「夏也あぁぁぁ!起っきろぉぉぉぉ!」
とある部活動のとある大学祭
秋雨
窓の外からは朝の光が差し込み、眠っていた自分の顔を照らす。今はすでに紅い葉の舞う季節とはいえ、最近は温暖化だのなんだののせいでいまだ蒸し暑い。いつの間にか寝る前にかけていたはずの掛け布団は蹴飛ばされているし、着ていたはずの寝間着ははだけて肩だのなんだのがさらされてしまっている。
そんなことを考えながらも、自分は一度欠伸をして上半身を起こした。いまだ眠気が残っているため、半開きになっているであろう目をこすりつつ、いつもと変わらないはずの自分の部屋を見渡す。
まずは自分の宝、自分の全てが詰まっているといっても過言ではないパソコンをチェック。某電気街で手に入れたパーツをもとに自分で組み立てた最高仕様のデスクトップパソコンは、いつもと変わらぬ沈黙を保って机の上に置かれている。その横にある本棚には自分が集めたコミックスとラノベがずらりと並べられており、部屋の中央には小さなテーブルが置かれていた。それを挟んでベッドの向こう側の位置にあるテレビはまだ何も映し出していないし、コードをつながれている自分の愛用ゲーム機たちも無事だ。
そして、そんないつもの現実逃避を終えて、ゆっくりと目の前を見る。自分にまたがるようにしてこちらをじっと眺めているのは、先ほど自分の眠りを邪魔してくれた幼馴染だ。ベリーショートの黒い髪と同色の瞳、ついでに言うなら未だ発育途中といっても過言ではないある場所が健康的な艶やかさをかもし出して―――
「殴られるのと蹴られるのと締められるの、どれがいい?」
「そうだな、出来れば締められるので頼む。なに、例え締めたときに暖かい包容力となるべき物体が小さいからといって、自分は真冬が好きなのだから関係ないさ」
「――っ! いつもいつも寝起きに恥ずかしいセリフをはくなよ! あとセクハラだ!」
―――結局、目の前の幼馴染、長井真冬は自分を殴ってきた。全く、選ばせてくれるというから一番役得なのを選んだというのに、結局それは実行してくれないのか。ついでに言うなら、真冬にとってセクハラはついでに注意するぐらいの扱いなのか。
そんなことを考えていれば、目の前の幼馴染―――といっても、そんな関係は高校の卒業式の日に変わってしまったのだが―――は自分、猪本夏也の隣に腰掛けていた。そのままじっとこちらを見てくるものだから、思わず抱きしめそうになる。まぁ、そこは自分の理性を総動員してなんとか抑えたわけだが。
「夏也、今日何の日か知ってるか?」
「ん? 自分の記憶が正しかったら今日は確かポッキーアンドプリッツの日じゃなかったかな? 他にも第一次世界大戦終戦記念日だったり、あとはジュエリーデーや麺の日、サッカーの日におりがみの日でもある。静岡県土肥町、あぁ、今は伊豆市だったか、では恋人たちの日などとも言ったそうだ。鮭の日、もやしの日、煙突の日、箸の日といった言い方もある。そうだな、ポーランドとアンゴラ人民共和国の独立記念日でもあったか。中国では光棍節とも言うそうだ。そうそう、世に有名なロシアの作家、フョードル・ドストエフスキーの誕生日でもあったな。他にも今日生まれた有名人には吉幾三にマギー審司、レオナルド・ディカプリオに蒼井そら、巨人の山口哲也にNEWSの手越祐也などが居るぞ」
「……いや、そういうことじゃないだろう!」
何故だ、思いつく限りの記念日を述べたというのに、真冬は何故笑顔で握りこぶしを作っている。しかも目が笑っていないから微妙に怖い。何故微妙かって、それ以上にかわいいからに決まって
「殴られるのと蹴られるの、どっちがいい?」
「選択肢が一つ足りないぞ。もちろん締められるので頼む」
「誰がやるか!」
真冬は立ち上がりつつ、左足を軸にして自分に回し蹴りを放ってきた。まったく、恥ずかしがることはないというのに。そもそも今日はスカートをはいているのだから回し蹴りなどしたら―――
「ふむ、白か」
「―――ッ! 二回でも三回でも四回でも死ねやごるああぁぁぁ!」
―――一切の手加減なく繰り出された回し蹴りをまともにくらい、自分は徐々に意識を手放していった。ただ、最後にやっと思い出したことがある。
「……あぁ、今日は、大学祭だったな」
小さくそうつぶやいて、自分は今度こそ意識を手放した。
*
俺、北畑秋平は今、大学の学祭で店頭販売をしている。時刻はすでに午前十一時。そろそろ昼飯時ということで、食品を扱っている売り場には客が殺到しているころのはずだ。
