我流・昔話

    第三章・ないたあかおに

             秋雨

 

 昔々、ある山奥に、小さな村がありました。村は住民も少なく、他所との交流も少なかったのですが、心優しい人たちが沢山住んでいました。

 そんな村に存在している一軒の宿に、旅をしているという人間たちがやってきていました。犬、猿、雉を連れた若武者に、笠を被った女子、見るからに見目麗しい女性と、どこか暗い雰囲気を持った普通の青年という一行は、住民から好奇の目で見られていました。

「すまないが、一晩泊めてもらえないだろうか?」

「かまいませんよ。お代は四人と三匹ですので……」

「待ってくれ、動物も勘定に入るのか?」

 若武者と宿屋の主人が会話をしている横では、見目麗しい女性が暗い雰囲気を持った青年に話しかけていました。もう一人の女性は、犬の首元をなでながら、笠の上で寝ている雉を落とさないようにしつつ、抱きつこうとする猿を片手で殴っています。

「浦島さん、あまり気を落とさないでください」

「……」

「もしあなたの村の人々を連れ去ったのが、竜宮城を襲ったのと同じ男ならば、その男を追うことで村の人々も見つかるかも知れません」

「……」

 浦島と呼ばれた青年は、力なく頷きました。女性はまだ心配そうに見つめていましたが、この会話はこの村につくまでにも何度も行ってきた会話であり、これ以上何を語ればいいのかわかりませんでした。

「部屋が取れた。今日はゆっくりできるぞ」

「わかった。では、部屋に向かうとしよう」

 若武者の言葉に、笠を被った女子が答えます。一行は宿屋の主人の案内で部屋にたどり着くと、荷物を置いてくつろぎ始めました。

「……」

 ただ、浦島だけは暗い雰囲気を保ったままで、先ほどから何も話していません。元々口数は少ない人間でしたが、彼の村を出てからこの村にたどり着くまで、何一つ話していません。さすがに、若武者たちもこれは問題だと感じました。

 ですが、若武者には彼にどんな言葉をかければいいのか分かりません。困り果てた若武者は、助けを求めるような眼差しで笠を被った女子を見ました。

「……なんだと」

 が、その女子は外から入ってきた一羽のカラスに視線を向けており、若武者の眼差しには気づいていません。それどころか、突然立ち上がると、部屋を出て行こうとします。

「魅咲、どうした?」

「急用ができた。今日中には戻る」

 魅咲は若武者の問いに答えると、笠の上で寝ていた雉をそっと降ろし、立ち去りました。こうなってしまっては仕方ありません。もう一人の女性と話し合い、何とか浦島を元気付けようと、若武者は視線を動かしました。

「犬さん、猿さん、雉さん……私では、浦島さんを元気付けることはできないのでしょうか……」

 そこでは、真剣な顔をした女性が、大真面目に動物たちに相談していました。とはいえ、雉は未だに眠っており、猿は魅咲に殴られた後気絶したままだったので、その話を聞いているのは犬だけです。

(……これは、どうしたものか……)

 この調子で女性にまで気を落とされては、正直言って若武者の手に負えません。女性が完全に気落ちする前に、なんとか気をそらさなければならないでしょう。

 そこまで考えて、若武者はあることを思い出しました。

「乙姫殿」

「そうですよね、やっぱり海底の城から出たことのない世間知らずな私がそんなことできるはずが……」

「……乙姫殿」

「いえ、諦めたらそこが終点だっていつもじいやが言ってました。だから私も諦めずに……」

「……」

「やっぱり浦島さんの興味を惹くような話題を……あれ?浦島さんが興味を持つような話題ってなんでしょう?浦島さんは男の方ですし……」

「……乙姫、殿?」

 乙姫には若武者の呼びかけが聞こえていないらしく、犬に話しかけ続けています。若武者が犬を見やると、犬はどことなく困ったように見える表情を浮かべつつ、若武者を見やっていました。どうやら、若武者になんとかしろと訴えかけているようです。

「私は女ですし、たとえ浦島さんが興味を持っても、私がそのことに詳しくなかったら話が続きませんし……男性と女性に共通している話題といったら……!」

 どうやら何か思いついたらしく、乙姫は俯きかけていた顔をあげます。ですが、その顔はみるみる紅潮していき、しまいには頬に手を当て、結局俯いてしまいました。

「そんな、いや、でも、しかし、だけれど、やっぱり……あの、犬さん、猿さん、雉さん、男の人って、やっぱりそういうコ「乙姫殿!」トに……ふぇ?桃太郎さん?」

 なにやら危険なことを口走ろうとしたのを、桃太郎はなんとか遮りました。若干手遅れであった気もしますが、桃太郎は気を取り直し、乙姫に問いかけます。

「乙姫殿、竜宮城へ向かう際に使った術≠ノついて聞きたいのだが」

 桃太郎は今までに三度、術を見ています。その内の二度は、目の前に居る乙姫が使ったものでした。

 桃太郎から見て、あの術というものは、とても現実のものとは思えないものです。海の中を渡り、人一人を消し去り、そして、その場を動くことなく住民を探しだすことができるということ。それらのことは、いかに桃から生まれた桃太郎であっても、非現実的と思えたのです。

