

「あんたはまだ死んじゃいない。状況から察するに自殺みたいだったけど失敗みたい。望めばまだ戻れる。戻らなければ……詳しくは分からないけどたぶん抜け殻になった体が脳死かなんかで死ぬことになると思う。魂抜きで肉体は生きていけないからね」

「じゃあ、俺があの世に行かずに留まってるのも……」

「体が生きてるから。こっちの世界に引っ張られてるんだと思う」

 なんだ、じゃあ成仏しようと羽ばたいた俺の行動は無駄だったのか。今さらながら、ハイテンションで空を飛べると信じていた自分が恥ずかしい。

 とりあえず、自分が今ここに留まっている理由は分かった。首を吊った枝が折れて死に損なったのだろう。これは喜ぶべきなのだろうか。九死に一生ものだが、自殺しようとした身としては複雑な気分になる?幸運?だった。

「…………」

「望めばすぐ生き返れるって言ってあげてるのに浮かない顔してるんだね。まぁ自ら命を絶とうとしてたわけだし無理もないか。馬鹿だよねー……若い命自分から捨てちゃおうなんてさ」

「……おい……!」

 彼女は茶化すように言ったが、黙り込む俺に飛んできたそれは矢になって突き刺さった。馬鹿だよねという言葉にはカチンときたので反論しようとし、顔を上げる。

「……っ、……」

 だが、実際に反論が行われることはなかった。顔を上げた俺はすぐに、彼女の表情が先程の儚げな笑顔を引っ込め、寂しそうな表情を浮かべていることに気付いてしまったのだ。結局何も言い返せないまま、言葉だけが喉の奥に(つか)えて苦味を残した。

「……言い返してくると思ったんだけどな。意外と堪え性あるんだね」

「……そんな表情されたら、言い返せねぇよ」

 お互い、感情を押し込めた返答だった。その苦い心中を表しているかのように、少しの沈黙が闇中の公園に漂った。

 

 

 

「なあ、俺ってどのくらいこのままでいられるのかな」

 やがて、沈黙に耐えかねた俺が先に口火を切った。少女は笑顔でも哀愁でもない無表情に戻り、淡々とした口調で言葉を返す。

「わからないけどしばらくは大丈夫だと思う。あんたみたいな死に損ないの人に会うこともたまにある。最長のパターンだと確か三年くらい肉体を残したまま放浪してるって人もいたよ」

「へぇ……それで、ここにいるってことは、お前もどこかに自分の体残してきてるのか?」

「いや。違う」

 違う。その一言を発する一瞬、少女の言葉に何か強い力がこもったような気がした。聞いたらまずい事だったのだろうか、そう思い俺は話題を別の方向に持っていこうとしたが、それより早く少女は話の続きを言の葉に乗せていた。

「さっきも言ったけど私は完全に死んでる。だから戻る体はないの。私がここにいる理由……それは私にもわからないんだ」

「……? どういうことだ?」

 少女は少しだけ間を開けてから、俺の問いに答えを返すべく、続ける。

「完全に死んだら――あんたみたいに仮死の状態と違って生前の記憶が全部は残ってないみたいなの。なんで召されず地上に留まってるのかも両親の顔も自分の名前さえも思い出せない。ぶつ切りの曖昧な記憶しか残ってないんだ」

「……そうなのか」

 どうやら、根本的に俺とは立場が違うらしい。何も思い出せないままの放浪とは、いったいどのような気分なのだろうか。

「だから私あんたが少し羨ましいんだ。生前の記憶もあるし戻りたければ戻れる。私にはもう二度と出来ないからさ。失くした記憶を取り戻そうにも戻れないんだもん……」

「……お前にはたぶん、まだこの世でやりたいことがあったんだろうな。記憶がなくても、戻りたいと無意識に思ってるんだ。その思いが強すぎて、記憶を失った今もこっちの世界に縛られてる。だから向こうに逝けないのかもしれないな」

「そうかもね……やりたいことが思い出せないから何が心残りなのかもわからないし。縛られてる理由もわからない」

 少女の瞳が潤んでいるのが、少し離れたこの位置からでもわかった。すると俺が見ていることに気付いたのか、少女は俺から顔をそむけ、袖で目を擦った。

 まだ死にたくない、現世に未練があるまま死んだ彼女が戻れず、逆に未練のない自分が生き返る権利を持っているなんて、世界とはなんと皮肉なのだろうか。俺は生まれて初めて(死んでいるが)人と代わってやりたいという思いを胸に抱いていた。