が、俺の所属する四季部という部活は、食品は食品でも駄菓子屋をやっている。駄菓子屋のピークといったら小腹が空いた午前十時か午後三時の少し前。昼飯時はむしろ暇だ。
「秋平くん! 見て見て、当たっちゃった!」
「……」
俺に突然話しかけてきた赤藤夏乃は、満面の笑みを浮かべて手に持った当たり券を見せてきた。ただ、確かその当たり券は全部が当たりつきのお菓子に入っているもののはずだ。付け加えるなら、夏乃が持っているそれはその中でもっとも低い金額。そのことを説明すると、夏乃は一瞬きょとんとした後、もう一度笑みを浮かべた。
「じゃあ、一番低い当たりが一つ減ったんだね! コレでお客さんが残念がる確率も減ったね!」
「……はぁ」
思わずため息をつく。確かに客が一番低い当たりを引く確率は減ったが、店の利益を考えるとそれはうれしいことじゃあない。むしろ、どうせ部員が買うのであれば一番金額が高く設定されている当たりを引いて、それを使わなければいい。そうすればその分店の売り上げも上がる。
「ほら! ため息ついたら幸せが逃げるって昔の人が言ったんだよ? 先人の教えは守らなきゃ、でしょ?」
「……」
言ってることは立派なように聞こえるが、間違えている。その言葉はそんなに昔の言葉ではないし、先人の教えというほどたいそうなものでもないはずだ。いったいこいつの頭の中にはどんなカオス空間が広がっているんだろうか。きっと『同情するなら金をくれ』、とか『その幻想をぶち殺す』とか、『俺、この戦争が終わったら結婚するんだ……』とかがことわざとして登録されているに違いない。どんな意味を持っているのかはさすがに分からないが。
「それにしても、夏也先輩たち遅いねー。もう交代の時間なんだけどな」
「……」
確かに、夏也先輩たちの姿が見えない。といっても、夏也先輩を最後に見たのは七月も終わりに近づいたころだったはずだ。内定が決まったとか言っていて、講義以外の時間は自分の部屋に引きこもるとかなんとか。卒業論文のことを聞いたら、三回生のうちに終わらせてしまったと返ってきた。あの人はいつも片手にゲーム機を持っていたような記憶があるんだが、いったいいつやっていたのだろうか。
そんな夏也先輩だが、確か真冬先輩が呼びに行ったはずだ。といっても、それももう一時間以上前の話。あの二人のことだ、どうせ夏也先輩の悪ふざけに真冬先輩が過剰反応して泥沼になっているんだろう。でなかったら、大学から歩いて十分の位置にある夏也先輩の家に行って帰ってくるのに一時間もかかるわけがない。
「うぅん、どうしよっか? 大学祭回る予定だったけど」
「……別に、いいだろう」
「へ?」
「……店番とはいえ、せっかくの二人きりだからな」
俺の言葉に、夏乃は再び、きょとんとして固まった。全く、人が合わせてやったらすぐにコレだ。俺は夏乃の中では冷血漢かなにかとして登録されているのだろうか。俺だってたまには人に気を使ったりするというのに。それが自分の彼女ならばなおさらだ。
「……うん、そうだね!」
「……」
そして、夏乃は再び笑った。いつのころからだったか、この笑顔が隣にあるのが当然と思えるようになったのは。
大学に入った当初、人付き合いが苦手な俺は部活に入ることなど考えていなかった。そんな俺を無理やりこの四季部という部活に入れたのが、今は学内のどこかで宣伝作業をしているはずの―――俺の予想では多分宣伝そっちのけでカップルコンテストに出ているはずだ―――美夏先輩だ。名前に四季の名前が入っていなければ入部できない部活とあってか、代々四季部の部長に受け継がれているというわけの分からない権限を使って新入生全員の名前と写真を一度閲覧したらしい。全く、プライベートもなにもあったもんじゃないな。
一度顔を出したら、以降は来ないようにしよう。そう思いながらも四季部の部室へと連行された俺は、そこで夏乃に出会った。そのときは俺たち二人しか連行されていなかったらしく、夏乃は安堵したような笑みを浮かべて俺に話しかけてきた。
それからだ。事あるごとに夏乃は俺と一緒に居るようになり、俺もそれを疎ましく思うことはなかった。そんな俺たちが付き合いだすのに時間はかからなかった。ちなみに、四季部は部員全員が部内恋愛しているというとんでもない部活だったというのを知ったのは、交際宣言した翌日だったりする。しかも顧問の四代春秋先生は四季部の創設者だという。その上、当時付き合っていた彼女とそのままゴールインしたというのだから、四季部の伝説に新たな項目が追加されるのも時間の問題だろう。
