ROLE PLAYING FAMILY
固い空箱
以下、世界観の説明。
寂寞の枢症候群。
寂寞の枢とは、"じゃくまくのとぼそ"と読んで、寂しく静かな家のことをさす。
これは簡潔にいうと、集団孤独死の増加現象のこと。つまりは個人に発症する病気じゃなく、内閣府のおじさんが勝手に名付けた呼び名なのである。
核家族化が進み、それに伴うように女性の合計特殊出生率と、総結婚数が減少の一途を辿ったのが原因といわれている。
このことが意味するのは、一概に家族関係を持つ人の減少の激化である。
ただでさえ、ご近所さんの付き合いなんて無いに等しいこのご時世なのに、『家族の関係』すら無くなってしまうと、もはや強力な関係はどこにもないと言えるだろう。
焦燥にかられたお偉いさん方が苦肉の策として考え付いたのが、「家族計画」と呼ばれる政策である。
簡単に言えば、国家ぐるみの家族劇。特定の年齢に至った人に家族の役割を当てはめて、自らがその役割を演じる。関係がないのなら、作ればいい、という安易な考えのこの政策は、予想だにしないほどの成功を修めた。
数年前この政策が打ち出され、最近になって少しずつ総結婚数が増加し、寂寞の枢症候群も減少したらしい。
この政策が有効であると判断され、お偉いさん方はさらに促進し始めたのが去年。
もちろん、その強制的な役割分担に檄を飛ばす人もいたけれど、この不況で退屈な世の中で、新しい刺激と喜んだ人のほうが多かった。
皆が皆、まるで小学生の学芸会のように、自分の役割を演じることを楽しんでいる。
……私は、そんなに素直に喜べはしないんだけど。
とにもかくにも、この政策の穴はまだ発見されていない。もし発見されるのなら、さっさとされてほしい。
家族の構成は、遊びなんかじゃないのだから。
ЖЖЖЖ
「なー、空。紅茶ー」
「私は紅茶じゃありません」
「紅茶入れてー」
「しょうがないですね……。はい、これでもどうぞ」
「いや、あの。これ、えらい青いんやけど」
「私特製、青汁です」
「確かに文字の上やったら青ってあるけど、本来緑やからな?」
「…………」
「ちょ、なんでそんな『何言ってんだこいつ』みたいな眼で見んの。ちょっと興奮するやんか」
「えい」
「ぬわあぁぁぁ眼がぁぁぁ!!」
リビングにて、主婦のたしなみである「お裁縫」をチクチクぬいぬいしていると、『旦那様』に絡まれたので撃退しました。撃退、なんて言葉は痴漢くらいにしか使わないと思っていたんですが、まさか『身内』に使う日が来るとは驚きです。
嘆息交じりに、痛みに悶絶するお兄さんを見ました。
年の頃なら二十代前半。少し長めの前髪をアシメで極めて、黒縁メガネの奥には端正な顔立ちが潜んでいます。が、しかし今は涙を流して台無しです。
身長160cm台の私より頭一つ二つ大きい彼は、よく「置きやすいとこにあるから」と言って私の頭の上に腕を置いてもたれかかってきます。そこそこ大きい人なのに、甘えん坊さんな面がある、困った人です。
どうもこんにちは、私の名前は空と申します。そして、このお兄さんは光と申します。苗字は、二人とも同じ『永野』。はい、私とこの旦那様は夫婦という役です。二十歳の誕生日と同時に白紙(戦時中でいうところの赤紙のようなもの)が来て、あれよあれよと旦那様と夫婦関係になってしまいました。
この関係、私的にはまったくもって、不愉快です。というのも、恥ずかしい話ですが、他に好きな人がいたからなのです。旦那様よりイケメンでもないですし、安月給の会社員でしたが、私はそんな彼が大好きでした。
そんな恋路は、脂ぎった内閣のおじさん(注:この人はフィクションです)が出した政策のせいであっさりと、しかも別れの言葉の一つも言えずに、終わりを告げたのでした。
そんな訳で、ほぼ八つ当たりもいいところですが、私はこの光という男が大嫌いです。それこそ殺してやりたいくらいに。この人が死んでも、あの人と一緒になれる訳じゃないのに。
