華やか過ぎるこの日常をどうにかしてくれ
水牛ダンス
「弥勒……学校行こう?」
この一言から、俺の日常は始まる。ああ、全くもって下らない日だ。こういった普段通りの、何の変哲も無い、ハプニングに巻き込まれることもない、生活に起伏が無い、どうでもいい日常を、俺は仕方なく主人公みたいに過ごしている。でも、俺にとってはこの無味乾燥な日々も、他の奴らからしてみれば、それはそれはうらやまけしからんものらしい。
……ハッキリ言って、そんなもの理解出来ない。理解したくもない。そんなにこの立ち位置が羨ましいと思うなら、ぜひとも変わってもらいたいものだ。
「どうしたの……? どこか痛い……?」
わざわざそんな聞かなくても良いようなことを、いちいち聞いてくる、このパソコンのプログラムみたいな存在をどうにかしてくれるのなら、たとえホモだろうが、レズだろうが、オタクだろうが、ヤクザだろうが、コミュ障だろうが、バカだろうが、ビ●チだろうが、カラスだろうが、アザラシだろうが、シマウマだろうが、カメレオンだろうが、無機物だろうが、何だって良い。俺は喜んで今の地位を譲って差し上げたく思う。
さて、遅くなってしまったが、「弥勒」というのは他でもないこの俺のことだ。御園生弥勒、高校生にして生意気にも今の人生に嫌気が差している、ネガティブシンキングなのが俺だ。
「悪い。じゃあ学校行くか」
「うん」
トテトテというような効果音を付けられそうな歩き方で、俺の隣をわざわざ歩くこの物好きの名前は、御園生碧。……さあ、今この瞬間に、どんな些細なことであれ疑問を抱いてしまった、とんでもなく運の悪い、豆腐と生クリームを間違えてしまうような不憫なお方は、どうぞ落ち込まずに堂々としておいてくれ。これは誰もが通ってしまう曲がりくねった道なので、あなたは決して悪くない。百パーセント表示ならば、六十九パーセントくらいあなたは悪くない。だからどうかその右手に握りしめている、太く長く黒ずんだものを手放してくれると有り難い。さもないと、よく分からない粘り気のあるものを顔面目掛けてぶっかけることになってしまうからな、それだけは絶対に避けなければならないことだから、宜しく頼むぜ。
お察しの通り、俺と碧は兄妹という関係にある。まあこれに関しては、苗字が同じという段階で気付かない方が難しいかもしれない。問題なのはここからだ。
俺と碧は血が繋がっていない。
……えっ? そこまで驚くことじゃない? ああー……いつの間にか「義妹」なんてものは、そこまでレアな存在じゃなくなっていたのかあ……。まあ、それもそうか。今の時代、暇潰し程度にライトノベルを買ったら、大概の作品に「義妹」というポジションはあるもんなあ……。いやはや、これは目測を誤っちまった。俺って奴はいつもこうだ、自分の物差しだけで物事を考えてしまう。本当にクズのするような恥ずかしい行為だ。またやっちまった。何で俺はこんなにもダメな奴なんだ、高校生にもなって、未だにこんなヘマを仕出かしてしまっている。この前だってそうだ、唐揚げを食べようとした時に……あ、悪い。すっかり自分の世界に入り込んでしまっていた。まあよくあることだ、気にしないでくれ。
えーっと……? どこまで話したんだっけ? ああ、「義妹」がどうのこうのとか言ってたんだっけか。という訳で、俺と碧はそこまで珍しくもない血の繋がっていない兄妹という関係にある。でも、碧との関係は、この一つだけではない。
俺と碧は幼なじみでもある。
今度はどうだ。近くでシャボン玉が割れた時くらいには驚いたんじゃないか? とりあえず矛盾が生じているとか批判される前に、サッサと説明してしまうことにしよう。
