電卓が恋を語る話
固い空箱
私のクラスには、変わった子がいます。皆はその子を、レイ君と呼んでいて、SHRから放課後まで、一日中眠ったままです(顔面を机に叩きつけるような姿勢で。痛くないのか)。たまに起きているのを見かければ、その日一日、いいことばかり起きるそうです。推測の域を超えない、眉唾レベルの噂だけれど。
眉唾レベルの信憑性なんて、知れたものです。電卓に語らせれば、ゼロを叩いて終わるでしょう。
先述の内容には一つだけ語弊があります。レイ君が眠っている、その耳元で「起きろ」と呟けば、あら不思議、魔法のように起き上がるのだ!
……私が、呟いた時だけ。
たぶん、我が校の全員が呟いても反応しないであろうレイ君が、私が呟いた時だけは、寝ぼけ眼をこすりながらも、起きてくれるのです。
そのせいで、私のクラス内での立ち位置は”目覚まし係”であり、レイ君の保護者という要らない役職までついてきてしまいました。政治家なら、遺憾の極みと嘆くところであります。
「遺憾の極みであります!」
「うっさい」
政治家ごっこしたら先生に怒られました。授業中にやったのが悪かったのか。そうなのか。
ちぇー、とふくれて横の席を見ます。相変わらず、寝苦しそうな体勢でレイ君が眠って……?
おや、と思ったのはちょうどその時。
眠たそうな眼がこっちを見ていました。レイ君が、起きているのです。への字に歪んだ口元が、かすかに動いたのが見えました。
“きみのこえがきこえたからおきた”
……どうやら、「起きろ」ではなくても、私の声なら起きてくれるらしい。そんな不機嫌そうに言われても、私のせいじゃないよ。
「私は何もやっていない!」
「廊下に立ってなさい」
怒られました。レイ君のへの字が笑ったように見えたけれど、二度見するとやっぱりへの字でした。レイ君が起きているのを見ても、やっぱりいいことは起こりません。
ЖЖЖЖ
「バカだね」
「バカだにゃ」
「お前らは私を怒らせた!」
時は変わって昼休み。レイ君を起こして(耳元で、大声で)、私と一人の友達とレイ君の三人でお昼ご飯を食べていると、罵倒されました。
「思ったことがつい口からこぼれ出ることくらいあるでしょうが!」
「ボリュームがおかしい」
「オツムがおっかにゃい」
「ちょっと待って、おっかないって何さ」
やばいというのか、私のオツムは。
キリッと睨み付けると、我が友は肩をすくめました。
「レイ君と仲が良いというだけで、おっかにゃいというのに、その異常行動はさらにおっかにゃいよ」
好きで仲良しになった訳じゃないんですけど。当人のレイ君は知らん顔でお弁当食べてるし。
「それを言うなら言わせてもらおう、マイフレンドよ!」
「あ、いいです」
「あなたのその言葉遣いも、って言わせてよ! 言論の自由!」
「このクラス内において、君の基本的人権はにゃいと思え」
「なんで私限定で無法地帯なんだよ!」
「安心しにゃ、日本国憲法第三十五条、住居への不可侵は守られるよう配慮されてるにゃ」
「このクラス内においては要らない配慮だ!」
絶好調の友は満足そうに頷いて、お昼ご飯に手をつけ始めました。
徹底的に私を追い詰めることを生業としているのではないか、と最近思い始めているこの友達は、私を虐めている時は恍惚の笑みを浮かべています。曰く、この笑みは私だけのもので、他の誰かには見せない表情だそうです。聞きようによっては、どこかプロポーズめいているのですが、私にはターゲットはお前だ、と暗に示唆しているように感じてならないんですけど。
「異常行動だっていうなら、レイ君の熟睡もそうなんじゃないのー」
ふてくされつつ、私がそう言うと、レイ君は無表情で
「僕はいいの」
と言って、卵焼きを口に入れました。
私が一言言ってやろうと口を開けると、友がイチゴを突っ込んできました。住居侵入じゃないですかね、これ。
