Self―Absorption
流斗
蒸し暑い部室。外から聞こえてくるのは、運動部の生徒たちのかけ声とやかましい蝉の鳴き声。
「藤間君。僕は今ゴミを拾ったよ。なんてすばらしい行いをしたのだろう。もう僕は自分が素敵すぎて、困ってしまうよ! 部室の汚れは心の汚れだからね。僕の心は今美しく澄み渡っているんだ!」
目の前にはめんどくさい先輩。
「相変わらずですね、大丈夫です。行いは正しいですが部長は人間として発言がアウトです」
これが普段の僕たちの会話。
僕たちがこんなおかしな関係になったきっかけは、僕が入学して一週間、春のことだった。
◆
その日の僕は、目の前が見えない程舞い散る桜吹雪に少々嫌気がさしていた。イライラの原因なんて分からない。着慣れない制服のせいかもしれないし、首元の青いネクタイが少々きつく締まりすぎていたせいかもしれない。新調したメガネに慣れていないのも原因かもしれない。せっかく希望の高校に入学したのに、緊張のしすぎで自ら周囲に話しかけることもできず、新学期早々根暗のレッテルを張られたせいかもしれない。とにかく不機嫌だった。
ふざけんな桜、前見えにくいだろ。
そんなことを考えていたせいだろうか。急に強い風が吹き、桜の枝がギシギシと軋む音がしたと思うと、桜吹雪が僕に降り注いだ。桜の花びらがメガネに張り付き、視界がふさがれた瞬間。
思いきり石につまずき、そのまま、ズッサァア!と、漫画のような効果音を立てながら、僕は転倒した。メガネが吹っ飛び、視界がぼやける。
恥ずかしすぎる……。こんなところ誰にも見られたくな……。
「大丈夫かい?」
うぅ……。誰にも見られたくなかった……。
目の前に手が差し出され、僕は手をつかみ、立ち上がった。
「ありがとうございます。えっと……」
「ん。これは君のメガネだな」
手渡されたメガネを受け取り、かけなおすと、改めて手を差し伸べてくれた人物の顔を見た。
僕と同じ制服を身に着けた男子生徒。
……普通。まぁまぁ整った顔立ちをしているが、特別格好いいという程でもなく、髪も黒、特徴的なのは少々茶色がかった優しそうな瞳。背も僕よりも少々高い程度。ネクタイの色は赤。
どうやら一つ上の学年のようだ。
どこにでもいるような普通の人、そんな印象だった。
「ありがとうございます」
「あぁ、気をつけるといい。それよりも……」
「……はい?」
目の前の先輩が目を優しそうに微笑み、口を開く。
「人助けをする僕はなんて素敵なんだろう」
「……はい?」
今、この人はなんていった?
「ふふふ、君もそう思うだろう? 人助けをする僕、新入生に優しくする僕、素晴らしすぎる。カンペキだ。パーフェクトだ!」
……前言撤回。変人。もう最高に危険人物。ダメ。アウト。
「僕の名前は中川陽斗だ。それでは後輩! また会おう」
中川陽斗と図々しくも人名を名乗った変人は、僕にそう告げると颯爽と去っていった。
これが僕と先輩の出会いだった。
次に先輩と出会ったのはそれから二日後。
ホームルームも終わり、帰る用意をしている最中、先輩は僕の居る教室に乗り込んできた。
ナルシストに加えてストーカー。もう完全な危険人物である。
「やっと見つけたぞ。藤間卯月! この僕に手間をかけさせるとはいい度胸だ」
そう言って先輩が僕の目の前に立ち、机をこつこつと叩く。
「……え?」
周囲の同級生がこそこそと、「藤間君が話しかけられてるー」「中川先輩だ!やったぁ!」なんてことを話している。この変人、有名なのか?
