華やか過ぎるこの日常はどうにもならない
水牛ダンス
「やほやほー! おっはよー銀河美少年君!」
「人を星の運転士の主人公みたいに呼ぶんじゃない……」
とりあえず教室に着いたのは良いが、朝っぱらからこんなテンションで話されると、俺みたいな凡愚は疲れ果ててしまう。
「いーじゃんいーじゃん。何だったら変身くらいしちゃっても良いんだよー? アプリボワz」
「お前もうその辺にしとけ」
確かに数ヶ月前に映画が公開されたけど、流石にここまでいくとマズい。俺自身も消されかねない。別に気にすることでもないけど、もう少しだけ長生きしたい。故に消されたくない。だから俺は、放っておいたらいつまでも動いていそうなその口を、顔面を覆う形で閉じさせることに成功した。
「いはははははは! いはいいはい! 僕が悪かったよー! だから離ひてー!」
力入れてるんだから痛いに決まってるだろう。てかそうなったのはお前のせいであって、俺のせいじゃない。
「……朝っぱらから人を疲れさせんなよ……」
「ごめんごめん。あ、碧たん、カズっち、飛鳥ちゃんおはよー」
「うん。おはよう」
「おはよーっす」
「おはよう、玲嘩ちゃん」
三者三様の反応。
何で三人共普通に返してるんだ……? 俺が間違っているのか? あのよく分からないやり取りを、受け入れられるというのか? ふっ……こういうところでも、凡人とそうじゃない奴との差が生まれていくというのか……。全く、平々凡々は最悪だぜ……。
「どったの銀河美少年君?」
「だからその名前やめろって……何でもないよ、ただ眠たいだけさ」
「ほうほう寝不足かね? 碧たんと昨晩はお楽しみだったという訳ですな?」
「……」
「わわっ、やめて! 無言で人の顔に手を当てるのはよくないと僕は思うよ! 君に間違いなく不幸が訪れると、僕の予知能力が疼いているよ!」
「……だったらその口を閉じやがれ。そして中二病禁止な」
何がお楽しみだよチクショウ……。そんなイベント、俺に起きるはずがねえだろうが……。しかもファービジョンって……。
「えっ!? ついに弥勒も大人の階段とかいうのを……!」
「弥勒君もようやく動き始めたって訳かあ」
「てめえらも口を閉じろ」
どこをどう考えてそんな結論に至るんだよ。絶対に有り得ないってことは、お前ら全員が一番分かってるくせによ……。
「弥勒」
「ん? どうした碧」
「お楽しみって何のこと?」
「うぇひひっ」
変な声出た。
「あー、まあ、何つーか、俺と碧が学生らしからぬことをしたって、コイツらはほざいてるんだよ」
「? でも昨日の夜は一緒にご飯食べて、一緒に寝たくらいだよ?」
「ばっかやろ……!」
「ほほう? 面白いことを聞きましたな飛鳥さんに玲嘩さんや」
「そうですな一豊さん」
「これはとっちめてやらねばなりませんな」
案の定、三人共がニヤニヤしながらこっちを見てきやがった。碧の奴、余計なこと言いやがって……。
「あーもうこの話はおしまい! もうすぐチャイム鳴るし、席に戻ろうぜ」
「おいおい、ここまで話しておいて終わりってのはねえだろー」
「そうだぞ銀河美少年君! 男なら、一度話した内容は最後まで責任持って話し切らないと!」
「あぁん?」
「さーて席に戻るとするかー」
「奇遇だねー、僕も今戻ろうと思ったんだよー」
ヤレヤレ……何でこんなに疲れなきゃならねえんだか……。
「なあ飛鳥、頼むからお前だけは悪ノリしないでくれ。ストッパーがいないと、体力がいくらあっても足りない」
「アハハ……まあ、私も気になることはあるけど、弥勒君がそう言うなら仕方ないな」
「助かるよ……ハァ……」
思わず溜め息が出る。早くも帰りたいという衝動に駆られながら、俺も席に戻ることにした。
今更だが、俺のことを銀河なんちゃらと呼ぶのは松永玲嘩。無駄に明るく元気なところは、カズととても似ている。