碧と初めて知り合ったのは、幼稚園に上がる前くらいに、何処ぞのギャルゲーみたく、俺の住む家の隣にわざわざ引っ越して来たからだ。親同士気が合えば、子ども同士もまた気が合うものなのだろう、ガキながらに碧とはずっと遊んでいたように思う。そんな訳で、碧との付き合いはかれこれ十五年近くある。
で、何故「幼なじみ」という関係に加えて、「義理の兄妹」という関係が追加されることになったのか。今から五年くらい前、俺の親父が亡くなった。元々病気がちだった為、俺自身「悲しい」という感情は生まれたが、「驚き」という感情は生まれなかった。そして碧の両親は、俺達がまだ小学生低学年の頃に離婚していた。その為碧は、小学生の間、碧の母親の実家で暮らしていた。幼なじみだけど、ずっと隣同士で過ごしてきた訳ではない。そして中学に上がる頃、親父が亡くなる直前にある知らせが届く。
碧の母親が、交通事故で亡くなった、と。
何の因果か知らないが、ほぼ同時期に俺と碧は片親を亡くすこととなってしまったのだ。そこからの展開は、わざわざ説明しなくてもお分かりいただけただろう。俺の母親と、碧の父親が再婚し、俺達は「義理の兄妹」という関係にもなったという訳だ。
……しかし、これだけで終わらないのが俺達の関係。無駄に壮大な感じになっているが、別に話を盛ろうとしている訳ではないというのは理解してくれると助かる。そしてその関係というのは……。
「おーいっ!」
おっと、誰か来たみたいだ……この話は一旦終わっておくとしよう。
「よっ! おはよう弥勒、碧ちゃん」
「ああ、おはよう」
「おはよう……今日も元気一杯だね」
「あっはは、元気の良さが俺っちの取り柄だからねー」
「それだと自分でバカって言ってるようなものだぞ」
「実際バカだから、そこは否定しないぜ!」
「えーっ……それは流石に……」
「碧、コイツはもう手遅れだ」
「いやいや、まだ望みはあったりするもんだぜ!」
「お、おう……そうか」
いつもヘラヘラ笑って、かなりのポジティブシンキングなこのバカは、名前を山口一豊という。あだ名は、一豊から半分取ってカズ。俺と真逆の性格ながら、何故か意気投合し、今では「親友」とも呼べるような関係になった。勿論俺と知り合うということは、必然的に碧とも知り合うことになるので、二人の付き合いもそれなりのものだと思う。
「あれ? そういや飛鳥は?」
「ああ、今日はまだ会ってないな」
「珍しい。いつもなら、俺っちが来る前にお前らと合流してるのになあ」
飛鳥というのは、俺達の「友人」でもある松房飛鳥。因みにカズと飛鳥は「幼なじみ」という関係だ。
「それは私も思った。一応さっきメール送っておいたんだけど……」
「まあ、こんな道端で待ってる訳にもいかねえし、学校行こうぜ。寝坊とかかもしれねえし」
「飛鳥ちゃんが寝坊だなんて、想像つかないな……」
「ぶっちゃけウチの女子達って、みんな真面目だよなー。寝坊どころか、遅刻とかも一切無いような気がする」
「反対にカズが遅刻し過ぎなだけじゃないのか」
「いやいやいや! 弥勒だって大概じゃん!」
「俺はお前と違って寝坊とかしてないし」
「そんなの碧ちゃんのお陰じゃねえか! どうせ碧ちゃんに起こされてるんだろ!?」
「そんな訳ないだろ」
「よーし、嘘つくんなら真意を確かめるだけだ。碧ちゃん、今朝何時に弥勒を起こした?」
「ばっ……余計なこと聞くなよ!」
「うーんと……七時くらいかなあ」
「何で碧も正直に答えちゃうかな……」
「ほうほう。それで弥勒が起きたのは何時?」
「七時四十分くらいだったかな……?」
くそっ……まためんどくさいことがバレちまった。