 潤んだ目のまま再び振り向いた少女は、俺と顔を合わせるなり目を丸め、慌てた様子で言葉を発した。

「そんな顔しないで! 私大丈夫だからさ……ごめん。辛気臭い話しちゃったね」

 少女の声は焦りからか、少し裏返っていた。どうやら俺は相当に暗い表情をしていたらしい。

「俺こそ、なんか……ごめんな。お前は生きたいのに生きれない、なのに俺は生きられるのに生きることから逃げた。俺は自分の選択に後悔はしてないけど、お前の様子見てたらなんか申し訳なくってさ」

 少女を慌てさせたことへの罪悪感もあり、申し訳なさから俺はすかさず謝辞を述べた。少女は俺の言葉を聞いて一瞬驚いた表情になり、少し考えるような表情に移ろい、そして少し前に見せた儚げな笑顔を浮かべた。

「……ううん。私こそ。あんたもあんたなりの理由があってこの世を捨てたんだろうし。馬鹿だなんて言ってごめんね」

 ふわりと風が吹き抜ける感覚がしたそれは文字通り体を通過していく感覚で、生きているときは絶対に感じないだろう、体の内側を直接冷やすような不気味な感覚だった。だが、今の俺には何故かそれが心地よく感じられた。

「ねぇ、あんたまだ生き返るの躊躇ってる?」

 さらに少しの間をとって繰り出された少女の問いに、俺はまだ否定で答えることが出来なかった。確かに彼女のような存在を前にして自殺という行動が後ろめたく感じられるようにはなったが、帰ったところで希望のない日々が待っていることは避けられない。

 俺が態度を決めかねていると、少女はふふっと悪戯っぽく笑った。どうやら俺が悩むこともお見通しだったらしい。今まで薄く漂っていた儚さも取り払った、初めての高純度微笑を浮かべながら、少女はもう一言だけ後に繋げた。

「じゃあさ。ここで会ったのも何かの縁だし……少し付き合ってくれない? 探し物に」

 

 

 

 星のない空がうっすらと明るくなり始めた。何処から吹く風はまだ冷たく、春の遠さを感じさせた。身を切るような寒さと表現したいところだが、生憎と今の俺たちには切らせる身はない。風は俺たちの内部を冷たく透かし、自由に天へと羽ばたいて行った。

 俺たちは今、公園を出て町を歩いている。まだ夜も明け切らぬ町には人影はほとんど無く、空き缶集めで意図せずとも町内美化に貢献する住居非定住者(ホームレス)や早朝の新聞配達で走り回るバイクなどに何度か出会ったのみだ。いずれも相手方が俺たちの存在に気付くことは無く、ようやく見えぬ幽霊である実感が湧いてきた。

 もちろん、散歩をしているわけではない。彼女の言う?探し物?を見つけに行くために、俺たちは歩いていた。

「それで、探し物って……何を探してるんだ?」

「それも覚えてない。でも生前の記憶かな……直感のようなものが私を呼び続けてるんだ。なんとなくだけど聞こえるっていうか……引っ張られるようなイメージで。それを信じてずっと探し続けてきたんだ」

「何か分からないものを、ずっと、呼ばれるがままに探してきたってか……嘘ついても意味無いだろうからたぶん本当のことだとは思うが――あんたも随分と変わり者なんだね」

 出会って早々に変わり者呼ばわりされた仕返しに、にっと笑いながら彼女の口調を真似て言ってやった。少女は少しだけムッとした顔になったが、すぐに俺と同じく意地の悪い表情を浮かべ、反撃に出た。

「お前もだろ。お互い様だヌ……ぁっ……ッ!」

 ……噛んだ。

 俺たちはお互いの顔を見合わた。その少女の表情があまりにきょとんとしていたことが可笑しくて俺が吹き出すと、つられて彼女も笑い出す。笑いの連鎖は止まらない。まだ起き始めない町の真ん中で、人在らざる者たちの笑い声が高らかに響き渡った。

 

 

 

 しばらく笑い転げた後、俺たちは再び歩き出した。辺りはいつの間にか人気(ひとけ)のない山道になっている。空を見上げると、暗かった空はすっかり明るくなり、完全に日が昇っている。

