SAKURA_DRIVE

                          シキクサ

 

 

   0

 

 私達が暮らすこの世界というものは、意外と、私達が思っている以上に摩訶不思議な現象や説明のつかない存在であふれている。

ただ、ほとんどの人には見えていないだけでね。

見ようと思えば、それら(・・・)なんてどこにでもある

例えばほら、私達の隣にとか、目の前にとか、あるいは…すぐ後ろにとか。

あ、ごめん。驚かせるつもりで言ったんじゃないよ。

まあ、いきなりこんなことを言われても、まず信じられないよね。

しかたない、それが普通なんだし。私だってそうだった。

実際に、その摩訶不思議で説明のつかない出来事に出会うまではね…

 

今から話すのは、私が初めて『摩訶不思議な出来事』に遭遇した時のこと。

そして、私が『説明のつかない存在』と向き合うきっかけになった、私のお姉ちゃんのこと―――。

 

 

  T

 

咲耶(さくや)起きなさい!もう九時すぎてるわよ!

日曜日くらい、ゆっくり寝ていたいというのに。それでも、母親は平日のように情け容赦なくたたき起こしにかかってくる。休日だという事を考慮してか、流石に起こす時間は平日よりも遅いけど、お昼まで寝てたい病の咲耶としてはこの時間は厳しすぎる。

「ほら芳乃(よしの)も、さっさと起きて着替えて!洗濯できないでしょ!」

 咲耶がしぶしぶ布団から起き上がるのを見届けると、今度は上で寝こけてる姉・芳乃の布団を剥ぎ取るおかあさん。

咲耶と芳乃は、同じ部屋の二段ベッドで寝ている。上の段が芳乃で、下の段が咲耶というわけだ。

「うー…寝たりねえ…」

 母に布団をひん剥かれて、いかにも仕方なさそうに身を起こす芳乃。

背格好は咲耶と大差ないくせに、口調や身の振り方が変に男勝りなところのある彼女は、頭をガシガシと掻き毟りながら大きなあくびをかました。

「お、そうだそうだ。昨日の晩、お前宛に十通くらいメール届いてたぞ」

「へ?そんなに?」

「うん。そのせいで充電が思いっ切り減ったんだからな」

「はいはい、ごめんよごめんよ」

 ん。と、携帯電話を持った芳乃の手が上から伸びてきた。

咲耶と芳乃は、携帯を共有している。というか、芳乃の携帯を咲耶が借りている形になってる。

夜永(よなが)家において、携帯電話の所持が許されるのは高校生からなので、まだ中学二年生の咲耶は、大学生の芳乃のを貸してもらっているのだ。

ただ、優先権はあくまでも芳乃にあるので、大事な連絡があるときでも、芳乃が外出している時などは受け取ることができないのである。

昨晩がまさにその典型的な例だ。

昨日、芳乃は大学の友達と遊んでいて一日中家を空けていた。その最中に咲耶に宛てたメールが届いたのだが、芳乃が帰ってきたのは咲耶が眠ってしまったあとだった。仕方がなかったので、芳乃は彼女を無理には起こさず朝になってから伝えたのである。

咲耶は別段このやりかたに異議があるわけでもないのだが、やっぱり大事な連絡だったりしたらまずくないかとは思ってしまう。

まあ思うだけなので、すぐに切り替えて例の十通も溜まったメールを開いた。

「なになに…これ、友達が送ってきた……すぐに、回して…?」

「ああ、そのメールな、全部チェンメだったぞ。回すなよ」

「え?」

 十通のメールのうち、同じ内容のものが八通も届いていた。残りの二通は、いずれも『怖いからあのメールを送ってこないで』というものだった。『あのメール』というのは、おそらくあの八通のメールの事なのだろう。

 で、ためしにその八通のうちの一通を開いてみたところ、まず目に入ったのが大量に連続している『>』のマーク(転送する時に、文の最初につく記号のように思える)。それがずっと続いていて、だいぶ下のほうにようやくこんな文章が続いていた。

 

 

>>>>>>>>>>>>>>>>>あなたは回って来てしまった

見てしまった 私は好きな人がいたの 親友のりんちゃんがいて、毎日相談してました 私は友達が少なくて ゆういつの友達がりんちゃんでした デモウラギラレタ 私は交通事故で車に跳ねられ,両足がなくなりました。 りんちゃんは私が休んでいる時に

違う子と親友になってイタ 私の好きな人とも 付き合っていた

本当に許せない 本当に許せない 本当許せない 私はりんちゃんをすごく恨んでいる。コロシニイキタイ。でも無理だ………

足がないから。 だから誰かの足が欲しいの。>>>もしこのメールを10時間以内に10人に 回さなかったら私があなたの足をうばいに行くからね。だからみんな協力して下 さい。 私はあなたを信じてる。私の友達になってくるよね?助けてくれるよね?

もしこのメールを10人に回さなかったら 夜の0時ぴったりにあなたの足を 貰いにいきます。あなたの目の前に居ても怖がらないでね。 アナタガワルインダカラ もし止めたら コロス コロス コロス コロス 実際に止めた人もいました ××県 ○○市 Aさん38才 死体で見つかりました 足は、2本ともなくて

目が取れていて 心臓がえぐり出されて 手が半分無く なっていました 本当です 嘘だと思うならこれにかけて下さい〈0903615××××〉●●組 この団が私の協力者です いつもこのパターンのチェーンメールだと思うよね? これは本当だよ。 世界には3つだけ本当のチェーンメールがあるって知ってた?これはそのうちの一つ。 送られてきた人に返したら回さないよりひどい目にあうよ? ちゃんと十人に回したら私はあなたを友達だと思ってなにもしない 安心していい 本当に回してね… 約束だよ?

>>>>          Ayami

 

「なにこれ、怖…」

「だから、それチェンメだからな。ぜってー回すなよ」

「え、だって、違うって書いてあるよ?」

「そういう手口なの」

「でも…」

「どうせ、回さなかったら殺す系のヤツだろ?無視でいいよ。まったく、やっぱ春先はバカが増えるのな。メンドイ」

「…」

面倒くさそうに言い切る芳乃に、咲耶はこっそりため息をついた。チェンメだチェンメだと言われ続けてると、なんだか本当に普通のチェーンメールのように見えてきた。でも、変にリアルで生々しい文章がやっぱり妙に怖い。

そう考えていると、上からまた大きなあくびが聞こえてきた。かと思うと、芳乃が二段ベッドのハシゴをまだ眠そうに降りてきて、咲耶に携帯を預けたまま先に部屋を出てしまった。

残された咲耶は、あとでこれを送ってきた友達か、まだ送られてない友達に話を聞こうと決めて、勢いをつけてベッドを降りた。

 

 

  U

 

メモリ:102 藤崎くるみ

〔ねえねえ、昨日のチェンメ誰かに回した?〕

《うん、怖いから回しちゃった…(泣)咲耶は?》

〔私は回してない。お姉ちゃんがチェンメなんか回すなって…〕

《そっか》

 

