Wonder World-End
池田 風太郎
私の名前は浦島……いや、本名よりもドクター・ウラシマと呼んでいただこう。皆にはそう呼ばせていた。
私は自分の名前が嫌いだ。有名な昔話の登場人物と同姓同名なのだが、それ故に苦労もした。しかしそれ以上に気に入らないのは、人が生まれ出でて初めて獲得するものに関わらず、名前とは自分の意思を全く反映することが出来ないものであるということだ。
決して、名付け主の親を恨んでいるわけではない。単純に、自らの手でどうにも出来ない、儘ならなさが納得できないのだ。自分が得るものは自分で掴み取ってこそのもの。そうだとは思わないか。
発明家という道を選んだのも、そういった思いがあってのものだ。自慢ではないが、私は若くして才能を開花させ、様々な発明品で世に貢献してきた。金にも名声にも興味はなかったが、自らの発明で得たそれらを手にすること自体は決して悪い気分ではない。
……失礼。話を戻そう。かくして世紀の発明家として世の注目を集めに集めた私であったが、どうしても抗えないものがあった。大多数の同業者が抱えているであろう不安──老いである。
どれだけアイデアが浮かんでも、それを完成に漕ぎ着けるためには莫大な時間と労力を要する。そもそも頭の中まで老いてしまえば、そのアイデアすらも浮かばなくなるかも知れない。
私はそれがどうしても許せなかった。人類の誰もがまだ踏み入れたことのない叡智、それを目にする前に死を迎えたくない。だが、流石の私も人を不老不死にする発明は出来なかった。
考えに考え、出した結論はこうだ。発明家としては癪だが、よくある話だろう。肉体を仮死状態のまま永久保存し、さらなる技術が存在するであろう未来世界に不死者として復活するというものだ。不死と言っても、生ける屍ではないぞ。衰えぬ肉体と脳を以て、永遠の時を発明に捧げたいのだ。
幸い、冷凍保存の技術と必要な維持費は手元にあった。だが問題はまだ残る。この保存法は、自らの手で解凍が行えないのだ。なんせ本人は仮死状態で氷漬け。行える方がおかしい。
そこで私は信頼できる部下たちと、当時開発中だった作業用ロボットのプログラムに、一つの言葉を遺して眠りに就いた。
「永遠に発明し続けられる世界を迎えた時、起こしてくれ」と──
*****
しゅうううう……
「…………?」
気が付くと、私は横たわっていた。周りからは蒸気が噴き出すような音が聞こえる。そうだ、私は冷凍睡眠に就いたのだ。起きたということは、誰か起こした者が近くにいるはずだ。
靄が掛かったようにぼんやりする頭を少しずつ覚ましつつ、私は周囲の様子を窺う。私が横たわっている物には覚えがある。特製の超安眠布団だ。これが非常に心地良い、気を付けないと再び眠りに就いてしまいそうだ。
慌てて頭を上げるが、周囲は真っ白で何も見えない。どうやら靄が掛かったようだと感じたのは寝起きだからではなく、単に部屋がそういう状況であるからのようだった。
私には思い当たる節がある。冷凍睡眠に使っていた特殊な薬品が蒸気になって漂っているのである。空気に溶けやすいため、いずれこの靄も晴れるはずだ。私の考えを裏付けるように、視界を覆う白は徐々に色を薄め始めていた。
「おはようございます、ドクター・ウラシマ」
その向こうに立っているらしい何かが、私の名を呼んだ。感情があまり見えない、女性のものらしき声だ。
「……ああ、おはよう」
相手が誰なのかはわからなかったが、私の研究室に女性スタッフは数人しかいないはず。ジングウだろうか、それともヤマザキだろうか。少なくとも私を目覚めさせただろう人物だ、挨拶くらいしておいて問題はないであろう。
だが靄が切れその姿が露わになると、私は思わず顔をしかめてしまった。そこに立っていた女性は、全く私の知る人間ではなかったからだ。銀色の長髪を腰元まで垂らす、繊細な顔つきの若い女性だ。
「んん……あんたは?」
「私は『Mit-2013』。この姿でお会いするのは初めてですね。平時はマイト≠ニ呼ばれておりますので、ドクターもどうぞそうお呼び下さい」
「『Mit-2013』……マイト?」
私が呟くと、目の前の女性はちょこんとお辞儀をする。だが私には不可解だった。『Mit-2013』といえば確か、冷凍睡眠に入る前に私が手掛けていたロボットの型番号だ。しかしそれは台車に移動用のタイヤと作業用アームを取り付けただけの簡素な業務用ロボットであり、とても目の前にいる女性と同一のものだとは思えない。そもそも、彼女は人間でなくロボットなのか。
