滑って回ってるだけではありません
水牛ダンス
世の中って本当に不条理、そう思わざるをえない。どうして私の周りってこんな奴ばっかりなの? 絶対と言って良い程、何処かしらが残念で、そこさえ良ければ完璧な人が私の周りにはいる。今だってそう、この緊迫感の中でアホ丸出しの奴がアホ丸出しな事を言い出したのだ。
「うっひょー! この娘めちゃくちゃ可愛い。ねぇそう思わない? カナちゃん!」
これがアイドルのライブだとか、雑誌のグラビアを見ているとか、少し特殊だが何かのキャラクターのグッズとかを買いに来ているとかなら、こう言いたくなるのも分かる。だが、今はそんな娯楽的要素は一切無いのだ。何故なら……ここは殺人現場だから。
「アンタねえ、不謹慎にも程があるでしょうが! 時と場合を考えなさいよ!」
「いやー申し訳ない、だってこの娘本当に可愛いんだもん。それこそ死体だなんて思わないくらいにね」
「……そうだとしても、普通口には出さないわよ」
このデリカシーに欠けるアホは、私、青山奏の幼馴染であり、フィギュアスケーターでもある。名前は東條裕雅。恐らく、フィギュア界でこの名前を聞いて知らぬ者はいないだろう、何故ならこいつは、日本を代表する世界トップレベルのスケーターだからだ。
二年前、弱冠十七歳でオリンピックに初出場、銀メダル獲得と共に日本人選手初のメダリストとなった。これを皮切りに、世界で活躍するスケーターへと登りつめていった。フリップ、サルコウ、トウループの三種類の四回転ジャンプやアクセルジャンプを始め、高速アップライトやレイバック、足換えなどのスピン、ステップやターンなどにおける表現力など、総合的に高い評価を受けている。
正直、私もスケートをしている彼は尊敬する。こんなにもフィギュアに詳しくなったのも、彼がいたからだろう。しかし先ほどの言動でも分かるように、如何せんこいつはアホで且つ変態なのである。……黙っていればイケメンなのに。おっと申し訳ない、事件の捜査の真っ最中にもかかわらず、話が逸れてしまった。
事件は今日の夜八時頃、ここ【ホテル チョコレートビースト】の一室で起こった。被害者はバイオリニストの津川裕香、ヨーロッパ公演も控えていたこれまた世界トップレベルのバイオリニストである。今日は彼女の国内ツアー最終日で、コンサートが行われる予定だったのだ。そして本番まで後数分といったところで今回の事件が起きてしまった。死因は毒物混入による中毒死。
勿論身辺警護は抜かり無くやっており、彼女の部屋の前にも警官が二人ついていた。中に入るには、たとえマネージャーであれど警官の許可が無ければ入る事が出来ないようにしており、容易に侵入させないようにしていた。では何故事件が起きてしまったのか? 彼女がホテルに到着してから事件が起きるまで、部屋に入った者は誰もおらず、彼女自身も御手洗いに行く為に、部屋を出たのは一度だけ。行く時も、戻って来る時も、マネージャーである都築麻里奈がしっかりと付き添っていた。
「おや、東條君。どうして君がここに」
「ご無沙汰しています。望月警部」
……と、ここで私の上司にあたる望月健一警部がやってきた。
「お疲れ様です、警部」
「お疲れ様、青山君。東條君がここにいるのは、君が呼んだからか」
「……ええ、そうです」
「そうかそうか。いや、東條君が来てくれれば、この事件は解決したも同然だな」
「いえいえそんな。僕はただ探偵まがいの事をしているだけですし、青山さんや警部がいなければ事件を解決するなんてとても出来ませんよ」
……よくもまあそんな口から出任せが言えるものだ。私がこいつをここに呼んだのは、類稀なる洞察力とひらめきでこの事件を解決してもらいたいからだ。基本的にこいつ一人の力で大概の事件は解決に導かれている。ハッキリ言って私や望月警部など、いてもいなくても同じようなものである。