メモリ:93 田中香織

〔昨日のメールどうした?〕

[うー…怖かったけど回さなかった。どうせただのチェンメだろうし]

 

メモリ:87 北谷真帆

〔おはよー。夕べ、チェンメ来た?〕

{来た来た(泣)怖かったー}

〔誰かに回した?〕

{うん。だって怖いじゃん!}

 

メモリ:54 赤石真美

〔昨日のチェンメ回した?〕

〈めっちゃ怖いやつ?〉

〔そうそう〕

〈回しちゃだめだよ!あれ個人情報ばれるから。あと、あーゆうのは嘘だから、信じないでね〉

 

―――――

―――――――――――………

 

 

情報収集の成果は、あまり芳しくなかった。たいがいの子は、自分の所に来たメールが恐ろしくて、すぐさまメールを回してしまっていたのだ。何人かは咲耶のように思いとどまったようだが、そっちのほうが少数派だった。

 

…ただのチェーンメールなら、これで終わりだ。

よく分らない内容のメールがたくさんの人の携帯に届いて、ある人は恐怖を覚えたり、またある人は芳乃のように無視を決め込んだり。でも、それだけだ。いずれは、みんな何事もなかったかのように元の生活に戻って、やがてチェンメの事など忘れ去っていくのだろう。

それ以上は何も起きない。起き得ない。

なのに、咲耶は未だにすっきりできなかった。何かがひっかかるのだ。芳乃は、咲耶がなにを聞いても「構うな、ほっとけ」としか言わない。でも、何かが気になる。具体的に何が、とは言い難いのだが、何か嫌な予感がする。そんな気がしてならなかった。

 

そして、その嫌な予感は…最悪な形で現実となる。

 

休みが明けた月曜日。

一晩眠れば、チェーンメールの事などすっかり忘れられると高を括っていたのだが、いかんせんそうもいかなかった。

朝になって真っ先にそれらを思い出してしまって、ブルーな気分なまま登校する。

「おっはよーサクちゃん」

「あ…おはよ、美幸」

いつものように、近所の友達・宮森美幸と待ち合わせて、何気ない会話を交えながら自転車をこぐ。

「そーだサクちゃん。一昨日さ、変なメール来なかった?」

「へ?」

 突然不意を打つように話題を振られたものだから、瞬間だけ思考が停止する。でも、忘れているわけではなかったから、すぐに復帰して話題に乗った。忘れてなんかいない。忘れようがない。

「あ、ああ…あのチェーンメールね。来たよ」

「やっぱり、あれチェンメだよねー。回したりしてない?」

「してないよ。あれ美幸のトコにも来たんだ」

「うんうん!よくあるパターンのだったけど、突っ込みどころばっかりであんまり怖くなかったな。なによ●●団って。番号もアレ思いっ切り携帯のだったし」

「だよねー」

チェーンメールについてはそれから一つ二つ話しただけで、そのあとはいつもの普段通りの会話に落ち着いた。本当に、本当にいつもと何ら変わることなく、いつものように学校に辿り着いた。

 

 今にして思えば、完全に油断していた。

 

何かある、何か起こると思いながらも、本当に起こってしまうなんてこれっぽっちも考えていなかった。

あるいは、そう考えている事自体がすでにそれら(・・・)を呼ぶきっかけにったのだろうか―――

 

「あれ?真美ちゃん、それどしたの?」

 

咲耶よりも少し遅れて登校してきた、中学に上がってからできた友人の一人・赤石真美のヒザに包帯が巻かれていたのだ。それも、少し広い範囲に。

「ああ、これ?ちょっと来る時に自転車で転んじゃって…けっこう擦りむいちゃってたから、保健室に行ってたの」

「えー?大丈夫なの?」

「うん。そんなにヒドイ怪我じゃないから」

「そう…」

 この段階では、まだ驚きは薄かった。もともと真美は、こういう小さな怪我が多い子だったからだ。いわゆる、ドジっ娘属性というやつである。自転車で転ぶくらいの事なら、割としょっちゅう起こしている。

 …しかし、これでは終わらなかった。

三日後の木曜日、今度は隣のクラスの友人・田中香織が膝から足首にかけて大がかりな包帯を巻いていた。昼休みにバッタリ出会った時に初めて、右足を覆っている包帯を目の当たりにした時は、正直かなり度肝を抜かれた。

曰く…四限目の授業が体育で、砂場で走り幅跳びをしていた時に、着地の仕方を誤って思い切り足をひねってしまった。同時に膝や脛も擦りむき、今の今まで保健室で治療を受けていたのだそうだ。

そして、これだけではない。

さらにその翌日には、その田中香織の友人も怪我をしたのだという。なんと今度は、車と衝突したのだ。聞く所のよれば、通学の途中で見通しのいいはずの交差点を渡る時に、いきなり死角から出てきた軽自動車と接触してしまったのだとか。大事には至らなかったと聞いたが、これを機に、咲耶の嫌な予感は、確固とした確信にかわった。

 

 このままでは、いけない。

 これを放っていては、いけない!

 

 咲耶は、この一連の騒ぎの原因が例のチェーンメールにあるとふんだ。

たかだかメールごときが、これらの不自然に続く事故とどう関係あるのかなんて、はっきりとわかるわけではない。

でも少なくとも、三人の被害者のうち二人は確実に関わっている。日曜日に回した確認メールで、赤石真美と田中香織は例のチェーンメールを回さなかったと言っていたのだ。

そして、その二人は実際に怪我を負った。

メールと事故は無関係ではないと、彼女の勘が、そして状況的な証拠が、はっきりと告げていた。

 

>>>>>>>>>>回さなかったら私があなたの足をうばいに行くからね】

 

 チェーンメールの終盤の一文が、ふと思い起こされる。

 

――『呪い』。

 

 そんな非現実的な単語が脳裏をよぎった。

いや、あながちそうでもないのかもしれない。

この『説明不可能な現象』を表現するには、多少非現実的な方がうってつけだ。

 

 そして、そんな『説明不可能な現象』の専門家(エキスパート)になら、心当たりがあった。

 

 

  V

 

「で?折り入って相談ってなんだよ。めっずらしい」

 三人目の被害者がでたその日の夜、咲耶は姉・芳乃の部屋を訪れていた。理由は至極単純。彼女こそが、咲耶の知る唯一の『説明不可能な現象』の専門家(エキスパート)だからだ。