相変わらず、友は恍惚の笑みを浮かべています。
ЖЖЖЖ
はてさて放課後。ここでようやくレイ君が動き始めます。
ふらふらと覚束ない足取りで、教室を出ていきます。この行動は毎日なので、見てもいいことは起きないそうです。
しかし、ここでいつもと違う点に気付きました。たぶん、いつものレイ君は下校するのでしょう。当然、鞄を持って。けれど、今日のレイ君は鞄を持たず、ふらふらと出ていきました。
「レイ君早いにゃー」
「そーですねぇ」
「あれ、鞄持ってにゃいにゃー」
「そーですねぇ」
「そういえば、レイ君の放課後は謎だらけだにゃ」
「そーですねぇ……」
嘆息交じりにそう言うと、友はニヤリと笑いました。あ、これは嫌な予感ですね分かります。
「友よ、私はこれから最重要ミッションをコンプリートしなくちゃならないんだサヨナラグッバイ!」
「レッツ尾行にゃ! 四十秒で支度しにゃっ!」
だったら四十秒待ってよ。コンマ何秒で捕まったよ。
猫目を光らせて(※比喩です)、レイ君の後ろ姿をギラギラ睨む友。を睨む私。を睨む名前を言ってはいけない生徒(数学の宿題の邪魔だったようです、ごめんなさい)。謝るから、そんなに睨まないで。電卓はそんな力で叩くもんじゃないよ。
カタカタカタッ、と電卓の音を背中で聞きつつ、私と友はレイ君を追いました。
ЖЖЖЖ
――ぺったぺったと音をたて、レイ君は何かを壁に貼っていく。
――放課後の人混みがごった返す廊下で、レイ君はスルリスルリと人を避け、壁に何かを貼っていく。
――貼られた何かを不審に思う人がいないのは、奇妙で不思議。レイ君が貼ったのだから、なお不思議。
「何だろうね、これ」
チラチラとレイ君を伺いつつ、貼られた何かに触れてみる。
それは手のひらサイズで人の形をした紙でした。頭の位置には「赤」と書いてありました。
「にゃはは。やっぱり赤から始まるよにゃ」
何故か友はご機嫌な様子。
「これが何か分かるの?」
と言うと、にゃーとだけ鳴かれました。
それからも、レイ君は紙を貼っていきました。「赤」「青」「黄」「緑」……どうやら、色が書かれているようです。場所は頭だけで、それを見つける度に友達は愉快そうに笑いました。
結局レイ君は学校を一周して、私たちの教室へ帰って行くのでした。
「何だったんだろうね、あれ」
「本人に直接聞きにいけばいいんじゃにゃい?」
ふむ。それもそっか。
ふっと教室の中を覗いてみれば、レイ君の他には数学の宿題をやる生徒しか居ませんでした。電卓がカタカタ鳴る中で、レイ君はまたも眠っています。
「疲れたのかにゃあ」
「学校を一周するだけで?」
「のび太君並のスペックだからにゃ」
「のび太君って……伏字にしなくていいの、それ?」
「本名、アレキサンドロス・ぬばたまの・のび太」
「ずいぶん和洋折衷な人だね」
「必殺技はAボタン押しにゃがらのBボタン連打にゃ」
「コマンドそのもの!?」
友のボケを捌くと、レイ君はピクリと目を覚ましました。そっか、私の声なら何でもいいんだっけ。でも、私まだ教室の外にいるんだけど。
レイ君はむにゃむにゃと口を動かし、何を思ったのでしょう、一度だけ拍手を打ちました。かと思えば、パタン、と机と顔面がくっつきました(※比喩です)。
「……なんだったの、あれ」
「さすがレイ君だにゃ、間違えたのび太君だにゃ」
いや間違えてないよ、あれはレイ君だよ。
何がさすがなのかは分かりませんが、惰眠を貪るレイ君を起こしに行きます。これも、私の役目(不承不承ながら)。
そう思い、一歩を踏み出す……進めない。あれれ。
私は、かのゲゲゲの女房の旦那さんが遭遇した、ぬりかべという妖怪を思い出しました。
まるで目の前に壁でもあるように、視界が真っ白になり、前へ進めない、だと……?
