知らぬが仏             クロ

 

 

 

「博士」

 

ぼくが住んでいるその家は、光が差し込まない、窓の一つも開ける事が出来ない家だった。一日中電気がついていて、けれども換気扇はちゃんとついているから、別に塵っぽいとか、空気が薄いとか、そう思ったことはない。

 

「博士ってば、」

 

この家でぼくは、博士と二人で住んでいる。博士はぼくを、造ったひと。博士はアンドロイドの開発者だった。ぼくも博士に造られた、たくさんのアンドロイドの中の一つ。けれど博士が言うにはぼくは、他のアンドロイド達とは少し違う存在らしい。特別、とでも言うべきだろうか。しかしそれについて博士が多くを語ってくれたことはなく。ぼくはただ、

「あなたは特別よ」

と、まるで呪文のように毎日囁かれるだけであって、一体なにが、どう特別なのかという事については一切知る術がなかったのだった。

 

「どうしたの?今忙しい」

「お仕事の邪魔をしてごめんなさい。実はぼく、博士にお願いがあって、」

「お願い?何?あなたの望みならなんだって叶えてあげる」

 

そう言った博士は笑顔だったから、ぼくは少し安心する。よかった、これならぼくのお願いを聞いてくれそうだ。

 

「あのね博士、実はぼく、外に行ってみたくて…」

 

しかしぼくが「外」と口にした途端、博士はまるで信じられないとでも言うように目を見開いた。そして

 

「……やはりお前も出来損ないか」

 

それは普段聞いたこともないような、低い低い、獣の呻き声のような声だった。ぼくの身体がびくりと震える。それと同時に、身体に違和感。

 

警告!警告!緊急警戒警告発令!

 

ぼくの中に組み込まれた擬似脳内シナプスが一斉に信号を発したのだ。

 

危険危険危険危険!

 

(なにがどうなっているんだ!)

 

状況整理不可能。回避行動を一時拒否。禁止語句確認完了。保存データのアンインストールを進行中。カウントダウン開始、機能停止まで残り180秒。

 

(え、)

 

(機能、停止?禁止語句って…)

 

「はか、せ……?」

 

これは一体どういうこと?

 

視界が酷く不鮮明だ。ノイズが混じる。博士がなにかを言っていたけれど、ぼくにはついにその言葉を聞き取ることはできなかった。

 

 

 

 

「ざーんねーんでしたぁ」

 

「彼」が完全に停止したその頃合を見計らったかのように、胸糞悪い声が鼓膜に響いた。

 

「覗いていたの。悪趣味ね。いつからそこにいた」

「んーとねぇ、彼がきみを呼んでた辺りから」

「つまりは最初から、か。本当、悪趣味な奴」

 

言いながら目の前に転がる出来損ないを掴み上げる。貴女には言われたくないですよー、というどうでもいい反論には聞こえないふりをして、私はそのまま部屋を後にした。

 

「それにしても懲りないねぇ、貴女も」

 

 

 

ラボの裏手には、ゴミ捨て場がある。主に研究で使用したゴミを捨てる所だ。普通のゴミと一緒に焼却するのは危険だということでここに溜めてあるのだが、山積みになったそれらは酷く醜い光景だった。

私はそこに「彼」を放り込む。そうするとガシャガシャと音を立てて、山を作っていた沢山の「彼」が雪崩みたいに崩れていった。

 

「…また失敗。これで1056体目ね。」

がっくりと肩を落とす。彼は、いつになったら私のところに戻ってきてくれるのだろう。やはり思考や感情の類の回路を組み込むからこうなってしまうのか?いやしかし、思考や感情がなければそれはただの機械というだけに留まってしまう。私は完璧な「彼」を作りたいんだ。完璧な「彼」が欲しい。私の元を決して離れない、私を一人置いて行ったりしない、私だけの「彼」が欲しいんだ。

 

「私を置いて外の世界に行きたいだなんてそんなこと、絶対に許さない…」

 

 

これはもう随分と昔の話になる。私には好きな人間がいた。私たちは愛し合っていた。少なくとも、私はそう思っていた。思って、いたんだ。

しかし私は裏切られた。彼はある日を境に、急に様子がおかしくなった。私の目を見なくなったし、私といると妙に落ち着きなくそわそわとするようになった。そして私は悟った、彼は他に好きな人間ができたのだと。それで私をどうやって丸め込もうか考えているのだ。そうに違いない。

きっといつも無愛想な私に愛想が尽きたんだろう。けれどどうしよう。このままでは彼がここからいなくなってしまう。私の元から去ってしまう。もしそんなことをされた日には、私は死んでしまうんじゃないかとすら思えた。愛してると言ってくれたのは嘘だったのか。抱き合った互いの身体のぬくもりも、全部全部嘘だったのか。私はこんなにもあなたを愛しているのに。その私を置いて行くのか。そんなの、そんなの絶対に許さない。

 

 彼を殺したのは、その次の日のことだった。朝早く出掛けようとドアノブを手にした彼を、後ろからナイフで突き刺した。どさりとおおきな身体が崩れ落ちて、絨毯に赤黒い染みをつくっていった。ああ、危ない所だった。あと一歩遅ければ、私は彼に逃げられていただろうから。

私は死体を家の裏にあるゴミ捨て場に捨てた。きっともうどろどろに溶けて骨になっているだろうが、そんなことはどうでもいい。それよりも私は、一刻も早く「彼」を完成させなければ。私を裏切らない、本物の「彼」を。

 

(そういえば…)

 

ふと、私はもう一度、あの日のことを思い返す。

彼を捨てて家に戻ってきた後、妙な電話があったのだ。声の主は花屋で働いているという若い女のもので、内容は確か、約束の時間を過ぎているのに注文した花束を取りに来ないのでどうすればよいものかと、そんな感じのものだった気がする。私は身に覚えのないことだったので、人違いですと電話を切ったのだが。あれは一体何だったのだろう。

 

「……今更、どうでもいい話ね」

 

誰にともなくそう呟いて、私はゴミ捨て場を後にした。そして積み重なる瓦礫の奥深く、しろい骨と共に埋もれている指輪の存在になど、私は永遠に気付くことはないのだろう。

 

 

終幕

 

 

(知らぬが仏)

 

愛していたのになぜ僕を殺した!

 

 

 

 

 

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