儚き夢 U

                     水牛ダンス

 

 

「暇だなあ…」

 ポツリと言葉が出る。ここはとある病院、まあ僕の通っていた大学の病院なのだが。病室というのは何もなく、精々自分の状態が分かる機器がいくつかあるだけだ。ダラダラ寝そべっているだけの生活、時々ナースさんが見回りに来るが、だからといって何かある訳でもない。ギャルゲーとかなら、これも一種のイベントで、フラグだの何だの言って興奮するのだろうが、生憎と僕はナース属性ではない(勿論、医者属性でもない)。つまり、何もする事が無いのだ。暇が潰れる時といえば、友人や家族がお見舞いに来る時くらいだろうか。あれこれ話をしていると、時間というのはすぐに過ぎていくものである。…などとボンヤリ考えていると、ドアが勢い良く開けられた。

「ヤッホー!」

 …非常に申し訳ないが、前言撤回をさせて頂いても宜しいだろうか。暇が潰れるのは、友人達がお見舞いに来る時…若しくは、彼女が来る時だ。先ほど、勢い良く人の病室のドアを開けやがったこの無礼極まりない彼女、こいつは毎日…とまではいかないまでも、週に三〜四日は僕のところに来る。そして毎回の如く、騒がしく訪れる。こんな騒音の固まりのような彼女との出会いは僕が入院して一週間くらい経った時まで遡る。

 

「今まで何一つ〜♪」

 好きなアーティストの曲を口ずさみながら、僕はトイレから自分の部屋へ戻ろうとしていた。

「僕は君のことを〜♪……ん?」

 ちょうど角を曲がってすぐのところが僕の病室だ。その近くに彼女はいた。いや、正しくは……倒れていた。

「えっ!マジか!?

 正直かなり慌てた。いくら医学部在籍といっても、一回生の前期で休学している身、医療知識なんて殆ど無い、ましてやこんな目の前で人が倒れているなんてシチュエーションに立ち会った事も勿論無い。それでも呼吸の有無を確認し、気道を確保し、そしてたまたま近くを通りかかったナースさんに助けを求めた僕は、良く動けたものだと褒められるべきだろう。その後は何やかんやあって(残念ながらよく覚えていないのだが)、彼女は無事だったという事を、数日後に主治医らしき医者から伝えられた。しかし何で僕にわざわざ言ってくれたのかは、この時は全く分からなかった。

 それから更に数日後。当時は今と変わらず、病室で暇を持て余してばかりだった。またしてもボンヤリとしながら、外の景色を眺めたりしていた。すると……。

「光田さんの病室はここですかっ!?

 壊れるんじゃないかと思うくらいに勢い良く開けられたドア。何事かと入り口を見ると、そこには一人の女の子が立っていた。

「えーっと…光田は僕だけど、一体どうしたのかな?」

「はいっ、この前のお礼を言いに来ましたっ!」

「この前…? 僕、君に会ったっけ?」

「覚えてませんか?この前ここの近くで倒れていたんですが」

「倒れていたって……ああ」

「思い出しましたか!?

「ごめん、全然分からねーや」

「ええぇ!」

 主治医らしき医者からの言葉を聞き流してしまったのがマズかったのか、彼女が一体誰なのか本当に分からなかった。ここから数十分にも及ぶ彼女からの説明で、漸く思い出す事が出来たのだが……。ともあれ、これが僕と彼女との出会いだ。

「私、綺堂歩美って言います!」

「へー」

「いやいや、もうちょっと興味持って下さいよ!」

「わー君って綺堂さんっていうんだー」

「棒読みなのが丸分かりなんですけど!?

 漫才みたいなやり取りをしながら自己紹介をし、彼女についてもあれこれ聞いた(記憶がある)。まあ、その時話した内容は全然覚えていないので、回想はこのくらいにしておこう。

 

