理想の……。          斎槻

 

 

 羨ましい?

寂しい?

一人……怖い?

平気でしょ?

 

 ひしひしと伝わる感情。頭の中でざわめいているいくつもの声。

 

 嫌なら無理しなくていいじゃない。

でも……。

何を迷っているの?

何を泣いているの?

わからない。

そんなの考えなければいいんだよ。

忘れてしまえばいいのよ。

何もかも忘れて……

全て変えてしまえばいい―――

 

     ?

 

 目覚めると、扉だけが並べられた闇だった。重たい思考をゆっくりと動かしていく。

「何……ここ……」

 無に近い感覚。すべてが吸い込まれていきそうな闇。何もかもを呑みこんでしまう闇。

扉……色々な色の扉。何をどうする宛てもなく、私は扉に手を伸ばす。この空間には、大量の扉しかない。なら、開けるしか選択肢はない。それが、当たり前の行動だと思う。ゆっくりと一番近くにあった赤い扉に手を伸ばす。

「見てみますか?」

 不意にした声に、反射的に振り返った。少女が私の間近にいた。ふっくらとした黒のドレスに、黒のロングヘアーの少女は、幼くも見え、大人びているようにも見えた。少女は、無表情に近いような笑顔だった。まるで、感情が読み取れない。

「この扉はすべて貴女です」

「この扉には理想の貴女がいます」

「この扉以外も見てみますか」

「この扉の貴女をアナタとしますか」

 少女は続けざまに言った。

「さぁ、どうぞ。ご覧ください」

 少女は扉を開けた。まるで、私を誘うように。私は、そのまま吸い込まれるように、足を踏み入れた。

 

     ?

 

『でさぁ……』

『それでね』

『ほんとに?』

 

 教室に私はいた。窓際の席に座っているワタシを、私は見ていた。不思議な気分ではあったが、違和感は何故かなかった。

 まるで、それを私は、当たり前のことみたいに映像のように見ていた。過去を見ているのだろうか。私は、目の前に広がる情景を思い起こそうとした。

「……」

 しかし、何も思い出せなかった。忘れているだけなのだろうか。それとも、これは、未来なのだろうか。しばらく、教室の隅で、ワタシを見つめていた。ワタシの視線をたどっていくと、その先には男子がいた。名前は、神田。私がずっと好きだった人物。

「そうだ……私……告白を」

 そう呟いた私の声は誰にも聞こえていない。私は、幼馴染の神田に告白をしようとしていたのだった。そして、その告白しようとしていた日が、いま私がいる時間であるということが、教室の日めくりカレンダーで分かった。しかし、内気な性格が災いして、なかなか告白に踏み切れずにいた。おそらく、いま此処にいるワタシも、同じように告白せずに終わるのだろう。

『この扉はすべて貴女です』

 ふと、その言葉を思い出した。おそらく私は未来のワタシを見ているのだろう。告白するか、しないか、その選択一つで、私の未来は変わる。今、見ているワタシは告白をしない。つまり、何事もなく終わってしまう……。

「そんなの……嫌に決まっているじゃない……」

 そう言った刹那、辺りは一瞬にして闇に包まれた。 

「え……!?

「このアナタは違う貴女ですね?」

「他のアナタを見てみますか?」

 少女は淡々と話した。相変わらず、感情の読み取りにくい表情である。

「どうしますか?」

「他の……」

 そう言って、私は青色の扉に触れようとした。

 

 怖い……

 

「え?」

 私は扉を開いた。

 

  ?