「そんな謙遜しなくても良い、我々警察は本当に君に世話になりっぱなしだからね」
「ありがとうございます。精一杯解決に向けて努力させて頂きます」
そんな私の悪態など露知らず、こいつは深く頭を下げた。…全く、望月警部は人が良すぎて困る。警部というポストながら人当たりの良い警部は部下からの人望が厚い。決して驕らず、周りの意見も良く聞くのだが、やはり残念な一面がある。それはルックスである。何というか、もし警部が某事務所に所属する芸人だった場合、間違いなく【ブサイクランキング】で殿堂入りを果たすだろう、いや果たすに違いない(反語)。そのくらい、警部のルックスは残念極まりないのだ。
「分かりました」
警部のルックスがどれだけ残念か考えていると、澄み切ったアルトボイスが響き渡った(ような気がする)。
「分かったって……アンタもう謎が解けたの!?」
思わず素っ頓狂な声を出してしまう私。
「うん。謎は全て解けたよ、奏」
私でなければ、間違いなく惚れてしまいそうな表情で答える裕雅。こいつが、恍惚とした表情で且つ真剣な口調で話す時は、事件を解決させる時である。
「じゃあ聞かせて? 一体犯人はどうやって裕香さんを殺害したのか、そして犯人は誰なのか、動機は何なのか」
「落ち着いて奏。説明する時は、順序よく話す事が大切なんだよ?」
スッと人差し指を私の口元に近づける。…むぅ、不覚にもカッコいいとか思ってしまった。
「まずは状況の整理を。一つ、現場はそこの扉以外からの出入りが出来ない。二つ、裕香さんがホテルに到着してから、ここを訪ねて来た人は誰もいない」
「ええ、そうよ。殺害しようにも中に入ったりした人がいない限り、これはある意味密室殺人になるわ」
「そう、ここで殺されたならね」
裕雅の言葉に周りがざわついた。
「なら東條君。一体彼女はどこで殺害されたと言うんだい?」
「勿論、唯一裕香さんが部屋にいなかった時、つまり彼女が御手洗いに行った時ですよ」
「それは無理よ。だって彼女には、マネージャーが付き添っていたんだから」
「逆に考えてみようよ。彼女と一緒にいたのはマネージャーだけだった、と」
そこまで言った時、裕雅が初めてその相手に向き直った。
「マネージャー、都築麻里奈さん。貴女が犯人ですよね?」
しっかりとその相手…都築さんの目を見据えて言い放った。
「いきなり何を言い出すのかしら。大体どうして私が裕香を毒殺しなくちゃいけないの?」
「まあ……動機については後ほどお話するとします。まずは、犯行のトリックについてでも解き明かしていきましょう」
あくまでも冷静な口調で、裕雅が言う。依然として都築さんは、落ち着かない様子で裕雅を見つめて(睨んで)いる。
「裕香さんは一度だけ部屋を出た。そしてその際、マネージャーであるあなたが付き添った。犯行はそこで行われたと考えるのが自然でしょう」
「で、でも裕香さんは確かに御手洗いに行ったけど、ちゃんと二人で部屋まで帰って来たわよ? もしそこで殺されていたなら、部屋まで帰って来るなんて不可能じゃない!」
「奏、僕はただの一度だって、裕香さんがそこで殺されたとは言っていないよ?」
「……どういうことよ?」
訳が分からない、というような目つきで裕雅を見る。
「さっきちらっと御手洗いに行った時に調べてみたんだ。裕香さんが唯一、自分の部屋以外に立ち寄ったところだからね」
「それが何だって言うのよ?」
「落ち着いて。人の話はどんなにつまらなくても、一応は最後まで聞くのが礼儀ってもんだよ?」
良いから早く話しなさいよ!
