『猫耳というものを知っているだろうか。それはまさにその名前のとおり、猫の耳のような形をしているのだ。それを頭につけると若干痛々しい視線を注がれることもあるが、何でも大きな電気街になるとそういう視線を注ぐほうがおかしいのだそうだ。

 日本で始めて猫耳らしきものが確認されたのは江戸時代のことだそうだ。といってもそれは化け猫の瓦版にそれらしき絵が何点か描かれていただけで、作者は不明らしい。近代文学の中に猫耳が登場したのは、かの有名な宮沢賢治が大正時代に発表した作品なのだそうだ。ただ、時代が時代ゆえに猫耳はきちんとした評価をされなかった。

 コミックやアニメなどの媒体が生まれると、その存在は加速的に認知され始める。そして、銀河鉄道の夜などの映像化によって、猫の擬人化という手法が確立された。世界的な観点から見れば、アイルランドの伝説にある猫の妖精ケット・シーや、長靴を履いた猫などが先駆けとなったといっても過言ではないだろう。アメリカでは一九六八年にあるドラマでは、黒猫の姿をした異星人が人型に変身した際、その頭部に猫耳があったという。

 さて、では日本の猫耳文化の元祖となったのはなんなのだろうか。それは―――』

「ご主人、常日頃から変態だとは思っていましたが、まさかこれほどまでとは……」

「―――ッ!?」

 そこで僕は初めて、いつの間にか部屋に侵入していた自分の専属メイドの存在に気づいた。

 

 

     猫と烏と主従の掟

                    秋雨

 

 僕の名前は()(ぞめ)(たけ)(はる)。自分で言うのもなんだけど、コレでも有名な小説家だ。ついでに言うなら、両親は経営手腕というものがよほどよかったらしくて、うちはかなり裕福な家庭だったりする。まぁ、そのせいで僕は子供のころ、ちっとも親と遊ぶことなく過ごしていた。うちはお手伝いさんが何人か居るから、遊ぶならその人たちと遊べばよかったのだろうし、実際小三ぐらいまではそうしてたはずなんだけど、僕にとっての転機はそのとき唐突に訪れたんだ。

 それは、今目の前に居る僕の専属メイド―――彼女が僕の専属メイドになったのもその転機が原因だ―――、初霜(はつしも)(せい)()が初めて僕の遊び相手となった日のことだった。彼女は僕と同い年ということもあり、そういう意味での遊び相手となることを期待されてやってきた。ただ、そのとき彼女は僕が見たことのないものを持ってきていたんだ。

 それは、アニメやゲームなどを専門的に扱っている情報誌の類だった。もちろん、初めて見たものに僕は興味を示したわけで、それが全ての始まりだったと思う。

 僕が興味を示したことを悟ったのか、星火は僕と一緒にその情報誌を見ることを提案してきた。幼くて、好奇心旺盛だった僕はそれを了承して、新しい世界の扉を開いたんだ。

「あぁ、ご主人がこのような変態になるとは……私はあの時よりにもよって猫耳特集号を持っていった自分を恨みますよ」

「何を言ってるんだよ星火。あの時君が僕をこのすばらしき世界に導いてくれなかったら、僕は今頃小説家なんてやってなかったというのに。僕は君に感謝しているんだからさ、そんなに自分を卑下しなくてもいいと思うよ。だからその手に持っている僕の猫耳コレクション一八三〇五号をこちらに渡すんだ。それは君が思っているよりもずっと価値の高いものなんだからね」

 僕が伸ばした手を見て、その後、星火は自分の手に握られているそれを見た。それは銀色の虎毛を持った猫をモチーフに作られた猫耳。デザインは猫耳デザイン界ではトップといわれている『ニャーすけ』さんというデザイナーが描き、それを最高級の猫耳を製作することで有名になった『音独楽』さんという人が五つ限りでつくったプレミアもの。猫耳好きとしては喉から手が二本出るほどほしいものだ。僕のコレクションの中でも一、二を争うほどの価値を持つ、まさに宝なんだ。

 星火はもう一度僕を見ると、にこりと笑った。よかった、どうやら分かってくれたみたいだ。僕もうなずいて、ゆっくりと立ち上がると星火に近づいていった。星火もこちらに近づいてくる。そして―――