「私はドクター・ウラシマ直接の指令を受けた個体として、ドクターの冷凍睡眠を維持・管理する任を受け持っています。そして新たに、貴方の身辺のお世話も担当することになりました。この姿は、新たな任に対し『Wonder-x00』から与えられたものです」
そういえば『Mit-2013』には、作業効率を上げるため学習機能を搭載しており、それ故にかつての言葉をプログラムに遺したのだ。私の言葉を実行できる日まで、幾多の試行錯誤を繰り返し結論へと近づかせるためである。直接の指令≠ニはつまり、私がプログラミングしたということなのだろう。それを事実として受け止めれば、確かに彼女はあの作業用ロボットが必要に応じて改造を施したものだと結論付けられなくもなかった。
だが、彼女の説明だとその結論には繋がらない。学習機能を施したマイト℃ゥ身が改造したならともかく、この姿は与えられたものであると彼女は言った。『Wonder-x00』とは一体何なのだ。私の発明品にそのような型番号のものはない。
もっとも私が目覚めた以上、ここは技術が進歩した未来の世界ということであろう。それこそ、永遠の生命すらものにすることが出来るほどの、だ。ならば、後に私の知らないものが生まれていても不思議なことはない。
「……『Mit-2013』。聞かせてくれ、ここは未来の世界なのか?」
「それが『ドクターが眠りに就いた頃から見て』という意味であれば、その通りです」
「だとすれば、私の願いは……叶ったのか?」
「『永遠の時を発明のために』ですね。その願いは実現可能であると考えられます」
なるほど、やはり世界は相当に進歩しているようだ。ならば、まずは学ばねばならない。いかに私といえど、旧い知識や技術では今の科学に到底及びもしないだろう。
「わかった。それで、お前は私の世話も担当だと言ったな。ならば、まずは外界を見てみたい。ただ歩くだけでも知らないものは多いだろう。質問攻めにするだろうから、覚悟しておくように」
「承知しました。何なりと」
冗談半分、本気半分であったのだが、『Mit-2013』はあくまで無機質な声色のまま事務的に返答する。特段何かを期待していたわけでもなかったが、物寂しさを感じなくはない。人型であるが、人間らしさが発達していないように見えるのは時代の問題なのか、それとも私の開発したロボットの進化系である事の問題なのか。
しかし、それでもそんな事は瑣末な感情に過ぎなかった。ようやく望んだ世界が私を迎え入れようとしているのだ。眠りに就く前まで含め、長く忘れていた胸の高鳴りを隠せない。
未来都市とやらを拝んでやるとするか。高揚のまま、私は『Mit-2013』の導きに従って研究所を後にした。
目の前に現れた世界は、私の予想を遥かに凌駕していた。
「これが東京……いや、これが、日本だと……いうのか……?」
震える問いかけに、『Mit-2013』は無言無表情のまま頷く。ある程度覚悟はしていたものの、そのあまりの変貌ぶりは私を絶句させるのになんら不足なかった。
色鮮やかで大規模な建物が大きな道路を挟んで整然と群を成し、建物の随所からは別の建物に向けチューブのような橋が伸びて連結している。空には単車サイズの空挺らしき物体が無数飛び交い、町にはどこから流れているのか遊園地のように賑やかな音楽が漂っている。建物を脇に控えさせた大きな道路は専ら貨物の運搬に使われているらしく、丸い電車のようなものが大きな台車を牽いて流れていくのが見えた。まさに、映画に出てくるような未来都市だ。
何より目を引くのが、電車のようなものの通る大通りの果て、街の中心に位置する巨大な建物だった。いや、あれは建物と言って良いのだろうか。かなり離れたこの位置からもよく見えるが、恐ろしく巨大な尖塔となったそれ≠フ各所には様々な形状の謎の機械が取り付けられており、それぞれが輝きを放ったり蠢いたりしていた。取り付けられているというよりも、機械の集合体であると表現する方が的確か。『Mit-2013』が示した地図の通りだと、あの巨大な尖塔を中心とした放射状に道路が整備され、現在の東京が形作られているらしかった。