「そういえばさ、美夏先輩の学祭でのある話、知ってる?」
「……?」
夏乃が聞いてきたそれは、俺の知らない話だった。首を振って知らないことを示すと、夏乃は聞きたいかどうか問うてくる。それにうなずくと、夏乃はにっこりと笑って口を開いた。
*
「いやぁ、あの時の美夏っちは傑作だったよね!」
「うぅ、小春、それ以上はやめてくれ……」
そういって、美夏っちはがっくりと肩を落とした。それをいたわっている冬斗っちは絶対いいお嫁さんになるよね。見た目的には何も間違ってないよね、うん。
「へへーんだ。この巽小春に逆らうからだよ。ね、吉秋」
「あはは。小春、その辺で勘弁しておいてあげなよ」
「うぅん、吉秋が言うなら仕方ないか。この辺で勘弁してあげるよ、美夏っち」
そういうと、美夏っちは顔を上げて本当かと問いかけてきた。冬斗っちがその隣であたしを笑顔でにらんできてることだし、そろそろトドメをさしてあげよう。あたしは吉秋ほど優しくはないんだから。部内での取り決めを破ってカップルコンテストなんてものに出ていた人たちには―――挙句、そこで宣伝するならまだしも、それを忘れて優勝なんてしてしまったのである―――ちゃんと罰を与えなきゃね。
「そういうわけだから、二回生のときにたまたま学祭に訪れた高校生男子に無責任なことを吹き込んで、挙句その高校生男子が変な部活作っていたことを新入生から聞いた瞬間に喜んでその後彼氏にあんなことやこんなことをされた美夏っち、もうデートに戻っていいよ」
「小春、お前、許す気ないだろう……?」
「これ以上ここに居て吉秋とあたしの邪魔をするならまだ罵られたいんだと判断するけど?」
「よぉっし冬斗! 次は現視研の焼きそば屋だ!」
「あ、まってよ美夏!」
やっと行ったわね。全く、相変わらず空気読めないんだから、美夏っちにも困ったものよね。高校からの付き合いだけど、あれ、何でか直らないのよね。狙ってやってんのかしら?
「さて、吉秋、どこ回る?」
「そうだね、どこがいいかな。小春はなにか気になる場所とかないのかい?」
「そうねぇ……お昼時だし、適当に見て回りましょうか」
そうして、あたしとその彼氏である南野吉秋はゆっくりと歩き出した。学祭ということで周りは熱気にあふれているし、外の売店は食品を扱っているところが多い。お腹が空いたら近くの売店に行けば何かしら食べれるでしょうし、今は吉秋とのデートを楽しむことにしておいた。
そんなとき、目の端に移ったのは、正門から入ってくる知り合いの姿だった。おかしなところがあるとしたら、女性が男性を背負っているところでしょうね。といっても、それがあの二人となると、ぜんぜんおかしいとは思えないんだけど。
「吉秋、あれ、夏也先輩たちよね?」
「そうだね。相変わらず、真冬先輩は夏也先輩がおきているのに気づいてないね」
「……え、夏也先輩起きてるの?」
「うん。よく見たら分かるんだけど、夏也先輩微妙に顔がにやけてるんだ。多分、真冬先輩の独り言聞いてにやけそうになるのを我慢してるんじゃないかな」
「初めて知ったわ」
吉秋が洞察力に優れているのは知ってたけど、まさかそんなことまで知ってたなんて。やばい、惚れ直しちゃいそう。
「邪魔するのも悪いし、見つからないうちに離れようか」
「そうね、そうしましょう」
さすが吉秋ね、どこぞの誰かさんと違って空気が読めるわ。そうと決まれば、見つからないうちに退散退散、っと。
「……あれ? 今、見覚えのある顔が……」
「小春もかい? 実は僕も、今見覚えのある顔があったような気がしたんだけど……」
どうやら、吉秋もなにやら見覚えのある人間を見つけていたらしい。それが誰なのか、しばらく頭を悩ませたんだけど、全く検討がつかなかった。気のせいかしら?
「まぁいいわよね。行きましょ、吉秋」
「そうだね。行こうか、小春」
ちなみに、その後例の男子高校生が現れて、一悶着あったりなかったりしたんだけど、それはまた別の話。
ていうか、あの男子高校生、思っていた以上に強烈なキャラになってたような……あの子の名前に四季の名前が入ってなくて助かったわ。漢字が『春』じゃなくて『陽』でよかった……今ほど四季部のシステムに感謝したことはないわね。
おわり