「お姉ちゃんってさあ、オカルトとか結構くわしかったよね?」

「自称な。じしょー。プロじゃねーよ」

 ただし、自称であるらしい。

「それがどーした?お前、そういうの興味ないんじゃなかったか?」

「うん、そうなんだけど…」

「なら何さ。怪談の季節はまだ先だぞ」

 勘と勢いに任せて部屋の扉を開いたまではよかったが、よく考えれば、何をどう説明していいものやら、全く考えていなかった。

呪い?チェーンメールで?よくある話だが、悪く言うならありきたりだ。嘘だろうが本当だろうが、似たような話はごまんと存在する。

なら、どう説明すればいい?どう説明しても作り話じみてしまう。

どうすれば…

「もしかして、こないだのチェンメか?」

「!」

「当たりだな」

「え…えと…う、ん」

 こちらが説明の仕方に四苦八苦悩んでいる間に、芳乃は至極あっさりと本題を言い当ててしまった。

言い出す手間が省けたのはいいが、さっきの逡巡はいったいなんだったのか。

「あれはオカルトでもなんでもないだろ。しいて言うなら、ありゃ都市伝説の類だ。残念ながら、そこらへんは私の管轄外なんで」

「え、でも…ホントに怪我人とか出たり、とか…」

「ふーん……何人いんの?」

「え…三人だけど」

咲耶がおずおずと答えても、芳乃は目も合わせない。

「そんくらいなら、どってこたぁない。放置でいいよ。ヘタに騒がずにいれば、いずれみんなチェンメなんぞ忘れるさ」

「で、でも!」

「くどい。死人はいないんだろ?騒ぎすぎだよ。そのせいで回りが過敏になってんだ。ちっと冷静になれ」

 咲耶が何を言おうと、芳乃はあれこれ理屈をつけて真面目に取り合ってくれなかった。最初にメールを見た朝、嫌な予感がするといった咲耶を適当にあしらったように。

「……っもういいよ!お姉ちゃんのバカ!」

 芳乃のそんな態度に逆上した咲耶は、ドスドスとわざと大きな足音を立てながら部屋を出たかと思えば、けたたましい音を立てて扉を思いっ切り閉めた。

「バカでいーよ」

 そう呟いた芳乃の心中を、咲耶が知るのはいつになるやら。

 芳乃の心などいざ知らず。向かいにある自室に入り、逃げるようにベッドの下段に飛び込んだ咲耶。お気に入りのぬいぐるみを抱き寄せて落ち着こうとしたが、よくよく考えればこれは昔に芳乃が買ってくれたモノだった事を思い出して、慌てて壁にむかって放り投げた。

(もぉおおおお!バカバカバカ!お姉ちゃんのバカ!アホ!なによう!せっかく頼りに行こうと思ったのに!)

 思えば、発想自体が安直だったのかもしれない。

チェーンメールが届いて、皆が怖がってて。

そしたら、メールを回さなかった人が次々怪我をして。

それだけだ。たったそれだけだ。

怪我をしたのだって、まだ三人。ここで連鎖が止まるようなら、咲耶の勘は完全に的外れだった事になる。

それに、三人目である香織の友人に至ってはチェンメを回したのかどうか、それ以前にチェンメが届いたのかすら確認していなかった。

これで終わるならただの偶然、不幸な不注意の連続にすぎなくなる。

 …そうだったらいいのに。

そう考えながら、咲耶は再度体を起こして、自室を出た。

目指したのは、先ほど逆上して逃げるように出てきた芳乃の部屋。別に謝りに行くわけではない。携帯を借りるためだ。

 今はまだ何も分からない。偶然なのかそうでないのか、それすら分からない。でも、今からでもできることはある。

そう。芳乃が動いてくれないのなら、自分で動けばいいのだ。

とりあえず香織に連絡して、まず怪我をした彼女の友人が例のチェンメを受け取っていたのかを確認しよう。それで何もなかったら、もうこの件からは手を引けばいい。

 そう決意しながら、咲耶はちょっと畏まって、芳乃の部屋の扉をノックした。

 

 

  W

 

 そして、日曜日。

今度の情報収集の結果は上々だった。否、結果を見るのなら最悪と言うべきか。

 三人目の被害者もやはりチェーンメールを受けっとっていて、なおかつ誰にも回さなかったらしいのだ。彼女にこのチェンメを送ったのは、以前の確認メールで回したと言っていた藤崎くるみだったから、これは確実だ。

そして、ついでに誰が誰に送ったのかを聞きこんでいくと、やがてとんでもない事実に行きついた。この土日で、新たに事故にあった生徒が三人もいたのだ。その全員が咲耶と同じ中学校の生徒で、負った怪我はいずれも足。そしてやはり、全員が件のチェーンメールを受け取って、回さなかったという。

これはもう、無関係であるとはいえない。メールと事故の関係性は明らかだ。

 ここまで来たら、もう犯人捜しも自分でやってしまったほうが断然早い。

 警察だとか、大人だとかを頼る気はさらさら無かった。芳乃ならいざ知らず、まっとうな大人ごときが真剣にこんな話を聞いてくれるはずがない。

そんな事をしなくとも、引き続き聞き込みを続けていけば、ある程度犯人を絞り込めるはずだ。

ただ、もし呪いなんてものが実在するのなら、太刀打ちできる自信は実はない。しかし、犯人を特定して探し出すくらいなら咲耶でもできる。そして咲耶で太刀打ちできないようなら、その時こそ芳乃の出番だ。だが、そうでない限りは必ず自力で仕留めてみせる。

 ひそかな決意を胸に抱いて、咲耶は、夕飯が終わるや否やさっさと眠ってしまった芳乃に携帯を返した。もちろん、メールの履歴はすべて削除してある。芳乃に見られるくらいならどうという事はないが、咲耶の意図に気づいた芳乃が、親に報告する(チクる)なりなんなりして妨害してこないとも限らない。そればかりは避けたかった。

一応、重要だと思った部分は紙にしたためて隠してある。

あとは、携帯が芳乃の手元にある間に聞き込みの返事が返ってこないことを祈るばかりである。

 勉強机に座りなおして、咲耶はこれからの事に思いを巡らせる。

当面の問題は、チェンメを回さなかった人の内で、まだ事故に遭っていない人をどうするかだ。特に、幼馴染でもある宮森美幸。

 いっそ説明するか?否、美幸は筋金入りの現実主義者(リアリスト)だ。オカルトなんて類ものは大の嫌いときている。件のチェンメを回さなかったのも、その信念があったが故なのだ。これで、チェンメを回さなかった報いがどうたらこうたらと話した所で、信じてもらえるわけがなかった。

しかし、美幸は近いうちに必ず被害に遭う。なにせ、メールを回さなかったのだから。

 それに合わせてもう一つ、気になる事があった。

それは、このチェーンメールを回し始めた大元…つまり犯人の存在である。一番初めに明るみに出た被害者は赤石真美だが、その彼女にメールを送った人物が少し不可解なのだ。

 名前は茂木加奈子。調査に協力してくれた生徒達の中には彼女をよく知る人はいなかったが、彼女に対して抱く評価は全員が同じだった。

暗い。 喋らない。 目立たない。 いつも一人でいる。 そして、先月交通事故に遭って、両足に怪我をしていたのだという。

事故、という観点から見るなら、確かに怪しいのは加奈子だ。

一応、真美を含めた10人が加奈子からのメールを受け取っている。メールの指示は10時間以内に10人に送れ、というものだったから、10人という数は不自然ではない。

ただ、いったいどうやってその10人のアドレスを知ったのか、それがどうにも分からなかった。誰も彼女とアドレスを交換したことはなかったし、そもそも彼女が携帯を持っていた事自体、初めて知ったという人がほとんどだったのだ。

これらを踏まえて立てられる仮説は、黒幕は別に居るという事である。何者かが加奈子に10人分のアドレスとチェンメの原稿を渡し、なにかしら脅してチェーンメールを送らせるという寸法だ。

これは割と良い線をいっているのではないだろうか?