たまたま碧に、星の運転士の主人公のマネをしているところをコイツに見られてしまったのが運の尽きだった。それが知り合うキッカケにもなったのだが、以来彼女は俺のことを、銀河ほにゃららと呼んでくるようになった。……どうしてあんなバカなことをしてしまったのだろう、と当時は(今もだが)激しい後悔の念に押し潰されそうになっていたものだ。
底無しに明るい故に、俺の周りの奴らともすぐに打ち解けていった。コイツのコミュ力は凄いなと思った瞬間でもあった。
今までの会話の流れを見ていただければお分かりだろうが、彼女は所謂ところの「ボクっ娘」である。俺はあんなのが「ボクっ娘」なんて認めたくないのが正直な気持ちであるけれど。二次元にひれ伏す奴らがアイツを見たら、間違いなく絶望して心を濁す。今のところ、魔女、若しくは魔法使いになってしまったという、被害届は出ていないようで一安心だが、俺にはそうならないよう祈るしか出来ないのが現状だ。
さて、何だかんだで授業も進んでいき、気が付いたら下校間際のホームルームが終わっていた。時間が経つのは早いものだ。
「弥勒……帰ろう?」
「おう、帰るか」
「あ、弥勒君、碧、ちょっと良いかな?」
帰ろうとした矢先、飛鳥が声をかけてきた。おいおい、今は放課後、そして俺は帰宅部、放課後の自由時間は帰宅部の特権だというのに、一体何の用事があって俺を呼び止めてるんだ。そりゃあ確かに俺は特別忙しい訳でもないし、日によっては二十四時間フリータイム小僧をやっている時もあるけどさ、それにしたって今このタイミングで、わざわざこうやって足を止めるようなことって無いと思うんだよな。普通は昼休みとかに頼みに来るもんじゃないのか。
「今、カズ君と玲嘩ちゃんと話してたんだけどさ、もうすぐ中間テストじゃない?」
俺の考えは飛鳥に届くことなく(当たり前だが)、着々と話は進んでいく。
「あー、そういえばもうそんな時期か」
「でね、みんなでテスト勉強でもどうかなーって思ったんだけど、二人共何か用事とかあったりする?」
テスト勉強……だと……? その言葉を聞いた瞬間、嫌悪感が自分の体から滲み出てくるのが分かった。ハッキリ言って、俺はテスト勉強というのが大嫌いだ。大嫌いだ。大嫌いだ。もう一度言おう、Il abhorreI(大嫌いだ)。
「私は大丈夫だよ」
「ホント!? ありがとーっ!」
「俺はパス」
「えええっ! 何で!?」
喜んだり驚いたり落ち込んだり忙しい奴だなあ……。
「生憎とテスト勉強って嫌いなんだよ。やるならお前ら四人でやってくれ」
「嫌いって……学年トップが何言ってんのよ」
「トップとかそういうのは関係ねえんだよ」
学年トップ=テスト勉強が好き、とはならない。少なくとも俺には絶対に当てはまらない。
「何だよ連れねーなー。一緒にやろうぜー」
「そうだよ、付き合いが悪いと犯人にされるんだよ小林君!」
「人をこじつけ少年探偵の友達みたいな名前で呼ぶんじゃない。俺の名前は御園生だ」
何をどう言われようと、嫌いなものは嫌いだ。好きになれる訳がない。
「それに俺がいなくても碧がいるんだから、別に良いじゃねえか」
「いやまあそうなんだけどさあ……」
碧は学年二位の成績を誇る優等生だ。ぶっちゃけトップといっても、点差は殆ど無いので、いつ入れ替わったとしてもおかしくはない。おまけに碧は人に教えるのがとても上手い。反対に俺は致命的なまでに下手くそだ。テスト勉強が嫌いという理由は、実はそこにあったりする。
勉強という行為自体は、そこまで嫌いではない。むしろ新しい事実を知るという探究心を燻られるのが、結構好きだったりもした。まあ、昔の話だが。で、勉強をそれなりにやっていると、それはテストの点数や成績となって明らかとなってくる。昔から頭の良い奴というのは、良い意味でも悪い意味でも注目を集める傾向にあり、それは俺自身であっても例外ではなかった。
