蝉と私
風雅
「ほんとセミってうるさいよねー。ちょっとしか生きられないくせにミンミン鳴くなっての。」
「ほんとだよね。短い命なんだから、もっといい事して死んでいきゃいいのに。」
女子高生たちの声が頭に響く。
夏だ。とにかく暑い。暑さに拍車をかけているのは蝉のうるさい声。
蝉は短命だといわれるが、それは成虫として人の目につく期間が短いだけのこと。幼虫として生きている期間もあわせれば昆虫としてはとても長生きだと言える。
しかし私には幼虫として何年間も地下で一人きりでいるなんてとてもさみしく思える。そして、成虫としてやっと表舞台に立てても人間からはうざがられ、たった数週間で命を終える。
蝉とはなんて空しい生き物なんだろう…。
『なんていっぱい仲間がいるのかしら!楽しい!』
どこからか声がする。平日の真昼間、こんな暑い公園にだれがいるのだろう。
『もっともっと鳴きたい!』
声はするのに周りを見渡しても誰もいない。
誰が話しているのかと周りを見回していると、
『あら…?もしかしてわたしの声、聞こえてるの?』
どこからだ?どこから聞こえているのだろう。
「あなた誰?どこにいるの?私のこと、見えてるの?」
『あなた、わたしの声が聞こえているのね!人間にはわたしたちの声が聞こえるものなのかしら…?』
「どうでもいいから私の質問に答えてよ!あなた誰なの?」
声は木のほうから聞こえる…。
『わたし?わたしはこの公園に住み着いている…』
まさかと思いつつ私はその木に近付いていく。
『セミよ。ミンミンゼミって言えばわかりやすいかしら?』
蝉?私は蝉と会話してるって言うの?
目の前の木にへばりついている蝉をじっと見つめる。
『どうしたの?黙りこくって。』
「あんまりに暑いから頭でもやられたんだ…。そうに違いない。だって蝉と会話できるなんて……」
『あれ?人間にはセミの声が聞こえるってわけじゃないのね。あなたは特殊なの?それともわたしが特殊なのかしら?』
蝉―ミンミンゼミって言ってたな―が話し続けている。
『せっかくお話しできるんだから仲良くしましょうよ。わたし、地面から出てきたばっかりでとっても楽しいの!』
冗談じゃない。蝉と楽しくお話って、誰かが通りかかったら私はただの変人にみえるじゃないか!一人で木に向かってはなしているなんて…。
『ねぇねぇ。セミってたくさんいるのね!地面の中では一人っきりだったけれど、こんなに広くていろんなものがあって…ここはとっても楽しいわ!』
「…。でも、すぐに死んじゃうんよ。蝉が地上に出てきたら生きられる時間はたかが知れてるんだから。」
『え…。そういうもの、なのね…。でも、いいわ!最期をこんなに素晴らしい場所で迎えられるなんて!』
「どうしてそんなに楽観的なの?今まではずっと一人で地面の中。やっと出てきたと思ったらすぐに死ぬ。どこが楽しいのよ。最悪じゃない。」
人生のほとんどを一人きりなんて耐えられない。何の楽しみもない、そんな人生、私ならいやだ。
『人間の考えも、ほかのセミたちの考えもわからないわ。でも、わたしは自分の人生が最悪なんて思わないわ。今まで一人が普通だったの。何もなくて、ただただ地上に出ることを夢見ているだけだったの。でも、地上に出ていろんなものがあって、あなたともこうして話ができて。それだけでわたしは幸せだわ。』
「でも、さみしくなかったの?一人きりで何年間も地面の中にいて、さみしくはなかったの?」
『言ったでしょう?それが“普通”だったって。ほかにだれかがいるなんて経験したことがなかったから“さみしい”なんて感じたこともなかったわ』
“普通”そうか、私は隣に誰かいるのが“普通”だったんだ。だから、一人でいるのが…。
『さみしいと感じるならあなたは今までいろんな人に囲まれていたのかしら?それはとっても幸せなことね。人間は何十年も生きられるのでしょう?これからもいろんな人に囲まれて生きていけるのね。…少し、うらやましいな』
「…私は一人だよ。一人っきりだ。」
そう、こんな平日の真昼間から公園なんかで時間を潰しているのも、私が一人っきりだから…。
『今は一人でもこれから何十年もあるんだから、きっと大丈夫よ。わたしみたいに世界が輝きだすことがあるかもしれないわ。』
輝きだす…?そんなこと…。
『そろそろわたしは行くわ。もっといろんなものを見てみたいから!命が短いならその分いろんなものを見てみたいの!』
「ちょっと…!」
それだけ言い残して、私の言葉も聞かずに行ってしまった。
「世界が…輝きだす、か。」
この世界に期待してみてもいいのかもしれない。蝉に比べれば何倍も長い人生だ。あのポジティブ思考のミンミンゼミに負けないくらい、いろんなものを見よう。感じよう。
私はミンミンゼミがいた木に背を向けて歩き出す。