汚染少女

前編

土御門院 芳雪

 

 

 

 

 

  生物兵器の意義は、無差別攻撃性にある――。

 

 

§          §          §

 

 

 非行学徒の鎮圧には、さほどの時間もかからなかった。

 金沢(かなざわ)の〈地方校〉から緊急の増援要請が入り、上から大至急、応援に急行してくれと言われたから超特急で行ってみたら、どうやら不良グループ同士の抗争らしい。おかげでこっちは良い笑い物だ。

ヤクザ屋さん同士の権力闘争ならまだしも、どこの世界にヤンキー同士の喧嘩(けんか)ごときでロケットランチャーや迫撃砲(はくげきほう)を持ち出す馬鹿がいるというのだ。

不良たちもあまりの馬鹿さ加減に、銃口を突きつけてやっても怯みもしない。通りの角からこっちを見ていた女子学生なんて、堂々とお腹を抱えて笑っていた。

「…………」

 まったく持って腹が立つ。何もこちらのせいではないのに、輸送ヘリのパイロットたちからは文句を言われるし。

「…………」

「隊長?」

 そもそも、うちの司令部も司令部だ。状況把握がまるでなっていない。将官連中はこれまで〈(せい)()(へい)としての経験の中で、一体何を学んできたのだろう。

「あの、隊長?」

 そもそも貴族の子弟というのは(みんな)そうだ。作戦計画も部隊指揮もてんで駄目。知っていることといえば、ナイフとフォークの使い方だけ。

「おーい、隊長ってば」

 こんなことで、本当に大丈夫なんだろうか。ただでさえ今の〈教会〉は下火(したび)になっているというのに。

「頭が痛い……」

 溜め息交じりに呟くと、

「隊長、頭が痛いんですか?」

「うわあ!」

 眼前(ホントに鼻と鼻がくっつくかと思った)に見慣れた顔があった。

「な、なんだ。びっくりした、雪嗣(ゆきつぐ)か」

「もう、酷いですよ隊長。さっきから何度も呼びかけてるのに無視するなんて」

 副官はぷくーっと頬を膨らますと、少し()ねたような仕草をする。

「ゴ、ゴメン。ちょっと考え事してて」

「もう。まだ今朝のこと気にしてるんですか? こんなこともありますって、司令部の人たちだって人間なんだから」

 中等部生に、それも進学したばかりの中一生に慰められたことに余計にイライラしつつ、そんな自分自身にも嫌気(いやけ)が差して胸中で舌打ちする。

 何をどう言い訳したって、自分も貴族の子弟だということは変わらないわけで……。

 三年たっても、まだ何にも変われてないんだということを実感させられる。

「また僕のこと無視するうー」

「あっ! ゴメン」

 今度こそ機嫌を損ねたようで、ぷいとそっぽを向いてしまった。

「せっかくお昼の準備ができたんで呼びに来たのにい」

「そっか、ありがと」

 感謝の気持ちと、謝罪の意も込めて軽く頭を撫でてやると雪嗣はすぐに機嫌を直したようで、ぱっと笑顔になった。そして勢いよく立ちあがると扉を開けて通路に出た。

「行きましょう、隊長」

 雪嗣が振り向き様に手を伸ばす。

 桜乃(さくの)はその手を取ると、雪嗣のいる通路に出た。

「あっ、と」

 忘れ物はないかと一瞥すると、案の定腰に吊っているはずの拳銃がない。机の上だ。

不意に窓の外が気になってそちらの方を眺め見る。この時期らしい、今にも降り出しそうな寒空が見えた。

 

 

 

 装甲列車と言っても、別に(いか)めしい列車砲をいつも積んで走っているわけではない。車内の造りは他の長距離列車と大差なかった。

 ディーゼルの汽車を先頭に、士官(しかん)用の居住車輌一輌と通常の車輌一輌、それと重火器や物資を載せた貨物車輌二輌の計五輌で走行している。この装甲列車は桜乃の物ではないが、部隊が〈支部校〉に帰還するまで、一応は桜乃の指揮下に入っている。

「おいしそうだね」

 お碗を当番の兵士に差し出すと、秋風(あきかぜ)(いん)梅嗣(うめつぐ)は照れ臭そうにはにかんだ。その時、桜乃は今日の昼食担当がこの幼顔の残る士官であったことを思い出した。

「少し薄味かもしれませんけど」

 そう言って少年は少し不安げな表情をしてみせる。

「お米があまりなかったんで、お粥くらいしか作れませんでした。こっちのお鍋が卵粥で、あっちのお鍋が大根と(かぶ)(たい)のおじやです」

 あのままでは桜乃は腹の虫がおさまらなかったので、金沢の地方校司令に無理を言って(階級の上では向こうの方が上で、三等(えん)()の桜乃よりもはるかに上位なのだが、支部校所属の桜乃の方が格上なので少々無理を通しても(まか)り通る)幾らか土産を持たせてもらった。