「あれが『Wonder-x00』。最高性能の演算機を始めとした膨大な機器を結合し、ありとあらゆる事象を正確に計算する事を可能としています。明日の天気予測から統計作業まで何でも行い、果ては国民全ての健康状態や国内中のロボットの稼働状況なども全て把握する事が可能となります」
『Mit-2013』の淡々とした説明が続く。なるほど、アレが先ほど彼女の言っていた、この姿を与えたという機械か。だが説明通りならばあれは演算機。計算や情報処理の道具であり、他のロボットに改造を施すような代物ではない。
私の疑問を見抜いたのであろう、相変わらず抑揚のないトーンで彼女の説明は続く。
「『Wonder-x00』は大工場や工業用機器を内部の随所に備え、様々なロボットを製造管理・また改造することができます。工業用ロボットを駆使することで自身の破損箇所を自己修復することも可能です。連結された全てのコンピューターが核であるため、例えどれかの演算機能が故障しても問題を起こすことなく修復できるのです」
なるほど、合理的だ。要は、高度な計算機能と生産機能を併せ持つ万能機器というわけだ。需要を見抜き、必要に応じたロボットを生み出しているのであろう。
「この時代は特にロボット技術が発達したわけだ。だがそれだけ優秀なロボットが増えたならば、人間に反逆を企てるロボットも出てくるんじゃないのか? 昔の映画にそんな話のものがあっただろう」
「その心配は無用です。国内ロボットは現在全てが『Wonder-x00』と通信を行っており、個体の状況判断を合わせた高速演算によって最良の行動を選択します。また『Wonder-x00』の演算における最優先項目には『人類の利益』があり、決してそれを損なうこともありません。もし反する行動を起こそうとすれば個体の故障と見なし、即座に周囲のロボットが制圧・修復に取り掛かることでしょう。事実、これまでロボットが人類に危害を加えた事例は一切ありません」
どうやら、私が思う以上にこの時代のロボットはよく出来ているようだ。性能も良ければ、人間にとって都合も良い。一科学者として、このシステムを生み出した者に脱帽である。
その後も暫く、街中を歩きながら『Mit-2013』の説明は続いた。
現在、政治は人間に代わって『Wonder-x00』が行っているらしい。正確な判断と常に中立である視点、また全ての国民状況を把握しているという点でも、これは不正確な存在である人間が行うよりも適任であるように感じられた。
また、仕事においても各分野にロボットが配備されており、特に医療や農業、生産業などはほぼ全てロボットが担っているという。人間が行う仕事は、音楽や小説などの創作活動や工芸品など芸術性の高い生産活動が主であるという。独創性の高いものは機械で生み出すことが難しいためであるらしいが、近年は人間の思考についての解析が非常に進歩したため、これらの業界も徐々にロボットの進出が進んでいるのが現実であるという。
職を失ってもそれを認識した『Wonder-x00』による指令で潤沢な給付金が与えられるため、生活に困ることはまずない。そもそも機械が担うサービスの全ては無料であり、金銭を持つ必要性すら殆どないのである。そのため、生涯職を持たない人も珍しくないという。
「一切仕事のない生活、か。それはそれで、楽しいのかね……」
至れり尽くせりも、ここまで過ぎるとかえって不気味だった。確かに元の時代ではブラック企業だの過労死だのニートだの、勤労に対する問題は少なくなかった。だが、少なからず仕事を生きがいとする人間もいたはずなのである。限りある人生を超えて発明に打ち込みたかった、私のように。
大通りを、今度は重い音を立ててトラックが横切った。トラックのようなもの≠ナはなく、正真正銘元の時代で見覚えのあるトラックである。どうやら時代が流れても、そのまま使われているものもあるらしい。当たり前と言えば当たり前の話でもあるのだが、操縦席に、やはりというべきか人間の姿は見当たらない。
そもそも、ここまで説明を受け歩いてきたその間、私は人間の姿を一切見かけていない。『Mit-2013』のような人型ロボットも込みで、この東京の街にあるべきであろう存在の一切が欠落していた。
知りたかった。いや、知らねばならない。私はこれから、どのような時代に身を置いて生きていくのか理解するために。
「『Mit-2013』。この時代の人間は、一体どんな生活を一般としているんだ。見てみたい」