「だからなんだというんですか、変態」

 ―――見事なまでに、真っ二つにへし折ってくれた。

「何やってんの星火あぁぁぁ! 僕がそれをどれだけ苦労して手に入れたと思ってるのさ! 毎日毎日いろんなオークションサイトや通販サイト、果ては少し表には出せないようなサイトにまで手を伸ばしてやっと手に入れたんだよ! それを、それをそんな簡単にへし折るなんて……僕は明日からどうやって生きていけばいいんだ」

「そうは言いますけどご主人。私の記憶が正しければ、同じもので観賞用と書かれたケースに入れられたものが地下倉庫に一つ、保存用とかかれたケースに未開封のまま入れられたものがご主人の隠し倉庫に一つあったはずですが。たかだか何に使うつもりなのか分からない使用するためのものが一つ壊れたところで、何の問題もないでしょう」

「大有りだよ! 僕の猫耳コレクションはいつか僕のメイドである君につけさせて猫耳メイドを完成させるためにあるんだから! 君はそのうちの一つを永遠に見れなくしたんだからね! そして倉庫にある観賞用だけならまだしも、何で君が知らないはずの僕の隠し倉庫のことを知っているのさ!」

「うわぁ、自分のメイドに猫耳つけさせたいとか、正直引きます。ご主人が変態であることは知っていましたが、まさか私を食い物にしてるなんて……変態、ド変態」

「うん、そのセリフは棒読みじゃなくてもっと抑揚をつけて言ってくれるとうれしいかな。あと声が高めだったらベスト」

 まったく、星火はなんで猫耳のすばらしさを理解してくれないんだ。僕はこの世に猫耳が存在するということを知ったとき、驚きと感動で思わず涙が出たほどだというのに。あのころは星火も僕の意見に賛同してくれていたというのに、今となってはこんなに堅物になっちゃって……はっ、待てよ。そうだ、そうだよ僕。もっとポジティブに捉えるんだ。

 星火はきっと僕に賛同し続けるだけじゃ僕たちの関係がマンネリ化すると考えたに違いない。だからこそ、僕を飽きさせない様にこうやって僕に対してひどい態度をとっているんだ。もう、そうならそうと早く言ってくれればよかったのに。星火はツンデレを目指してたんだね。ツンデレ猫耳メイドとか、僕のストライクゾーンど真ん中じゃないか。

「気持ち悪い笑みを浮かべてどうしたんですか、変態ご主人。具合が悪いようなら今すぐ墓穴を用意させていただきますが」

「うん、墓穴は要らないかな。僕は至って元気だし」

「そうですか。それは残念です。ご主人のような社会の底辺に属するゴミクズ野郎は早く焼却処分してしまうのが世の為人の為なのですが」

 そこまで言われるといくら僕でも傷ついてしまうんだけどな。いや、待てよ。星火がツンデレを目指しているなら、きっとその言葉の意味は殆ど正反対の意味を持っているに違いない。つまり、星火は僕のことをとても尊敬していて、僕がいなければ世界は回らないといってくれているんだね。もう、素直じゃないんだから。

「星火がそんなに僕のことを思ってくれているなんて、僕はなんて幸せ者なんだ。星火、そんなに言葉を重ねなくても、僕は分かっているよ。さぁ、まずは式場の予約から行こうか」

「いったい何をどう解釈したらそんなことになるんですか。ご主人は変態以上に馬鹿だったんですね、私は恥ずかしいです」

「もう、そんなにほめないでよ」

「ほめてません。貶してます」

 どうやら星火はツンデレを極めるつもりらしい。本当は甘えたいのに突っぱねちゃうなんて、本当に猫みたいじゃないか。猫耳好きな僕のためにそこまでやりこんでくれるなんて、星火は本当に健気なんだから。

 って、しまった。そんな話をしている場合じゃなかった。今は星火にへし折られてしまった猫耳を修理しないと。僕は星火の手から真っ二つになった猫耳を奪い返すと、机の引き出しからいろんなツールを取り出して作業を開始する。幸運にも割れ目は綺麗で、うまく修復すれば跡が目立つようなことは避けられそうだ。

「ふぅ、よかった」

「あぁ、私は今日もご主人を変態の道から救い出すことが出来ませんでした。世界中の善良な一般市民の皆さん、私の力が及ばなかったことをお許しください」

「星火、突然なにを言ってるんだい?」

「いえ、汚物の消毒に失敗したので、少し全人類に向けて謝罪の言葉を」

「僕はたまに星火が分からなくなるよ……」

 小さく首を振る。すると、星火は心外だとでも言うように反論してきた。ただ、相変わらずその言葉はいつもどおり辛辣で、僕の心を的確にえぐろうとしてくる。まぁ、星火の言葉の翻訳法を見つけた僕に死角なんてないんだけどね。

