せつざんげ
蓬莱よすが
雪を見るたびに、思い出すのはあの日の炎だった。
だからこそ、俺はあの炎を消さないために、雪が降らない場所を探した。
思い出さないよう、永遠に埋もれさせるために。
*
辺り一面が銀色な世界には、もう雪は降っていなかった。
「さみィな」
隣の男が呟いた。鼻水が垂れてだらしない姿だ。
思ったことをいま会ったばかりの男に言ったら、素直でよろしい、と言われた。困らせようとしたのに、こっちが反応に困ってしまった。
「あんたは何歳なんだァ?」
答えないでいると、男が勝手に答えた。三十路前らしい。
嘘だなと思わず呟くと、男は片頬を上げた。ちらりと見えた前歯が黒ずんでいる。
「おれの予測だと…まだ二十歳になってねェだろ」
頷くと、男は予測が当たったからなのか嬉しそうに笑った。
その顔が実に不愉快だったので殴ると、男は雪に埋もれて痛がった。その姿があまりにも間抜けだったので、鼻で笑った。
「俺も年食ったなァ…」
俺はなにも言わなかった。
少しして、痛みがひいてきたのか、男は隣に座りなおした。
先程とは違って、おどけた様子を見せない男に、俺は下唇を?む。
この男といつまでもここに、とはいかないのだ。
「なァ、おめェはどこまで知ってるんだ?」
俺はまた答えなかった。
あの時は幼かったが、今なら、男が何を訊ねていて、何を知りたがっているのか、すぐに分かってしまう。
だが、それを告げるには、昔と比べて捻くれてしまった俺には変な勇気が必要だった。
男は、俺がその変な勇気を使う前に理解してしまったらしく、そうか、と答えると、居住いを正した。
「俺はここにきてからなァ、今までしてきたことを後悔したぜ」
思い出すようにぽつぽつと語る男に、俺は苛立ちを覚えた。
後悔しているのなら、何故あの時、あんな満ち足りた顔で俺を見ていたんだ。
そう言いたくて仕方がないのに、寒さなど感じないはずの俺の口が震えてしまい、言葉が発せられない。
「…でも、死んだことは後悔してねェよ」
やはり、ずっと埋めておいた方が良かったのかもしれない、と思っている俺に、男はそう告げる。
思わず男を見ると、男は黒ずんだ前歯を見せながら、雪の世界を見つめていた。
「どうして」
男はひひっと笑った。
「さァなァ。もう忘れちまったよ」
俺は、男の焦げた臭いが鼻についた。
あの日、炎の中に居たのは俺なのに、死んだのは俺を励ましていたこの男だった。
男は襟を立てて俯く。
「多分、ここでお前と話したことも忘れるんだろうなァ…」
そう呟くと、襟に顔を埋める。
項垂れる男が、どんどん小さくなっているのを見ていると、俺の中のちっぽけな自尊心はどこかへ追いやられた。
どうせ、この男と話すのは、この場所で最後だろうし。
「…俺さ、あんたに言いたいことがあったんだ」
項垂れていた男が、俺を見上げてきた。よく考えれば、このとき初めて視線を交わしたのだ。
男の双眸は、俺の瞳と同じように青かった。
「春になったら、あんたの墓を作る」
男は首を振った。
「…骨がねェよ」
「あんたの骨ぐらい、すぐにでも見つけてやるよ」
「この時期は何もねェ」
「だったら、いろんな景色が見えるとこに埋めてやるさ」
男は空を見上げた。雪はすでに止んでいる。
「…本気か?」
「本気に決まってんだろ。じゃなきゃ、こんな――こんなところまで来ねェよ」
こんな、一歩間違えれば凍死するようなところに。
そう言いかけて、俺は止めた。
この男にはもう関係のない話だ。
「…そうか」
男は鼻を啜っていた。
「あんたはもう死んでんだ。死んでるやつがいつまでもこの世界に居座んな」
「分かってるって」
男はひひっと変な笑い声を上げながら立つと、再び俺を見た。
「じゃあな、少年」
あの日のように、男はそう告げると、どこかへと去って行った。
俺はその姿が見えなくなるまで、見つめ続けた。
結局、俺は最後まで親父とは呼ばなかった。男も、息子とは言わなかった。
呼びたいとも呼んでほしいとも思はないが、この雪景色のような寂寥が、胸を霞む。
だが、そんなものはいずれ収まるだろう。あの、雪の中で燃え上がったあの炎のように。
「…帰るか」
誰に言うわけでもなく、俺は呟く。
心配してくれる人なんて居ないが、死ぬつまりはない。
「おっ」
早速、雪が溶けて地肌が見えてきた。また雪が降れば埋もれてしまうが、今度はそんなに永くないだろう。
もうすぐ、春が来るだろうから。