「やっぱり! 弥勒、人のこと言えねえぞ」
「うっせえ」
「でもさー、碧ちゃんが毎朝起こしに来てくれるなんて、学校中の男子の憧れだぜ? まあ、それもこれもお前ら二人が「婚約者」なんていう、とんでもない繋がりがあるからなんだろうけどさー」
そう、今カズはサラリと言ってのけたが、「幼なじみ」で「義妹」で、更には「婚約者」なんていうのが、本当に、正式に、完璧に、完全に、偽りのない、まぎれもない、リアルで、真面目な、純然たる事実になる。さっき言おうとしてタイミングを失ってしまったんだが、その内容は、まさしくこのことである。
しばしの別れの時を経て、「義妹」という関係に至った俺達。そんな妙な日常に、徐々に気だるさを感じ始めたとある日。いきなり俺は義理ながら親父となった、碧の父親にとんでもないことを言われた。
「言い忘れてたんだけど、弥勒君。ウチの碧と婚約してるからね」
何つーことを言い忘れてやがるんだこのドアホは。とにもかくにも、こんなあっけらかんとした展開で、あっさりと「婚約者」という関係が追加されてしまったのだ。
そしてそれは、適当な日常を過ごす俺にとって、更にめんどくさいことになるのだが、今となってはどうにもならない。
「憧れ……ねえ。そんなに良いもんか? どう考えたってめんどくさいだけじゃねえか」
「おまっ……その発言は男子だけでなく女子まで敵に回すことになるぞ!」
「何をバカなこと言ってんだよ……」
大体、俺みたいな奴をわざわざ相手にする奴なんて、いる訳がないだろうが……。
「……弥勒は、私が起こしに行くの迷惑……?」
思わずギョッとしてしまった。同時に何だかよく分からないが、すげー申し訳ない気持ちが込み上げてきた。とりあえず、学校中の男子の憧れであり、同姓である女子からでさえ絶大な人気を誇る碧。そんな彼女が、瞳を潤ませて、上目遣いで、弱弱しい口調で迫って来たりすれば、理由が無くともこんな気持ちになってしまうのだろう。……はあ。何だかんだ言いながら、俺も碧には勝てないんだなあ……つーか、流石にここまで言われて邪険に扱えるほど、俺は命知らずな訳ではない。
「いや、あのな碧。お前が起こしに来るのが迷惑とか、そういうんじゃないんだ。ただ、逆の立場だったらめんどくさいかなーってそう思っただけだから」
うわ、自分でも引くくらい早口になってるし。どんだけ慌ててんだよ俺。
「……本当?」
ぐふっ……! 今のは流石にくらっときた。
「ああ、本当だ」
「そう、良かった……♪」
ははは……何だか朝から物凄く疲れた気がするぜ……。
「やっと追い付いた……! はあ、はあ」
「おっ、おはよー飛鳥! なかなか来ないから寝坊したのかと思っちゃったぜー!」
ほっ……。この変なムードを払拭してくれる、良い人柱が来てくれた。
「朝からちょっと家事に追われちゃってね、ようやく片付いたと思ったら凄い時間が過ぎちゃってて……あっ、おはよう弥勒君、碧」
「ああ、おはよう。そしてお疲れさん」
「おはよう。朝から大変だったのね」
この大慌てで走ってきた女子が、さっき話題に上がった松房飛鳥。基本的に俺達は、朝はこの四人で一緒に学校に行っている。……全くもって下らない。確かに周りからしてみれば、青春を謳歌しているような、実に魅力的な立場なのだろう。でも、周りはそれを魅力的と思っても、俺からすれば無価値であり、無意味であり、無風流であり、味気なく、無機的で、まるで砂を噛むような、そんな毎日でしかないのだ。
何故こんなにも嫌なのか、それについては追々話していくとしよう。今日は話しすぎて疲れてしまった。
つづかせておこうか