終端               斎槻(ゆつき)

 

 

 私の心臓は、もうすぐ役目を終える。

不思議なことに、私の身体は病気だなんて信じられないくらい元気なの。何一つ、不自由ない暮らしを送っているのに、それでも、病気で、私は後少しで動かなくなってしまう。病気の名前は、なんだか難しくてよくわからないけど、私はもう十分幸せだったから、これで終わってもいいかなって思ってしまうわ。別に欲張るつもりもないの。在るがままを受け入れようと思うわ。だけど、どうせなら……あと――

 

 大きな西洋の貴族の屋敷。その中の庭には、柔らかいピンクのドレスに身を包んだ少女がいた。ハーブが栽培されていて、さわやかな香りが辺りを包みこんでいる。少女は、そこにあるハーブを摘み取っていた。

「今日の紅茶は、レモングラスを使おうかしら」

 楽しそうに、レモングラスという名のハーブを摘んでいる。鼻歌交じりの昼下がり、いつもどおりの来客がやってくる。

「やぁ、メイズ。今日のハーブティはどうだ?」

 メイズと呼ばれた少女は、摘んだハーブの入った籠をもってまま、くるっと振り返った。そこには、ジャケットとズボンで、町人にしては、少し整った格好をした、少年グレイがいた。

「今日も、同じ時間、相変わらず暇な人ね。今日は、レモングラスを使うわ」

「はい、これ。今日のおやつ」

 そういって、グレイはメイズに、小さなケーキ箱を渡した。

「さすが、将来のパティシエ。やっぱり、貴方には私の専属のパティシエとして働いてもらいたいぐらいだわ」

「いいや、俺は町で自分の店を持つんだ。まぁ、メイズの分もちゃんと作るけどな」

「グレイが、まさかこんなにしっかりした人間になるなんて思ってもいなかったわ」

 メイズは笑いながら言う。

「おいおい、それじゃぁ、昔は、まるで駄目な人間みたいだったじゃないか」

 グレイも笑いながら反論する。冗談のように受け取っている。

「あら? そうじゃないの? 泣き虫だったくせに」

「メイズだって怖がりだったくせに」

「もう……昔話しだしたらきりがないんだから」

 

     ?

 

 メイズとグレイは、同い年の幼馴染である。メイズは名門貴族の令嬢で、グレイは普通の町人であった。身分に差がある二人が出会ったきっかけは、グレイが、メイズの屋敷に迷い込んだことからであった。まだ、幼かったグレイが、探検と称して、村のあちらこちらを歩きまわっていて、偶然にも開いていたメイズの屋敷の門をくぐり、そして、屋敷の中の庭で花を摘んでいたメイズと出会ったのであった。しかし、メイズは怖がりと、人見知りで、思わず叫んで誰かを呼ぼうとした。全くの他人が屋敷にいるのである。怖がっても無理はないが、メイズと同い年なのである。そして、メイズが叫ぼうと口を開いた瞬間、その口に、グレイは勢いよくパンを掘り込んだ。

「んが!?

「しーっ!それあげるから、黙ってて」

 グレイは手を合わせ、お願い!と頼んだ。メイズは何がなんだかわけのわからないまま、口をもごもごさせていた。やっとの思いでパンを呑みこみ、

「おいしい!」

 そう叫んだのであった。

「これ、どこのお店のパンなのかしら?」

「え、えっと」

 人見知りのはずのメイズは、目を輝かせてグレイに問うた。グレイはメイズに迫られ、あたふたしていた。

「そ、それは僕が作った……」

 うつむいて恥ずかしそうに、ぼそっと、グレイは答えた。人に、自分が作ったものを直接褒められたことがなかったのである。しかし、それは、あくまで直接褒められたことがなかっただけであり、グレイは、町では評判のパン屋の息子であった。

「ちょっと、こっちに来てくださる?」

 そういって、メイズは、グレイの承諾無しに手を引っ張って、屋敷の中へと連れて行った。

 

「お父様、今、よろしいでしょうか?」

「メイズか……って、そいつは何者だ!」

「近くを通りかかった方ですの。彼の作ったパンがものすごくおいしくてですね、私、この方のパンを毎日食べたいのです」

 メイズは、笑顔で淡々と話した。メイズの父は、いきいきと他人のことについて話しているメイズを見て、あっけにとられていた。そして、グレイは、メイズに手を引かれ、そのまま繋がれている手と、豪華絢爛な屋敷に、あっけにとられていた。緊張どころではない。

「メ、メイズ……、とりあえず、その方の手を放しなさい」

 父としては、娘が知らない男子の手を握っていることに、複雑な感情を抱いていた。

「え、あ……ご、ごめんなさい!!