「梅嗣は凄いね、料理もできで。さすが、機関車を任せられているだけのことはある」

 桜乃は思わず、このあどけなさの残る士官の頭を撫でてやりたい衝動に駆られたが、すんでのところで抑え込んだ。

 こちらをもの凄い形相で凝視している人物が一人いたからである。

 その名を、夏風(なつかぜ)(いん)雪嗣(ゆきつぐ)と言った。

「准尉どうしたんです? お粥、冷めちゃいますよ」

「あ、うん」

 兵士の一人に指摘され、食事を再開する雪嗣。この車輌に入ってからというもの、ずっとこの調子だ。無論、その原因ははっきりしている。他でもない梅嗣の存在だ。

「お代りもありますからね」

 梅嗣は屈託なく微笑む。桜乃も思わず微笑み返すと、今度は後ろの方で大きな咳払いが聞こえてきた。

「じゅ、准尉っ! 大丈夫ですか?」

「え? うん、平気。ちょっと小骨が喉に」

 雪嗣はそう言ってもう一度軽く咳き込むと、ちらりとこちらを一瞥した。

「変だな。鯛の骨は危ないから、慎重に取り除いたはずなのに」

 しかしそれに反応したのは、桜乃ではなく梅嗣の方だった。

「大丈夫だよ、もう平気だって。ごはん飲み込んだら取れたっぽいし」

「いや、鯛の骨は太いから。衛生兵! 誰か、衛生兵をここへ」

「はっ! ただいま」

 振りほどき立ち上がろうとする雪嗣を、数名の衛生兵が取り押さえ梅嗣が顎を固定してこじ開けようとする。

「いかがなさいます、隊長」見ると衛生長がすぐそばで控えていた。鈴原(すずはら)政宜(まさのぶ)、階級は曹長で雪嗣らの一学年先輩にあたる。

「つき合いきれないよ、もう」頭を押さえて深く息を吐く。

 周りの兵士たちも野次(やじ)を飛ばして二人を(あお)る。

「衛生長! さあ、早くッ!」梅嗣が吠える。

「曹長、確かに准尉の喉が少し赤いように思われます!」

「馬鹿! これは生まれつきなんだよ。扁桃腺(へんとうせん)肥大(ひだい)なんだっ!」

 じたばたと暴れ回ろうとするのだが、さすがに三人がかりで取り押さえられてはなす(すべ)もない。

「何だって? うーん、興味深い」曹長はぽつりと呟くと懐からペンライトを取り出した。

「部屋へ戻ろう……」

 桜乃はさらに深い溜め息を吐くと、そのままゆっくりと歩を進めた。

「隊長、どちらへ」

 連絡扉を(くぐ)ろうとすると、不意に声をかけられた。小隊長の一人の、(こう)(ざん)(いん)(ひろ)(とき)だ。第壱小隊を任せていて、桜乃がこの〈フィボナッチ隊〉を授かった当初から隊にいる一番の古株でもある。中一生の多いこの隊では数少ない中三生だ。

「部屋で食べるよ」桜乃は少しお碗を掲げてみせる。

「あとで温め直して、お部屋の方にお持ちしましょうか?」

「うーん、いいや。そんなことより、目に余るようならちゃんと注意してね。きつく言っちゃって良いから」

勿論(もちろん)、そのつもりです」

 そう言って二尉は不敵に笑ってみせた。刹那、車内が一際(ひときわ)騒がしくなる。隊には中一生が三十名近くいるせいか、声変わり前の黄色い声が響いて至極耳障りだ。

 桜乃はもう振り返らずに扉の取っ手に指をかけた。

 こちらの退室に気づいた向こう側の衛兵が、あちら側から開けてくれた。

「ありがと、ご苦労様」

 軽い(ねぎら)いの言葉をかけつつ答礼する。彼らがお昼にありつけるのはまだ当分先だろう。雪嗣や梅嗣たちが特別なのであって、普通、中一生は劣悪な扱いを受けるのが(つね)である。つまり、ここで見張り役として立たされている中一生らは、親が軍人や聖職者でもなければ爵位(しゃくい)持ちでもなければ、学力や能力もさほど高くない平民階級の()ということだ。

訓練兵の頃に上官といろいろあって司令部での評判を落としてしまい、桜乃も新兵時代は苦労したものだった(学校では上位の学級にいたのに、下位学級の兵士たちと同じ二等兵からはじめさせられるという処分を食らったのだ)。