ただ、これを確定とするには、まだなにか不自然だった。

先にも言った通り、加奈子は目立たない地味な子だ。同じクラスならともかく、違うクラスに属しているのなら、彼女が学校を休んだかなんてわからないし、そもそも気にも留めない。

このチェンメの元になったであろう先月の交通事故だって、知られるようになったのは咲耶がチェンメについて調べはじめてからなのだ。10人に送らなければ両足を貰う云々のくだりを彼女の事故になぞらえて考案するには、まず事故について知らなければならない。加奈子が学校に復帰した時は、もう足には包帯も傷もなかったし、彼女自身でもなければこの原稿を作り出す事は無理だ。

 もちろん、さっきの仮説の方が正しいとするなら、黒幕である人物は加奈子が事故にあった事を知っているのかもしれない。

 なんにしても、今はまだ情報が少なすぎる。

明日もまた学校がある。今日の所はさっさと寝てしまおう。

おおきな伸びをして、欠伸とともに立ち上がる咲耶。

 

 その動作を一瞬で硬化させたのは、静かな部屋ではよく響く、味気ないメールの着信音だった。

 

「!」

 反射的に振り返り、ベッドを囲う低い柵に乗って上段の充電器に刺さっている携帯をもぎ取った。

慌ててボタンを押して着信音を止めたが、不幸中の幸い、芳乃は起きなかったようだ。起こされなければ昼過ぎまでぶっ通しで眠れてしまう芳乃の体質が、ここで初めて役に立ってくれた。

 ほっと胸を撫で下ろしながら、下段に引っ込んで届いたメールを確認する。

 

しかし、その瞬間だ。

 

 再び響く、味気も何もない白けた着信音。

ただ、こちらの音は、咲耶の手にある携帯のソレではない。

一階に置いてある、家族で共有している据え置きの電話の方だ。

そしてワンテンポ遅れて、二階にいたお母さんのバタバタと慌ただしい足音が階段を下りていく。

「むーい…何事だよ」

せっかく起こさずにすんだのに、今ので完全に芳乃が起きてしまった。

「おろ?咲耶、携帯持ってってる?」

「あ、うん」

「ふーん。いつまでもメールしてないで、早く寝なよ」

「あいあい」

 気をとりなおして、再度携帯に目を落とす。

いきなりかかってきた電話にはびっくりしたが、今はそれどころではない。

まったく、まだ八時とはいえ、こんな夜更けにかけてくるなんて、電話の主は一体何を考えているのやら。

 しかし、そんなのんきなことを考えている場合ではなくなった。

 

「さ、咲耶!」

悲痛に響く、お母さんの叫び声。

 

この時ですら、咲耶はまだ甘い見通しをたてていた。

これだけ立て続けにいろいろ起こったというのに…

 

「宮森さんとこの、美幸ちゃんが…事故に遭ったって!」

 

こんなにも…こんなにも身近(・・)()()()()こり得て(・・・・)しまう(・・・)なんて、考えてすらいなかった―――――

 

―――――

―――――――――――………

 

 

車で四十分ほど飛ばした所にある、少し大きな総合病院。

こんなに遠くにある大きな病院に来たということは、つまりそれだけ大がかりな設備が必要だという事に他ならなかった。

 

 交通事故だったそうだ。

せっかくの休みだからと、家族で食事に行っていたそうだ。

どうせだからと、市内にあるちょっと大きなデパートで買い物をしていたそうだ。

食事を済ませ、いざ帰ろうとしたときに、美幸が車を開けてくると言って、親から鍵を預かって先に走って行ってしまったそうだ。

デパートで買ってもらったマンガの、続きが気になっていたそうだ。

それがいけなかったんだと、おじさんはとても悔しそうに語った。

 

 飲酒運転だったそうだ。

酔っ払ったままハンドルを握っていたドライバーは、操作もおぼつかないままに、駐車場内を暴走していたそうだ。

美幸は、いつものように後部座席に座って、キッチリとシートベルトを締めていたそうだ。

それが仇となったのだと、おばさんは泣き崩れた。

 

 酔っ払いが運転していた車は、美幸の乗っていた乗用車に真正面から衝突した。

幸いにも炎上はしなかったそうだが、それも幸いとは言えなかった。

美幸は、衝突されてぺしゃんこにつぶれた助手席と、座っていたいた後部座席に足を挟まれていたそうだ。

シートベルトのせいで、逃げるのが遅れたそうだ。

そして、その怪我は甚大なものだったそうだ。

最悪の場合、両足(・・)とも(・・)切断(・・)しなければ(・・・・・)ならなく(・・・・)なる(・・)そうだ。

 

…チェーンメールを回さなかったせいで?

 

 集中治療室の前で、咲耶はうなだれていた。

 …自分のせいだ。

 自分が、もっと迅速に調査を進めていれば、少なくともこの事故を予測し、美幸に伝える事ができたはずだ。

 自分が、もっと早く事故について知ることが出来ていれば、少なくとも美幸は、ここにくる羽目にはならなかったはずだ。

 自分が…自分が…

 

「咲耶」

 

 下げたままの視線の先には、芳乃のスニーカー。

美幸が事故に遭ったという電話を受けた時に、何を思ってか芳乃も病院についていくと言い出したのだ。

 本当、何考えてんだか。

「こんな時に…とも思うけど、ほい」

 芳乃が咲耶の眼前に差し出したのは、二人が共有している携帯電話だ。

「何」

「お前宛てにメールがきてる」

「…そ」

 とりたてて感情を荒げるでもなく、淡々と携帯を受け取る咲耶。

咲耶宛てのメールということは、多分さっき見損なったあのメールだろう。

 

…今更見ても、ねぇ

 

 この事件で、咲耶の調査意欲は完全にそがれていた。もともと、チェンメを回さなかったという美幸を守ろうと思って始めたようなものだったのに、今となっては、もう何をしても意味がないようにしか思えなかった。

 携帯を受け取っても、なかなか開こうとしない咲耶を見かねてか、芳乃は一つため息をこぼしてからボソボソとつぶやくように言った。

「まだ、終わってないんだろ?」

「え…?」

「さっさと終わらせろ。それまで待ってやる」

 何を指して言ったのか、咲耶には分からなかった。

ただ、芳乃がわざと曖昧な言い方をした事だけは、不本意ながらも理解することができた。

「お姉…」

「早くしろ。終わらせろ。そして携帯を返せ」

 いつものように、芳乃は目も合わせない。それは興味関心が全く無いというサインだが、今回に限っては、咲耶には別の意味を孕んでいるように感じた。

 

 それは、『全ての判断を(・・・・・・)お前に任せる(・・・・・・)()()()()()()()()()』ということ。

 

 咲耶の眼には、もう迷いはなかった。

 

 

  X

 

 また、カナちゃんがおこってる。

 また、カナちゃんがおこってる。

 ぼく、なにかした?

