頼み事は彼までどうぞ
固い空箱
「先生、密室における切迫的心理って知ってる? 普段なら陥るはずのない状況に身を置いてみると、冷静な判断ができなくなるそうだよ。そうだね、テスト終了十分前を想像してみれば分かりやすいかな? 密室ではないけれど、切迫的心理には違いない。表面にしか書いてないと思っていた問題文が、まさかまさかの裏面にも続いていることに気付いた十分前。大急ぎで問題を解いたけど、いざ結果が出てみれば、ケアレスミスの連発。冷静に解けていれば、絶対に間違えなかった問題だ。これは悔しい。
さて、先生はこの状況を冷静に解決することができるかな? 僕は楽しみだよ」
「今すぐ黙らないと、その口にこのロウソクをねじ込むわよ」
「あいあいさー」
現在時刻、午前九時半。私、焦りに焦ってイライラしています。
ЖЖЖЖ
どうしてこうなったのだろう。私はとにかく自問する。
落ち着け、冷静になれ。こんな時にケアレスミスを仕出かす方が、よっぽどバカらしいじゃないか。
私は周りを見渡した。事務所のような部屋で、事務所にあるようなデスクがいくつか見える。
しかし、デスクの上にも下にも置かれた段ボールのために、部屋の真ん中にいる私でも、部屋の全貌は見えない。かろうじて見える窓はカーテンが閉められていて、外は見えない。
一度深呼吸をして、私は過去の私を顧みた。
今日は、我が名賀高校の文化祭。生徒は浮かれ、教師は問題が起こらぬように目を光らせるイベントである。
私こと先川生菜は、学級委員長たる使命と責任をもって、このイベントに臨んでいた。「先生」と呼ばれてはいるものの、私自身は一生徒に過ぎない……と、そんなことはどうでもいいかな。
生徒会長ほどではないけれど、普通の生徒よりも数段忙しいこの役職。しかし私は、その忙しさが心地よかった。
自分から積極的に準備活動に励み、それなりにクラスのみんなからも信頼を得ていたつもりだ。
私のクラスはお化け屋敷を催す予定で、最終日である今日、私は一日お化け役をする手筈だった。
そう、終日私はお化け役のはずだった。
なのに、私はメイクアップもせずに、ここにいる。
正直、人手が足りていないお化け屋敷なのに、ここにいる。
「分かった、私って役立たずだ。役立たずだ……」
「何を冷静に考えたのかは知らないけど、急に悲観的になられると戸惑うよ」
「あ、うん……ごめんね」
分かればよろしい、と彼は頷いた。
気を取り直して、もう少し思い出してみよう。
恐らく事の発端は、クラスメイトのセリフだろうと思う。
「せんせー、ロウソクが無いんだけど、倉庫から取ってきてくんないー?」
このクラスメイトのセリフに出てきた「倉庫」が、この状況の重要なファクターになっている。と、思う。
名賀高校の校舎は四階建てで、上空から見ればカタカナのエの形になっている。エの一画目の棒の部分に普通の教室があり、三画目の下の棒に実習用の教室がある。
「倉庫」は実習用の教室、詳細に表すと「四階端っこの地学準備室」のことである。そんな辺鄙なところに、私は閉じ込められてしまったのだった。
回想、終了。
「……ダメだ、やっぱり意味が分からない。なんで私が、こんなところに閉じ込められているの……」
閉じ込められるとはいうものの、状況的にはすこぶる単純なものなのだ。
出入り口であるドアが開かない、ただそれだけ。四階であるが故に、窓から出ることも叶わない。
私はこんなところで、こんなことしてる場合じゃないのに。
早くここから出て、ばりばり働きたいのに……!