 結構な時間歩き続けたのだろうが、疲れは全く感じない。裸足だが足を怪我することもない。死んでいるのだから当たり前と言えば当たり前なのだが、むしろ生きている時より死んでからの方が行動に不自由がないことの皮肉さに、複雑な気分になった。

「なぁ、こんな山ん中に目当ての物なんてあんのか? まさか探し物って山菜かなんかなのか?」

「そ……そんなことはないと思うけど。かなり近くまで来てる気がするんだ。この場所は前にも来たことがあるんだけど……その時は結局探してるものが分からなかったから結局見つからなかったんだ……」

 山菜でもなければ、こんな山中にあるものなどいったい何があるだろうか。山中での探し物――思ったところで、何かが記憶の片隅に引っかかった。

「そういえば、昔……うちの親父も、山中捜索やったって言ってたな。その場所が確かここだったと思う」

「へぇ。あなたのお父さんって何してる人なの?」

 しまった、余計なことに興味を持たせてしまった。父親のことは最も思い出したくないものの一つだったのだが。俺は自身の迂闊さに後悔を苦く噛みしめつつ、うっかりとはいえ言ってしまった事への責任として、答えはきちんと返すことにした。

「…………刑事」

「へぇ。カッコいいじゃんか

 絞り出す一言に苦々しさが満ち溢れていたのは、言った自分自身でもよくわかった。それに気付いたのかどうかはわからないが、少女の返答もあっさりしたものだった。

 気を遣ったのかも知れない。だがそんなあっさりした返答でも、俺の心には空洞に反響する高音のようにキンキンと辛く突き刺さった。

……刑事なんて、そんないいもんじゃないよ」

 半ば無意識で、俺は呟いていた。それは一種の抗いだったのかも知れない。

 そしてその言葉をきっちり拾ったらしい少女は、立ち止まって振り返り、上目遣いに俺の顔を覗き込んでいた。くりっとした丸い瞳が、俺の発言の真意に対する明らかな興味を映し出していた。

 俺は大きく息を吐き、それから続ける。

「俺の親父は厳格な人でさ、妥協ってもんを絶対に許さなかった。特に、受験もダメ、就職もダメ、何をやっても半端もんの俺なんか、随分と疎ましい存在に見えたんだろうな。顔を合わせれば怒鳴られ、殴り飛ばされ……俺は親父に人並みに扱われた記憶が全くない」

 少女は何も言わず、静かに俺の話を聞いていた。木漏れ日射す山の道を、少し強い風が通り過ぎる。

「しかも、やれ事件だやれ捜査だと家を飛び出しては、何日も帰らない。しまいに母親は別の男を作って家を出て行ったよ。父親のくせに、家庭を守るどころかメチャクチャにしていった。俺にはもう居場所がない。だから、死んでやったんだ」

 さらに強い風が走り抜ける。ざわざわと、穏やかならぬ心を代弁しているかのように、木々がやかましくざわめいた。

 話の始終を静かに聞いていた少女は、いつの間にか近くにあった大きな岩に腰を下ろしていた。膝に肘を立て、両手で顎を支えた格好のまま、少しぶりに少女が口を開く。

死んでやった(・・・・・・)……か。なるほど。あんたの死はお父さんへの当て付けってわけね」

「ああ。笑うなら笑えばいい、罵るなら罵ればいいさ。傍から見ればくだらない理由にしか見えないだろうしな」

 俺はわざと自虐気味に言い、次の彼女の言葉に対して身構えた。そうすることで、間違いなく浴びせられるだろう侮蔑の言葉への抵抗にしようとしたのだ。だが、それが紙よりも薄く硝子よりも脆い鎧であることは、俺自身もわかっていた。

 だが彼女の次なる言葉、次なる行動は、俺が予測していたそれとは全く異なるものだった。

「……かわいそう……」

「……!?