「なー、空―。空の淹れた紅茶が飲ーみたーいなー」
「はぁ、分かりました。そこまでおっしゃるなら、淹れさせていただきます」
「もー、夫婦なんやからそない堅苦しなくてええやんかー……あの、空? 紅茶ってカップに注ぐもんやんな? カップ見当たらへんねんけど。なんで急須を俺に向けてんの? ちゃうよ? 俺の口はカップ代わりにはならんdあっつっ! ホンマあっつっ! あかんて、ホンマ熱いって!」
と、物理的に八つ当たりしている始末。こんなことしても意味がないことくらい、本当は分かっているんですが……。
ほー、熱かった……と独り言つ旦那様にも、本当はすごく申し訳なく思っていたりもしています。旦那様は、何も悪くない。悪いのはあの脂ぎったおじさん(注:フィクションです)。それでも、諦めきれないのです。まだ、二十歳なんですから。
こぽこぽと音をたて、今度はちゃんとカップに紅茶を淹れ、旦那様に渡します。
それだけで、捨てられた子犬のような顔をしていた旦那様の顔が輝きます。ひったくるようにカップを受け取ると、少しずつクピクピと飲みました。猫舌なのですね、旦那様。
ЖЖЖЖ
「また来たん? 母さんも懲りひんねぇ」
「うるさいです」
主婦のたしなみである「お裁縫」を終えると、私はある場所にやってきました。息子役の龍君のところです。
弱冠十七歳にして教師になる夢を叶えるために爆進中の龍君は(旦那様を覗いて)家族の中で最も歳が近いので、相談相手にぴったりなのです。
相談内容は、もちろん。
「普通父親の暗殺計画を息子に依頼する?」
「依頼じゃありません。相談です」
「なんでもええけど、俺は反対やからね。親殺しなんて、聖職者として受け入れられんし」
と、こちらを見もせず、冷たい龍君。勉強机に問題集を広げ、宿題をしているようです。
「俺嫌やで? 母親がしょっ引かれるところ見んの。やからもう諦めて夫婦すればええやん」
至極当たり前のことを、当たり前だろと言いたげな顔で、やはり冷たく言う龍君。しかし、一つだけお母さんから助言してあげたいんですが。
「龍君、人と話す時は目を見て話しましょうね」
「……いや、俺、今めっちゃ忙しいから。ちょっと顔あげられへんくらい忙しいだけやし」
「にしては、手が止まっていますよ」
「あれやし。めっちゃ難しい問題解いてるからやし。あー、難し」
「……皆が龍君を見ています。その中で龍君は誰とも目を合わせることなく授業を淡々と続けます。気が付けば生徒と龍君の間には見えない亀裂が生じていて、それは飛び越えることのできないくらい大きな溝になっていて……」
「ああぁぁぁ!! 分かったから! もう逃げへんからそんな怖いこと言わんといて!!」
教師志望の、対人恐怖症。
「家族計画」による収集がかかり、随分と時間が経っているのに、その症状はあまりよくなってはいません。お母さんとしては、その治療の手伝いをしたいのですが……なかなか難しいですね。
「俺は俺で頑張ってんねんから、口出しせんといてや! 母さんは大人しく父さんでも殺してればええやん!」
「大人しく殺すって、すごい言葉ですね。仲良く喧嘩しな、みたいな」
「………………」
何故かげんなりした風の龍君。
しかし、言質はとりました。私は大人しく旦那様を殺そうと思います。
「でも、私の計画じゃ、どうしても殺せないんですよねぇ」
「へー、そーなんやー」
もうどうにでもなれ、と言わんばかりに龍君が吐き捨てた。
「ちなみに、どんなことしたん?」
「そうですね……あれは、旦那様と散歩している時でした」
ЖЖЖЖ
「ん? あの子何やってんねやろ」
「はい? ……どうやら風船が木に引っ掛かって困ってるみたいですね」
「ふーん……おーい、ちょい待っててな! 今取ってきたげるから!」
「あっ、待ってください…………えっと、ごめんなさい、私たち怪しい者じゃないんですよ。今、あのお兄さんが取ってくると思いますので、待っててくださいね」
「よいしょ、よいしょ……うし、取れたっ……ほれ、取ってきたで!」
