しがない珈琲店に隠された真実

                     水牛ダンス

 

 

 それは、十年前のことだ。私がある企業に勤めていた時、権力争いに敗れてしまったことがキッカケだったように思える。

結局、その企業を解雇された私は、街外れに珈琲店を開くこととなる。

 

珈琲店を開くのだから、当たり前だが珈琲豆が必要となる。その為に、私は南米のとある国まで足を運んだ。そこで、現地の人間である、マードック・イスカンダルという男に出会った。

マードックとはすぐに意気投合し、一晩飲み明かすほどの関係にまでなった。そして、彼が知っているとっておきの珈琲豆を、共に取りに行ってくれることを約束してくれたのだ。うっそうと生い茂るジャングルの奥地、様々な爬虫類に遭遇しながら、先へ先へと進んでいった。

正直、解毒薬なんて、いくつ飲み干したか覚えていない。

 

しかし、ことは順調に進まなかった。

珈琲豆の採取地まで辿り着き、持って帰れる限界まで、カバンに詰め込んだ。しばらく買い出しに行かなくても困らないような量を、ひたすら詰め込んだ。

そして帰ろうとしたその時だった。

 

ズダン!

 

 鼓膜が破れるかと思うような轟音が響き渡った。いったい何が起こったのか、自分でもよく分からないまま、辺りをキョロキョロと忙しなく見回していたことは、辛うじて覚えている。

 確認をしようと、すぐ近くにいるはずのマードックに視線を移してみると……そこには赤い色をした、ドロドロした液体が一面に広がっていた。

「……っ!」

 声が出なかった。本当は叫びたい気持ちだったのだろうが、恐怖感が勝ってしまったのか、掠れるような息遣いが出るだけだった。

 

 そこからは無我夢中だった。

 

 死と隣り合わせのこの状況、音の正体は銃声だったことが、何故かすぐに理解出来た。恐らくそれは、不謹慎なことではあるが、アドレナリンが大量に分泌され、興奮状態であったからだろう。

 普通、興奮していると、周りが見えなくなるものだが、私の場合は逆だったようだ。

 巷で噂となっている盗賊団。街を歩いている時、住民が話していたのを聞いたことがある。マードックの心臓を打ち抜いた野郎は、きっとその盗賊団の一味に違いない。

 こんな視界のハッキリしない場所で、しかも銃で狙われている。自分が圧倒的不利な立場にあることはすぐに分かった。だが、こんなところで死ぬわけにはいかない。私の代わりに撃たれたマードックの為にも、私は生き延びなければならないのだ。

 

 涙や鼻水など、様々な体液を垂れ流しながら、私は必死に走り続けた。たとえ転ぼうとも、枝で顔を切ろうとも、大きなヘビが襲いかかってこようとも、私はひたすら走り続けた。

 ふと我に返った時には、既にジャングルを抜け、あと少しで街に着くところまで帰ってきていた。途中で何度も転んだが、どうやら珈琲豆は無事のようだ。

 振り返ってみるが、盗賊団はいなかった。私は生き延びたのだ。

 

 それから数日の間に私は、逃げるようにして国を出た。マードックを死なせてしまったという罪悪感、盗賊団に襲われたという恐怖感、この二つが私を苦しめた。寝ても覚めてもこのことが私を付きまとった。

 そして、私はこれらの苦しみから逃げたのだ。大量の珈琲豆と、凄惨な思い出と共に、私は珈琲店開業の為に、自分の国へと帰って行った。

 

 遠い過去。今ではもう、その苦しみに襲われることは少なくなった。持ち帰った珈琲豆で作る珈琲は、思いの外高い評価を受け、店はかなり繁盛している。これとういうのも、マードックが私を守ってくれたから実現出来たことである。彼には感謝しても感謝しきれない。

 そんなことを考えながら、私は今日も珈琲を淹れる。

 

「ねえ」

 

 ふと声をかけられる。誰かと思って声のする方を向くと、そこにはスラリとした長身の女性が立っていた。

「はい? どうかしましたか?」

「ふうん……案外気付かないもんなんだね」

「え?」

「分からない? 私、あなたに会いに、わざわざ南の国からやってきたんだよ?」

 何か嫌な予感がした。背中を冷や汗が伝った。周りの声が聞こえなくなり、目の前にいる彼女の声だけがハッキリと聞こえる。

 

「メアリー・イスカンダル。どう? 流石のあなたでも、名前を聞いたら分かるんじゃない?」

「……お前……まさか」

 イスカンダル、聞き慣れることのない名前。だからこそ、一度耳にしたら簡単には忘れられない。

 

「マードックの()か……!」

 

 十年という歳月は、私という人物を変えるには十分すぎる期間だった。それ故に、私は大切なことを忘れていたのだ。

十年という歳月は、復讐の炎を燃やし続けるには十分すぎる期間だったということを。

 

 私は……忘れていたのだ。

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