「今どきの若者は、イヤホンをしながら何でもこなしちゃうからねえ」
彼が、嘆息交じりにそう言った。
「どういうこと?」
「一部始終を見ていた僕から真相を語らせてもらえれば、それはとても簡単かつ単純なことなのさ」
「早く言わないと、このロウソクを口に突っ込むわよ」
「バイオレンスだねえ。あ、いや待って、言うから。構えないでよ……ふう、元気なんだから」
やれやれと、アメリカンなジェスチャーをする彼。
「そうだねえ、あれは八時半くらいだったかな? 先生がこの部屋に入って、何やらガサゴソ漁るのが聞こえたよ。そしたら、入口に誰かが来たんだ。
「誰か居ないか?」って言ってたよ。
僕としては、先生が何か返事するもんだと思ってたから黙ってたんだけど、何も言わないから変だなーって思ってたら、その人がさっさとドアを閉めて、鍵をかけて行っちゃったのさ。やけにいそいそしていたけど、何かあったのかねえ」
「え……嘘っ!? 私、何も聞こえなかったよ!?」
「そりゃそうだ。イヤホンつけてただろ、先生」
……そうでした。そりゃあ、聞こえないはずだよね。
流行りの歌を携帯音楽再生機(この世界では、あいぽっどという名称である)で聞いてたのが悪かった。
「はぁ……ちょっとくらい待ってくれてもいいのに……」
「ため息をつくと幸せが逃げるらしいよ」
「もう逃げてると思う……」
「まあまあ。何も陸の孤島に来た訳じゃないんだし、いざとなったら大声を出して助けを求めればいいじゃないか」
それは、それは。
「さっきそれを試して、ダメだったの忘れたのかしら……?」
「祭りの喧騒に負ける声量しかないのなら、助けを求める資格はないと思いなさい」
「助けを求める資格って何よぅ……」
文化祭の出し物の中には、当然出店のようなものも催される。それらは、エの二画目の棒を囲むように催される。
つまり、客引きであろう大声がひっきりなしに飛び交っているのだ。一女子生徒の可憐な声が通用すると考える方がおかしいと思う。
「まあまあ先生。安心しなさい」
彼は胸を張って、言い放つ。
「僕が居るんだからね!」
「それも、少しの不安材料なんだけどね」
「ひどいねえ、およよ」
辛辣な私の言葉に、彼は泣き真似をしてみせる。
幸せを逃がしてしまった(らしい)私にも、少しだけの希望があった。
地獄に仏とはよく言ったもので、今の私はまったく実感してしまっている。
というのも、この男子生徒。学校一の問題児にして、学校一の信頼度を誇るこの生徒。
「ぐすん……」
名前を「彼」という。
苗字も名前も不明、どこのクラスで、何年生かも不明という怪しい少年ではあるものの、たまに起こる不思議な事件を幾度も解決してきた経歴をもつ。
鼻の頭まで鬱蒼と伸びた前髪で、顔の全貌は分からない。だらしなくカッターシャツのボタンは開かれているものの、ネクタイはしっかりと締められている。
上記のような奇妙にして不気味な風体ながら、その実力の高さから、彼は畏怖をこめて「彼」と呼ばれている。
ふと、私はある疑問を抱いた。
「彼は、こんなところで何してたの?」
文化祭の最終日、そんな書き入れ時に、こんなところで彼は何をしてたんだろう。しかもさっきの話から考えると、彼は私よりも先にこの部屋に居たことになる。
私がその疑問について尋ねると、彼は何でもないようにこう言った。
「ここって、いい昼寝場所なんだよね。この学校に数ある昼寝場所の中でトップクラスさ」
「……今はまだ朝だし、朝から昼寝場所にいるのは明らかにおかしいと思うんだけど……」
そこはそれ、彼なのだ。よく分からないことを何の臆面もなくやってのけてしまう猛者なのである(不審者ともいえる)。
「ちなみに、保健室は結構低クラスだよ。保健室の先生に門前払いと塩をくらっちゃうからね」
「聞いてないし、塩は彼だから投げられたんだと思うよ……」
なんて、こんな会話をしている場合じゃない。携帯で時間を確認すると、九時四十五分。文化祭終了時刻は、三時。急がないと、本当に役立たずの烙印を押されてしまう……!