 とりあえず、このやかましい彼女にもはやテンプレと化した注意をする。

「…綺堂さん、他人の部屋に入る時は静かにしなさいって何回言わせりゃ分かるんだ」

「いやー、だって光田さんだと、これくらいしないと無視されそうな気がしちゃって」

「無視とかしないからっていうのも何回言わせる気だ」

「あれ? そうでしたっけ?」

 …勘弁してくれ。僕の記憶の上だけでも、かれこれ三十回は言っている筈だ。

「…で? 今日はどうしたんだ?」

 いつもこの辺りで僕が折れて、話を切り替える。というか僕が折れないと、いつまでもこのやり取りが続くだけなので、疲れるだけなのだ。

「んー? どうって?」

「いや、何の用かって事だよ」

「べっつにー、用が無くたって良いじゃないですか」

「はぁ……まあ、いつも通りそうじゃないかと思ったよ…」

 そう、いつもそうだ。彼女は用も無いのに、僕の部屋にわざわざやって来る。適当に世間話をしたり、彼女の今日の予定を一方的に聞かされたり、あの医者はどうだとか、この医者はどうだとか、何号室の患者さんはこういう性格だとか、ハッキリ言って、どうでもいいような内容ばかり話してくる。それを僕は聞き流すように相手をする。あれこれ言っても無駄だと分かっているからだ。

だからと言って、僕だって勿論何も言わなかった訳ではない。ある日、本当に面倒臭くなって、彼女に面と向かって言い放ったことがある。「君さ、いい加減鬱陶しいんだよね。一体何のつもり?」と。

 

「だって好きだから」

 

彼女自身が言ったのか疑いたくなるくらい、凛としたソプラノボイスだった。しっかりと僕の目を見て、何の迷いも無いような目つきでこう返してきたのだ。その時の僕は、きっとかなり動揺していただろう。「だろう」というのは、あまりにも衝撃的過ぎて、記憶があやふやになってしまっているからだ。でも彼女に言われたこの言葉だけは、鮮明に覚えている。

何だかんだで、女の子からの告白というのは印象に残るものなのだろう。…また「だろう」だ。自分の事なのに、断定が出来ないのは僕の悪いクセだ。

まあこれ以来、彼女とは言葉で言い表しにくい微妙な関係を続けているという訳だ。僕が彼女を今ひとつ邪険に扱えないのも、彼女が健気に僕に会いに来るのも、全てはこの告白がキッカケと言える。

「あっ、いけない検査の時間だ。私、部屋に戻りますね。光田さん今日もありがとうございました」

 彼女の言葉でハッと我に帰る。あれこれと少し前の事を思い出している間に、思いの外時間が経っていたようだ。

「気を付けて戻れよ」

 去り際の彼女に、毎回言うこの言葉もテンプレ化してきている。彼女が僕に、毎回礼を言うのと同じだ。

「ではまた明日、光田さん」

「…ああ」

 部屋を出る彼女に素っ気無く返事をする。そして彼女が部屋を出て行くと同時に、室内が一気に静まり返るのが分かる。

いつからだろうか、この状況を少しでも寂しいなどとかんじてしまうようになったのは。いつもぶっきらぼうに、冷たく、面倒臭そうにしている僕に彼女は会いに来る。そんな彼女を、僕は嫌々ながらも迎え入れている。

…いや、むしろ彼女が来る事を僕は望んでいるのだろう。結局、僕も心のどこかで彼女に会いたがっているという事だ。いつまでもこんな関係を続けていく訳にはいかない、それはお互いにとっても良くない事くらい分かっている。だったら告白を受け入れれば良い、でもそれが出来ない。何故か? 簡単な話だ。

 

「彼女は僕には勿体無いくらい輝いているからだ。」

 

いつも笑っていて、前向きで、健気で、一緒にいるとこっちまで自ずと元気になってくる。それに引き換え僕はどうだ、いつも面倒臭そうにして、どんな事も「どうでもいい」の一言で片付けて、やる気を出す訳でもなく、ただ()()()()過ごすだけ。本来なら、こんな僕が一緒にいるべき相手ではないのだ。彼女の為にも、自分の為にも。

我ながら卑屈だとは思う。でも事実でもある。…はぁ、こんな事を考えるとは僕にしては、らしくないなあ。

「今、良いかい?」

 物思い(というより自虐だろうか?)に耽っていると、誰かが部屋に来た。まあ誰か、なんていうのは勿論分かっているのだけれど。

 部屋に入って来たのは、僕の主治医の(しも)()(ゆう)(いち)医師だった。

「どうしました?」

 悩んでいた事を悟られないように、平常心を装って返事をする。

「君の体について話したい事がある」

 何やら神妙な面持ちで話を切り出した。医者がそんな表情で話してきたら、正直嫌な予感しかしない。

 そして僕の予感は当たる事になる。

 

「君の脳は…急性硬膜外血種の恐れがある」

 

 入院して数ヶ月、「急性」という割には随分と焦らしてくれた僕の病気は、ここにきて不味い状態となっているようだ。

 

まだつづくんかよ

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