朝ゴハンは魚にかぎる

                       志ヶ世

 

『早く起きないと遅刻するぞ』

目の前で蠢く布団に僕は飛び乗った。

「むぐぅ……」

そんな声をあげるとモゾモゾと布団からいつもの顔が這い出てきた。

「おはよう、クロ。」

『おはよう、アユミ。』

ボクらの一日はいつもこうして始まる。学校に遅れないようにアユミを起こすのはボクのたった一つの仕事で、ものごころが付いたときからずっと続いていた。

「朝ゴハン、すぐ準備するからちょっとまってね〜」

そう言いながらアユミはパジャマを脱いで制服に着替えると冷蔵庫に向かっていった。

この朝ゴハンがボクの仕事の報酬なのだが、最近この報酬が良くない。なぜならば今までちゃんとした物が出されていたのに、近頃は缶詰で済ませてしまうからだ。そろそろ缶詰はやめてほしい。なんて考えているといつもより早くアユミがお皿を持ってきた。

「おまたせ。はい、これクロの分ね。」

 今まで朝ゴハンはずっと魚だった。最近は缶詰だけれど。ボクは日本で生活しているなら朝ゴハンは魚にかぎると思う。昔から食べられてきたからとか理由はたくさんあるけれど、一番の理由は単純にボクの好物だからだ。

「いただきまーす」

『……』

 けれども今回は缶詰どころか魚ですらなかった。

(ナンダコレ?)

 お皿の中には茶色の、いや、小麦色のモノが盛られていた。アユミはもうゴハンを半分食べ終えている。アユミと一緒にゴハンを食べたかったので、ボクは恐る恐る皿の中のモノに手をつけた。

「あっ、やっと食べた。どう?おいしい?」

『マズ……くはないけど美味しくもない……』

そう言ってボクはアユミの顔を見上げる。

「おいしかった?それじゃあ明日からはコレね!」

『……』

「ごちそうさまー」

 そうこうしているうちにアユミはゴハンを食べ終え、身支度をすませた。

「いってきまーす。」

『いってらっしゃい。』

 今日のボクらの朝はそうして終わった。

 

 ボクらの朝が終わるとボクの昼が始まる。窓を開けてベランダの手すりを飛び越え、隣の部屋のベランダに降りる。

――コツコツ――

 いつも通り窓を叩くといつもの顔が近寄ってくる。

【やぁ。待ってたよ、クロ。】

『シロウに待たれても嬉しくないけどな。』

 目の前の胡散臭いヤツがボクの唯一の話し相手、シロウだ。どこが胡散臭いかというと、もう夏なのにまだベストを羽織っていたり、いつも不適に笑っているところや、見たこともない文字で書かれた本をいつも読んでいる等、挙げ出したらキリがない。

【そういえば今日から朝ゴハンが変わったんだったね。】

『相変わらず良く聞こえる耳だな。』

【美味しかったかい?】

『オマエはボクの声が聞こえるのに良くそんなことが言えるな。』

 シロウがボクの唯一の話し相手なのは、ボクの言っていることが唯一分かる知り合いだからだ。たまにアユミが女友達を連れてきたり、隣のおばさんがお土産を持ってきてくれたりするときに話しかけてみても、誰もボクの言っていることが分からないみたいだった。アユミも例外ではなかった。

【さて、そろそろお昼だね。魚と今朝の小麦色、どっちを食べる?】

『オマエほん【魚だね。分かったよ。】

 シロウはボクから逃げるように台所に向かった。こうやってよくボクをからかうのも胡散臭い原因の一つだ。そんなシロウだがどうやらアユミの家族と縁があったみたいで、今もボクとアユミの面倒をみてくれている。何故あったみたいかというと、今はアユミの家族はボクだけだからだ。

 もともとアユミには両親と弟がいたみたいだけど、ボクがアユミと出会ったときはもう、一人だった。ボクはアユミと話せないので、どうして一人になったのか聞くことができなかったし、アユミも話してはくれなかった。ボクがそんなことを考えていると、シロウがお昼を持ってきた。

【はい、どうぞ召し上がれ。】

『いただきます。』

 相変わらずシロウの作るゴハンはおいしい。一人暮らしをしていると料理の腕も上がるのかな?