 彼女は、涙を流していた。

 正直これには相当に面食らった。纏った脆い鎧が、一撃を受け止めることなく砕け散ったのが感じられた。

「な、なんで泣いてんだよ……!」

「だって……せっかくお父さんのこともお母さんのことも覚えてるのに……思い出すのが辛いだけだなんて。帰るべき家が自分の居場所になりえないなんて。悲しすぎるよ。みんな居るのにずっと一人ぼっち……悲しすぎるよ」

 そういえば。俺ははっとして、少女の顔を見つめた。

 彼女には両親の記憶も帰るべき場所の記憶もない。生前の彼女にはきっと、温かい家族と平穏な日々が待っていたのだろう。それが、死というきっかけが記憶ごと引き離した。動けば状況を変えられたかも知れない俺と異なり、彼女はもう絶対に自分の力ではどうにもできないのだ。

 いかに自分が何もせずに悲観ばかりしていたか、痛いほどに理解できた。俺は馬鹿だ。在る筈だった『家』への温もりにより飢え、より憧れていたのは、俺ではなく彼女の方だったのだ。

 生きたいのに生きられない、彼女の境遇に対して先ほど自分で言った言葉が、申し訳なさと共にブーメランとなって返ってきた。

「……ごめん。どんな家でも、帰る場所のある俺は幸せだった……のかも知れないな」

 俺は涙を流す少女に近づくと、そっと頭を撫でながら、優しく抱き締めた。少女は拒まず、ただ俺の腕の中で涙に暮れた。

 

 

 

 陽が傾き始めた。まだ葉の衣も纏わぬ古木たちの肌を、常緑樹の間々から覗く真っ赤な太陽が薄紅に染めている。

「さっきはごめんね」

「いや。俺の方こそ……ごめん。でもお前のお陰で、何か大切なものを掴めた気がする」

「それはよかった……あんたの"探し物"は見つかったんだね」

 俺たちは再び山道を歩き始めていた。しばらく泣いていた少女だったが、泣き止んでからは再び元通りのテンションを保っているように見える。あれだけ泣いたら目が赤く腫れてしまいそうなものだが、彼女の姿は泣き始める前と全く変わりはなかった。これも死んでいるせいだろうか。先ほどは呑気に考えていたが、落ち着いて考えるとやはり人間味がなく、そら寒さすら覚えた。

「探し物と言えばさ。肝心のお前の方はどうなんだ? ほら、直感がどうとかいうやつ。暗くなってきたら探せないと思うんだが」

 空の明度は時間の進行とともに徐々に落ちてきている。完全に日が暮れてしまえば、明かりのない山中で何かわからないものを探すなど不可能に等しい。広大な砂漠に落とした針を探すようなものだ。

「近いとは思うんだけどなぁ……全国あちこち回ったけどこの山が一番『これだ』って感じがするの」

 全国……徒歩で動くにはあまりに広すぎる。一見自分と大差ないだろう年の少女が辿ってきた果てしない道を思うと、気が遠くなりそうだった。

「まぁ飛べば歩くより速く動けるんだけどね。あんた飛べないみたいだし私だけ飛んでも仕方ないからしないけど」

 ……お前、飛べるのかよ!!

 

 

 

 やがては完全に地平の彼方へと落ち、幽体となって二度目の夜を迎えた。星明かりも街灯もない山道の暗さは町や公園の比ではなく、漆黒の闇が眼前いっぱいに伸びている。こうなれば探し物は中断せざるを得ないだろう。

 そんな中、彼女の姿だけは輪郭も表情もくっきりと闇に浮かび上がって見えた。最初に出会ったときは気にしなかったが、恐らく俺や彼女が幽体であるから特別な見え方をしているんだろうと、俺は勝手に解釈した。

「おーい、そろそろ限界だろ。今日はもう休もうぜ――幽霊って野宿とかするのか?」

 俺は少し先に立っている少女に声を掛けた。だが、返事はない。

「おーい、聞いてるかー?」

 再度呼びかけるが、やはり返事はない。それどころか、振り向きも……いや、立ち止まったまま全く身動き一つ取らない。

 不審に思った俺は、こちらから彼女の方へ寄ることにした。すぐ背後まで移動してもやはり反応がない。いったい何なのかと、今度は彼女の正面へ回り込もうとした。

 その時。

「――……ッ!」

 全身を突き抜けるように、言葉では形容しがたい強烈な悪寒が俺の全身を襲った。冷たい風が体を透過して吹き抜けた時の薄気味悪さとはレベルが違う。今まで経験したことのないほど奇妙で、背筋に絶対零度の氷結をもたらすような嫌な感覚だ。たった一瞬ながら耐えがたい不快感に、思わず俺はその場に膝をついてへたり込んだ。

「……あんたも感じたんだね」

 へたり込む俺の傍らで、ようやく少女が口を開いた。少女の顔を見上げると、その表情は固く強張っている。「あんたも」と言った辺りからも察するに、恐らく今俺が感じたのと同じものを彼女も感じていたのだろう。

「今のは、何なんだ……!?