と、いうことで。
「彼、ここから出たいんだけど」
「僕は出たくないんだけど。心地いいし」
「……じゃあ私がここから出るのに協力してほしいの」
「ふむ」
彼は腕を組み、にやりと笑った。
「いいよ、どうせ暇だし」
「にやって笑った真意が知りたいよ、私は」
「気にしなさんな。深い意味はない」
……ま、今は気にしてる場合じゃないか。
「さて、先生。まずは状況を確認してみよう。出入り口であるドアは開くかい?」
のんびりおっとりしていた彼の口調が、急激に活発になる。どうやらやる気になってくれたようだ。
「それはさっき調べてみた。開かないよ」
「うん、そうだね。この学校のドアは、外側からしか鍵を開け閉めできないタイプだ。内側にいる僕らにはどうしようもない。
続いて、窓はどうかな? もちろん、廊下側の窓」
それもさっき調べた。段ボールが高く積み上げられていて一苦労だったけど、一応全部見てみた。
「建付けが悪くて、鍵を開けても開かなかったよ」
「この校舎も古いからねえ。仕方ないさ。ということは、外に出るための出入り口は全部封鎖されているってことだね」
彼はちらりとドアを見た。そして目線はその上へ移動して、おもむろに目を閉じた(ように思える)。
その時、私の視界にあるものが飛び込んできた。と同時に、突破口が見えた気がした。
「彼、あそこから出られないかな?」
そう言ってある場所に指をさす。それはドアのさらに上にある通気用の小さな窓。小さな、という形容がなされているけど、私一人なら通れる大きさだ。
「段ボールを積み上げて、あそこから出られるじゃんか!」
出られるという希望を前に、私は興奮を隠せなかった。やっとここから出られる……!
「残念だけど、それは無理だよ」
しかし、彼はそんな希望を簡単に打ち砕くのだった。
「な、なんでよ……」
「やってみれば分かるけど、通気窓っていうのは普通全開にならないんだ。さらに、普通の教室においても開けることは少ないんだから、この教室だったらなおさらだろ? 窓の建付けの悪さから考えても、全開どころか半分も開かないんじゃないかな」
……返す言葉もございません。
彼は腕を組み、何かを考えている様子。
私は改めて周囲を見渡してみた。やはり段ボールばかりが目立っていて、何があるかを詳しく見ることはできない。
「うーん……よし! 彼! 私、使えるものがないか探してみるよ!」
彼にばかり頼っていては、学級委員の名が廃る……とまではいかなくても、自分でできることはしておきたい。
「ん? あ、お願いするよ。何か見つけたら教えてね」
彼は相変わらず腕を組みながらそう言った。
私は積み上げられた段ボールを崩さないように、ゆっくりと教室の奥へ進む。
教室の端に着いてみても、特に目ぼしいものは見当たらなかった。
私の背より大きなロッカー、よく分からない石が飾られたガラス戸の棚、壁に掛けられている、誰が書いたのか「Answer must be somewhere」という書初め(英語なのに達筆)。
何か使えるものがあるとすれば、と私はロッカーを開いてみる。
「あれ?」
しかし、そこには何も入っていなかった。箒も塵取りも、雑巾すら見当たらない。
「どったのー?」
私の声に釣られたのか、彼がゆっくりと近づいてきた。私はこの小さな異変を話してみた。
「ふーん……? それは不思議だね。けど、この状況で無い物を見つけても仕方ないだろ。ある物を探さないと」
「んー……そうなんだけど、おかしいなあって」
「そうだねえ。箒と塵取りがセットであるように、甘いものに渋いお茶があるように、男に女があるように、ロッカーに掃除用具は付き物なのにね」
それだけ言うと、彼はまたも黙りこくってしまった。
私は再び携帯で時間を確認してみると、十時という文字が表示された。
十時かあ……なんかもう、出られないような気がしてきた。
こんな状況、家を出る時には考えもしなかったのになあ……。そういえば、お母さんが早く帰ってくるように言ってたっけ。何だったんだろう?
「おや? 誰か来るね」
思考が明後日の方向へとずれていると、彼の言葉が耳を擽った。と同時に、私の心臓が飛び跳ねた。こんな辺鄙なところまで来るような人がいるなんて!
なんて幸運なんだろう、私の運はさっきのため息で逃げていなかったんだ!