【歩ちゃんは元気かい?】

『ああ。』

――――――

『ところでシロウ。』

 シロウが退屈そうにしてきたので、いつも通り話をきりだす。ボクにとってシロウが唯一の話し相手であるように、シロウにとってもボクが唯一の話し相手みたいらしい。なので毎回なにか話をしないと、次の日はお昼ゴハン抜きになってしまう。ボクは明日のお昼のために話を続けた。

『最近、アユミの様子がおかしいんだ。』

【さっきの話聞いてなかったね。別にいいけど。それで?】

 シロウが話を促す。

『どうもそわそわしてるというか、落ち着かないんだ。』

 実際、今日の朝もそうだった。アユミは朝が弱くてほっといたらいつまでも寝て遅刻するけど、ちゃんと起こせば毎朝ボクのゴハンを作ってくれた。なのに最近は缶詰だったり、果ては今日の小麦色だ。

【クロがそういうのならそうなんだろうね。】

 そういうとシロウは少し間を置いてから不適な笑顔で、

【ボクが歩ちゃんのことが好きだって言ったらどうする?】

 なんて言いやがった。ボクは答えた。

『その首を噛み切って殺る。』

【言い方も目もコワイよ。クロ。】

 シロウなんかがアユミとつきあうなんて許せない。シロウじゃなくてもそのへんの奴らにアユミを渡す気はない。

【そろそろ歩ちゃんが帰ってくるね。】

 シロウが時計を見ながら言った。気がつくともう空が赤くなっていた。

【それじゃあ明日も話しにきてね。】

『ちゃんとお昼ゴハンを作って待ってたらな。』

 そう言ってボクは赤くなったベランダにでた。

「ただいまー」

『おかえり、アユミ。』

 もちろんボクの言っていることはアユミには聞こえない。

「明日は学校終わるの早いから友達連れてくるね。」

『わかった。』

 それでもボクは話しかける。今までだってそうしてきたし、これからもそうする。なぜならボクはアユミのことが好きだからだ。それはボクの家族がアユミだけで、アユミの家族もボクだけという家族の仲を表してもいるけど、ボクがアユミに家族以上の想いを寄せているという意味のほうが強かった。

「『ごちそうさま。』」

 アユミとボクで晩ゴハンを食べ終え、アユミとボクでお風呂に入る。

「クロはお風呂嫌がらないよね。」

 こんなに気持ちいいのに嫌がるヤツなんているのだろうか。

「珍しいねー」

 お風呂からあがるとテレビを見た。しばらくするとアユミが布団を敷きだしたので、その間ボクはアユミの邪魔にならないように部屋の隅に寄る。布団が敷き終わると一緒に布団に入った。夏が近いからさすがにもう暑かったけど、去年も一緒だったから今年もそうする。

「おやすみ、クロ。」

『おやすみ、アユミ。』

 こうしてボクらの一日が終わる。幸せな一日だった。いや、毎日が幸せだった。これからもずっと幸せが続くといいな。そう考えている間にボクは眠りに落ちた。 

 

『もう朝だぞ。』

「むぐぅ……」

 いつも通りアユミを起こす。すぐにパジャマから着替えるとアユミは冷蔵庫へ向かっていった。

「はいこれ。昨日と一緒だよ。」

 そういいながら持ってきたお皿には昨日よりも少し多めに例の小麦色が盛られていた。

「ごちそうさまー」

『ごちそうさま……』

今までの朝ゴハンに戻るのは何時だろう……ボクが割りと真剣に心配しているうちにアユミは支度を済ませた。

「いってきまーす」

『いってらっしゃい……』

 しばらく続きそうな小麦色の朝ゴハンに不満を覚えつつボクはアユミを見送った。

 

 いつも通り隣のベランダへ飛び移る。ボクはこの飛び移る瞬間が好きだった。

【いらっしゃい。】

 シロウが眼鏡を拭きながら窓を開けた。おじいさんが掛けそうな分厚い眼鏡だったがシロウの目は悪くない。それにしても歳に合わない眼鏡だと思った。そもそもシロウは何歳なのだろう?おじさんぐらいにも見えるし、アユミのお兄さんと言われても違和感はない。そんなのはゴメンだけど。そういうところも胡散臭かった。

【お昼から歩ちゃんの友達が来るんだっけ?】

『やっぱり聞こえてたか。』

【今日はもう帰っていいよ。】

 お昼ゴハンを食べ終わると珍しくシロウがそんなことを言う。

『今日は雨が降るかもな。』

 そう言ってボクは簾の影から太陽が照りつけるベランダへ飛び移った。最近少しずつ日常が変わってきている気がする。特に朝ゴハンとか。本当に雨が降るかも。いや、雨で済めばいいけれど……。ボクは不安になって急いで部屋に入った。

「ただいまー」

 しばらくするとアユミが帰ってきた。ボクはすかさず迎える。

『おかえr「おじゃましまーす」

 ボクの声を遮って入ってきたのは、はじめて見る人物だった。いつも遊びに来るアユミの友達じゃない。いつも来る友達よりも大きくて、ボクの声を遮った声はシロウみたいに低かった。

 

―――アユミが男のヒトを連れてきた―――

 

 ボクの朝ゴハンはしばらく魚に戻りそうもなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

                               《続く》

 

 

 

 

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