 ちゃんとカナちゃんのいうこときいたよ?

 ちゃんとカナちゃんのおねがいきいたよ?

 ちゃんと…ちゃんと…したのに

 ちゃんとカナちゃんのキライなヒトをこまらせたのに

 さいしょはちからかげんわかんなかったから

カナちゃんをこまらせちゃったけど

 いまはちゃんとカナちゃんのキライなヒトを

 こまらせてらてやれるのに

 カナちゃん、カナちゃん

 どうしてそんなかおするの?

 わらったかおがみたいよ

 なきそうなかおしないで

 おこったかおしないで

 カナちゃんのえがおがみたいんだ

 ねえ、カナちゃん

 もっということきいたら

 もっと、わらってくれる?

 もっとおねがいきいたら

 もうそんなかおしない?

 ねえねえ、カナちゃん…

 

 

 

  Y

 

 火曜日、五限目。

今日の科目は体育。私は、この時間がだいっきらいだ。

体育そのものがキライって事もあるけど、一番嫌なのは鞄を教室に置いて更衣室に行かなきゃいけないこと。体育の時は、男子は教室で、女子は体育館にある更衣室で着替えるのだ。お財布とか携帯とかは体操服と一緒に更衣室に持っていけばいいけど、それ以外はそうもいかない。

たとえば…詩やら物語やらをいろいろ書き綴ったノートとか。

男子はサイアクだ。こうやって席を外しているときなんか、うっかりそういうノートを出しっぱなしにしていると、決まって勝手に中を読んでしまうのだから。デリカシーとか、そういうものが明らかに欠落してる。

そして一番サイアクなのが、今日に限ってそのノートを持ってきてしまった事だ。いつもなら、体育のある日は極力持ってこないようにしてるのに。ホント、サイアク。

ホントならもう書くのをやめればいいんだろうけど、今の所は書く事が一番の暇つぶしなんだから、やめるにやめられない。

 ああ、ホント…憂鬱だな。

 うん、そうだ。今日の体育は休んでしまおう。六限目も早引けして、今日はもう家でゆっくり休もう。両親が共働きで、兄弟も姉妹もいないとなると、こういう時ばっかりは助かる。

担当の先生に一言だけ挨拶をして、グラウンドをあとにした。

重いからだを引きずるようにして教室に戻る。

 ああ、ホントにつかれた。

 最近はホントにつかれることばっかだ。

 つかれてばっかりで、イライラして、むしゃくしゃして。

 少しでもそれを緩和しようとして、誘いにのってあげたのに

 なによ。ぜんぜんすっきりしない。

 ああ、クサクサする。

 はやく帰ろう。

 着替えるのもめんどうになって、体操服は着たまま制服と貴重品だけを持って教室に戻った。

 

 …私の席は、窓際の列の一番後ろ。

そのそばで、誰かがうずくまっていた。

いや、うずくまっているんじゃない。

誰かが、私の鞄を漁っている―――?

 

「うわ、もう戻ってきた…」

「ど、泥棒!」

 

 私の鞄を漁っていたのは、同じ制服をきた…

 

「ど、泥棒じゃない!私は…」

 

 私の事をずっと探っていた(・・・・・・・・・・・・)

「あんたを止めにきたのよ!」

 

 私の、敵…夜永咲耶だ。

 

 

―――――

―――――――――――………

 

 

 相手への威嚇もかねて大声で啖呵を切ってみたはいいが、咲耶は内心ではひどく動揺していた。

 このクラスの五限目は体育だと知っていたから、自分は化学の授業をサボってこっちのクラスに忍び込んだ。そこまではよかった。しかし、こうして彼女(・・)がここに戻ってきた以上、作戦は失敗だ。

しかたがない。ここへ忍び込んだのは、交渉材料を探すためだったのだが、こうして本人が目の前にいるのならば、さっさと交渉を進めてしまえばいい。

 

目の前にいる彼女…茂木加奈子と。

 

「な、何の話ですか?」

「まだとぼける気?もうこんなにも大事になってるのに」

「だから!一体何の…」

「チェーンメールの話だよ」

 一瞬、加奈子の訝しげに顰められた眉がピクリと動いた気がした。咲耶は、それを動揺のサインととる事にした。少なくとも脈が全くないわけでは無いことが分かって、少しほっとした。ここまできて完全に無駄足なんてことになったら、しばらく立ち直れそうにない。まあ、そこは問題ないだろう。なにせ咲耶は、加奈子を犯人たらしめる為の、これ以上なく単純で、しかしとても決定的な、とある証拠を握っているのだから。

「まだるっこしいの嫌いだし、単刀直入に聞くよ。今回のチェーンメール騒動、原因はあんたでしょ」

「?」

「チェーンメールだけじゃないよ。それを回さなかった人達に次々降りかかってきた事故、あれもあんたの仕業なんじゃない?」

流石にこれはハッタリだった。裏が取れたのは、チェーンメールの件だけだ。

「そんな…チェーンメールなんてどこから来るのか分かんないのに…」

「だから、あんたから来たんでしょう」

「違う!」

 激昂し声を荒げる加奈子。ここで声を大にする時点で墓穴を掘っているようなものだが、より確実にこちらのペースに持ち込むために、咲耶は少し機会を伺うことにした。

少なくとも、あのお約束の言葉を聞くまでは…

「だいたい!何を根拠にそんなデタラメ言ってるの?証拠…そう、証拠は?証拠もないのに、変な言いがかりつけないで!」

 そう思っていると、さっそく『お約束』の台詞が飛び出た。

そうそう、これこれ。これを待ってたんだ。

「証拠ならあるよ。少なくとも、チェーンメールの出所があんただって、証明できる証拠がね」

 とっさに後ろ手に隠していた其れを、そっと前に出す。本当はこの中身を確認してから交渉に持ち込みたかったのだが、もう始まってしまったものは仕方がない。儘よ。当たって砕けて玉砕しろ。

「そ、れ…っ」

「そう。あんたのノートだよ。なーんだろ、なんかいっぱい書いてあるけど」

「っやめて!返して!」

 焦らすように、わざとゆっくりページを開こうとすると、鬼のような形相に豹変した加奈子が形振り構わず飛びかかってきた。不意を突かれて組み伏せられそうになったが、間一髪でよこに飛びのき、机を三つほど挟んで距離をとった。

「なんでそんなに慌ててんの。そんなに見られて困るモンでも書いてあんの?たとえば…」

「いやっ…やめなさい!」

「チェンメの大元でも書いてあったりして」

「―――――――――――――――っっ!」

 加奈子が声にならない悲鳴をあげる。と、思えば…

「――――――――――っうぅ…」

 急に泣き出す加奈子。顔をくっしゃくしゃに歪めて、大粒の涙をぼろぼろ零しはじめた。

「ぇ…ちょ」

流石の咲耶も、こんな早い段階で泣かれるとは思っていなかったので、動揺と混乱に一度に襲われる。

その一瞬の隙を突かれて、切り札ともいうべきノートを奪還されてしまった。

「しまっ…!」

慌てて取り返そうとしたが、加奈子のほうが早かった。

ノートを取り返した加奈子は、素早く鞄を回収しノートを仕舞い込んだ。そして、あっけにとられる咲耶を完全に無視してさっさと教室から出て行ってしまった。

「待ちなさい!」

 もちろん咲耶も、ただぼーっとしているだけでは終わらない。こちらは回収するノートも鞄もないので、すぐさま教室を飛び出して加奈子の後を全力疾走で追いかける。

 