いや……落ち着こう、冷静になれ私。さっきも考えたじゃないか、ケアレスミスなんてバカらしいじゃない。
誰かの足音が聞こえてくる(彼はとても耳がいいみたい)と、私は逸る気持ちを抑え、この状況を冷静に考えてみた。
「………………っ!!」
私は"ある結論"に達すると同時に、彼の腕を掴み、何を思ったのかロッカーに"一緒に"入ってしまったのだった。
少しして、がちゃがちゃと鍵が開く音が聞こえた。続いて、どこかで聞き覚えのある声。
「せんせー、いるー?」
それは、私にロウソクを持ってきてほしいと頼んだクラスメイトだった。どうやら、帰りが遅い私を探しに来てくれたようだ。間一髪、しかしまだ油断はできないぞ……! と、私は生唾を飲み込んだ。
少々の静寂。
「んー、どこ行っちゃったのかねえ。せんせーったら」
そんな声が聞こえたかと思えば、ドアが閉められ、鍵が閉まり、足音が遠ざかっていく……。
完全に足音が聞こえなくなったのを確認して、私はゆっくりとロッカーを出た。
「ふうぅぅ……危なかったぁぁ……。彼、大丈夫だっ……何してんの?」
「誰かさんに無理やり狭いとこにねじ込まれて、ねじ伏せられた」
彼は、ランドセルの底にあるプリントのような姿でロッカーの中にいた。……いや、ごめんなさい、彼。
ロッカーから彼を引き抜くと、彼はカキコキと首を鳴らした。
「なんなのさ、急にねじこんだりして」
不満そうな彼に、私は言い訳がましく言い返す。
「この状況、傍から見たらどう見えるかなって想像したの。そしたら、どう贔屓目に見ても怪しげな密会にしか見えなかったから……」
一応私は学級委員長だし、成績もいい方だから優等生な方だと自負している。一方、彼は怪しい男子生徒。不良の汚名を着せられていてもおかしくはない。
そんな二人が、こんな人気のない場所で二人っきり。偽推理するなと言う方が無理な話だ。
そう言うと、彼は少しの間ぽかんとして、合点がいったように手を叩いた。
「なるほど。その手があったか!」
「……どの手があったのよ?」
「あぁ、いやこっちの話だよ」
相変わらずよく分からない子だ。
しかし、助け舟を自ら手放したのは痛手と言わざるを得ない。そして、
「……あ、彼だけロッカーに入れとけばよかったのか」
と、ますます肩を落としたのだった。
ЖЖЖЖ
現在時刻、十時半。
携帯のディスプレイに表示された絶望的な数字を見て、何度目か分からないため息を吐く。
「今思いついたんだけど」
彼が腕を組みながら、そう切り出した。
「携帯で連絡すればいいんじゃないの?」
……その手段を、今思いついたのか、あなたは。
「ここに閉じ込められたって分かったとき、とっさに電話をかけたよ。でも、圏外なのか通じないのよ」
「圏外? おかしなこともあるもんだね。山の中でもないのに」
「うん……ここまでくると、何らかの呪いでも受けてるんじゃないかって思えてくるよ」
もはや空笑いしか出てこない。時間の経過と私のテンションは反比例して下がっていく……。
「拡声器かなんかないの?」
「あのね、彼……そんなものがあれば、とっくに使ってるよ」
「えー。先生ってば、こうなることを予測してきたんじゃないの?」
「何がどうなればそんな結論に行きつくの……? 彼、もしかして、この状況を楽しんでる?」
「んー……まあ、楽しんでないと言えば嘘になるかな。でも、だからと言って手を抜いてるわけじゃないよ」
どうだろう……彼とはそこそこ長い付き合いだけど、面白いことは率先してやりたがるような子だし。
「せめて内側からでも開けられるようになってればなぁ」
「無い物をねだっても仕方ないよ、先生。ある物を見ていこうじゃないか。ちなみに、僕はここで昼食をとるつもりだったから、お弁当くらいしか持ってない」
こ、こんな物寂しいところで、しかも一人で食べようとしてたの……!?