「かしこまりました、ドクター・ウラシマ。ちょうどそこの建物には人間の居住区があります。拝見させていただきましょう」
細い人形の腕が、指が、近くにあった大きなビルを指した。やはり一切声色の変化しない『Mit-2013』であったが、どうも少しずつ重みが増しているような、どこかそのような気がした。
「あらー、貴方たちはマイトと……ドクター・ウラシマですね! ワンダの通信を貰っていますわ。さあさあ、お上がり下さいまし!」
居住区と呼ばれるビルの一室を尋ねると、出迎えたのはキンキン声の恰幅のよい女性であった。見た目は人間そのものであったが、『Wonder-x00』から通信を貰っているらしい所から推するに彼女も『Mit-2013』と同じ人型ロボットなのであろう。
問うてみると、やはり家政婦ロボットらしい。彼女に限らず、人間に近い場所で働くロボットは人型であることが多いらしい。なるほど、人気のない屋外では人型ロボットも見かけないわけである。
「おじゃま……します」
もう長いこと丁寧な言葉を使った記憶がない。少し違和感があったが、流石に人の家だ。礼節は弁えねばならない。
だが私の些細な気配りに対し、家主たる人間の様子はそれに応えたものではなかった。見た目大学生くらいの若い青年であったが、彼は何かゴーグルのようなものを掛けて奥のソファに座ったまま、何の反応も起こさない。私たちが訪問していることにすら気づいているのか不明であった。
「ごめんなさいねぇ、この子は基本的に一日中ダイブ≠オてるので、ずっとこんな感じなんですよー」
「……あれは、何を?」
「簡単に言えば、夢を見ているのです」
家政婦ロボに対して放った質問の答えは、『Mit-2013』によって齎された。その内容は、私をして驚愕せざるを得ないものだった。
ダイブ≠ニは、あのゴーグル状の機器を装着することによって仮想世界を見る状態であるという。『Wonder-x00』が測定し演算した結果から装着者の望む世界を見せる。通常は楽しく明るい世界を見せ、退屈で刺激の足りない時はスリリングな出来事を、楽しさに慣れた時は嫌な出来事を加味することで、ほぼ現実と変わらない世界を体感させることが出来るのだという。装着者はダイブ≠オた先で仮想の生活を送り、仮想の家族や友と過ごし、時には現実離れしたファンタジックな出来事にも遭遇する。
元の時代にも現実と仮想世界の区別がつかない、重度のネットゲーム中毒者が存在したが、これはそれ以上だ。そのような状況に置かれれば、選択の余地なく現実がどちらか区別できなくなるだろう。向こうの世界で理想の仕事が出来るのが、現実世界で職を生きがいとしない者の多い最たる理由であるらしかった。
『胡蝶の夢』という話がある。今ここにいる自分は現実でなく、蝶の見ている夢の中なのでは、というものだ。私は愕然とし、その場に崩れ落ちた。
「基本的に、現在ほとんどの人間はこの機器を装着し、理想の世界に浸っています。全てではありませんがね。現実での健康管理は家政婦ロボットによって行われるので、問題ありません。彼らは常に幸せでしょう。人間が幸せであれば、我らも本望だというものです」
幸せでしょう――淡々と放たれる言葉が、私の頭をぐるぐる廻った。幸せとは何なのか。本当に幸せだと言えるのか。
「唯一の問題は、このように個人で世界を作ってしまうと、人間という種の存続に関わるということです。そこで全体から見た種の個体数や各々の健康状態を常に『Wonder-x00』が計測し、ダイブ≠ノよる認識を利用して繁殖を行っています。ペアとなる男女は仮想空間において想い合う存在、不幸に思うことはまずないでしょう」
「……もういい、十分だ」
「ああ、ご安心ください。今ここにあるドクター・ウラシマは仮想世界の住人ではなく、れっきとした現実の――」
「十分だと言っている!!」
私は知らなくてはならない。この世界の現実を。
だがその現実はあまりに無情で、無機質なものに成り果てていた。人の心で受け止めるにはあまりに重すぎる。大概の変化は受け入れるつもりでいたが、これは余りにも辛かった。
故に、私は逃げ出した。質素な部屋を弾かれるように飛び出し、独り変わってしまった東京の街を何処へともなく走り続けた。