非常に逃げ出したくなるが、相手が先輩である手前、ダッシュで逃げることもできない。
「なんですか?」
「後輩、どうせ暇なのだろう?」
突然何を言うんだ、このストーカーは。
「はい……?」
「良いからついてこい」
机の上の僕の荷物を先輩がつかみ、僕の手を引く。
周囲から「え?いじめ?」「藤間君ってば何したの?」「やだ。そういう関係……?」「中川先輩…今日もかっこいい。はぅぁ〜」なんて声が聞こえてくる。
若干二名、中川先輩オタクと、腐った趣味の女子がこのクラスには紛れ込んでいるようだ。
そのまま僕は先輩にずるずると廊下を引きずられ、部屋に連れ込まれた。長机と二脚の椅子とホワイトボード。机の上には鏡、そして床には雑多に置かれた本。
「座ると良い」
「……はぁ」
訳が分からないまま荷物を受け取り、傍にあった椅子に腰かけた。先輩も僕の横にあった椅子に腰かける。
「一人ぼっちの後輩を助けてしまうなんて、僕はなんて優しい先輩なんだろうか」
どこの国に行けば、先輩が後輩に一人ぼっちなどと罵る優しさがあるというのだ。僕の知っている世界の優しさと、先輩の世界の優しさはまったく別物のようだ。
「……先輩は阿呆ですか?」
「ふふふ、照れなくてもいい! 僕が素晴らしいのは自分でも分かっている」
どうやら頭の中身が手遅れのようだ。
「さて、後輩。ここに名前を書くと良い」
「なんですか? これは」
差し出された一枚の紙を見つめる。
入部届 学校長 殿 自己陶酔部への入部を希望するので、許可をお願いします。 学年・組 一年D組 生徒氏名 担任名 印
あまりの驚きに的外れなことを呟く。
「そうだろう。字は人を表すからな。美しい字を書く人間はやはり心も美しい……もっと褒めてくれ」
「すみません。僕の勘違いです。で……これはなんですか?」
「見ればわかるだろう? 入部届だ」
「本当にそのままの解答をありがとうございます。僕が言いたいのは、なぜ僕のクラスがすでに書かれていて、しかも自己陶酔部への入部届を目の前に出されているんですか」
「それは君が入部するからだろう?」
さも当然のように先輩が答える。
「なんで僕が入部することになっているんですか!?」
「君が転んでいるところを僕は助けた。君がその恩を返すことは当然のことだ」
……僕は最悪な変人に助けられたようだ。……まずは状況を見極めよう。何か打開策が見つかるかもしれない。
「……自己陶酔部ってなんですか?」
「良いだろう。新入生に優しい僕が教えてあげよう」
先輩が立ち上がり、ホワイトボードをバンッと叩く。
「自己陶酔部というのは、自己陶酔する部活だ。日本という国は謙遜の国だ。あまり人前で自分の子どもを褒めることをしない。そういった環境で育つと、その子どもが大人になった時も自分の子どもを褒めなくなる。褒める事は大切だ。ピグマリオン効果というものを知っているだろうか。子どもに対する教師の期待が、子どもの生活態度や行動に影響を及ぼし、子どもが教師の期待通りに成果を出すという物だ。また教師が子どもに期待をすると、無意識の内にその子どもに着目したり、指名をしたりといったことが起こる。分かるか? 期待し褒める事で子どもはより良く成長するのだ。そこで僕は考えた。誰も褒めてくれないのなら、自己陶酔したらいいじゃないか。自分で自分を褒めれば良い!」
先輩がビシィッと僕を指さす。
最初真面目な事を言っている気がしたのはきっと聞き間違いだな、後半が駄目人間の発言だったから。
もはやこの変態相手に打開できる気がしない。ハッキリ言うしかないか……。
「よくわかりませんが、僕は入部する気ないです」
「なぜだ? 自己陶酔するのが悪いのか? とある学校ではただ友達を作る為に隣人部という部活があってだな。他にも放課後にお茶をする女子高生たちの軽音部とか、高校生のホスト部など様々な団体が活動しているのだ」
「……よくわかりませんが、何かとっても危ない気がするのでその発言はやめてください」
「分かった。では言い方を変えよう。君は恩人に感謝もしないのかい?」
「うぐ……」