「……わかりました」

 少しの間沈黙した乙姫でしたが、術のことを説明するという事には何らかの必要性を感じたのでしょうか、桃太郎の要望を聞き入れます。そして、体ごと桃太郎の居る方を向くと、口を開きました。

「術というのは、簡単に言えば、人間が大自然の力を借りて起こす奇跡の業のことです。竜宮城に行く際に私が使ったのは、海の力を借りて起こしたものです」

 いいながら、乙姫は懐から一枚の紙切れを取り出しました。長方形の紙切れには、ミミズがのたくったような文字が書かれていましたが、桃太郎には読めません。一度桃太郎に見せると、乙姫はそれを傍らに置きました。

「術を使うには、このような御札と大自然に語りかける言葉が必要です。とはいえ、誰しもが使えるというわけではありません。術を使うためには、絶対に満たさなくてはならない前提条件があります」

「それは一体……?」

 桃太郎の問いかけに、乙姫は軽く目を伏せました。表情こそ見えることはありませんでしたが、躊躇っていることを考えると、あまりよいことではないということは理解できます。

「乙姫殿、言いづらいのならば言わずとも……」

「いえ、これだけは、言っておかなければなりません」

 そういって、乙姫は顔を上げ、桃太郎の顔をまっすぐに見返しました。

「術を使うためには、神との契約が必要なのです。その契約を終えて、初めて人間は術を使うことができます。ただし、その代わりに、契約の証を人間は神に捧げなければなりません」

 ただならぬ雰囲気を漂わせる乙姫に、桃太郎は思わず息を呑みます。

 同時に、乙姫は右腕の袖口に、左手を添えました。

「神が望む契約の証……それは」

 いつのまにか、乙姫の発しているその雰囲気に、桃太郎はのまれていました。

 だからこそ、気づくことができなかったのかも知れません―――

「人間であること≠サのものです」

 捲くった袖からは、まるで竜のような鱗が現れ、亜麻色の長髪は金色に変化します。そして、その瞳は、爬虫類のように変化していました。

 ―――浦島が、乙姫の傍らにあった御札と共に、部屋から消えていたということに。

 

 

               

 

 

 一方、魅咲はその頃、村の近くにある岩山を登っていました。一見何の目印もない場所を適当に進んでいるように見える彼女でしたが、そうではありません。

「全く、昔から不思議なヤツだとは思っていたが、これほどとはな」

 彼女の視線の先には、先ほど部屋に訪れたカラスが飛んでいました。そして、彼女の右腕には、カラスの足に結び付けられていた手紙が握られています。その手紙に書かれていたことに従い、彼女はカラスを追いかけているのです。

「ヤツが鬼ヶ島を出て行って以来か……ふん、今にして思えば、幸運なヤツだ。あの出来事に巻き込まれなかったのだからな」

 思い出していたのは、鬼ヶ島の鬼が、自分以外全て消え去ってしまった時のことでした。あの事件から五年経った今、自分がこうして鬼ヶ島の外にいるばかりか、ましてやこうして旅をしているという事実は、魅咲にとっても予想外の事実です。

「だが……自分以外の鬼には久しぶりに会う。元気でやっているといいのだが」

 心配している素振を見せつつも、魅咲は少し顔をほころばせました。ですが、カラスが飛行を止めて木の枝に止まったことに気づきますと、魅咲も立ち止まります。そして、カラスの視線の先を追いました。

「なるほど、アレか」

 その先には、大きな洞穴がありました。魅咲はそれを確認すると、その洞穴へ向けて歩き出します。そして、洞穴の前にたどり着きますと、魅咲は大きく息を吸いました。

(りょう)(すけ)!いるか!」

 大きな声でそう叫びますと、洞窟の奥のほうで、なにやら慌てたような音が聞こえてきます。その音はすぐにやみましたが、同時に、こちらへと向かってくる足音が聞こえてきました。

「そんな大声で叫ばなくても聞こえているよ、魅咲」

 洞穴の奥から出てきたのは、赤いクセ毛の少年でした。髪と同じ色の燃えるような瞳は目尻が下がっており、どことなく優しそうな顔を苦笑いさせ、少年は魅咲を迎え入れます。

 その少年の顔を見て、魅咲は口の端をあげて目を細めました。

「久しぶりだな、魎助」

「うん、久しぶり、魅咲」

 魎助と呼ばれた少年の額には、魅咲のものよりも少し大きい、一本の角が生えていました。

 

 

 魎助は、昔鬼ヶ島にすんでいた魅咲の幼馴染でした。とはいえ、魅咲が物心ついてすぐに鬼ヶ島を出てしまったため、その後どこに行ってしまったのか、誰も知りませんでした。そして、なぜ鬼ヶ島を出て行ってしまったのかも、知る鬼はいませんでした。

 ただ、彼は昔から不思議な力を持っていて、言葉を持たない動物たちと話すことができました。そのためか、魎助は昔から同じ鬼たちと遊ぶよりも、動物たちと遊ぶことのほうが多かったのです。