「わからない……でも……」

 少女が拳を握りしめるのが見えた。直後、彼女は勢いよく今まで見ていた方向から視線を外し、別の一点にそれを移した。俺もつられて新たな視方、左側に顔を向ける。彼女の短髪がばさっと揺れた。

「……あっち!!

「お、おい……!」

 直後、彼女ははじき出されたピンボールのような勢いで走り出した。突然の行動に慌てて制止を掛けようとするが、それを振り切った彼女が闇の中へ飲み込まれていく。

「ちっ……何だってんだよ……!」

 俺は悪態をついて近くにあった何か(何であるかは暗くてわからない)を適当に蹴り飛ばすと、少女の後を追って漆黒へと飛び込んだ。

 

 

 

 どれくらい走っただろうか。見失った少女を探して闇雲に走り回るだけだった俺は、ある一点で足を止めた。その少し先には、何か青白く輝く発光体が浮かんでいる。大きさは俺より頭一つくらい小さいくらいで、その輪郭は薄くぼやけてわからない。

(あいつじゃないな……)

 見失った少女ではないと直感が告げていた。俺はその不可思議な発光体に興味を持ち、その正体を見極めるべく一歩踏み出した。

「どぐぁ!?

 直後、何者かが勢いよく激突し、俺を背後から突き飛ばした。まったく意図せぬタイミングでの不意打ちに、俺の体はマンガのように放物線を描いて吹っ飛ばされた。

 それが何かを確かめる必要などない。幽体である俺にぶつかることの出来る存在は、思い当たる限り一つしかない。

「……おい!」

「あ。あんたこんな所にいたの。ごめんごめん」

 俺は起き上がりながら、振り返って背後を睨んだ。痛みがないとはいえ、吹っ飛ばされていい気はしない。そして予想通り、そこには短髪の少女の姿があった

「そんなことより。あれ……」

 百パーセント彼女に非があるだろうことを『そんなことより』と処理されたのは大いに不服だったが、それよりも重要度はあの発光体の方が上だった。俺は渋々彼女に向けたジト目を閉じ、それから彼女を伴って発光体のもとへと歩を進めた。

 ぞわっ――先刻感じた悪寒が、今度は正面から俺の全身を突き抜けた。目を背けたくなるような強烈な不快感に腰が砕けそうになるが、何とか踏みとどまってさらに一歩踏み出す。

《私に近寄らないで……!》

 発光体の輪郭が揺れ、再びあの悪寒が、何者かの声を乗せて、さらなる強さをもって突き抜ける。間違いない、先程から感じるこの感覚の発生源はこれに違いない。

「なぁ、これ何だ……?」

「……たぶんこれも同族。それもこの激しい憎悪の気……悪霊になりかけてるのかも」

「悪霊、だと……?」

 戦慄が背筋を撫でた。悪霊など、絶対に関わるべき存在でないだろうことは小学生でもわかることだ。だが俺の体は精神の方向性に関係なく、立ち止まることが出来なかった。生身なら嘔吐でもしたであろう気持ち悪さを必死で我慢しながら、さらにもう一歩、吸い寄せられるように足を動かす。

《聞こえないの? 近寄らないで……!》

 彼女が『憎悪』と呼んだ悪寒の第三波が広がる。言われてみれば確かに、腹の奥にずしりと来るこの不快な感覚は、所謂『煮えくり返る』という感覚に近いのかもしれないと思った。そして、どこか悲壮感を含有していた。

 襲い来る不快感に眩暈を覚えながら、さらに一歩。抵抗したがる意志とは裏腹に、謎の引力に囚われた歩みを止めることは出来ない。

《近寄るなって言ってるでしょ! 近寄るな! 近寄るな近寄るな近寄るな……来るなぁぁぁぁ!!