祭りの喧騒が遠くで聞こえる中で、一人寂しくお弁当をついばむ彼……。
「彼、今日のお昼は私たちと一緒にとろう!」
「は?」
「こんなとこで食べたら体悪くするよ!」
「いや、いつもこういうところで食べてるし、体調を崩したことはないけど」
「これからもそうとは限らないでしょうが! 私が学級委員長である以上、そんなことは許しませんよ!」
またも、彼はぽかーんという表情になった。
「……………………ふ、ふふっ」
が、すぐに破顔し、大笑いをし始めた。
「あっはははははっ!! お、お母さんか君は! ふっふふふっ、いやいや面白いねえ。本当に、君は面白いよ」
すごく楽しそうな彼。
何が面白いものか、彼の体調管理までしなくてはならない学級委員の気にもなってみなさい!
「普通の学級委員はそんな勤労じゃないよ。ふふふ」
納得いかない私は、しばらくの間笑い転げる彼を見守るしかないのだった。
「さて、先生は何を持ってるんだい? その携帯と携帯音楽再生機(他の世界では、えむぴーすりーぷれいやーというのかもしれない)を除いてね」
私はポケットを探ってみる。が、特に何も出てこない。この教室を開くために使った鍵くらいだ。
「内側にも鍵穴があればよかったのに……」
「いざとなったら、その鍵を校舎側の窓から投げて誰かにぶつけるしかないね」
「いざとならないことを祈るよ……」
ピッチングフォームをとる彼。サブマリン投法だった。この狭い中、何故アンダースローを……。
結局、ここから脱出する方法が見つからずに、刻一刻と時間は過ぎていった。
ЖЖЖЖ
「お弁当を食べよう」
時刻は十二時前になった。もはや、メイクアップしてお化け役をやれるだけの時間はないように思えるけど、そうも言ってられない。
学級委員長たるもの、諦めてはいけないのだ。
そんな密かな使命感に燃えていると、彼が不意にそんなことを言い出した。
「先生もどう? さすがにお腹すいてきたんじゃない?」
「いや、私はいいよ。朝ごはんいっぱい食べてきたし」
軽くお腹を押さえながら、そう言った。言った、と同時にお腹が鳴った。
……………………。
「先生、はい」
彼は何故か微笑みながら(口元はかろうじて見える)、お弁当を差し出した。
「え? いや、いいよ。お腹いっぱいだし私!」
と言うと、またもお腹が呻いた。……何故口癖のようなタイミングで鳴るんだ。
「何か食べないと、頭働かないよ? ブドウ糖は必要さ」
彼は有無を言わさず、私にそのお弁当を突きつけた。
「……って、これ全部? 彼の分は?」
「あぁ、僕はいらないよ。僕の虹色の脳細胞は、空腹時に最もはたらくから」
やけに綺麗な脳細胞を持ってるんだね、彼。
うーん……このお弁当を返すべきか食べるべきか……あっ、意識したら、どんどんお腹が空いてきた気がする。そのせいか、彼がにやりと笑った気もした。
「人の行為を無下にするのが、学級委員長なのかい?」
私ははっとした。そうだよ、さっき約束したじゃないか。私と一緒に食べるって!
「分かった、ありがたく食べさせてもらうよ!」
「うむ、素直が一番だよ」
うんうん、と頷く彼。何か、いいように促された気がするんだけど、気のせいだろうか。
彼のお弁当を開けてみると、三段重ねタイプのものだった。一段目に箸、二段目がご飯、三段目におかずがそれぞれ入っていた。エビフライやカニクリームコロッケ、ミニトマトが綺麗に並んでいる。
「へぇ、彼のお母さんって器用なんだね」
「ん? あぁ、そのお弁当は僕が作ったんだよ」
………………。
「えっ、じゃあこれ……彼がデコレートしたの!?」
いやいやいや、これ男の子の作るお弁当じゃないよ? 恋する乙女が作るお弁当だよ!