 暖房の効かないデッキで、機関銃片手に延々(えんえん)と直立していなければならないことが、どれほど辛いことなのかあの二人には分からないだろう。そういう意味では良い経験をさせてもらったと、上の将校たちには感謝している。

桜乃は思考の半分ほどでそんなことを考えつつ歩くスピードを速めた。

吐く息が白い。もうすぐ四月だというのに一向に温かくならないのは、四方を(けわ)しい山地に取り囲まれているからだろうか。

「うう、寒い……」

 窓の外を横目に睨みつつ、狭い通路を蹴躓(けつまず)きそうになりながらも大股(おおまた)で進む。

向こうの山裾(やますそ)は、もうすでに降り出している雰囲気だった。

 

 

§      §      §

 

 

 おかしいと思っていたんだ。

 今朝は良いことが続きすぎていた。

 通勤途中に後ろから車に突っ込まれ、新しい車を買い替えられるくらいの保険金を貰えたし、壊れかけていたカーナビも、この事故で壊れたことにして弁償させたし、だいぶ前に壊してしまった数十万の釣竿もついでに弁償して貰えた(積みっぱなしにしていてホントに良かった)。

 缶コーヒーでも飲もうと思って自販機に行ったら前の奴が取り忘れたのか、つり銭が残ったままで置いてあったし、なくしたと思っていたお気に入りのライターも、たまたま整理していた駅舎脇の倉庫の奥で見つかった(ここ何週間も行った覚えがないのに)。

 ここまでくると正直気味が悪い。

 だから駅員は、その時、ホームのあちこちで狂った連中が利用客たちを襲い合っている様を見ても別段(べつだん)何とも思わなかった。むしろ、合点(がてん)が行った。

 駅員はもうじき到着する予定の装甲列車を迎え入れる準備をすまそうと、早めにプラットホームへ出てきたのだが、そこで運も尽きたらしい。

 今、彼を()らわんとにじり寄ってくる輩が四、五人視認できた。あっ……ホームのエレベータからも出てきた。三人、いや四人だろうか。

 向こうのプラットホームに鈍行の通勤列車が入ってきたのが見える。たぶんあの列車の乗客は、ホームでの出来事をまるで他人事のように間抜けな顔で見物しているんだろう。だが、扉が開いた瞬間が最期である。

 そう考えると、駅員は何だか無性にこの乗客たちが哀れに思えてきたのだった。

 刹那、背後から迫っていた別の女に首を噛みつかれ、そのせいで大事な動脈でも傷ついたのだろう。駅員の意識は急速に遠退(とおの)いた。

 駅員は生まれて初めて自身の動脈の血の色が、こんなにも鮮やかな赤色であることに気づいたのだった。

 

 

§      §      §

 

 

部屋に戻って食事をすませ(すっかりと冷めてしまっていて、(ひろ)(とき)の提案を断ったことを少し後悔した)、愛用の大型拳銃の手入れをしているときだった。不意にコール音が鳴った。

「はい、天幽(てんゆう)(いん)三佐」

 机上のスイッチを操作し、パーツの掃除をしたまま通話できるようにする。

『隊長――』雪嗣(ゆきつぐ)の声だ。壁のモニタを一瞥すると、モニタの映像とも一致した。『まもなく飛騨(ひだ)稲荷(いなり)駅に到着します』

 モニタを横目に、桜乃(さくの)は分解していたパーツを素早く組み立て直す。

『かなり冷えますので、外套(がいとう)とお帽子をお持ちになることをお勧めします』

 副官の忠告を聞いて、何となく窓の外が気になった。

 速度は依然として速いままだが、列車はとうに市街地に入ったようで高層ビル群の合間を縫って走行していた。

 遠くの方で煙があがっているのが見えたが、ただの工場からの排気ガスだろうと興味を失う。

『機関車でお待ちしております――』

 映像通信はそこで終了し、桜乃はスイッチを切ってモニタの電源を消した。

 佐官用のトレンチコートに袖を通し、腰のポケットに銃を指す。お腹の辺りにあるベルトをきつめに締め、桜乃は気合を入れ直した。壁の帽子かけに手を伸ばす。

桜乃の愛銃は聖騎兵士官に配給される拳銃よりも速射性に優れた拳銃で、弾倉(だんそう)には九ミリパラべラム弾が十五発装填できるようになっている。余分な部分を少し削って重量を軽くしてあるため少女士官の間では割合人気の高い拳銃である。ただし、銃身を犠牲にしたために射程が士官用のそれと比べるとやや落ちてしまっているらしいが、愛用者側の意見としてはさほど気にならない。