 メイズはものすごい勢いで頭を下げた。まさか、お金持ちのお嬢様に頭を下げられるなんて、思ってもいなかったグレイは、頭を床にぶつける勢いで、土下座をした。

「申し訳ございませんでした!! 私ごときがこんな豪華な屋敷に入るなんて、なんとお詫びしたらいいか!」

「いえ、貴方が謝ることじゃないわ!私が勝手にやったことですもの、だから、とにかく、頭をあげてください!」

 幼い二人が、頭を下げ合っていた。

「二人とも、怒らないから、顔をあげなさい」

 見かねた父は、二人の頭をすっと持ち上げるように起こした。

「とにかく、ちゃんと話は聞くからね」

 メイズの父は、ひとまず、メイズがおいしいといった、グレイのパンを食べてみた。グレイとしては、お金持ちの貴族にこんな庶民のパンを食べさせるなどおこがましい、と言って断ったが、メイズの父は、貴族のプライドというものをあまり気にしていない。誰とでも、楽しくやっていければそれでいいというような考えの持ち主であった。庶民だからといって、邪険にあしらうことはない。

「確かに、これは美味しい!」

「え、わ、私が作ったパンがですか……?」

「あぁ、これは美味しい。君、メイズのためにこれからもパンを焼いてはくれないだろうか?」

「えっと、つまり……私は雇われると……」

「あぁ、君さえよければ、ここで働いてもらいたい」

 まさかの展開に、一瞬頭が真っ白になった。しかし、グレイが悩むことはなかった。

「せっかくのお話ですが、私ごとき、こんな町人が、まだまだこのようなところで働く身分ではございません」

 グレイは、丁寧な敬語を、必死に使いながら断った。

「そんなことは、私は気にしていないんだがね。まぁ、いい。なら、せめて、この子がパンを食べたいと言っているのだから、たまにでいい、パンを焼いて持ってきてはくれないだろうか?」

 父はメイズの頭をなでながら言った。

「私も、そうしてほしいわ!たまにでいいから、パンを焼いてもってきてくださる?」

「……た、たまになら」

「じゃぁ、また明日もお待ちしておりますわね」

「はい……え、明日?」

「えぇ、明日は、私もおいしい紅茶を用意してもらいますわ」

 良いよね?とメイズは父に確認をとった。父は、やさしく頷き、娘のためにこれからも来てやってほしいと頼んだ。

「そう、おしゃるなら……」

「決まりね」

 その日は、そのまま門の前まで丁寧に送り出され、メイズ宅を後にした。何が何だか、分からないままにことが過ぎさり、ぼーっと歩いていたグレイは、先ほどのことを思い出しながら、にやけていた。人に、自分が作ったものをおいしいといってもらうことが、こんなにも嬉しいのかと、胸いっぱいに感情がこみ上げていた。

 

    ?

 

「そんなこともあったわね」

 庭のテラスで、メイズとグレイは紅茶とケーキを食べながら、昔話に花を咲かせていた。

「あの時は、もう驚きと嬉しさとで頭がいっぱいだったよ」

 グレイは、紅茶を飲むというより匂いを楽しんでいるようだった。

「出会った、次の日に、まさか本当にパンを持ってきてくれるとは、思ってなかったわ」

「あれは、頼まれたんだから、持ってくるしかなかっただろう」

「門の前で、キョロキョロしていたグレイを思い出すと、今でもおかしくって」

「仕方ないだろう、町人ごときが、こんな豪華なお屋敷に入れるなんて思ってなかったんだからな。あの時、メイズが声をかけてくれなきゃ、俺は今、ここにはいなかっただろうな」

「そんな、大げさよ」

 メイズはグレイが焼いたケーキをほおばりながら言った。

「でも、これも何かの偶然なのよねぇ」

「そうだな。こうやって、親友になれたのも、やっぱり、あのパンがあったからなんだよな」

「あの後、いつもパンを持ってきてくれたおかげよ」

 そう言いながら、メイズはティーカップに手を伸ばした。しかし、掴んだはずのティーカップは手から、すっと落ちた。ドレスに紅茶がこぼれる。そして、メイズはふっと横にイスから倒れていった。とっさに、グレイが手をのばし、受け止めることができた。

「メイズ!しっかりしろ!」

「……うっ、やっぱり、もう時間が近づいてるみたいね」

 ひどい頭痛がメイズを襲っていた。

「とにかく、医者を」

「いいの、もう、明日で終わる命だから」

「え」

 グレイの顔は一瞬にして、表情を失った。

「そんなことより……最後にいろいろ話そうかしら……」

「なんで、明日って……わかるんだい……?」

「私の身体だもの」

 メイズは、生まれつき病を持っていた。当初の医療では治せない難病であった。とはいえ、目立った症状が出ることはなく、ただ、寿命だけが宣告されているような状態だった。メイズは、物心ついたときには、その余命があることを父から告げられていた。これは、メイズの両親が、限られた命の中で、精一杯、悔いを残さず、生きてほしいという願いからであった。そして、メイズは、幼いながらに、その余命のことを受け入れた。とはいえ、当初はなんとなくでしか、理解していなかった。年を重ねるにつれ、余命のことも理解し始め、しだいに、今後どう過ごすかを考えた日々もあった。そして、考え抜いた結果、「今を楽しく生きる」その答えに行き着いた。家族、そして、グレイたちと楽しく過ごす、そう決めたのであった。しかし、数年の間、何も変化がなかった容態は、ある日を境に、頭痛や、表立った症状が、痛みとして現れるようになった。グレイと一緒にいるときにも、しばしば、頭痛を起こしていた。しかし、今回は倒れるほど、ひどい症状が現れたのであった。

