学生生活携帯本 U

                     水牛ダンス

 

 

【はじめに】

 

 この作品は、前号にあたる志学第四十三号に掲載された『学生生活携帯本』のオマージュ及び、続きとなりうるものである。作者である三本広志氏(以降、三本氏)が送った大学生活の中で伝えておくべく内容を、三本氏が赤裸々に、しかし正直に且つ好感の持てるものとしてまとめられた素晴らしい作品を、私のような足元にも及ばない未熟者が、様々な事象を加えてお送りする。勿論、三本氏からは執筆の許可は頂いているのでご安心を。

 前作において、学内及び学外の心得を、三本氏が経験したことを元に学生生活の助け、バイブルとなるような作品として刊行された。だが、非常におこがましいことではあるが、そこには私自身がもっと伝えたいと思う内容が、いくつか足りていないように感じたのだ。三本氏と私は、学年も違えば所属する学科も違うのだから、当たり前といってしまえばそれまでなのだが。とにもかくにも、大きなお世話と知りつつ、私も何か伝えておきたいと考え、こうしてつらつら述べさせていただくこととなったのである。

 なるべくどの学年にも合うような内容を述べていきたいと考えているが、場合によっては偏ったものとなる恐れがあるので、その辺りは注意していただきたく思う。

 ほんの少しでもプラスになることを願わせていただく。

 

【大学内での心得】

 

 それでは前作同様、【大学内での心得】から述べさせていただくとしよう。

 大学生活を送る上で重要となってくるのは、やはり単位であったり、人間関係であったりする場合が多い。それは私も十分身に沁みて分かっているつもりである。

しかし分かっていても、上手くいかないのが世の中の常なのだろう。こうやって偉そうに「何かを伝えたい」などとほざいているが、基本的にスペックの低い私は、単位であっても人間関係であっても、スムーズにことを運べたことはあまりないと思える。だからこそ、私のように失敗や後悔をしてほしくないというのも正直な気持ちである。

 人間その気になれば、行動は起こせる。これを読んだからというわけではないが、諦めるのをもう少し待ってみてはいかがだろうか?

あ、別に諦めてない? それは失礼した。ではではここから、私の歪んだ戯言をお聞きいただくとしよう。

 

@「講義は別にサボっても良い。単位は取れ」

 

 そのままの意味である。ハッキリ言って講義にずっと出続けるというのはなかなかに大変で、友人同士で話し込んだりしている中、自分は講義に行かなければならない、といったケースがあったとしよう。

ついついサボりたくなるのが、一般的な意見ではないだろうか。

 次の講義が友人と一緒に受けるものだとしたら、サボる理由としてはかなり弱くなるが、自分一人だけという状況下ならば、理由としては十分成り立っているように思う。

 こういう場合、別に私はサボってもいいと思う。机にかじり付いて、必死に勉強するスタイルは精々高校までだ。大学は勉強以外の面にどれだけ時間を費やせるかというところだ。たまになら、別にサボってもバチは当たるまい。

 少し自慢を挟ませてもらおう。私は四回生前期を終えた現時点で、百二十一科目、二百三十二単位を取得してきた。だが、大抵どの科目も何回かはサボっている。このスタイルは自分で確立しているからこそ、こうやって伝えることが出来るのだ。一応ただの戯言ではないということを述べておく。

 ただし! もしそれが原因で単位が取れなかったとしても、それは自業自得である。当たり前の話だ。

 サボるのは別に構わない。しかし、サボったからにはそういったリスクが伴っているということを忘れないでいてほしい。ましてやこの大阪大谷大学は、出席という行為に重きを置いている。サボり過ぎて、受験資格停止になるなんていうケースは言語道断である。

 サボるなとは言わない。だがその分ちゃんとリカバリーをして、単位だけはちゃんと取るべし。リカバリーする方法が思い浮かばないのであれば、サボらなければいいだけの話だ。

 勿論、例外はある。

先生によっては出席を取らない科目もあるのだ。そういった場合は、自分が行きたいという気持ちになった時だけ行けばいい。行きたくもないのに無理して行ったって、どの道だらだらするか、スマートフォンを弄ったりするのが関の山だ。それならば、最初から行かずに別のことをしている方が、他の受講者にも迷惑がかからず、ずっと有意義な時間を過ごせるだろう。

 ぶっちゃけ面倒くさい、遊びたい、アルバイトがある、こういった理由でサボるのは、よくある話だ。だから「サボるな」とは言わない。「単位は取れ」それだけである。

 他に言っておくことがあるとするならば、卒業に関わる必修科目に関しては、サボらない方が良いと思う。流石に、必修は科目を落として卒業出来ませんでした、というのは笑い話にもならない。これだけは、この心得を破るべきだというのを忘れないでいただければ、後は皆さんの自由だ。時間を有効活用して、大学生活を送っていこう。

 

A「資格は無理に取らなくても良い」

 