 桜乃は鏡を見ながら首の塩梅(あんばい)をかるく整えた。

 聖騎兵では折襟(おりえり)式の兵服を採用しているため首の辺りが少し苦しく感じる。だが、折襟の方が首から勲章(くんしょう)をぶら下げる時に一番()()えが良い気がする。

 首の(えり)を通して第一ボタンにかけるように吊っている鉄十字を(いじ)りつつ、桜乃は思考の二、三割ほどでそんなことを考える。

「よし!」

 桜乃は佐官用の兵帽を目深(まぶか)(かぶ)り直すと一つ大きく気合を入れ直して、部屋を後にした。

 

 

§      §      §

 

 

 塩小路(しおのこうじ)光明(みつあき)は、栄誉ある〈聖年騎士団〉の三等園尉(えんい)で、遊撃部隊であるガウス隊の隊長でもあった。

爵位持ちではなかったが、そこそこの裕福な暮らしは約束されていた。と言うのも、両親は共に聖職者である。ただ唯一の不満は、支部校ではなく地方校の所属ということであった。

「三尉、我が司令部より入電! 第二十一封鎖線以降のすべての封鎖線は放棄し、兵力を維持しつつ〈ラグランジュ・4〉まで後退せよッ!」

 通信兵が興奮しつつ(まく)し立てて報告する。彼はもともとガウス隊の所属ではなかったのだが、この鎮圧戦で部隊長が殉死(じゅんし)し、代わりに光明が指揮を()っていた。

「三尉殿! パチョーリ隊より報告。第十七封鎖線が突破されました!」

「ド・モルガン隊副官より報告。部隊長が行方不明、他六名が逃亡、十名が死傷。封鎖線を維持できず!」

 もはや光明の頭はショート寸前だった。

昨日まで一個小隊編成の遊撃部隊を指揮する(いっかい)の部隊長にすぎなかった身なのだから。それが今では、二十を超える部隊と、百五十を超える聖騎兵が光明の指揮下に置かれていた。

どの部隊も、部隊員の半分近くが死傷して戦闘力を()き、挙句(あげく)、指揮官たる部隊長が逃亡してしまった(敵前逃亡は厳罰行為である)。そのため上から順に指揮権が下りてきて、今に至る。

「おい、光月(こうづき)三尉のカルダーノ隊はどうしたッ! 連絡がないが」

 光明は手近の通信兵に吠えつつ、腰に吊った拳銃を抜く。

 ダダダン――

「ううぅ……」

 眼前に(せま)ってきた発狂市民を射殺し、男が倒れ込んだところにすかさず発砲して眼窩(がんか)を潰す。脳をやらなければ彼らが死なないことは、この数時間のうちに何となく分かりはじめていた。認めたくはないが、奴らに普通の攻撃は通用しない。

「ありが……とう、ございました」通信兵はまだ呆然としているようだった。

「ここももうダメだな……」

 光明は刻一刻と劣勢へと追い込まれていくこの戦況を、すでに半時(はんとき)ほどまえから感じ取っていた。士気は下がり、弾薬や物資も底をつきつつある。補給部隊の所在すらもはや把握できていない。四個隊が編成されていたはずだが。

 不意に視線を感じた。

 見ると、新兵なのだろう、幼さの残る兵士が一人こちらを仰ぎ見ていた。

 身長差がどうのということではない。今、彼にとって光明が唯一信じられる最後の神なのである。

 その時、腹が()わった。光明は思わずぐりぐりと少年の頭を撫で回すと、

「なーに泣き出しそうな顔してんだよ!」

「三尉いぃ」

 この二等兵とは、たった今知りあったばかりの顔も名前も分からない赤の他人である。けれど、もうそこには上官と部下を超えた戦友という堅い絆が生まれていた。

 光明は通信兵に吠えた。

「よし、全群(ぜんぐん)に打電! 残存部隊は大至急、〈ラグランジュ・11〉に集結せよ! 何としても、この状況を打破するぞ! 神の威光と聖騎士たる意地を、発狂者どもに見せつけてやれッ!」

聖騎兵、万歳ッ!

法皇陛下、万歳ッ!

(ひる)むなああッ! 続けええッ!

おおおおおぉ!

 (すさ)まじい雄叫びと喊声(かんせい)が辺りを包み、兵士たちが一斉に移動を開始する。

「我々は、いかがします?」背後に控えていたガウス隊の兵士が()いた。

本陣(ここ)は放棄する、陣を移そう。駅舎(えきしゃ)が良い。列車を倒してバリケードにでも使おう」

 光明は言いながら、弾倉の残弾を確認した。

まだ三発もあった。

 

 

 

(前編・終)

 

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