 そして、お互いの矜持と意地をかけた壮絶な追いかけっこが幕をあげた。

加奈子は、自分の抱えるものを知られたくない一心で。

そして咲耶は加奈子の抱えるものを解き明かし、この騒動に終止符を打つために。

 

 

  Z

 

お互いの意地と矜持をかけた追いかけっこに終焉の幕が下ろされたのは、それから三十分は後のこと。

走って走って、ひたすら走って、住宅街から少し離れた神社に辿り着いて、咲耶はようやく加奈子を追い詰めることに成功したのだった。

「ハァ…ハァ…も、観念しなさ…い。ここ、行き止まりだし」

息も絶え絶えの咲耶だが、加奈子に至ってはもっと重傷だった。両手を膝について、喋ることすらままならないほどに息を荒げていた。たぶん、今座りこんだなら、しばらくは立ち上がれない事だろう。

「ゼー…ゼー…しつ、こい…」

「だって…あんたから、聞かなきゃ…いけない事、山ほど、あるし…ハァ…」

「あんたに…話す、事…なんか、ない」

 三十分も追い掛け回されて、それでもまだ意地を張ってとぼけ続ける加奈子に、さしもの咲耶も少しイラつきを覚え始めていた。

「さっさと諦めたら?こんなに大事になってきてるのに」

「だから、しらないって…」

 

「いい加減にしなよ!」

 

 グズグズといつまでたっても煮え切らない態度に業を煮やして、ついに咲耶がブチ切れた。

「本当に何もないんなら、なんでさっき逃げたのよ!何もやましいことしてないんなら、逃げる必要なんかなかったハズ!あんたは、何か隠したい事があったから逃げたんでしょ!」

 先の加奈子もかくやと言わんばかりの形相で、心が思うままに叫ぶ咲耶。般若のような、見ようによっては、泣きそうなのを我慢している子供のような、形相。

「逃げたってことは、認めたって事だ!自分が悪いことしてるって、分かってたんだ!だから逃げたんでしょ?」

そんな顔で絞り出される叫びは、自己を満足させるためだけの音声だ。誰かの心に響かせようだなんて考えていない。

「もう疲れない?虚しくない?馬鹿らしくない?こんな、イライラするだけの非生産的な事なんてさ!」

 加奈子の心を動かそうなんて思いは、昨晩の時点でどこかへ飛んで行ってしまった。今の咲耶は、自分が言いたい事だけを言いたいように言っているだけ。

「私だってもう嫌だよ!こりごりだよ!だって、あんたみたいな根暗のせいで!美幸は…美幸は!」

「…っ」

イライラと、散々走り回った疲労感と、昨晩味わった胃の腑がひっくり返るかのような怒りと敗北感が、咲耶の言葉に拍車をかける。

「なんでこんな事したの!なんでこんな…くっだらない事なんかしたのよ!返して!美幸の足を返して!」

「…くだらないのはそっちよ!」

ここへきて、加奈子が反撃にでた。

咲耶と同じように、言いたいことを、言いたいように、ただ言い連ねる。

「なによ、私がなにをしたの!私がなんだっていうの?ヒトの事を宇宙人でもいるみたいな目でみて!なにかに触るたんびに一々大騒ぎして!いったい何様のつもり?」

「なっ…」

「もう嫌だ!そんな目でみないで!どっか行ってほっといてもう構わないで!」

 その場にしゃがみ込んだかと思えば、ひしるだけひしってワンワン泣きじゃくり始める加奈子。

「なによ…泣きたいのはこっちよ…!」

「うるさいうるさい、うるさい!もう黙って!」

手前勝手な事を喚く彼女を見ていると、言いたい事を言い切って少し沈静化していた咲耶の怒りが再び沸き立ちはじめた。

――もう、土下座したってゆるさない!

つかつかと歩み寄って、襟首をつかみ上げてやろうとする。

 

 その途端―――――

 

「ノロぉ!なにしてんの!早く…こいつをどうにかして(・・・・・・・・・・)!」

 

 誰に向けて、何を言ったのか、咲耶には分からなかった。

ただ、その言葉がもたらしたのであろう変化だけは、ひしひしと感じる。

 

世界が、緩やかに変革していく。

 

「な、に…?」

 風が、ざわめいていた。だが、普段のそよ風とは何かが違う。具体的にどういうモノなのかは分からなかったが、ただの風じゃないことだけは、何の霊感も能力も持ち合わせていない咲耶にも感じられた。嫌な感じがする――――――――――

「え?」

 この感覚は、前にもどこかで………

そう思った時には、咲耶の思考はすでに停止していた。感じた既視感(デジャブ)の出所を思い出そうとして動きを止めた瞬間、咲耶の頭上に影が差した。

「あ……」

 しまった。と脳が感じて視線を上げた時には、ソレはもう咲耶の頭上にいた。

見上げれば、()()大きな(・・・)()()()()()()()()いっぱい(・・・・)()広がって(・・・・)()()

 

 

『カナちゃんいじめたの、おまえだな』

 

 大きな、大きな口が、迫って…迫って……

 

「い、やぁああああああ!」

 

目を、瞑った。

 

 しかし、

 

「さくやあああああああああああああああああ!」

 

そんな叫び声が聞こえた、かと思えば

ドン、という何かと何かが衝突する音と、ドサドサ、という何かが転げる音。

 恐る恐る目を開いてみると、咲耶の前に、まるで咲耶を庇うように、仁王立ちする人影が。

「まぁったく、なんつー不届き者だよ。よくもまあ人の妹を食おうとしてくれやがって」

 背格好は咲耶と大差ないくせに、口調や身の振り方が変に男勝りな、その人影。

「だ、誰?」

加奈子も、咲耶を襲おうとした獣も、突然の第三者の介入にとまどっているようだ。

特に、なにかに吹っ飛ばされたのか、先ほどの獣は加奈子のすぐそばに倒れ伏していた。さっきの不可解な音は、これが発生源だったようだ。

「私か?私は、夜永咲耶のおねいちゃんだよ」

 偉そうな口上もなく、無駄に胸を張って言い張るでもなく、まるで近所の小さな子に自己紹介でもする時のように。

「芳乃さんと、呼んでくれたまへ」

 オカルト好きと名高い夜永家長女・芳乃は気さくにそう名乗ったのだった。

 

 

  [

 