 悲痛な金切り声が鋭く木霊した。身構えたが、憎悪の第四波は来ない。代わりに発光体の輪郭が激しく波打ち、その姿を変えていく。

「化け物登場ってか……!」

 悪霊の変化ということもあり、俺はアニメに出てくるようなグロテスクな姿を想像した。だが発光体の姿は俺の期待を裏切り、こぢんまりとしたまま人のそれへと姿を変えていく。

 小さな体躯は薄紫の光を纏い、細い腕や足には一点の穢れもない。表情は分からないが整っていることは分かる顔つき、小さな頭部から伸びる黒く艶やかなロングヘアは解き放たれてなびき、身にまとうは向日葵を模した黄色いワンピース。年頃も幼い少女の姿があった。

 美しい。俺は決してロリコンではないが、ただそれだけを思わせる清冽の姿が、地上数センチという距離を取って浮いていた。

「あ、あれ……本当に悪霊なのか……?」

 俺は困惑し、隣にいる少女に問いかけた。返事はない。振り向くと、少女の表情は完全に凍り付いていた。

「…………出した……全部……なんで……」

 驚愕から目をいっぱいに見開き、流れに統合性のないぶつ切りの言葉たちを、うわ言のように呟き漏らしている。その様子は壊れた玩具が不自然な動作を繰り返しているようにも見えた。

「おい……おい! 落ち着けよ!」

 呼びかけるが、少女の様子は変わらない。どうやら今は何を言っても彼女の耳には届かないらしい。俺は彼女への呼びかけを断念し、現れた第二の少女へと向き直ろうとした。

《立ち去れ! 私の目の前から消えて!》

 刹那、向日葵の少女が叫ぶ。絶叫と共に声がそのまま衝撃波になったような凄まじい風圧が発生し、俺の体を激しく叩いた。透過せず衝撃として伝わったので、これは物理的なものではなく霊的なものだろう。俺は何とか踏ん張ると、向日葵の少女に問いかける。

「おい、お前は何に対して怒ってるんだ? 不満は何だ?」

《何で私たちなの? 何で追いかけてくるの? 何で乱暴にするの? お姉ちゃんは何処? 痛い、辛い、苦しい……やめて、私たちに構わないで!》

 駄目だ、全く会話が成立しない。悲痛な叫びは再び烈風となり、俺たちの体を飲み込んで吹き飛ばした。しかも今度の風は俺たちを吹き飛ばすだけでなく、実際の風として具現したようで、近くにあったいくつもの細い木々がなぎ倒されていった。恐らくはこれが騒霊現象(ポルターガイスト)というやつだろう。

 地面に叩きつけられたが、もちろん痛みはない。起き上がりつつ、一緒に吹き飛ばされた短髪の少女へと問いかける。

「全く聞く耳持っちゃくれねぇ! どうすればいいんだよ……坊さん呼んできた方がいいんじゃないか?」

「……完全に死んだら記憶が完全じゃなくなるって言ったでしょ?たぶんあの子には死ぬ直前の記憶だけが残ったんだと思う。私みたいに途切れ途切れな残り方じゃなく。辛い記憶しか持たないあの子もまた記憶に残った僅かな情報から?探し物?をしてるんだよ」

 今度はまともな返事が返ってきて、俺は少し安心した。だが、俺は少女の答えがやけに核心を突いた言い方であるのが少し気にもなった。

「あの子の?探し物?……?」

 気にはなったが、俺はそれを飲み込んで少女の発言に対してのみ聞き返した。幸い、近寄りさえしなければ向日葵の少女は狂乱の叫びをあげないので、答えを聞く余裕は十分にあった。