「手先は器用だからね。これくらいは簡単にできるよ」
その鬱陶しい前髪で、どうやって簡単にこれほどのクオリティを出したんだろう……。
一口ぱくり。二口ぱくり。……くそう、味までいいなんて完璧じゃないか。
「あれ、どうしたの先生」
「何か……女子として自信なくなった気がする」
少し憂鬱になった。どうして一緒に食べようなんて言い出したんだ、さっきの私。
ЖЖЖЖ
「ごちそうさまでした」
「おそまつさまでした」
涙目を拭き拭き、なんとか完食した私は彼にお弁当箱を返そうとした。しかし。
「あれ?」
さっきまで閉まっていたはずのお弁当箱が閉まらない。詰め込みすぎて閉まらないのはよくあること(?)だけど、全部食べ切った後に閉まらないとは、どういうことだろう……?
「どうしたんだい?」
「閉まらないのよ、これ。あれ……?」
何かがつっかえているのかと思って見たけど、何もつっかえていない。あれれ……?
「あぁ、それはね……貸してみ」
彼がそう言うので手渡した。すると、彼はいとも簡単にお弁当箱を閉めてしまった。
「これはね、ちょっとコツがいるんだよ。開けるときは簡単だけど、閉めるときは、ね」
「ふーん……一癖あるお弁当箱だねえ」
さて、お腹も膨れたことだし(太ったという意味ではない、断じて)、また脱出方法を考えて……。
「えっ……?」
それは、一瞬の閃きだった。いや、彼の言葉が心のどこかに引っかかっていたのかもしれない。
閃きによって抱かれた疑問は、脱出方法という希望へと昇華していった。
私は、彼に尋ねた。
「彼、少し聞きたいことがあるんだけど」
彼は、笑っていた。
「奇遇だね、僕も聞かれたいことがあったんだよ」
「彼は、どうやってこの部屋に入ったの?」
本来なら、もっと早く気付くべきだったんだ。私は鍵を持って、この部屋に来た。そのときは鍵が閉まっていた。だったら、彼はどうやって部屋に入ったんだ。
彼はにっこりと笑うと、ダンボールを避けつつ、ドアに近寄った。私も後に続く。
「この教室は建付けが悪くなってるのは、さっき確認した通り。だからね、こうやってみるんだ」
彼はおもむろに右側の戸と左側の戸、それぞれの窪みに手をかけて、そして。
「………………!」
ガラガラガラと、戸を開いた。両側の扉が開き、真ん中に寄って、隙間が現れた。
「あとは、扉を両方とも片方に寄せれば脱出成功、ということさ」
彼はそう言って、部屋の外へ出た。私も急いで部屋の外へ。
「あぁ……随分久しぶりな外の景色だ……」
「現在時刻は一時だね。もう今から行っても、邪魔になるんじゃないかな?」
彼はのほほんとそう言った。確かにその通りなんだけど、でも……。
「学級委員長たるもの、クラスの安寧のために働くべし」
彼がそんなことを言いだした。
「一つ、謎解きが残ってるんだけど。聞いていかないかい? もちろん、学級委員長として、問題児を説得するためにね」
私は、その言葉を聞いて、初めて彼の真意に気付いた。
もしかしたら、彼は。
「閉じ込められたことを、自分の責任にしようとしてない?」
「はて、何のことやら」
もしも、このまま私が誰かに「倉庫に閉じ込められた」なんて言おうものなら、ちゃんと確認しなかった教師も、私の存在に気付かなかったクラスメイトも、助け舟を手放してしまった私にも、それぞれ罪があることになる。
それを、彼は「自分が先生を引き留めて、教師の注意も聞かないで、クラスメイトから先生を隠して、この時間まで監禁めいたことをした」ことにして、自分だけの責任にしようとしてるんじゃないか。
「さて、それではもう一つの謎解きを聞いていただこうかな?」
彼は不敵に笑う。何を言ったって、彼は聞きはしないだろう。私が誰に何と言おうと、優等生が不良を擁護する図は変わらない。
じゃあ、私はどうするか。学級委員長として、私はどうすればいいか。
「彼。私、分からないことがあるんだけど」
「ふむ、なんだい?」
彼の思いを、無下にはしないこと。今回のことは、そんなに大きな事件じゃない。重くて停学処分になるだろうけど、もしその時は全力で守る。学級委員長の矜持にかけて。
「これで中から外へ出ていく方法は分かったけど、私がこの部屋に入ったときは、鍵が閉まってたんだよ? それは、どう説明するの?」
「簡単なことさ」
彼はそう言って、扉を閉めた。そして、もう一度開こうとする……も、開かない。
「時間の流れが作り出した、オートロックだよ」
彼はウインクした(ように見えた)。
こうして、私は文化祭の最終日、図らずもサボタージュを決め込むことになってしまったのだった。
圏外の部屋から出たことで、私の携帯が震えだした。見ると、メールが一通だけ。みんな、ちょっとくらい心配してよ……あれ?