「にゃにやってんだにゃ」
「その声は、我が友李徴子か?」
「臆病な自尊心も、尊大な羞恥心も持ってにゃいけど、一応友だにゃ」
そうだね。友は虎っていうより、むしろ猫だしね。
くるりと体を反転させると、呆れ顔の友がそこにいました。
「え、なんで呆れられてんの?」
「教室に入るにゃり、足踏みし始めたら、誰だって『可哀想に、手遅れだったか。南無』って思うだろ」
「誰だってではないと思う! って、足踏み……? 私、足踏みしてたの?」
あ、やばい。本格的に『こいつ大丈夫か』的な目で見ています、この友達。
「ぬりかべがいて、進めなかったの!」
「分かったよ、君がどんなになってもズッ友だょ……!」
「信じてない上に腹立つこの子!」
だったら、とばかりにこの友を教室内へと押し込みます。触んにゃと言わんばかりに手を払われました。……泣いてませんよ? 泣いてません。
はたして、友は教室に入れるのか。入れました。普通に、レイ君のところまで歩いていきました。私も、と友の後を追うと視界が白くなって進めません。泣いてないって言ってんでしょ、しつこいですよ。
一歩後ろへ下がれば、教室内を覗くことはできます。
おや、と私は首を傾げました。レイ君が、普通に起きているのです。字面だけ見れば、ザ・日常風景なんですけど。
レイ君は上体を起こし、友に何かを言っているようですが、よく聞こえません。友は腕を組み、私には見せたことがない顔をしました。
露骨に嫌そうな、嫌悪感むき出しの、顔。
無意識に、私は目を逸らして周りを見渡しました。あんな友の顔を見たくなかったのか、それともあんな顔を他の誰かに見られたくなかったのか……私の気持ちなのに、私にしか分からないのに、自分が違う誰かのように――自分が、分からなくなった。
レイ君は何を言ったのでしょうか。レイ君の表情は変わりません。
ふと、視界の端で何かが動きました。見れば、数学の宿題に精を出していた勤勉な名前を言ってはいけない生徒(※暗喩です)が、立ち上がっていました。緊張の面持ちで、ゆっくりとレイ君のところへ歩いていきます。
“いってはいけない”
私の中の何かが、そう叫んでいます。でも、私は教室に入れません。はたして、生徒はレイ君のところへ。いや、レイ君のところというより、むしろ、これは。
「友の、ところか」
生徒は顔を赤くしながら、友に何かを伝えています。必死に、切実に。ダメだ、ダメだよ。友はダメなんだよ、名も無き生徒。友は、そういう相手には相応しくないんだ。
固唾を飲んで、手に汗握って、そして。
名も無き生徒が頭を下げて。
友が何かを呟いて。
そして。
「……入れたよ、我が友。レイ君」
「そりゃ入れるだろ、ドアは開いてんだからにゃ」
「いやいや、僕が閉めてたんだよ」
「……にゃるほど、今のはレイ君の差し金か。どうりで誰も居ないはずだよ」
友はまた、私には見せたことのない顔を見せました。それは、さっきの顔じゃなく、感情ゼロの表情。私はまた目を逸らしてしまいました。
レイ君は、変わった子です。それは眠り姫的なキャラがその所以ではなく、本当に、変わった力をもっているから。
「仲がいいから、仲を取り持ってくれないか。そう言われたんだ」
レイ君はそう言って、ひらひらとあの不思議な紙をチラつかせます。頭の部分には「桃」と書いてました。
「断る前に、さっさと自分の席に戻っちゃうもんだから、頭を抱えたよ。結局、人払いする羽目になって疲れちゃった」
あの不思議な紙は、この教室を無人にするためのもの。
あの一度だけの拍手は、通せんぼのトリガー。
それは高校生の、高校生による、高校生のための、青春のお膳立てなのでした。
私が目を逸らした先には、走り去って行った生徒(※比喩じゃないです)の机がありました。机の上の電卓は、ゼロを叩かれた状態で鎮座しています。
結局、あの噂は眉唾レベルなのでした。
あの生徒は、間違いなく起きているレイ君を見たはずなのに。
眉唾レベルの信憑性なんて、知れたもの。電卓に語らせれば、ゼロを叩いて終わるのです。
「そういえば、なんで色が書いてあったの?」
「色恋沙汰だと思ったからね。色といえば、戦隊モノでしょ」
ほうら、こんな適当な子なんだから。座敷童のようなジンクスなんて期待するだけ無駄なんです。
「さて、帰ろうか。道草くっちゃったし、口直しに何か食べに行く?」
「お魚くわえたどら猫が食べたいにゃあ」
「お魚で我慢してください。え、ちょっと待って、なんで私見てるの? 違うよ? 私、お魚くわえてないよ? なんでニヤリって笑ったの? ちょっと、ねぇ……」
言うが早いか走るが早いか。私は脱兎の如く逃げ出しました。
「三分間待ってやるにゃ!」
「だったら止まって待っててよ!」
チラリと後ろを見ると、餌を狩る猫のような友と、その後ろで電卓を打つレイ君が見えました。
数分後、猫のような友に、猫のように首根っこをつかまれて学校を後にする私の姿が見られたのは言うまでもない。
ЖЖЖЖ
三人が出ていった教室。開け放した窓から吹き込む風が、ある机の上の数学の教科書をめくる。ペラペラとめくれ、あるページが開かれる。
“婚約数”
どこからともなく、レイ君の声が響く。
電卓はじっと、ただ48/75とだけ語っている。
Ж裏設定Ж
<男子> 私 友
<女子> レイ君、名前を呼んではいけない生徒
で、お送りしました。