「ご主人、言わせていただきますが、ご主人のようなもはや救いようもない人種というものは、いっそのこと地獄に落ちるべきかと。あと、若菜社から担当編集者の方が来られています」

「それを早く言ってよ! とりあえず通して」

「承りました。応接室にお通ししておきますので、十分以内にきてください。出なければすでに二十分は待たせていますので、担当の方もお帰りになられることでしょう」

「君いったい何をやってるのさ! 何で担当を二十分も待たせるの!」

「では、失礼いたします」

「無視された!?」

 愕然とする僕を尻目に、星火は頭を下げて退出していった。僕はあわてて今度の小説に使う予定のネタを詰めた手帳やらなにやら、今日の担当との話し合いに必要なものを用意する。

「……今日は合格、かな。でも猫耳を折るのはやりすぎだよ……」

 小さくつぶやいた言葉は、きっと扉の向こうに居るはずの子猫には届いていないだろうね。

 

 

               *

 

 

「……っ、すぅ、はぁ」

 大きく深呼吸をする。どうにかして激しく脈打つ心臓を鎮めようとしてみても、その効果は一向に現れない。

「き、緊張した……」

 後ろにある扉にもたれかかって、思わず座り込んでしまいました。竹春様の専属メイドになってもう十年以上経ちますが、あの方はいつも私に分けの分からない指示を出してくる。それは寝起きの枕元に週に一回置かれている紙に書かれて出されてくるんだけど、その内容はいつも突拍子がないものばかり。

「『毒舌系メイド』って、あぁいう感じでよかったのかな……」

 ひどく不安になる。竹春様が起きる前に自分の仕事を片付けつつネットで検索して軽く勉強したとは言え、付け焼刃ではやっぱりダメだろうか。あぁ、結果がすごく不安だ。

「うぅ、不合格だったら今度は何をつけさせられるんだろう……」

 私がこんなことを気にしているのは、竹春様と私の間にある決まりごとがあるからだ。それは、竹春様が指示することを一日やり続けて、それを竹春様が合格か不合格かを判断するというもの。不合格だったらなんと、私はその週は竹春様に猫耳をつけさせられる。つまり、さっき竹春様が言っていた猫耳メイド、私はすでに何度かやられてたり……。

 でも、その代わりといっては何だけど、合格だったら私にも得がある。なんと、私服での外出が許されるのだ。私はメイドだし、旦那様、つまり竹春様のお父様は堅物な人で、メイドは基本的にメイド服を着ていなければならないみたいな考え方をしているそうだ。なので、外出の際、メイド服を着て出かける私たちメイドはかなり目立つ。それはもちろん嫌なので、私は竹春様からこの決まりごとを提案されたとき、すぐに承諾してしまった。といっても、外出の時は竹春様も連れて行かなきゃならないんだけど。

「っとと、こんなことしてる場合じゃなかった。お客様を案内しないと」

 あわてて立ち上がって、担当編集者さんを待たせているロビーへと向かう。その前に、振り向いて竹春様の部屋につながる扉を見つめて、いつも行う作業をおこなった。

「唯我独尊な烏さん、お願いですから、私を見捨てないでくださいね」

 あの方は、人の目を気にしない烏のような方だ。私のような、小さなころから一緒に居るだけのメイドをいつまでもそばにおいてくれているし、その趣味は少し変わっているけれど、でも、決して悪い人じゃない。だから私は、竹春様の部屋を出る際、専属メイドとなった日からいつもこの言葉を口にする。

「大好きですよ、烏さん」

 一度礼をして、今度こそロビーに向かう。果たして、扉の向こうの烏さんには今の言葉が聞こえたんだろうか。分からないけれど、それはそれでいいと思う。

 私は竹春様と一緒に居る時間が一番幸せだし、それが生きがいのようなものなのだから。この日常は、誰にも渡したくはない。渡さない。

「あなたが私を猫というのなら、さびしがりの子猫を見捨てないでくださいね、竹春様」

 思わず口に出してしまったが、周りには誰も居ない。私は歩く速度を少し速めると、ロビーへと急いだ。

 

 ―――それは、あるお屋敷の、猫と烏の物語。

                         終わり

 

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