どれだけ走ったのだろうか。息を切らして立ち止まると、そこは広い公園の中だった。広大な面積の芝が、なだらかな起伏をもって続いている。噴水からは清らかな水が吹き出し、吹き抜ける風は都会の中であることも忘れるほどに清々しい。点在する植え込みの側に設置された、私には理解できない意匠の銅像が気にはなったが、少なくとも自然のカタチは私の知るそれと大差なかった。
「…………」
息を整えながら、私は混乱した頭を出来うる限り整理した。これでも頭脳派を自称する私だ、落ち着いた環境と時間があれば現状を正しく認識することなど造作もないことである。
もっとも、認識することと受け入れられるかということは別問題だ。この状態は本当に正しいのか、私は判断できずにいた。
――ぽーん、ぽーん。
「あ、すみませーん! ボールとってくださーい!」
離れた位置から聞こえる声と、球体の弾む音が、ふと私を思惑の海から引き上げた。見ると、向こうから数人の子どもが駆けてくる。小学生くらいだろうか。また、足元には白黒の五角形が点在する球体――見慣れた姿のサッカーボールが転がっていた。
拾い上げて、寄ってきた子どもの一人である少年にそれを手渡すと、少年はにっこりとあどけない笑顔を見せた。
「おっちゃん、ありがとー!」
ただ、それだけのことである。なのに、気付けば私の瞳には涙が滲んでいた。ようやく出会えた、人間らしい温もりを持つ人間。そう、この少年の笑顔はどこまでも暖かかった。
「え、何ちょっと。おっちゃん、泣いてんの?」
「……む。すまない。情けないな、何故か涙が止まらないんだ」
そうだ、『Mit-2013』は言っていたじゃないか。全ての人間があのゴーグルを装着しているわけではないと。少数とはいえ、制作や芸術など仕事に精を出す人間が存在すると。
私はこの世界が全く無機的なものになってしまったのだと思い込んでいた。だが、まだこんなにも暖かい温もりが残っている。人の営みは生きている。この子どもたちが、思い出させてくれたのだ。
「なあおっちゃん、悲しいことでもあったのか? 混ぜてやるから一緒にサッカーしようぜ! 体動かせば悲しいことなんか吹き飛ぶって!」
「……ああ。ありがとう」
大の大人が子どもに混ぜて貰うというのは滑稽な図だったが、そんなことはもうどうでもいい。人としての温もりを胸に、私は生きていこう。これからの科学は人の生活を豊かにするものではなく、人の心を豊かにするものであるべきだ。
弾むボールの音は、私の何か奥深くの方まで、心地よく響いた。
「じゃあな、おっちゃーん! 楽しかったぜー!」
「また一緒に遊ぼうねーっ!」
空が夕焼け色に染まる頃。子どもたちは帰路に就く。一様に浮かべる笑顔と、投げる言葉は、相変わらず私を癒すようだった。
「……随分、お楽しみになられたようですね」
「居たのか」
子どもの声と入れ替わりに、彼らに手を振る私の隣から声がする。見なくても、この無機質な声の主はわかりきっている。
「良い子たちでしょう?」
「……ああ。なんだ、お前にもそんな評価が出せるのか」
少し意外だった。一応そちらを見ると、やはり予想通りの女性の姿が、夕焼けに照らされそこにある。
「子どもになんて興味がなかったが、こうして関わってみると可愛いもんだ。研究一本で生きてきたが、私もいずれは妻子というものを持つべきなのかもな」
柄にもないことを言っていることは理解している。少し頬が熱くなるのを感じた。もちろん、そこを指摘されれば夕暮れのせいにするつもりではあるのだが。
「…………?」
だが、『Mit-2013』の様子は予想と違っていた。もちろん反応を求めたわけではないし、赤面を指摘してくることも実際はないだろうと思っていた。そうではない。何か、珍しく言いにくいことを躊躇うような、今までにない素振りを見せているように見えたのだ。といっても表情は相変わらずのため、どこがと言われても直感以上のものは何もないのだが。
「ドクター・ウラシマ。まだ、気付いていないのですか」
そして、その直感が正しかったと私は間もなく知ることになる。
「私が申し上げたのは、あの子たちが良い性能の℃qたちでしょう、ということなのですが」
「……は?」
思わず、頓狂な声が漏れた。一瞬、彼女が何を言っているのか理解が出来なかったのだ。
『Mit-2013』は珍しく、説明の言に間を空けながら続ける。ああ、これが躊躇っているように見えた理由か。本当に躊躇っているのかどうかは定かでないが、私にはやはりそう見える。