正論だ。確かに転んだところを助けられた。けれど、手を差し伸べてメガネをとっただけじゃないか。それとこれとは……。
「良いだろう。君が僕に感謝しないというならば、僕は本当に残念だ。あぁ、残念だ。君が先輩に感謝もしない、礼儀もしらない後輩というレッテルを貼られたまま三年間生きていく道を選ぶのは本当に残念だ。君がその道を選ぶというのならば僕は止めない。後輩を温かく見守るしか僕にはもうできないからね」
先輩がにこりと微笑んだ瞬間、立ち上がりかけた僕の背筋に寒気が走った。
悪魔か、この男は。
ただでさえ根暗のレッテルを貼られた僕に、なんて恐ろしいこと言うんだ。
「君はただ入部するだけでいい。自己陶酔部は特に活動はないからね。ただ僕一人じゃ部として申請し続けることが困難なんだ。だから君に入部してもらいたいんだ。もちろんいいよね?」
先輩の優しげな笑みが禍々しいものに見える。
黙って椅子に座り直し、机に置かれた入部届を睨み付ける。
「いつか復讐します」
「名前を書くだけでいい」
催促するかのようなその言葉に乗せられ、入部届の横に置かれたボールペンを手に取ると、生徒氏名の部分に藤間卯月の名を記した。先輩が期待に満ち溢れた表情で眺め、僕が書き終えたのを確認すると同時入部届をひったくると、
「わずか数分で後輩が入部するだなんて……、自分のこれからの成長が恐ろしいよ」
「僕は先輩の存在が恐ろしいです」
そんな僕の毒舌は聞かず、先輩は部室から飛び出した。
数分後。
先輩がハァハァと息を切らせ、部室に戻ってきた。
「入部届を提出してきた。おめでとう! これで君も今日から自己陶酔部の部員だ!」
これが僕と先輩との二度目の再会であった。
◆
あれから数か月。季節は夏へと変わり、あの堅苦しかった制服も、夏服へと変わっていた。変わっていないのは先輩の自己陶酔っぷりと、僕のクラスでの根暗ポジションだった。先輩相手になら毒舌ですらすら喋れるのに、なぜこうも他の人が相手ではうまく言葉を発することができないのだろう。
メガネで喋らない地味な少年。心の中で呟く言葉は毒舌。先輩風に言うとギャップ萌えすぎて自分かっこいい。僕風に言うと学校生活いきなり終了。
部室の椅子に座り、机の上に教科書とノートを広げ、ひたすら勉強に勤しみながらも考えていることはそんなことである。
先輩は、ぼーっと窓の外を眺めながら何か考えているようだ。
「後輩」
突然先輩が口を開く。先輩は僕の事を名前では呼ばず、いつも後輩と呼ぶ。
「なんですか先輩」
悔しいから僕も名前で呼ばない、先輩と呼ぶ。我ながら子どもじみた意地だ。
「サッカー部はサッカーを、野球部は野球をする」
「はぁ……。そうですね」
「では問題だ。自己陶酔部がすることは?」
先輩が振り返り、僕をビシィッと指さす。先輩の決めポーズ。
「指を指さないでください。失礼です。活動ですか? 僕は入部するだけで、自己陶酔部は特に活動はない、でしたよね?」
それに先輩は大きくうなずく。
「その通りだ、後輩。けれどこのまま怠惰な生活を続けていてもよいのだろうか? 僕はひたすら自己陶酔し、君は部室に来ても勉強ばかり、これでは部活とは言えないではないか」
言っていることはアレだが、正論ではある。
「なにが言いたいんですか?」
「うむ。よくぞ聞いてくれた! 活動をしよう。ためしに僕は川柳というものをしてみようと思うのだがどうだろうか」
「川柳……ですか?」
先輩の事だから自分の良いところを十個あげるゲームとか、自分の顔のパーツでどこが好きだか語り合うとか言うと思ったのだが……。案外まともな事を言ったので拍子抜けである。
余談だが、僕が自分の顔のパーツで好きな部分はメガネである。メガネは僕の身体の一部だ。これは決して自己陶酔でない。
「あぁ、川柳だ。川柳というのは五・七・五のリズムで作り出す日本の詩の一つだ。川柳の特徴としては、あまり厳しい制限がなく、誰でも作りやすいことが挙げられる」
「ご丁寧な説明をありがとうございます」
「ふふ、後輩に丁寧な説明をする僕、なんて優しいのだろう」
「……先輩は本当にめんどうな方ですね」
「川柳を作ろうじゃないか、もちろん自己陶酔の、だ」