「旦那様、怪我はありませんか?」
「あらへんよー。ん? お兄さんありがとう、って? そんなん照れるわー! 当たり前のことしただけやってー」
「…………旦那様、調子にのりすぎです。ほら行きますよ」
「何なんよー、急に機嫌悪なって。じゃ、ばいばい! またどっかで会えたらええなー」
「あっ、ちょっと待ってください……いいですか、お嬢さん。旦那様は私のですから。絶対にあげませんからね……どうしたんですか、旦那様。顔が赤いですよ」
ЖЖЖЖ
「名付けて”独り占めして困らせよう作戦”です! 今回は成功したと思うんですよ」
「その前にちょっとええかな。母さん、子どもが相手でも敬語なん?」
「え? えぇ、まぁ」
他人行儀ではありますが、争いの種にはなりにくいですし。
「それで、どうですか? 会心の出来だったと思うんですが」
「あー……うん、逆効果ちゃうかな」
「なっ……何故ですか?」
「えっ、自覚ないん!? 確実に”独占欲が強い新妻”になってんで!?」
「まぁ、独り占めして困らせようとしましたから、予想通りですよね」
「さっきからその、独り占めして困らすって何なん? どういう心境にさせようとしてんの? 恥ずかしがらそうと思ってんの?」
「そうですね。顔を真っ赤にさせてましたから、今回は成功です」
「……で、それでどうやって父さんは死ぬん?」
「いえ、これは計画外のイレギュラーでして、所謂私のアドリブです。なかなかの出来だったと自負してます」
「いや計画の話しようや! なんでいきなり計画外の話からしたん!?」
「何事も、前フリが大切でしょう?」
「さっきから何でそんなどや顔なんか分からんけど、恐らく父さんを喜ばす結果になってると思うで……」
げんなりと、龍君はそう言った。お母さんの失敗を嘆いてくれている、訳ではなさそうですね。まぁ、そんな時もあります。失敗をするから成功できるのです。
「ふむ。そういえば、こんなこともあったんですよ」
「えぇ……まだあんの? もうお腹いっぱいやで?」
「では、デザートとして聞いてください」
「………………」
ЖЖЖЖ
「旦那様、ぎゅーってしてください」
「お、おおぅ……なんや急に。お兄さんビビったで?」
「いいですから、ほら、ぎゅーって」
「いや、あの、そんな子どもみたいに両手広げんでくれへんかな。キュンてするやんか。ぎゅーってされてるわ、主に心臓が」
「では、これでどうでしょうか」
「へ? ……えっと、椅子の上に立ったら危ないで? 何でクラウチングスタートの構えnへぶぅっ!!」
「どうですか、息苦しいですか、息苦しいですよね、それぎゅーっ」
ЖЖЖЖ
「何故か気持ちよさそうな顔をしてたんで止めましたが、本来なら窒息を狙ったんですよ」
「聞きたいんやけどさ、母さんってホンマに父さん殺したいん? 好きで好きで仕方ないように見えんねんけど」
「どこの世界に、好きで好きで仕方ない人を窒息死させる嫁がいるんですかっ」
「この世界では、好きで好きで仕方ないからこそハグする嫁がおるの!!」
「まさか、また逆効果でしたか……?」
「今気付いたん……? 母さんって、バカ?」
失礼な。今年一番失礼ですよ、龍君。
「もちろん殺したいですよ。今年一番殺したいですよ。ちなみに二番はアインシュタインです」
「何で今年限定なんとか、何でアインシュタインなんとかは聞かんで? めんどくさいから」
「天才ですから」
「アンタはどこのバスケットボール選手や! ていうか聞かんって言うたやん! おしゃべりか!」
怒涛の勢いでツッコんでいただきました。龍君は、どんなボケでも拾ってくれるから好きです。
そう言うと、「あぁ、そう……」とやっぱりげんなりされました。ここは喜ぶところでしょうに。
「さて、次の事例ですが……」
「あー、もうええよ。分かったから。分かったし、暗殺計画も思いついたし」
「な、なんですってー!」
さすが龍君!
T大学を志望するだけのことはありますね!