 

放課後。

同じように私は教室にいた。ワタシは机で帰る用意をしていた。教室には、神田とワタシ、二人だけだった。

『神田……ちょっと良い?』

ワタシは神田に声をかけていた。ワタシはゆっくり、神田に歩み寄っていた。

『あのさ……ワタシ、神田のことが好き……なの……』

 我ながらに、ストレートすぎて驚いた。

「もっと、言い方あったんじゃ……」

 思わず、呟いていた。

 

無論、聞こえるわけがない。

 

「……? 何で、そう言い切れたんだろう……?」

 私は、そんな疑問にいきついたことさえも、分からなかった。気にしないのが一番、そういって、考えを振り払った。

『ごめん。俺、好きな人がいる。お前とは、これからも、仲のいい幼馴染でいたい』

とやかく、考えているうちに、告白の返事が出ていた。フラれたのである。フラれたワタシを見ている私。悲しくて、そして、愚かしい。そんな感情が湧き上がってきた。

『そっか。じゃぁ、これからも、仲よくお願いします!』

 ワタシは笑顔でそういって、教室を出ていく神田を見送っていた。

「やっぱり、フラれたじゃない。フラれるなら最初から、告白なんてしなければよかったのに」

 そう吐き出した私は泣いていた。涙は勝手に頬を伝っていく。ワタシも泣いていた。同じように、泣いていた。

 

   ?

 

 闇に戻った。

「このアナタを貴女としますか」

 相変わらずの少女である。

「……いえ」

「では、他にも見てみますか?」

 私は促されるように、緑色の扉に手を伸ばす。

 

 嫌だ……

 

「え?」

 

 もう、見たくない……

 

「何……?」

 

もう自分なんて……

 

次々と、言葉が聞こえてくる。

「いや……だ……」

 言葉が残響する。

「聞きたくない……」

 まるで、その言葉を本能から拒む、そんな気分に襲われた。

 

 もう、こんな自分なんて……

 

「嫌! 聞きたくない!」

 私は思わず耳をふさいだ。しかし、声は嫌でも聞こえてくる。

 

 自分なんて……大嫌い。

 

 

存在否定。その言葉は私を壊した。私は、何もできない自分が大嫌いだった。いつか、違う自分に生まれ変わりたい、そう思いながら日々を過ごしていた。しかし、いくら思っても、自分というものはそうそう変えることはできない。そのうち、私は嫌になり、変わることを望まなくなった。何もしないのが一番いい、余計なことを考えても、失敗するだけだ。だから、私は諦めた。

 

「他の貴女はもういいのですか?」

「他の貴女を見ないのですか?」

「……」

「なりたい自分、探せばいいじゃない」

「え?」

 少女の声色が一瞬にして変わった。

「さっさと、好きなの選べばいいじゃない。何を迷っているの?」

「そうやって、迷うから、また自分が損するのよ」

 少女が一歩ずつ近づいてくる。その度に、私は一歩ずつ下がっていく。そして、扉に背をぶつけた。

「ほら、その扉を開けなさいよ?」

「……」

 手はドアノブを掴んだまま動かなかった。開けたら、そこに理想の私がいるかもしれない。しかし、開けてしまえば今の私は無くなる。本当にそれでいいのだろうか? そんな迷いの中だった。

「これも、私なんだよね?」

「そうよ」

「あれも、あっちのも、これも、全部私なんだよね?」

「えぇ」

「なら、私は……」

 少女はじっと私の目を見つめていた。

「私は……すべての私を受け入れるわ」

 少女は表情を変えなかった。しかし、一瞬だけ目を大きく開いたように見えた。

「ここにいる私、全部が私。なら、選ぶ必要なんてないわ」

「……」

「そして、貴女も」

 私は少女を指差した。

「貴女も私なのでしょ?」

「……」

 少女は反応しなかった。

「全部……大切な……私」

 そういって、私は少女を優しく抱きしめた――。

 

 

 ピピピピピピピ……

目覚ましが騒がしくなっている。

「うるさい……」

 そういって、勢いよく目覚まし時計のスイッチを押す。

「はぁ……。眠いな……」

 ゆっくりと目を開け、身体を起こす。

「なんか、長い夢を見ていたような……」

 しかし、何も覚えていない。思い出そうとしても、何も出なかった。

「何でだろう……。すごく考えたりしていたはずなのに……」

 あれこれ考えていると、脳裏に一瞬、少女の影が映った。しかし、その姿が一体なんなのか、私は思い出せないままだった。
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