スイッチ

                          夏野

 

「なんだ、これは?」

それが、男の第一声だった。

 

 

 とあるマンションの一室。そこに男は住んでいる。何の変哲もないワンルーム。目立つような家具も、置物もないシンプルな部屋。男にとってはただ、眠るためだけの場所だった。

  

しかし、そこに小さな違和感が混じった。

 

 部屋の隅に見慣れない箱の様な物があったのだ。

 大きさは縦横五十センチ程。銀色で、上面には赤い円柱状の突起物が付いている。もちろん、男が自分で置いたものではない。

男は、自分が寝ぼけていない事を確認するために、顔を洗ってもう一度その物体を見てみた。

「・・・なんだ、これは?」

  

 

 

「まさか、泥棒にでも入られたか?」

男は部屋の戸締りを確認して回ったが、誰かに侵入された痕跡はなかった。

「どうしてこんな物がおいてあるんだ?」

男は頭を掻き毟りながら、思いつく限り可能性を模索してみたが、説得力のあるものは出てこなかった。

警察に通報しようかとも思ったが、部屋の中にいきなり謎の物体が出てきたと説明しても、理解してもらえるか怪しかったのでやめておいた。

 

なぜこのような物がいきなり部屋に出現したのか、その理由を考えるのは、ひとまず置いておくことにした。

 

「とりあえずちょっと調べてみるかな・・・」

得体のしれない物に触りたくない男は、少し離れた所からその物体を良く観察することにした。

「・・・何かのスイッチ・・・か?」

箱の上についている突起物から、男はそう仮定した。

「しかし、確認したいが・・・」

 やはり触りたくない。とりあえず男は、このスイッチの事は後回しにして仕事に行くことにした。

 

 

「さて・・・と」

男は、部屋に帰ってくるとすぐに、スイッチの前に胡坐をかいて座った。

「・・・とりあえず押してみるか」

このまま、この謎の物体を放置していても仕方ないと思った男は、とりあえずスイッチを押して、反応を見る事にした。

 

男は、ゆっくりとスイッチに手を伸ばし、赤い突起部分に置いた。途中、「これを押してしまうと、とんでもない事が起こるのでは?」「もしかしたらこれは爆弾で、スイッチを押した瞬間に俺の人生は終わるのでは?」などと思い、一瞬ためらったが、好奇心には勝てず、一気にその突起部分を下に押しこんだ。

 

ピコン

 

 高い音が部屋に響いた。

「何かが作動したのか?」

スイッチに耳を当てて、神経を研ぎ澄ましてみたが、起動音などは無かった。

「なんだ、何も起こらないじゃないか」

何度か押してみたが、その度に謎の音が鳴るだけで、特に変化は見られなかった。

「ハハ・・・少しがっかり」

男は拍子抜けした様子で立ち上がると、そのままベッドに倒れこみ、スーツを着たまま眠った。

  

 

 

 翌朝、男は目が覚めると、ポケットに違和感を覚えた。

「何か入ってる?」

 手を入れてみると、そこには数枚の万札が入っていた。

「十万円も入ってる・・・」

驚いた。いつの間にこんな大金を手に入れたのか。

「・・・まさか」

  一つの考えが浮かんだ。

 男は、飛び起きるとスイッチの前に立ち、スイッチを押した。

 

  ピコン

 

高い音が響く。

その音を聞くと、すぐさま男はポケットに手を入れてみた。

「やっぱり・・・」

ポケットの中には一枚の万札が入っていた。

男は、その後何度かスイッチを押してみたが、その度にポケットに万札が入っていた。

「凄い・・・夢の様だ」

 どうやらこのスイッチは、押す度に万札が出てくる魔法のスイッチの様だ。

「これさえあれば、もう働かなくてもいい。好きな物もなんだって買える。どうしてこんなスイッチが部屋にあったのかは分からんが、そんなことはもうどうでもいい。これで俺も億万長者だ!」

 

その日から、男の生活は変わった。

まず、仕事を辞めた。次に、今まで欲しくても買えなかった少し高価な物を、スイッチを使って全て買った。そんな調子で、金を使って出来る事を、思いつく限りやり尽くした。男は今まで生きてきた中で一番幸福な時間を堪能していた。

 

そんな生活が一ヶ月程続いたある日、男はいつも通りにスイッチで金を出して出かけようとすると、ポストに変わった色の封筒が入っていることに気付いた。

「誰からだろう?」

目が痛くなるほどのピンクの封筒には、男の名前のみ書かれており、差出人などは一切書かれていなかった。とりあえず封筒をあけてみると、そこには一通の手紙が入っていた。

 

 

○○様 

この度は「人生換金スイッチ」をご利用いただき、真にありがとうございます。ご存じだとは思いますが、今一度、こちらの商品について説明させて頂きます。

こちらは、お客様の「二十四時間」を、私共が一万円で買い取るサービスを、スイッチを押すだけご利用頂ける商品となっております。早い話が、寿命を売る事が出来るのです。もちろん使い過ぎれば、早死にしてしまう事になります。

○○様が先月ご利用になられた回数と、この封筒の投函時点での○○様の残りの寿命を、裏面に明記致しましたので、ご確認下さい。

 

ご利用は、計画的に。

 

      

 目眩がした。まさかあのスイッチを押す度に寿命を減らしていたとは思いもしなかった。

「そんな・・・じゃあ俺の寿命はあとどれ位残っているんだ?」

 男は、震える手で裏面を見た。

 

   ○○様  三十歳

 利用回数 一万八千二百五十回(一億八千二百五十万円)

 

 

 

 残り寿命   一日

 

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