最後に会えたら
風雅
真っ白な世界の中で少女が一人立っていた。少女は悲しそうな目でこちらを見つめている。
『もう、時間がないの……早く』
……夢を見た。変な夢だった。顔も知らない女の子に「時間がない」なんて言われて、気味が悪い。本当にあの子は誰だったんだ? 見たこともない子だったし。って、あれ? どんな顔してたっけ……。なぜだろう、思い出せない。でもまぁ、夢なんてそんなものか。
ただ、少女の悲しそうな目が頭から離れなかった。
へんな夢を見たせいで何もする気がおきないが今日はバイトの日だ。
「……行くか」
俺は重い腰をあげバイトへと向かった。
バイト先に向かっている間も気がつけば夢の事ばかり考えていた。あの少女は誰なのか、時間がないとはどういうことなのか、俺はどうすればいいのか。
「危ない!」
その声に反応したときにはもう遅かった。頭に鈍い衝撃を覚えて俺は意識を失った。
次に気がついたときには病院のベットの上だった。
担当の医者が言うには、ブロックが頭に落ちてきたらしいが、あたった場所がよかったのか、1週間程度で退院できるそうだ。
さまざまな検査を受けた後、俺は1人天井を見つめていた。
こういう時間はあまり好きじゃない。いろいろ考えるのが向いてないんだ。そういえば前にも一度だけ入院したことがあったっけ。
――高1の時、俺は自転車で事故り、左足を骨折し、入院することになった。その時入院したのもたしかこの病院だったはずだ。この近くに病院は少ないから。
あの時もこんな風に何もすることがなくて、ただ天井を見つめていた。
そんな時だった。あの子がやってきたのは。
いきなり扉が開いたから、驚いて扉のほうを見ると小学生くらいの女の子が入ってきた。
「ねぇ、お兄ちゃん、なんか面白い話してくれない?」
いきなりそんなことを言われて、俺は意味がわからなかった。
「誰だよお前。面白い話なんていきなり言われて話せるわけないだろ」
「なんでもいいの。あたし、退屈だから」
俺も暇だし、何か話そう。どんな話がいいだろう。
「よし。とびきり面白い話をしてやろう」
以前友達から聞いた怪談を話してやることにした。病院で怪談なんて話すものじゃない。話しながら自分もすこし怖くなってきた。小学生には刺激が強すぎるだろうと思ったが止めることができなかった。
すべて話し終えたとき、泣いているかもしれないと顔を覗き込んでみると、涙目になっていたが必死にこらえていた。そして、
「面白くはなかったけど、ありがとう。明日も来るね」
そう言って帰って行った。
次の日、約束通りそいつはやってきた。仕方ないから色々な話をしてやった。入院中ですることもないしいい暇つぶしだった。自分の話や友達の話、テレビの話や怪談もたまにした。何日かすると俺たちは友達のような兄弟のような不思議な関係になっていった。
でも、あいつが何日も来ない時があった。
その時気付いたんだが、俺はあいつの名前も、病室も知らなかったんだ。俺はただ待つしかなかった……。
俺が心配していると、初めて会った時のように
「久しぶり! 元気だった?」
と、笑顔でドアから顔をのぞかせていた。声は元気そうだったが、顔は少しやつれていて空元気なのはみえみえだった。
「元気だった? じゃねえ! お前こそ大丈夫なのか!?」
「大丈夫だよ。そんなに心配しなくても……お兄ちゃんもそんなに怒れるなら元気だね」
「……無理すんなよ。病院にいるってことはお前だって病人なんだろ? 毎日毎日無理して会いに来ることないんだぞ。俺がお前の病室行っていいなら俺が行くし」
俺がそう言うと、顔からそれまでの笑顔が消えていた。
「別にいいじゃん。あたしがここに来ればいい話だし」
「でもさ、俺、お前の名前も病室も知らなかったんだ。何の病気で入院してるのかももちろん知らない。俺の事いろいろ話しただろ? お前の事も教えてくれよ」
しばらくの無言の時間の後あいつは口を開いた。
「わかった。教えてあげる。ついてきて」
そこまで思い出すと体が勝手に動いていた。まだ入院しているはずなんてないけど。俺は、病室を飛び出した。静まり返った深夜の病院。あの日少女と歩いた廊下。あれから何度もあの病室へ通った。毎日のように他愛のない話をした。退院しても何度か見舞いに行った。いや、数回しか行かなかった。俺が見舞いに行かなくなってから5年はたってる。もうあそこにいるはずがない。退院してるか、もしくは……。
