儚き夢

                水牛ダンス

 

 子どもの頃から何となく、適当に生きてきた。何をするにしても特にやる気を出す訳でもなく、ただ何となく過ごしていた。別に一生懸命にならなくたって、人生は過ごせる。勉強だって苦労しなかった、スポーツも人並み以上に出来た、周りが何かしら必死になりながら足掻いている様子を、何処か馬鹿にしながら見つめていた。

 そうやって過ごしている内に、気が付けば僕は大学生になっていた。日本でもトップクラスの難関大学、しかも医学部に合格できた。かと言って、別に僕は医者になりたい訳ではない。何故医学部へ進学したのか? 答えは簡単だ、ここでも何となくという僕の人生観が出てしまったのだ。さっきも言った通り、僕は勉強面に苦労しなかった。それは言い換えると、学力が高いことを表している。つまり何が言いたいかと言うと、頭が良いなら、レベルの高い難関大学の医学部に進めば良いと考えただけで、医者になりたいから、難関大学の医学部を受験したのではないのだ。

それでもせっかく始まる大学生活を、今回ばかりは何となくで過ごすのは止めようと考えた。……とは言っても、今まで何となくでしか過ごして来なかった僕が、充実した大学生活を送れるのかと言うと、答えはノーだ。正直なところ、何をどうすれば良いのかなんて分かる筈がなかった。

そんな不安を抱えたまま始まった大学生活、僕は当初掲げていた何となくで過ごさないという目標を早々に諦め、またしても何となく、適当に過ごしていた。

そして大学生活が始まって一ヶ月が経とうとした時だった。僕はいきなりの頭痛に襲われ、大学校内、しかも講義中にも関わらず、僕は意識を失い、ぶっ倒れた。何となく過ごしてきた僕にとっては初めての出来事だった。医者の話によると、ストレスからくる頭痛らしい。気付かない内にそんなにもストレスを抱え込んでいたんだろうか? 理由は分からない。ともあれ、僅か一ヶ月で僕の大学生活は何となくどころか、休学、入院という皮肉にも明確な形となってしまった。

 ……こんなことが無ければ、僕の大学四年間は何となく過ごして終わっていただろう、入院なんて面倒くさいことにもならずに。でも……そうすれば君に会うこともなかったかもしれない。

 

 物心付いた時には、私は一人ぼっちだった。まだ私が一〜二歳の時に起きた、ある事件に両親と私は巻き込まれ、両親だけが命を落とした。いっそ一緒に死んだほうが良かったんじゃないかと考えた時期もあったけど、それは今回割愛で。

事件後、私には親戚などがいなかった為、私は施設での生活を余儀なくされた。でも、施設での生活はただ何となく生かされているだけのような気がして、ハッキリ言って嫌で嫌で仕方なかった。だから私は生きる実感が持てる学校という場所が大好きだ。学校に行って、勉強して、友達とお喋りしている間は施設のことなんか考えなくて済む、私はちゃんと生きているということを感じられる。私はただ何となく生きていくだけなんてことは絶対にしたくない。自分の意思を持って行動しないなんて、そんなの人間のすることじゃないと私は思っている。

でも、幾ら施設生活が嫌だと言っても、私一人の力ではどうすることも出来なくて、結局中学を卒業するまでその施設にお世話になった。その後、流石に高校に進学するだけのお金は無かったので、私は施設を離れ、就職することにした。今のご時世、決して楽な道ではなかったけど、幸運にも私は隣町の小さな会社に就職出来た。更に私は、働きながら、高卒認定試験、所謂大検を受けることにした。

そして新たな生活が始まって一ヶ月が経とうとした時だった。私は急に胸を締め付けられるような痛みに襲われ、勤務中に意識を失った。そのまま私は病院に運ばれ、入院することとなった。自慢じゃないけど、これまで病気らしい病気に罹ったことがなかった私にとっては初めての経験だった。

そんな私に医師はこう言って来た、――心臓病、と。しかもタチの悪いことに、このままいくと私は間違いなく死ぬらしい。それほどまでに悪化していたのだ。

本当に何と言って良いやら……本来なら、せっせと仕事に勤しんで、大検を受けようとしている筈なのに。でも……そうなら、貴方と会うことも出来なかったのかも。

 

         つづくかもしれない

 

inserted by FC2 system