 魎助に案内されて訪れた洞穴の奥には、何もありませんでした。正確に言いますと、寝床と灯りがわりの松明、そして魅咲の物よりも小柄な金棒が一対あるだけです。

 魎助は近くにあった手頃な岩を運びまして、この生活空間の中央にありました焼け跡の近くにそれを下ろします。どうやら、焼け跡は火を焚いた跡のようで、もう一つ手頃な岩を運んできますと、魅咲に座るよう促しました。

「それにしても、吃驚したよ。いつものように皆と話していたら、僕と同じ雰囲気の娘が居るというんだもの」

 魅咲が座りましたのを確認した後、魎助は口を開きました。そして、自身も岩に腰掛けつつ、更に問いかけました。

「ちゃんと聞いてみたら、どうやらそれが魅咲らしいんだもの。カラスのかーくんに手紙を届けてもらって、反応したらつれてくるように言ってよかったよ」

「……そうか」

 そういって、魅咲は優しく微笑みました。

 

 しばらくの間、二人はこれまでの出来事を語り合いました。といっても、魎助は鬼ヶ島を出た後、この洞穴に居つくまでの間何もなかったようで、その話は五分足らずで終わってしまいました。

 一方、魅咲が語った出来事は、魎助には信じがたいものでした。故郷が壊滅し、残った鬼は目の前に居る魅咲だけという事実は、いくら自分から故郷を飛び出したとはいえ、魎助には簡単に受け止められるものではなかったのです。

「そして、その浦島の村を出て、つい先ほどこの村にやってきたのだ」

「……」

 魎助は黙ったまま、口を開きません。そのような反応が来ることは予想していたのか、魅咲もまた、何も言うことはありませんでした。

 その時、魅咲の背後で、小さな物音がしました。魅咲が思わず振り向くのと同時に、魎助は驚いたように顔を上げ、口を開きます。

「ハルちゃん!」

 そこに居たのは、年端もゆかない少女でした。群青色の着物に身を包んでおり、肩にかかるほどの黒髪は頭頂部の辺りにある一部がおかしな方向にはねています。大きな丸く黒い瞳は不安そうに魅咲を見つめており、胸の近くに持ってきていた右手を握り締めていました。

「どうしたの?今日は来る予定じゃなかったよね?」

 その顔に笑みを浮かべつつ、魎助はハルに歩み寄っていきます。名前を知っていたことや、何度もこの洞穴を訪れているような魎助の言葉から、魅咲はこの少女が魎助と親しい間柄であることを悟りました。

 だからこそ、そこで見た彼女の行動が一瞬信じられなかったのです。

「……う」

「?」

 小さな、本当に聞き取れるかどうか微妙な程度の声が、ハルから発せられました。よく聞き取ろうとして、魅咲は耳を澄ませます。

「違う、魎助じゃ、ない」

「! どういうことだ!」

 判断は一瞬でした。壁に立てかけてあった魎助のものと思われる金棒を一本手にとり、魎助に向けて構えます。一方、歩みを止めた魎助は、大仰なため息をつくと、魅咲に振り返ります。

「なんでばれたとやろうね?あんたは騙せとったとに」

「貴様、何者だ!」

 魅咲の問いかけとともに、魎助は緑色の炎に包まれました。一瞬、驚愕して動きが止まってしまいましたが、魅咲は炎を遠巻きに見ながら、壁伝いにハルの近くへと移動します。目の前に居る、明らかに人ではない何かから、おびえる少女を守らなければならないと思ったのです。

「大丈夫か?」

 視線は目の前の炎から外すことなく、魅咲はハルに話しかけます。ハルは言葉を返すことはありませんでしたが、代わりに魅咲の手を掴み、一目散に駆け出しました。

「なっ!」

 少女のまさかの行動に、魅咲は目を見開きました。そして、少女に連れられてその場から離れる中、炎の中から出てきた影を、視界に捉えます。

「! そんな、馬鹿な……アレは……」

 髪の色は違いましたが、見間違うことなどありえません。その顔は、魅咲にとって、あの鬼ヶ島で起こった事件以降、夢にまで見るほど会いたかった存在だったのです。

「父……上……」

 瞳からこぼれる液体で頬をぬらしつつ、魅咲はハルにつれられ、山の中へと姿を消していきました。

 

 

               *

 

 

 その頃、浦島は村の近くにある大きな湖へと訪れていました。手中には、こっそりと持ってきた術を使うための札が握られています。

「父さん、母さん、村のみんな……絶対に、助けて見せます」

 その瞳に決意を宿らせ、浦島は一度村のほうを見ました。今頃、桃太郎たちは自分を探しまわっていることでしょう。ですが、彼らの元に戻るつもりはありません。

「……すみません」

 その謝罪は、誰に向けたものだったのでしょうか。

 ただ、脳裏には亜麻色の長髪が一瞬過ぎり、浦島はその想像をかき消すように首を振ると、歩き始めました。

 

                                                    つづく inserted by FC2 system