 

「とにかく、横になったほうがいい」

「ここで、いいわ。……ここがいいの」

「……わかった」

 日陰になっているところまで、メイズを運んだ。緑の芝生の上に寝かせた。

「ほんとにいいのか?医者呼ばなくて」

「いいの、私が決めたことだから。私がそうしたいの」

 グレイは、しぶしぶ承諾した。本当なら、一刻も早く医者を呼んで、治療してもらいところである。しかし、メイズがそれを拒むのなら、その意見を尊重しようと考えた。

「じゃぁ、今から、グレイにお別れの言葉を言うね」

「なんだよ、縁起悪いだろ」

 グレイは極力明るく振舞おう落としていた。しかし、明日死んでしまうと聞いて、普通にいれるはずがない。

「だって、私の体が、もう動かないよっていっているんだもの。ひょっとしたら、明日じゃなくて、今日、終わってしまうかもしれない」

 横たわったメイズの顔色は、真っ青だった。しかし、表情は明るい。

「私は、別に明日死んでしまってもいいの。明日までしか生きられないなら、それでいいわ。それに、私は余命を宣告されていたのよ。でも、それよりも長く生きることができたわ。それって、素敵なことじゃない」

「余命……なんて、聞いてないぞ!」

「えぇ、あなたには、病気のことしか話してないわ。だって、余命があるなんていったら、こうして、普通に接してくれないような気がしたんだもの」

「それは……」

「だからね。それより」

「え、あぁ……」

 グレイは、余命のことについて話されなかったことに関して、追及はしなかった。

「私ね、物心ついたときには、余命を宣告されていたの。まぁ、私はその頃、あまり理解していないまま、過ごしてきたわ」

 横になったままメイズは話し始めた。

「でね、今までいろいろ考えてきたんだけど、結局死ぬことに対しての実感があまりよくわからないの。だから、とりあえず、今を楽しく生きるしかない、その考えしか出てこなかったわ。こうやってグレイにも出会えて、本当に、毎日楽しくて充実していたわ。おいしいパンやケーキも食べられるし、結構、太ってしまうのよ?」

「太るって……お前が作ってきてって頼むからだろう」

「だって、ほんとにおいしいんだもの。一人でお店開いたって十分にやっていけるわ」

「ありがとうな」

 グレイは、メイズの頭を手でポンと撫でた。メイズは、普段頭を触られることなんてなかったため、少しばかり驚いた。

「……あ、なんかごめん」

「……ううん」

 何となく、二人とも顏が赤かった。

「あーあ、どうせなら、後一日ぐらい生きていたかったかなぁ」

「なら、生きればいいじゃないか」

「簡単に言うわね。でも、今日なら今日、明日なら明日。それに従うわ」

「そうか……。で、なんで後一日なんだ?」

「あら、忘れているの?明日は貴方の誕生日よ。でね、私、誕生日に貴方に伝えたいことがあったんだけど、今言ってしまうわ」

「誕生日……そんなの忘れてたな」

 あぁ、と思い出したように反応した。

「で、伝えたいことってなんだい? できれば誕生日に聞きたいんだが」

「だって、明日言えなかったら嫌だもの。今、言うわ」

 少しの間の空白。心地いい風が吹いている。

「私はね、貴方のことが好きでした。恋をしていました」

 言った瞬間、お互い顔を赤らめていた。

「なんで……今言うんだよ……。もっと、早く伝えてくれれば……よかったのに」

 グレイの声は震えていた。

「こんなこと、簡単に言えるわけないでしょ!」

「馬鹿だな……。俺だって、好きだったのに」

「…………え?」

「二回も言わないからな!」

「……嬉しい」

「俺は……町人だし、メイズは貴族のお嬢様だし、メイズは多分、立派な人と結婚するんだろうなって思ってた」

「階級とか、そんなもの建前だけよ……。いらないわ……」

 はぁとメイズがため息を吐いた。

「でも、ごめんなさいね。こんな、死ぬ間際に告白だなんて、酷いことしてしまったわ」

「なんでだよ……?」

「だって、私がいなくなった後、きれいさっぱり忘れて、他の素敵な人と幸せになってねって言ったって、嫌だっていうでしょ?」

「当たり前だろう。だから、俺のために……もっと、生きてくれないか?」

 メイズは静かに首を横に振った。

「駄目よ……。もう、これでお別れだわ……。最後に、グレイがいてくれて……よかった……」

 メイズは静かに目を閉じた。

「メイズ……」

 グレイはそっと、メイズに口付けをした。刹那、メイズの息は終わりを迎えていた。

「……おやすみ」

 

 

人って、生まれた時には、すでに終わりに向かって生きているの。それが、早いか遅いか、それだけの違い。だけど、終わりのことなんて、あまり考えずに生きていたほうが、楽しい気がするの。今を、毎日を、楽しく過ごせれば、悔いなんて残らないはず。そう私は思うの。ねぇ、グレイ?貴方も私みたいに、毎日を楽しく生きてね? 私は、それを願っているわ。いつまでも、ずっと――

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