「かっこいい、あぁかっこいい、かっこいい。とか言わないで下さいね」
僕の一言に先輩の眼が見開き、口が大きく開く。
「なんで分かった!? と言いたげな表情をしないでくれますか? なんかもう本当に残念です。いろいろと……」
「君はすごいな。人の心が読めるのか」
先輩が珍しく、おかしな方向で僕を褒めた。
「いやもう、先輩の言うことぐらい誰でもわかります」
「そうか……。ふむ、まぁいい。川柳を作ろうじゃないか」
そう言って先輩がどこから用意したのか筆ペンを取り出し、ノートに川柳を綴る。意外と達筆。
『すばらしい、あぁすばらしい、僕の事』
『うつくしい、あぁうつくしい、僕の顔』
『美しい、美しすぎる、我が心』
『鏡見て ほぅとため息 つい漏れた』
ノートを破ってやろうかと思った。
「ノートを汚さないでください。ノートに罪はありません。あと、なんで最後だけ微妙に上手なんですか。ちょっと複雑です!」
「何を言うんだ! 最後以外も素晴らしいじゃないか」
「ノートに謝ってください。あと筆ペンにも」
「じゃあ君が作ってみろ」
「無理です。僕にそんな才能はないので。……そんな顔しても駄目です。萌えませんよ」
その言葉に先輩は筆ペンをぽいっと鞄の中に放り込む。
「僕の川柳の才能をこれ以上君に見せて有名になってしまうのが恐ろしい。やめておこう」
「僕は先輩の想像力が怖いです」
「では次は……。ふむ、写真を撮ろう。思い出作りだ」
「なんの思い出ですか、自己陶酔のですか。もはや黒歴史です」
「なにをいうか。僕は今の自分に誇りを持っている」
「数年後に恥ずかしさのあまり、のた打ち回ればいいのに……」
「とにかくだ、写真を撮ろう」
そう言って先輩が、またどこから取り出したのかデジタルカメラを手にしている。
……四次元ポケットでも搭載されているのか?
先輩がカメラを机の上に設置し、あーでもない、こーでもないと鏡を見ながら髪形の微調整をしている。
もう自己陶酔というかナルシストというか……。自分の行いに陶酔するならまだしも、姿に陶酔するのはちょっとなぁ……。
「よし」
どうやら先輩の髪形が決まったようだ。
「前髪の先が真ん中から三センチ左、右斜め四十二度から撮影する姿が一番かっこいい」
「なんかもう今、改めて先輩が手遅れだと実感しました」
「満足した!」
「写真はもういいんですか?」
「あぁ、自分の最高の姿は拝んだ。もう満足だ」
「……さすがです」
「おぉ? 後輩に褒められた」
「褒めてないです、嫌味です。お願いします。気づいて下さい」
「よし、次の活動だ!」
「無視ですか!?」
先輩には僕の言葉が届かないのだろうか……。伝わらないこの想い。切ない。色んな意味で。
◆
それから数時間、自画像を描くとか、自分の素敵な部分の漫画を描くとか、自伝を残そうとか、鏡を見続けるとか、もう本当に残念な事を先輩は一人で行っていた。
「ふぅ、今日はよく活動したな」
「そうですね、僕も色々とツッコみ疲れました」
「後輩との言葉のキャッチボールは大切だからな」
先輩が清々しい笑顔でそう言った。
「僕がしているのはドッチボールのつもりです」
「ドッチボールは当たると痛いからあまり好まない」
「そもそもボールをぶつける競技ですから。それと、先輩の発言の方がもっと痛々しいです」
先輩が声を上げて笑う。何がそんなに楽しいのか、僕にはあまり分からないし、先輩がここまで自己陶酔したがる理由も分からない。
けれどまぁ、僕はこの部活がそこまで嫌いじゃないのだ。
先輩がもう変態だしストーカーだし自己陶酔しているし、本当に残念な人だけれど……。
見ていて飽きないと言えば、その通りである。
なんだかんだで、学校で唯一の落ち着ける居場所なのだ。
そして、先輩には決して言わないけれど、少し、ほんの少しだけど楽しいと感じてしまう僕がいるのも事実なのだ。
自己陶酔部の中では根暗とは言われない。
……毒舌とは言われそうだけれど。
しばらくはこの環境でのんびり過ごそう。このふざけた自己陶酔部で、自己陶酔を行う先輩と過ごす、少しめんどくさくて、少し不思議で、少し愉快な僕の日常。
END