「それで、高学歴の龍君、いや龍様。どういった計画でございましょうか?」
「俺を敬うレベルが心なしかあがった気がすんねんけど……まぁええわ。鈍感な母さんにぴったりな計画は……」
ЖЖЖЖ
「さて、と」
まるで嵐のような母親を見送り、龍は勉強机に突っ伏した。頭の中にあるのは、さっき母親に告げた計画の顛末。改めて、龍は思案する。
“この計画は、母さんにしかできない。正直、成功確率も高くない。けれど、成功しなくても、大ダメージを狙えるだろう”
といった旨を伝えると、母親役の彼女は嬉々として計画にのった。あんなキラキラした顔(無表情には違いないのだが)で、暗殺計画を拝聴できるとは、息子から見ても不気味そのものだった。もしかしたら前世は、暗殺者の一族だったのかもしれない。
「まったく……世話のやける親やな」
「まったく……世話のやける嫁やで」
龍は勢いよく、声が聞こえた方を見た。さっき開いて閉まったドアが開いていて、そこには件の父親が腕を組んで立っていた。
「……聞いてたん?」
「すまんね。俺は嫉妬深いんよ」
にやりと笑ってそう言う父親に対し、龍が示した態度は母親に対するものと同じ。もしかしたら一生分のため息を、この夫婦に対して吐くんじゃないか、と龍は憂鬱になった。
「で、感想は聞いた方がええ? 嫁に命を狙われる気持ちとか、俺はごめんこうむるけど」
「まぁそう言いな。意外と気持ちええもんやで?」
「まさかの父親のマゾ発言に、息子はドン引きです」
「いやいやちゃうって、誤解が生まれとるよ!?」
龍が少し身を引いてみれば、父親は焦ったようにそう言った。
「ゴホンゴホン……えぇと、分かると思うけど、空はネジが数十本足りてへんやん?」
「曲がりなりにも自分の嫁に、阿呆の烙印を押すとは尊敬するわ」
「やからさ、俺は殺されへんと思うんよ」
「無視か。……まぁ、確かに母さんが何人集まっても、父さんは殺されへんやろね」
「やろ? でも、空は空で殺そうと一生懸命考えてくれる訳やんか。それって、俺のことで頭がいっぱいになる、ってことやん」
「……あぁ、なるほど」
そこで龍は理解した。たとえ暗殺計画でも、自分のことを考えてくれてることが嬉しいと、この父親は言っているのだと。
それは多少歪んでいるけれど、相手のことを思い遣ることには違いない。そんな関係が、我が父は気に入っているのだと。
「まっ、龍の暗殺計画は聞こえへんかったから、何されるか楽しみな反面、ちょい怖いのも事実やねんけどな」
そして、龍は思う。
この人は、近い未来に心臓が止まるような出来事に見舞われるだろう、と。
「頑張りや、実はヘタレな父さん」
「は?」
ニヤリと笑った息子を、父親は訝しげに見るのだった。
ЖЖЖЖ
「旦那様、添い寝します失礼します」
「は? ちょ、いきなり入ってこんといて! あかんて! このベッド小っちゃいんやで!? 二人は無理やって!」
「いえ、大丈夫です。くっつけばいいんですよ、ほら」
「――――!?」
「では、おやすみなさい。旦那様、にこっ」
「無表情で、にこっ、て言われても……あの、空さん空さん。ちょっとええかな」
「顔が赤いですが、大丈夫ですか?」
「心配そうな声を出すなっ! あかんよ、俺我慢でけへんで!?」
「何がですか。旦那様の不調を心配するのは、嫁として当然でしょう?」
「いや、そりゃそうなんやけど……あのさ、こういうことってやっぱり、もっと仲良うなってからするもんで、俺らはまだそこまで仲良うなってへん訳で、えぇと、その……」
「………………すぅ……」
「……え? 嘘、もう寝たん? てことは、俺このまま放置なん? 冗談きっついわぁ……空さん?」
「すぅ、すぅ……」
「いやいやいや、この昂った気持ちはどうしたらええの? これじゃ、まるで生殺し…………はっ」
「龍の奴…………!!」
ЖЖЖЖ
「そろそろかなー。悶々としたまま、朝まで過ごすとええんちゃう? 父さん♪」
ベッドの上で、龍は悪戯に成功した少年のようにほくそ笑む。そして、未来の生徒たちと楽しく話すことを夢見ながら、深い眠りに入った。
Ж裏設定Ж
<空> 二十歳。無表情。隠れ巨乳。
<光> 二十歳。ヘタレ。高身長で業界人。
<龍> 十七歳。教師志望。しかし人見知り。
でお送りしました。