「お姉ちゃん!なんで…」

「ごくろーさん咲耶。もう下がってろ」

 咲耶が質問を繰り出す前に、芳乃は腰の抜けた咲耶を引きずって、鳥居にもたれさせた。

「あとは、おねいちゃんに任せとけ」

「お姉ちゃんってば!」

「邪魔になるから、そこにいろ。話なら後で聞いてやる」

いつものように、芳乃は目も合わせない。

けれど、今は腹もたたない。咲耶の容態に関して、興味関心が全く無いということは、つまり、心配する必要がないという事だからだ。そして、芳乃が目の前の目標に集中しはじめた証拠でもある。

「誰でも、おんなじ…。私の邪魔をするなら、消えてっ!」

 ノロ!と、再び加奈子が声をかければ、その側に横たわる獣が再度その身を起こした。加奈子と対比すれば、その異常な大きさが手に取るように分かった。単純な目測でも、ざっと二メートルは下らないだろう。全体的なフォルムは、虎などのネコ科の猛獣に似通ったものがある。ただ、しっぽが二つあるのが、一般的な猛獣との一番大きな相違点だった。

「二股の尻尾…猫又か。軽いな」

「うるさい!ノロ、あいつの足も斬れ!」

加奈子が指示を飛ばせば、呼応するように獣…猫又が飛びかかった。鎌鼬のような速さを持って肉迫し、鋭利な爪が過たずにまず芳乃の右腿を狙う。

「だーかーら、軽いっての」

 しかしその一撃は、少しもかする事なく外れた。と、言うより、最初から全く見当違いな所に爪を振り下ろしていたような、そんな違和感。

「ほれほれ、芳乃さんはこっちだよ?」

 気づけば、芳乃はさっきまでとはだいぶ違う場所にいた。はじめは猫又とちゃんと向き合った位置にいたハズなのに、今は境内の奥の社の前にいるのだ。

「――――――っノロ!」

 芳乃の安っぽい挑発にも、加奈子はあっさりと乗せられる。芳乃を倒す事にやっきになって、なりふり構わず猫又に指示を出した。

「ハハッ。来いよ、返り討ち(フルボッコ)にしてやんよ!」

 焦りを隠せない加奈子が闇雲に指示を出すせいで、従う猫又の動きも単調になる。芳乃はそれを軽やかにいなすだけで、大それた反撃は一向に行わなかった。その代わり、攻撃を避けるにも大きな動きを必要としていていない。

 本当に、じゃれてくる猫を相手にしているかのようだ。

「なによ、なによ、なんなのよ!なんでうまくいかないの…なんでみんな私を邪魔するの…なんで…」

「当たり前だ!」

叫んだのは、猫又とじゃれている芳乃ではない。

腰を抜かして、今は鳥居にもたれて必死に立ち上がろうとしている咲耶だ。

「こんなくだらない事が、成功なんてするハズがない!」

「く、くだらなくなんか…」

「そうだよ!こんな、人が無意味に傷ついていくだけの事なんかさあ!」

「だ、だって…」

 咲耶は必死に体を支えながら、加奈子は猫又へ指示を出し続けながら、お互いに言い合いを繰り広げる。

「みんな私をバカにする!みんな私を気持ち悪がる!だったら、そんな奴らなんか…そんな奴らなんか…!」

「だから!それが一緒なんだって言ってんの!」

 瞬間、加奈子の動きが止まる。それに合わせて、猫又の動きも一瞬だけ停止した。

「こんな事してるようじゃ、あんたの言う奴らと同じだっての!それでいいの?あんたのキライな奴らと同じなんだよ?」

「――――――っっ」

 加奈子が頭を抱えたのと同時に、猫又がまたも地面に叩きつけられた。

 

「それでも『違う』って言い張るんなら、もうこんな事はやめて」

 

 倒れた猫又に、今度は執拗に追い打ちをかける芳乃。勢いよく左手を突き出せば、不可視の衝撃波が再度猫又を吹き飛ばす。

 

「それで、過ちを認めて」

 

 殴るように右手を振れば、放射線を描いて猫又が宙を舞い、境内のちょっとした林の木に景気よく激突した。

 

「っもう…………やめて!」

 

悲痛な叫びが、空を裂く。

加奈子が止めてと叫んだのは、はたしてどちらに対してだったのか。

 

 刹那、空気の質が少しだけ緩む。

変革された世界が、また別のものに上書かれていく感覚。

 

「お、接続(リンク)が切れた。し出番だ働けニート!」

 どこに向かって叫んだのか、攻撃の手を止めて再び仁王立ちの姿勢をとる芳乃。気のせいか、その背後が蜃気楼のようにゆらゆらとうごめいているように見える。

 

『だーれがニートだ!』

 

 そして空耳かと思うような、妙にふわついて安定しない声が、どこからともなく響いてきた。

その声もまた、心なしか、芳乃の背後の蜃気楼から聞こえたような気がして…

 

「呼ばれたくなきゃ、キリキリチャキチャキ働きな!行くよ!」

『応とも』

 

何から何まで、突然すぎる。必死になって加奈子を説得しようとしていた傍らで、いつの間にか超展開すぎる光景が広がっていた。

「え、え、ちょ?何?」

「咲耶あ!いい機会だから、目ン玉かっぴらいてよーく見てな」

「何…」

「これが、私がいつも言ってる私が愛する世界(オカルト)ってやつだ!

 

 これ以上ない満面の笑顔を浮かべて、芳乃は高らかに吠える。

同時に、芳乃を中心として膨大な衝撃波がさく裂した。

衝撃自体は大したものではなかったが、代わりに、意識だけがブッ飛びそうになる。

 その衝撃波を纏ったまま、芳乃が猫又に向かって突進していくのを見たあたりで、咲耶の意識は完全に飛んでしまった。

 

 

  \

 

「はい。おしまい」

気が付けば、決着は既についていた。

大型の猫又は跡形もなく消え去っていて、加奈子は咲耶と同じように気を失っていた。先に意識を取り戻した咲耶は体を起こそうとしたが、腰がぬけたままなのか、何故か体に力が入らなかった。