「あの子たちは、『WondeRLanD』――あのゴーグル状の仮想世界体験機器、その装着を拒む人間が一般生活に疑問を持たないよう製造されたロボット『Child Play-026』です。あれが遊んでいる姿を見せるだけで屋内に住む人間は安心し、屋外に来た人間とは一緒に遊ぶことで充足感を与えます」
だが、語る真実は実に無情である。私に温もりを思い出させた子どもたちが、人間ですらないというのか。『Mit-2013』と同じ、ロボットだというのか。
「はは、ははは……おかしい、それはおかしいだろう! 彼らは確かに言った、『楽しかった!』と! いや、言葉だけじゃない。遊んでいる最中も嬉々とした表情を見せる、あれは紛れもなく無邪気な子どものそれだった! それが偽りだったなどと、信じるものか!」
「決して偽りではありません。あの人間の感情に酷似した様子は、きちんとプログラミングされた通りです。貴方の時代にも愛玩用ロボットは存在したでしょう、あれはその進化系です」
「しかし! ……しかし!」
私には分かっていた。これでも科学者だ、『Mit-2013』の説明は実に合理的で、私の感情むき出しな脆い理論で崩せるものではない。だが、認めたくはなかった。一人の、人間として。
「そして、貴方もその一体なのです。ドクター・ウラシマ」
だが、その唯一のプライドすら、彼女は守ることを許さなかった。
「あ……? え……?」
次に放たれた言葉で、今度こそ私の世界は完全に崩壊した。あまりに急すぎる暴露で、私の理解はとうに限界を超えたのだ。
「私は、私だ……私が、ロボット、だと? 馬鹿な……私は先ほど、冷凍睡眠から目覚め……」
「いえ。本当の貴方は、未だ眠りの氷の中にあります」
「……!?」
やはり一瞬躊躇うような間を空けて、『Mit-2013』は説明を開始した。
「生身のドクター・ウラシマを……人間を永遠に存命させる技術は、未だ確立されていません。ですが、我々は科学的に人間の脳を解明し、その記憶や感情、発想などの膨大なパターンを人間のそれに限りなく近付け再現する技術を生み出しました。先ほどの子どもたちも、その応用で感情を表出しています」
「では……では、今私が衝撃を受けているのも、混沌とした感情にこの身を灼かれているのも……!?」
「はい。全ては、本物のドクター・ウラシマならどう感じどう行動するかという『Wonder-x00』の演算の下、組まれたプログラムが引き起こしているものに過ぎないのです」
近くの木々から、一斉に鳥たちが飛び立つ騒がしい音が聞こえた。聞こえただけで、頭には入っていない。そのような些事、もはやどうでもよかった。頭に入るもの入らないもの、全てあの巨大な尖塔の思うがままなのだ。
人類に対する反逆がないと信じても、他者の計算で私の真似事をさせられる。そんなものが、わたし≠ニ呼べるのだろうか。
「このプログラムの大元になったのは、貴方が私に搭載した学習機能です。そして、今朝貴方を起動したのは、生身の貴方が残した遺言……貴方が永遠に発明を続ける、それが可能な時代になったからです。今活動している貴方自身は肉体を代替するロボットに過ぎませんが、その中身はドクター・ウラシマ本人と比べてもなんら遜色ありません。ご安心して、これからも人類の発展のため、研究にご尽力下さい。私どもは、そのバックアップを永遠に行います」
何が、人類の発展だ。
年中虚偽の世界に幽閉され、個体の管理や種の存続に至るまでが機械任せ。これが種の発展の極みだというのか。
そもそも、人間と変わらない性能のロボットを生み出せる時点で、我々人類に存在価値などありはしないのだ。まして、その技術が私の生み出したものを源流としているとは。
ロボットたちは誰も、間違いなく人類の発展を願っているのだろう。それ故に究極の快楽と怠惰を与え、管理を一手に担った。その結果、もはや居ても居なくても変わらないという段階にまで人間は堕落した。
万能だと思っていた科学の進歩が、人間を無価値にした。
有益だと思っていた私の研究が、世界を終わらせた。
『Wonder-x00』とやらは、この結末を予測できなかったのだろうか。世界はとうに迎えた破滅に未だ気付かず、根腐れを深化させ続けている。
人類は、そしてロボットたちは、いつ気付くのであろうか。
夢は終わらない。だが、夢を支える世界は、とうに朽ちて終わっていたという、残酷な真実に。滑稽なワンダーランドの終焉に。
Wonder World-End…fin.