怒鳴りたくなる気持ちが、言葉となって、それが喉まで出かかったが、それを何とか自分の中に押し留める。
「女子トイレをくまなく調べてみたらさ、こんなものが見つかったのさ」
そう言いながら、裕雅が右ポケットから何かを取りだした。見たところ、どうやら注射器のようだ。
「注射器……? もしかしてアンタ、それに……!」
「その通りだよ、奏。気になったから、鑑識に調べてもらった。そしたら、この注射器から毒物の痕跡が出てきたんだ」
この発言に、周りは騒然となった。被害者の死因となったものの物的証拠が出てきたのだから、当然と言えば当然である。しかし、それよりも裕雅がこんなにも早く、且つ簡単に証拠を見つけてきたことに周りは驚きを隠せないようだ。
「そんな注射器が何だって言うの!? そんなものが出てきたところで私が裕香を毒殺した理由にはならないわ!」
「確かに……この注射器とあなたを結び付ける証拠はありません。ですが、裕香さんとなら結び付けることが出来ます」
「そ、そんなもの……!」
「ない、とでも言いたそうですね。しかしそんなことは有り得ない、それはあなた自身が一番良く分かってらっしゃるのでは?」
「………………」
「何故ならこの注射器は、裕香さんの私物だからです」
「そ、そうなの!?」
「本当かい!? 東條君!」
私と警部は、二人して思わず大きな声をあげてしまった。
「あなたは痕跡を残さない為に、この注射器を良く洗ったのでしょう。注射器からは指紋も、皮膚も、毛髪も、唾液すらも発見されませんでした。でもたった一つだけ裕香さんとの繋がりを表すものが残っていました」
「それは一体……?」
「血液ですよ」
「……血液?」
どういうことだ、という周りの様子。液体である血液が、洗い流された注射器からどうやって発見されるというのだろうか。
「奏、血液の痕跡を見つける際に行うことは?」
「? ルミノール試薬で血液反応をって……なるほど、そういうことね」
「理解が早くて助かるよ奏」
「東條君。それはつまり、ルミノール反応で血液の痕跡があったということかね?」
「はい、その通りです」
ルミノール反応というのは、血液を千分の一にまで薄めても反応が起きる。いくら念入りに洗ったところで、血液を完全になくすことは不可能に近い。
「そしてその血液の痕跡から、裕香さんの血液と照合してみた結果、見事に一致しました。これが照合結果です」
都築さんに結果の紙を見せる裕雅。
「これで注射器が裕香さんのものであることが証明されました。そして裕香さんの私物の管理を任されているのは、マネージャーである都築さん、あなたです。まあ……ここまでくれば、誰が犯人かなんて、小学生のクソガキでも分かる話だよな」
騒がしかった周りが一転、一気に静まり返った。
「で、でもそんなの……私がそれに毒を入れたという証拠には繋がらないわ!」
「ええ、確かに。これだけでは、ね」
「……え?」
「重要なのは、ここに入っていた毒物の中身……成分と言った方が正しいのでしょうかね。そこなのです」
そう言いながら、裕雅は先ほど見せた検査結果の紙を取り出す。
「こちらに書かれている名前……ヴェネーノというのが裕香さんを死に追いやった毒物なんですが……この毒物はある特徴があります」
「特徴って?」
「遅効性です」
遅効性とは、即効性の反対で、効き目が現れるのが遅いものを指す。
「このヴェネーノは、摂取してから大体一〜二時間経過しないと効果が出てきません。そしてご丁寧に裕香さんが御手洗いに行かれたのが、死亡する約一時間半前なんですよ」
「それって……」
「裕香さんは、御手洗いに行ったその一度しか部屋を出ていない。そして、それに付き添ったのは都築さんだけ。その場所から、毒物と裕香さんの血液が残った注射器が見つかった。ここまで分かった上で、まだ犯行を認めませんか?」
「う……ぐっ」