「小さいロウソク買ってきてって、え? まだ足りてないの?」
メールの送り主はクラスメイトだった。時間を確認すると、やはりたった今送られたようだった。
どれだけロウソクが足りてないんだろうか……。
「そういえば、この校舎の一階の家庭科部でロウソクが売られてたなー。昨日までだったのかな」
彼が思いだしたようにそう言った。
手土産というのはおかしいけど、お使いくらいこなさないと、ね。学級委員長として!
「ありがとね、彼! 今から家庭科部行って、クラスに帰るから!」
私はそれだけ言い残し、急いで家庭科部へ走った。頑張ってねー、という気の抜けた声を背に受けながら。
ЖЖЖЖ
がちゃがちゃ、がらがらがら。
「んー? おや、こんにちは。うまくいったかい?」
先生が去った後、彼は再び「倉庫」に戻った。段ボールを並べ、その上でお昼寝の準備をしていると、ある人物が部屋に入ってきた。
「うん、ありがとうね、手伝ってくれて」
それは、件のクラスメイトだった。彼は、どーいたしましてー、と気の抜けた返事を返した。
それから少しの無言の間。彼は不審に思い、クラスメイトの方を見ると、何故かきらきらした目と目が合った。
「……何?」
「計画の全貌、まだ全部聞いてなかったからさー」
「あれ、そうだっけ」
面倒くさそうに彼は言うけれど、クラスメイトは黙って彼を眺め続ける。
その無言に嫌気がさしたのか、彼は嘆息交じりにクラスメイトを見た。
「分かったよ。計画の全貌でも何でも話したげるよ」
クラスメイトはきらきらした目で、ぶんぶんと頭を振った。
「さて――――」
彼は、名探偵よろしく、語り始めた。
「今回の事件は、僕が企てた"先生監禁計画"の通りに進んだ。まず、僕は朝早くにここに来て、ロッカーから箒やら何やらを全て抜いておいた。これの理由は後で説明するよ。
そして、頃合いを見計らってクラスメイトである君が、先生にロウソクを取りに行かせる。その後、僕が先生を閉じ込めようと思ってたけど、イレギュラーが発生した。
嬉しい誤算ともいえるけど、イヤホンをつけてきてくれた。それによって、協力者であるところの教師が隙を見て鍵を閉めることができた。つまり、教師もグルということだね。ここまではいいかい?」
「いいよー。計画通りみたいだねー」
クラスメイトはのほほんと応答した。
よろしい、と彼は続ける。
「ここで重要になってくるのは、先生に『閉じ込められた』と思わせること。そうじゃないと、この計画の目的自体が崩れちゃうからね」
「はいはーい、目的ってなんですかー」
「それは後で分かるから、今は辛抱してね。さて、『閉じ込められた』と思い込ませられたら、僕の出番だ。この計画における僕の役割は『足止め』。
脱出方法に関するヒントを与えつつ、答えにたどり着かないようにさりげなく妨害をする」
「はいはーい、質問だよ! 私たちに、先生から連絡があったら無視するように言ったのも、妨害工作の一つですかー」
「その通りだよワトソン君」
彼は気障に笑ってみせた。クラスメイトの口元がひきつった。彼は少しショックを受けたのだった。
「……救助信号を受け取って、先生に教室に帰られたら困るでしょ?」
「んー、そうだねー。目的が崩れちゃう、だね!」
少し元気が無くなった彼は、気を取り直して続けた。
「その通り。目的を崩さないために、無視してもらったわけなんだけど、それでも誰も探しにこないっていうのは不自然だ。そのために、君に来てもらったんだ」
「でも、誰もいなかったように見えたよー? 私は、彼が先生をどっかに連れてったんだなって思ったよー」