「無理に起きようとすんな。まだ寝てていい」

芳乃が、咲耶の頭に手を置いて目を瞑らせる。

今咲耶が寝ているのは、冷たく硬い地面ではなく、社の階段だった。

かすかに首を動かせば、隣に加奈子が横たえられているのが見える。なんとなく居心地が悪くて、加奈子がいる方と反対方向に首をむけた。

「結局、なんだったの」

「ん?」

「さっきのでっかい猫とか、お姉ちゃんがなんでアレに太刀打ちできたのかとか」

「ああ、ね」

 そういや、後で言うって言っちゃったけかなー。と、きまりが悪そうに後頭部をかいて視線をそらす芳乃。

「さっきのも、あのチェーンメールに繋がってるの?」

「結論から言うなら、そうだ。そもそも、チェンメに呪いを添付した犯人はあの猫又だ。そして黒幕が、この子」

 言いながら、芳乃は咲耶の隣に眠る加奈子の頭に手を置く。

「やっぱり」

「ほー、ここまでは辿り着いてたのか。感心感心」

「茶化さないで」

「へいへいよ」

 おちょけたような返答だ。睨もうとしたが、やっぱり芳乃とは視線が合わない。

「んーで、猫又がメールに直に添付した呪いのせいで、今回は七人も被害者がでちゃったわけだが…そういや、お前はどうやってこの子を特定したんだ?」

「ん…ノートだよ。たぶん、その辺に落ちてる」

 もう包み隠す必要もないので、素直に白状した。

芳乃は当たりを見回すと、すぐに件のノートを発見したのか、階段を立って取りに行く。

「なんじゃこりゃ。妄想ノート?」

「貸して」

 戻ってきた芳乃からノートを受け取って、パラパラとめくる。

こうして文章を綴ることが最早日課になっていたのだろう、ノートはどのページをめくっても文字で真っ黒だった。

 ほどなくして、咲耶はお目当ての文書を探し当てる。

「これだよ。これがチェンメの大元だったんだ」

 咲耶が指し示したのは、とある少女の物語を綴ったページだ。その内容に目を通して、芳乃は目を白黒させた。

 物語とは、こうだった。

酷いいじめを受け、しまいに両足を亡くした少女が、亡霊の力を借りていじめっ子たちに復讐をする。

今回の騒ぎの元凶となったチェーンメールと、ひいては茂木加奈子自身の生い立ちと、どことなく似通った構図だ。

「こいつ、文芸部に入ってたみたいなんだけど、その部活の先輩が偶然このノートを見たんだってさ。で、今回の一連の事故と、ストーリー上の事故の順番やら内容やらが、ほっとんど同じだったんだって」

 昨晩のメールの内容が、まさにこれだった。あのメールがなければ、犯人を加奈子だと決定づけることは叶わなかっただろう。

「ほーお。そらまた、単純明快だな」

「お姉ちゃんこそ、どうやって犯人を見つけたの?って言うか、結局お姉ちゃんもこの事件を追っかけてたんだね。だったら何で協力してくんなかったのさ」

「いや、そりゃお前…」

 なにが言いづらいのか、歯切れ悪く言いよどむ芳乃。

「何?」

「…巻き込んだら面倒だって、思っただけだよ」

「何によ」

「さっき見せただろ。すっごい超展開な戦闘」

「ああ、ね」

 今でも鮮明に脳裏に焼き付いている、芳乃と猫又が繰り広げた、人の域を超越した戦い。確かに、いきなりあんな感じの話をされたのでは、巻き込む云々以前にまず信じなかっただろう。

「とにかく、この事件は終いだ。お前は勝って、この子は負けた。もう事件は起きない。それでいいだろ」

「…」

 芳乃はそう言うが、咲耶の心中はまだわかだまっていた。

「でも、美幸は…」

「あ。それについては朗報があるんだ」

「え?」

「昼に家に戻った時に聞いたんだが、手術は無事に成功したんだと。美幸ちゃんの足はそのままだ。ちゃんとリハビリすれば、また歩いたり走ったりもできるようになるそうだ」

「…!」

 これ以上なく、ただただ純粋に、うれしさだけで心が満ちていくのが分かった。

体が自由に動くのならば、飛び跳ねて小躍りでもはじめそうなくらいだ。現に今も、動けないながらにも体を揺らして、全身で嬉しさを表している。

よかった。よかった。美幸が無事で、本当に…!

「よかった、美幸…」

 嬉しさがマックスまで溜まりきると、今度は安堵感と同時に莫大な達成感と疲労感が同時に襲い掛かってきた。

 せっかく嬉しさを噛みしめたいと言うのに、抗いがたい眠気がだんだんと咲耶を蝕みはじめる。

「疲れたか?寝ていいぞ。家まで運んでやんよ」

 大きなあくびをした咲耶を見て、芳乃は苦笑いしながら提案した。もう中学生になって一年と少し経つのに、芳乃はいつまで経っても咲耶を子供のように扱う。

「でも…」

 チラリと、隣を見やる。別に心配しているわけではないが、置き去りにされてしまう加奈子を思うと、少しだけ目覚めが悪そうな気がした。

「この子なら大丈夫だ。くうげ…信頼できるヤツを呼んで、家まで送らせるから」

心配すんな、とでも言いたげに、芳乃は笑った。なんか今日は、芳乃の笑顔をやたら頻繁に見ている気がする。

ふと、芳乃は笑顔を戻して、思い出したように言った。

「結局お前は、この子をどう断罪するんだ?」

「…」

 眠気が襲い来る脳内が、一気にクリアになった。

断罪…つまり、咲耶自身の手で加奈子に罰を与えろと、芳乃はそう言いたいのだろう。

 確かに、加奈子は許されがたい罪を犯した。

ただし、この罪は法では裁けない。ならば、彼女を止めた咲耶が罰を定めて裁くしかない。

「…許されない事をしたんだから。相応の罰をうけてもらうよ」

「ほう、どんな罰を与える?」

 しかし咲耶は、もう加奈子をどうこうしてやろうと言う気はほとんど薄れていた。

 いや、怒りが薄れたのかと言えば、そうでもない。美幸の件は、咲耶にとっては何をしても贖えるものではないと思っている。

それでも、何故だろう。厳重な罰を与える気には、どうしてもなれなかった。

 理由は多分、自分でも分かってる。

一つ目としては、たとえ罰を与えたとしても、美幸の容態はすぐには回復しないし、起きてしまった事故を無に帰す事はできないということ。

そして二つ目は…理解しているからだ。

自分自身の満足のために人を貶めるような事をしたのでは、加奈子が忌避したかつてのいじめっ子達と、なんら変わらないという事を。

「多分こいつにとって、願望を阻止した私と一緒にいる事自体、きっと苦痛になるんだと思う」

「…」

「だから、こいつには私の友達になってもらう。いつも一緒にいて、昼ごはんも一緒に食べる。時間が合うなら、一緒に下校する。そして、もうこんなバカな事しないように私が見張る」

「…なーるほど。ご英断だ」

 芳乃は意外そうな顔をして聞いていたが、やがてはいつもの何の感情もない顔に戻った。

 

 時刻は、いつの間にやら夕方の五時を回っていた。

すっかり日も長くなって、西の空はちょうど綺麗な夕焼け空になっていた。

「帰ろうか」

「ん…」

今度こそ、本格的な睡魔が本腰を上げて咲耶を浸食し始めた。

今回は何にも邪魔されることなく、咲耶はしだいに微睡はじめていく。

「…お手柄だったな、咲耶」

「んー…」

最早、返答もままならない。芳乃の背中で揺られて、まるで昔に戻ったように、幼い寝息を立てながら睡魔のゆりかごに抱かれた咲耶。

 

 夕日が照らし出した二人の影は、長く、長く伸びていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こうして咲耶の、『摩訶不思議なる存在』との初邂逅は、静かにその幕を閉じた。

 

 しかし、まだまだ謎は多い。

 

 姉、芳乃の伏せられたままの謎。

 その芳乃と戦い、敗れた猫又。

 『摩訶不思議なる存在』の、そもそもの正体。

 

これらの謎が解き明かされるのは、まだまだ先のお話。

 

本日の所は、これにて、終幕――――――

 

 

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