 皆さんの中には、現在進行形で様々な資格を目指して奮闘中の方もいらっしゃるだろう。教員免許、図書館司書、学芸員、社会教育主事……などなど。

私もそうである。在学中に取れる資格は全て取ってやろうと、目一杯講義を詰め込んだものだ。先ほど述べた二百三十二単位というのは、これが原因である。

そんな道を歩んできたからこそ、私はAのようなこと言ったのだ。

本気でその道に進もうとしている方には、非常に申し訳ないのだが、我が大学で取得出来る資格というのは、応用の利かないものばかりである。所謂ところの「専門職」というやつだ。

つまり、その道へ進まない限り、せっかく取った資格は役に立たないということである。言ってしまえば、取っても取らなくてもどちらでも構わないということだ(別に取るなとは言っていないので、勘違いなさらぬよう)。

中でも特に、教員免許に関しては本当に大変な道のりである。他の資格とは比べ物にならないほど、多くの講義を受けなければならないし、実習にも行かなくてはならない。

本気で教員の道を志すのであれば、是非とも立ち向かっていってほしいのだが、「とりあえず」とか「何となく」という気持ちで目指しているのであれば、今からでも遅くはない、即刻その道から外れるべきだと私は思う(四回生の方はもう遅いかもしれないが)。

これは主観と偏見ではあるが、まずモチベーションが上がらない。やるべきことが多くて、時間をごっそりと持っていかれる。しかも、そのやった内容を、講義中に発表しなければならないのだから、サボるにサボれない。他の資格は三回生までに単位を取り終われるのに対し、教員免許は四回生になっても、講義を受けなければならない。しかも集中講義という形で、土曜日だというのに学校に来なければならないのだ。教員にならないのならば、当然就職活動もしなければならない。しかし、それと同時に講義も受けなければならないのだから、本当に大変な話である。実習中なら尚更だ。

私はこの一年、講義と実習が嫌で仕方がなかった。教員にならないのだから、やる気も出ず、悪循環であった。

生半可な気持ちで臨むと、本当に後悔する。フィジカル面、メンタル面共に大きなダメージを受けるのが、教員過程だということを肝に銘じてほしい。それでも尚、目指すというのであれば、目指していっていただきたい。

無理だと思うなら、やめても構わないと思う。何故なら、適当に事を進めると、大学には勿論、場合によっては実習先の学校にも迷惑がかかるからだ。一度乗った船からは下りられない、だが乗りかかった船ならば、まだ下りられる。

判断を誤らないように大学生活を送っていこう。

 

B「履修する科目に困ったら、友人や先輩に聞こう」

 

「俺に友人なんかいねーよ!」という人には申し訳ない話だが、これはとても大切なことである。

 前作にもあった「部活・サークルにはなるべく入るように」という項目。人間関係や思い出という面で重要視されていたが、それだけではない。些細なことでも、自分にとってプラスになりうるものは、どんどん利用すべきだろう。それが講義という避けては通れぬ道なのであれば、利用しない手はないはずだ。

 卒業、資格に関わる必修科目や、まどろっこしい選択科目。四年間で履修する科目は決して少なくない。テストやレポートなど、単位を取る為に右往左往することになるだろう。

 しかし、もし自分の周りで、明かされていない秘密を知っている方がいたならば……?

「この先生のテストは、こういう問題が出るよ」

「この先生の講義のレポートを書くには、この本がオススメだよ」

 既にその講義を受けたことのある方なら、対策を練ることなど造作もないことだろう。それは、同期の友人であれ、先輩であれ、後輩であれ、教えていただけるのなら、これほどありがたいことはない。