まさに圧巻の一言だった。本当にこの短時間で事件を解決させてしまったのだ。
「最後に……聞かせていただけるかしら?」
「はい、何でしょう」
「どうして私が犯人だと?」
「そうですね……。最初はまだ確信していなかったんですが、僕があなたを犯人だと言った時に、あなたは「どうして毒殺しなければならないの?」と聞かれました」
「それが何か……?」
「あの段階では、僕と鑑識さん以外、裕香さんの死因を知っている人はいなかったんですよ」
「あっ……!」
「でも、あなたは何度も毒殺という言葉を使っていました。そこからは僕の中で確信が持てました」
うぅ……全然気付かなかった……。裕雅と都築さんの会話を聞きながら、私は見抜けなかったことに落ち込んだ。
「では、都築麻里奈さん。午後十時七分、殺人容疑で逮捕する」
ガチャリと警部が手錠を填める音と共に、事件は無事に解決した。
あれから数日。私は、都内にある【SAO(Skating Artist Origin)アリーナ】に来ていた。理由は……裕雅の試合を見る為だ。
今年は、裕雅の全日本選手権の連覇がかかっているのも手伝って、会場は満員だった。勿論、裕雅のファンが大半を占めている。……これでアイツの本性を知ったら、この人達はどうなるんだろう。いっそ何か仕出かして、幻滅されてしまえば良いのに。まあ、要領の良い裕雅が、そんなヘマをする訳もないのだが。
さて、大会も大詰め。一番最後に滑るのが裕雅だ。ショートプログラムを圧倒的大差で一位となり、フリーの演技も余程大きなミスをしない限り、優勝はほぼ確実とされている。大歓声に答えるように、スケートリンクの真ん中で両手を振る裕雅。そしてその歓声が収まってきたと同時に、演技の開始を知らせるプログラムの曲が流れ始めた。
結論から言うと、アイツは見事に優勝した。二位に三十点近く差を付けての完勝だった。スケートをしている時は、本当に別人かと思うくらいに、美しく、そしてカッコ良かった。……あれで変態じゃなければ、もっと好感が持てるのになあ……残念でしかない。
そんなこんなで、今はアイツがいる控室までやってきた。いつでも入ってこれるように、手配してくれたようだ。とりあえずノックをして入れるかどうかを確認する。
「すみません、東條裕雅さんの知り合いの者なんですが。青山と申します」
「青山様ですね。東條様からお話は伺っております、どうぞこちらへ」
やけに丁寧な警備員に案内され、控室の中へ入った。
「おっ、カナちゃん。来てくれたんだーありがとう」
そこでは、随分とくつろいだ状態の裕雅が出迎えて(?)くれた。
「アンタね……もう少しシャキッとしなさいよ。一応これでもお客なんだからさ」
「いやー、さっきまでシャキッとしてたから疲れちゃったんだよねー。それにカナちゃんの前くらいだしさ、こうやってダラダラ出来るの」
「それはそれで何かムカつくわね……」
「素直じゃないなー、本当は嬉しいくせに」
「うるさい」
「ツンツンしてるカナちゃんも可愛いと思うけど、やっぱり素直が一番だよ?」
「うるさい!!」
私は、裕雅のお腹に一撃をお見舞いしてやった。
「ぐへっ! カ、カナちゃん……もっとやって」
「何を言ってんのよ! この変態!!」
「ヤバいよカナちゃん! いつの間にこんなスキルを身に付けたの!?」
「別にスキルでも何でもないわよ! アンタの体が異常なだけ!」
本当にこいつは……! 何をどうやったらこんな変態になれるってのよ……。これが日本のトップスケーターなのかと思うと、頭が痛くなる。
「ね、ね、カナちゃんもう一回やって!」
「やらないわよ! バカじゃないの!?」
「一回だけで良いから!」
「一回だけでも十分多いわ!」
「お願い〜」
「くっつくな気持ち悪い!」
「そんなこと言わずにさ〜」
「あーもうっ! いい加減にしろっ!」
「モルスァ! 最高だ……!」
もう勘弁して……。
\オッワリーン/