そしてある時、碧と二人で勉強を教えてくれと頼まれたことがあった。まだ小学生の頃、碧が引っ越す直前だったような気がする。碧も当時から頭が良かった為、俺と同じく、いや可愛かったという点も含めれば俺以上に注目を集めていた。クラスメートから注目されるガキの頃は、そういうことに対してどうしても酔ってしまうことがある。俺がまさにそうだった。変に良い格好をしようとした結果、自分でも何を言っているのか分からなくなるという、教えるということに対してあるまじき行為を取ってしまったのだ。クラスメートは困惑を通り越して、完全に呆れ果てていた。確か碧もドン引きしていた記憶がある。
その日を境に、俺への注目は一気に無くなった。バカにする、はやし立てるという行為すら行われなかったのだ。……目も合わせてくれなかった。碧は直後に転校してしまった為、俺は小学生にして早くも「ぼっち」デビューを果たしてしまったのだ。
そんなこんなで、テスト勉強というのは嫌な思い出しかない。中学生になった時も、これがトラウマになっていたせいで度々クラスメートからの誘いを断っていた。そして付き合いが悪いと認識され、またしても「ぼっち」で中学生活をスタートする羽目になってしまった。まだマシだったのは、カズや飛鳥と知り合い、そして碧が再びこっちへ転校してきたことだ。これらが無かったら、本当に俺はテストという制度を廃止する為だけに、大統領でも目指していたかもしれない。
「弥勒……もしかしてあの時のこと、気にしてる……?」
「……あの時って?」
「……やっぱり何でもない」
悟られないようにしていたのだが、どうやら碧には気づかれていたようだ。
「大丈夫、気にすんな。つー訳で、俺はテスト勉強が嫌いだ。ほうれん草より嫌いだ。排水溝掃除より嫌いだ。携帯ゲーム機の十字キーをひたすら左右に動かすだけの作業より嫌いだ。よって俺は参加しない。以上」
「そんなに嫌いなんだ……」
「それじゃ、またな」
まくし立てるように言葉を並べて、逃げるように教室から出て行った。正直、あれ以上あの場にいるのは苦痛でしかない。まあ、アイツら四人といる時なんて、いつ、どんな時であれ苦痛でしかないんだけど。
碧は俺の目から見ても分かるくらいに完璧な奴だと思う。容姿端麗、頭脳明晰、運動神経も良く、家事全般だってこなせる。校内での人気はトップクラス、街を歩けば芸能界のスカウトだって寄ってくる。そんな奴と義理の兄妹で、幼なじみで、婚約者だなんておこがましいにも程がある。
カズは持ち前のポジティブシンキングで、どんな時でも笑顔を絶やさない社交的な奴だ。そして勉強面は残念だが、スポーツ面に至っては何でも出来る。大会の時期になると、様々なクラブの助っ人として出場しており、優秀選手となることも珍しくない。
飛鳥は校内で碧に勝るとも劣らない人気を誇り、全国の芸術大学から早くも推薦がくる程、音楽の才能に長けている。メインはバイオリンだが、ギターも、ピアノも、フルートも、コントラバスも、ドラムも、指揮者でさえもやってのけてしまう。
玲嘩はぶっとんだ言動が目に余るが、学生ながら既に作家デビューを果たしている。純文学、ミステリー、エッセイ、時代物、ライトノベルと様々なジャンルの作品賞を受賞しており、いずれもベストセラーとなっているのだから驚きだ。
――俺の周りは凄すぎる。
端から見たら充実しているように見えるが、俺にとっては、嫉妬や醜態を曝け出さないように、必死に押さえ込むしかない、そんな地獄みたいな場でしかないのだ。
どうして俺には何もない? 頭が良くたって、そんなのはあくまでこの高校の中だけだ。他の進学校なら、俺より頭の良い奴なんてゴロゴロいるだろう。スポーツなんて出来たもんじゃない、芸術面では先生から哀れみの視線をいただいた程だ。……何でも良い。俺に何か一つでも誇れるものがあれば、きっと俺は今を楽しく生きていただろう。でも、俺には何も無い。
なんて、こんなことを愚痴ったところで俺という存在は何も変わりはしない。クズはクズなりに、惨めに、醜く、ダサく、格好悪く、痛々しく、みすぼらしく、侘しく、情けなく生きていくしかない。
もう、この日常はどうにもならないのだから。
早く終われ