 短髪の少女はあの儚げな笑顔を浮かべていた。だがその瞳には、儚さとは対極にある強い意志を燃やす炎が宿っていた。

「そう。そして私はそれが何か知ってる」

 答えは短かった。

 俺がそれ以上何かを聞く前に、短髪の少女はゆっくりと歩を進める。俺はそれを止めることもできず、引かれるようにすうっと、彼女の後に着いて歩き始めた

「『私たち』。『お姉ちゃん』。あんたとの会話は成立してなかったように見えるけど……あの子の叫びの中にはちゃんと答えになる大事なピースが隠されてたんだよ」

 俺たちが歩を進めると同時に、また向日葵の少女が叫び始めた。だが今度は不思議と、発生する衝撃波が全く気にならなかった。

《やめて、近寄らないで! 離して! 痛い!》

「そうだよね。痛かった。辛かった」

 向けられた金切り声の刃を、愛おしげな口調で受け止める。少女は歩みを止めず、俺を後背に伴って一歩、また一歩と前へ進む。

《なんで、なんで……私が何をしたっていうの? なんで! 痛いのはヤだよ……》

「大丈夫。私が助けてあげるから」

《守ってあげる、お姉ちゃんはそう言ったのに!》

 騒霊現象(ポルターガイスト)が周囲の落ち葉を巻き上げ、粉微塵に切り刻む。だが対象となった二人の霊には何の影響も及ぼすことはなかった。

「ごめんね。助けてあげられなくてごめんね」

 向日葵の少女が、すぐ目の前という所にまで迫っていた。近づくことでようやく見えたその表情はひどく歪み、目からは大粒の涙を流していた。

「でも。今度は助ける」

 短髪の少女が、右手をゆっくり伸ばす。恐怖と恐慌を表情に張り付けた向日葵の少女は、今度は何も叫ばなかった。

「なんで忘れてたんだろう。でも。全部思い出した」

 伸ばした右手が、向日葵の少女に頬に触る。凍っていた向日葵の少女の表情が、何かにはっとしたときのそれへと変わった。

「あなたの?探し物?は私が持っている。それは『私』。そして私の?探し物?はあなた」

 さらに左手で、頬に触れる。向日葵の少女が流す涙に込められた感情の種類が変わったのが、俺にもわかった。

「やっと見つけた。一緒に行こう。私の大事な――    」

 凄まじい暴風が駆け抜ける音にかき消され、言葉の最後は聞き取れなかった。だが伝えるべき相手にそれは伝わったらしい。向日葵の少女の表情は悲痛に歪んだ泣き顔から、溢れんばかりの喜びを抱いた驚きの表情へと変わった。

 それを認識した瞬間、強い光が世界を白一色に染め上げた。

 

 

 

 二人の少女が並んでいた。

 一人は長髪、一人は短髪。どちらも美しい黒髪だった。

 俺は、その両方の顔を知っていた。

 背の低い長髪の子は、黄色いワンピースを着ていた。

 背の高い短髪の子は、

 

 

 

「ありがと。あんたのおかげで大切なものを取り戻せたよ」

 目の前に並んでいた、二人の少女の像が消えた。白い空間にただ一人残された俺のもとに、何処かから声が届く。流れるような早口の、女の子の声だった。

「全部思い出したの。私が死んだ日のことも?探し物?の正体があの子――妹だったってことも」

「……昔、親父が失踪事件で捜索してたのは、若い姉妹だって言ってた。あれはお前たちだったんだな」

 俺の発言に呼応するように、短髪の少女の姿だけが目の前に浮かび上がった。背に抱いた光り輝く世界に全く似合わない、切ない表情がそこにはあった。

「私たちが死んだ日……私と妹はいつものように一緒に遊びに出掛けた。そこで知らない男の人たちに捕まって」

《酷いこと、いっぱいされた。痛かった、悲しかった。それで逃げ出そうとして……私を先に逃がそうとしたお姉ちゃんが、先に殺された。そして、逃げ切れなかった私も殺された。私たちはこの山に連れて来られて埋められて、男たちはどこかに逃げ去った》

 言葉を継いだ、向日葵の少女の姿が姉の隣に現れた。同じく切なさに溢れた表情をしているが、先程までの絶望に歪んだそれを知っている俺には、まだ幾分か穏やかな表情に見えてしまった。

「私の心残りは……妹を置いて先に逝くことだったんだ。でもそれを忘れてて……無駄に各地を彷徨い歩くことになった」

《私は、お姉ちゃんや私を弄んで殺したあの男たちが憎くて仕方なかった。お姉ちゃんもいなくて一人ぼっちになった私は、ただ憎しみを増幅させていくことしかできなかった》

 俺の頬を、何か熱いものが滑り落ちた。それを見た二人の少女は切なそうな表情を、あの儚げな微笑へと変えた。よく見ると、その細部はよく似ている。

「泣いてくれるんだ。ありがと……でももう大丈夫だよ。私たちはこうしてまた巡り会えた。もう一人じゃない。これで心おきなく行けるよ……ほらしっかりしなさい!」

 姉が俺の横に移動し、ばしんと背中を叩いた。続いて妹の方も反対側の横に回り込み、姉と同じように背中を叩いた。痛みはないが、妹にまで叩かれる謂れはない。キッと睨みつけると向日葵の少女は、悪戯っぽい笑みを返してきた。一度、あの公園で姉も見せたことのある、あの表情と同じだった。