「あのとき、僕らはこの部屋にいたよ。詳しく言えば、ロッカーの中に」
またも、クラスメイトの口元がひきつった。
「……え? 二人で? 一緒に?」
「うん。あ、勘違いしないでね、僕が入れ込んだんじゃなくて、先生が僕を突っ込んだんだ」
「えぇ……なんでよー」
何故か不機嫌になるクラスメイト。
「どうやら、僕と二人でいるところを見られて、妙な想像をされたくなかったらしいよ」
「でも! だったら、彼をロッカーに突っ込んで、自分は外にいればよかったじゃない!」
急に激昂しだしたクラスメイトに、彼は怪訝そうな表情になった。
「それは僕も考えたんだけど、どうやらいっぱいいっぱいだったみたいだねえ。僕としては、そんな理由があったことに対して目からウロコだったよ」
「……それで、その次はどうなったの?」
クラスメイトは不機嫌なまま、そう尋ねた。
「本来なら、僕が無理にでも先生を言いくるめて、ロッカーに隠れててもらうつもりだった。そのためにロッカーの中身を抜いておいたんだ。でも、自主的に隠れてくれて助かったよ。
……なんで不機嫌なの?」
「べっつにぃ。なんでもないよー」
相変わらず不機嫌なままで、クラスメイトはそう言った。
「ふーん? ……まあいいや。それで、最後の仕上げに最大のヒントをあげたんだ。それがそのお弁当箱だよ」
彼は、少し離れた場所に置いてあるお弁当箱を指さした。クラスメイトは、それを不思議そうに見た。
「このお弁当箱がどうしたの?」
「それはね、開けるのは簡単だけど、閉めるのはコツがいるんだ。このことを、この部屋のドアに応用してくれれば、ドアを開くことができた。
でも、先生は『僕がどうやってここに入ったか』という疑問に行き着いた。僕にはそれが何となく嬉しくてね。不思議なことを不思議だと感じて、その上で僕に尋ねたんだ。
自分の力ではなくても、僕が本気で言い返せない疑問を突き付けてきたことが、僕にとって一番嬉しかったんだ」
彼は本当に嬉しそうな表情を浮かべた。口元しか見えていなくても、クラスメイトにはそれがはっきりと分かったのだった。
しかし、彼は次の瞬間には表情を曇らせていた。
「でもね、先生は僕が全責任を背負うつもりだーなんて、それこそ不思議な結論に至っちゃった。もちろん、計画を建てたのは僕だから、責任があるといえば間違いじゃないんだけど。それでも僕らの目的を果たすためには、誰も不幸なままで居ちゃダメだ。そこで、君に相談がある」
彼は、上体を起こして、まっすぐにクラスメイトを見据えた。かすかに見える彼の目には、強い決意の光が見てとれた。
「何ー? 私にできることなら、何だってするよー」
クラスメイトは胸を張って答えた。彼は薄く笑うと、
「全部終わったら、僕の計画を話してほしいんだ。本当は言うつもりは無かったんだけど。変な罪悪感を背負って、職務を全うさせたくはないからね」
「……でも、話しちゃったら、彼は少なからず反感を買うんじゃないー?」
「そのくらいなら慣れてるよ」
それだけ言うと、彼は寝転がってしまった。
「最後に、聞いていいかなー?」
「んー。何だよ」
「どうして、そこまで先生にしてあげるのー? 好きなのー?」
彼は少し考えて、口を開く。
「好きか嫌いかで言えば…………好きな方かな。でもね、僕はこう思うんだ」
彼は一拍置いて、一言。
「頑張りすぎるいい子は、絶対に幸せになるべきだ」
彼は見ていないけれど、クラスメイトは深々と頭を下げて、倉庫を後にした。
彼以外居なくなった部屋の中で、彼はゆっくりと目を閉じた。
「いい誕生日会になればいいね」
そう一言呟いて、遅めのお昼寝に入った。