あいつの病室は入院患者の中でも重症患者ばかりが入院している場所にあった。息を切らしながらたどり着いた病室。入院患者の名前は……
『中村雪菜』
俺は震える手で病室の扉を開けた。
ベットの上には一人の少女がいた。それは5年前のあの少女であり、夢の中に出てきた少女だった。
「やっと来てくれた」
5年前より少し低くなった声で少女……いや、雪菜は言う。
「最近はずっとお兄ちゃんの事考えてたんだ。この間は夢にまで出てきちゃった」
「雪菜……」
「あ、名前。覚えててくれてたんだね。忘れられちゃったかと思ってた」
「忘れてた。今までずっと忘れてた。この間夢にお前が出てきたときだって誰だかわかんなかった!」
「でも、思い出してくれた。思い出したからここまで来てくれたんでしょ?」
「……」
「5年間入院と退院を繰り返してたんだ。よくなって退院するんだけど結局はここに戻ってきちゃうんだよね。嫌になっちゃう」
雪菜は笑いながらそう言った。
しかし、その笑顔はとても寂しそうに見えた。
「……でもそれももう終わりかな」
「えっ?」
「もう退院できないと思う。だから入院も退院も、もう終わり」
「それは……どういう意味だよ」
答えなんてわかってる。わかってるけど、違う答えを言ってほしくて俺は雪菜に尋ねた。
「あたし、もう助からないと思う」
笑顔でそう言う雪菜に俺は耐えきれなくなった。なんで笑顔でそんなことが言えるんだよ……。なんでそんな悲しいこと言うんだよ……。そう思うと涙があふれて止まらなくなってきた。
「なんでお兄ちゃんが泣くの?あたしは幸せだよ?この前一時退院した時に、やり残したこといっぱいしたの。先生も家族もあたしのやりたいことなんでも叶えてくれた。でも、一つだけできなかったことがあったの。それは……お兄ちゃんに会うこと」
「なんで俺なんだよっ……」
「お兄ちゃんと話してた時、本当に楽しかったんだ。入院ばっかりでまともに学校もいってなかったから家族以外であんなにたくさん話したのはお兄ちゃんが初めてだった」
「でも……俺、約束破ったのに!」
「約束?」
俺は退院する日に雪菜に約束したんだ。『退院しても会いに行く』って。それなのに、俺は……。
「ちゃんと守ってくれたじゃない。ちゃんとお見舞い来てくれたでしょ?」
「それはっ!足の検査のついでだ!完治してからは一回も来てない!」
そう、俺は忘れたんだ。病院に通わなくなってからはいろんな理由をつけて一度も病院に行かなかった。
「ついででも嬉しかった。それに、今来てくれた。それだけであたしは満足」
俺より年下のはずなのに雪菜が大人びて見えた。涙で顔がぐしゃぐしゃになってる俺よりずっと強い。
俺は涙を拭いた。
「なんかやりたいこと、ないのかよ」
「え?」
「いいから言え!どんな不可能な願い事だって俺が叶えてやる!」
「なんでも、いいの?」
「もちろん」
「じゃあ……星がみたい」
「ほ、し?」
「すごくきれいなんだよ? この病院の屋上から見える星空」
「そんなことでいいならすぐに叶えてやる!明日だ。明日でいいな?」
「うんっ!」
翌朝、俺は雪菜の母親と主治医に頼み込んだ。一晩だけ自由をくれ、と。反対されると思っていたが、あっさり許しが出た。
「最後の思い出にしてやってください」
母親のその言葉が雪菜の病状を物語っていた。
そして、その夜。俺は雪菜と屋上にいた。
真夜中なのに明かりのついているビル。そして、空を見上げると数えられないほどの星が輝いていた。
「きれいだね」
「ああ」
「あたし、満足だよ。最後にこんなにきれいな星空を見れて」
「俺が……」
「ん?」
「俺がもっときれいな星空見せてやるよ!だからあきらめんな!病気なんかに負けんな!最後だなんて、そんな寂しいこと言うなよ……!」
俺だって馬鹿じゃないからわかってる。がんばればどうにかなるようなもんじゃない。それでも俺はあきらめてほしくはなかった。
「ありがとう。でもあたしにはこれが最高の星空だよ。」
その言葉が俺が聞いた雪菜の最後の言葉だった。