 

 

 

「さて。それであんたはどうすんの?」

 目の前にいる少女の片方が、口を開かず問いかけた。もう不思議には思わない。出たり消えたり自由に動き回ったり、どうやら目の前にある姉妹の像は物理法則その他に囚われないらしい。

 俺はまだ、具体的にどうしたいという答えを出せずにいた。だが少女はやはりそんな俺の葛藤を見透かしていたらしい。答えを急かすことはせず、もう一つ問いかける。

「ねぇ。短かったけど私との"探し物"……楽しかった?」

「ああ。死のうと思った時はまさか、こんな経験が出来ると思ってなかった」

「それはよかった」

 この問いには即答で答える。姉の表情が、にっこりと満面の笑顔を形作った。それは今までの儚げな笑顔とは異なる、初めての混じりけない完全な笑顔だった。

 憑きものが墜ちた、とでも言うべきか。今までの笑みに含まれていた儚げな感じは彼女の浮かばれなさの表れで、この混じりけない笑顔こそが彼女の本当の笑顔なのだろう。

「死んでからですらこんな意外な出会いがある。だったら生きてる時はもっと意外な出来事や出会いに遭遇することがあるかもしれない。生きていればまだまだ楽しいことに出逢えるよ!」

 俺は何と言って返せばいいかわからなくなり、笑顔を作って表情だけで返した。普段人と交わらない自分が人に向けて笑顔を作るのは慣れないことなので、彼女たちのように眩しい笑みは出来なかっただろうが、二人の少女は俺の笑顔にきっちり笑顔で返してくれた。

 その笑顔が、徐々に光に溶けて薄れていく。少女たちの輪郭は外周から順に徐々に光の糸となり、解けていく。俺たちを包みこんでいる輝く世界と、彼女らは同化を始めていた。

「……もう、行くのか?」

「うん。先に行ってる……一つだけ、頼まれてくれないかな?」

 俺は首を縦に振った。少女は笑みを儚げなそれに変え、続ける。今までの早口とは違う、最大限聴き手側に配慮した話し方だった。

「私たちが死んだ時そうだったように、あんたが生き返る時もまた、記憶――死んでた時の記憶は断片的にしか残らない。もしかしたら、全部忘れちゃってるかもしれない。でも……でも、もし少しでも私たちの事を覚えていたら。この山のどこかにある私たちの体を見つけ出して、親の所に帰してくれないかな。遊びに出掛けたまま急に失踪したから、きっと心配してると思うんだ」

「……ああ、きっと。きっと見つけてやる。何年かかってでも」

 正直自信はなかった。だが、この願いを叶えられるのは恐らく俺しかいない。俺は自分の中に芽生えた小さな責任感から、最大限力強い声色を持って答えた。

 少女はまた、妹と揃って満面の笑みを浮かべる。その笑顔を例えるなら、まさに二輪の向日葵が並んでいるようであった。

「ありがとう。じゃあ私は先に行って……遠い未来(・・・・)、あんたと再開できるのを楽しみにしてるよ」

 姉妹の笑みが、強い光に包まれる。視界すべてが白とも金とも判別しがたい光の爆発に塗りつぶされ、俺は思わず目を閉じた。

 

 

 

 目を開けると、そこは元通り山の中だった。遠くに金色の朝日が昇り、夜の帳を切り裂いて地上を鮮やかに色付けている。

 朝日とは思えない、眩むほど強い光。それを視覚した俺の頭は少しだけクラクラした。その光は、彼女を最後に見たあの空間のものと少し似ているようにも感じられた。

「……さて、俺も行かなきゃな」

 俺は肺のない体のまま一度大きく深呼吸をすると、まだ起き始めるには早すぎる時刻だろう町を目指し、来た道を引き返し始めた。

 

 野山を吹き抜けた一塵の風が、二枚の落ち葉を舞いあげた。それは、まるで仲の良い姉妹が無邪気に駆けまわっているが如く、離れずどこまでも飛んで行った。

 

 

【さがしもの……fin.

 

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