 事前にテストやレポートの旨を知っていたら、履修する科目もすぐに決まっていく。どうせなら、楽にいきたいものではないか。

「分からないから適当に」という考えで講義を履修したら、とても難しいものだった、なんてことになったら、きっと後悔の念に駆られるだろう。情報は大切だ。

 ただ、聞くにあたって、勘違いしてほしくないことがある。

 私も(一応)部活をしていて、同期や後輩から、先ほどと同じことを聞かれたことがある。

 私は答えた。

「この講義を履修しておけ。これやったら単位は取れるから」

 そう伝えると、その同期や後輩は私の言った講義を履修することとなった。しかしそれから一ヶ月も経たない内に、そいつらは意義を申し立ててきた。

「講義が面白くない」

「課題がめんどうくさい」

 私は呆れた。こいつらは何か勘違いをしているのではないか、と。

 これ以外にも同じような意義の申し立てがあった。

「テストが難しい」

「持ち込み無しとか出来る気がしない」

 私は言った。

「そんなん言うけど、お前ら資格取るんだろ? なら精一杯覚えろよ。大丈夫、思いの外何とかなるから」

 もっと気楽に。そんなニュアンスで言ったのだが。

「水牛先輩の言うこと、当てになりませんよ」

「僕らは水牛先輩みたいに頭良くないですし」

 内心、怒りたくなった。それなら、諦めてしまえば良いだけの話ではないか。出来ない出来ないと逃げたところで、テストが上手くいくわけではないのだ。

 そしてテストが終わり、成績も明らかになった頃、履修した講義の感想を聞いてみた。

「この講義どうやった?」

「面倒くさかったです」

「つまらなかったです」

「テスト難しすぎでした」

 皆が口を揃えて、その講義を批判した。だがこれは、予想通りの反応だった。私もそう思う講義だったからである。

 そして最後に聞いてみた。

「成績はどうやった?」

「可でした」

「良でした」

「僕も良です」

「な? 単位は取れただろ?」

 そう、私は一度だってこの講義が「面白い」とか「楽」とか、そういったことは言っていない。ただ一つ「単位は取れる」としか言っていない。

 本当に「面白い」講義なら「面白い」と言うし、「楽」な講義なら「楽」と言う。今回の場合、私は一切そのような言葉を口にはしていない。

 聞くことは大切だが、自分の都合の良いように解釈しないように気をつけてもらいたい。

 

【大学外での心得】

 

 ここも前作同様、【大学外での心得】を述べさせていただく。しかし生憎と、私は基本的に引きこもり……いやいやインドア派なので、あまり学外での云々というのは無い。アルバイトか、ゲームか、寝ているかが関の山だろう。

 今から思い返せば、あの長い長い休みを、もっと有意義に過ごせたのではないかと思う。この点は、インドア気質の自分を少し恨みたくなったりするが、今更考えても時すでに遅し。これから先のことを考えることの方が先だ。

 さて、【大学内の心得】と比べると、内容がかなり少なくなってしまうが、あまり気にすることなく、読み進めていってほしい。依然として歪んだ見方は変わっていないので、そこら辺も踏まえて続きをどうぞ。

 

C「新しい趣味を見つけること」

 

 時間が出来ると、自分のやりたいことをやるのは、人として至極当たり前のことである。しかし、既にやったことのあることを引き伸ばすよりも、新境地を開拓してもらいたいのだ。

 突然だが、私はアニメオタクだ。周りから、少し気味悪がられるくらいにはオタクであるつもりだ。そんな私も、大学に入った時は、そうではなかった。むしろ逆の立場であった。オタクを毛嫌いしていたわけではないが、疑わしくは思っていた。そこまで一つの物事に対して、好きになれるのか、と……。

 そしてそれは、一回生の春休みまで続いた。この時、私の部屋には待望のパソコンがやってきたのである。早速、独自にではあるが適当に線を繋ぎ、設定を弄くって起動させてみた。その後、役に立ちそうなツールをインストールしていき、ついには動画を見れるようにまで使いこなせるようになった。

 ……それが全ての始まりだった。

 せっかく動画が見られるようになったのだから、何かを見ようではないかと思い(当時は、違法アップロードの閲覧は辛うじてセーフだったが、現在は閲覧すら法律で禁止されているので注意)、ふと傍らにある本棚に目をやった。

『けいおん!』という作品が目に入った。

 それからは夢中だった。時間の許す限り、色々なアニメーション作品を見た。興味が湧いた作品は片っ端から見ていき、気が付いたら私はすっかりオタクと化していた。最早それだけではなく、アニメ繋がりで、声優にも興味を持ち出した所存である。

 そう、大学に入って、時間が出来て、私はアニメーション鑑賞という新しい趣味を見つけたのである。今ではもう欠かせないものとなるほどの存在感を放っている。

 今まで楽しんできたことを、今まで通り楽しむことも大切だが、せっかく時間があるのだから、今まで目もくれなかったことに、少しだけでも興味を持ってみるのも、悪くないのではないだろうか。

 もしかしたら、それがキッカケで新しい人間関係が生まれるかもしれない、それについて、もっと知りたいと思うかもしれない、趣味が増えるというのは、マイナス面よりも、圧倒的にプラスな面の方が大きい。決して、無駄になることはない。

 食わず嫌いは止めて、まずは触れてみてはどうだろうか。

 

【終わりに】

 

 大学外の心得が、大学内に比べると大幅に減少していることを申し訳なく思いつつ、私自身が伝えておきたいことは述べられたのではないかという達成感も味わわせていただいた。

 正直、歪んだ見方なので、どれほど伝わったか自信はないが、もし何か思うところがあるのであれば、それは私にとってみれば、成功の証である。

 在学生の方々、反省は沢山して、後悔は全くしない、そんな素晴らしい大学生活を送るために、この作品が一パーセントにも満たないであろう、ささやか助けとなるものになっていただければ、とてもありがたいです。

 私の作品はここまでです。今回、オマージュの許可を下さった三本広志氏と、この作品に目を通して下さった全ての方に感謝の意を表します。また、他の方々の作品も宜しくお願い致します。

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