朝ゴハンは小麦色
                       志ヶ世
 
『オマエは誰だあぁ!』
 壁の向こうからとても大きな叫び声が聞こえてきた。聞きなれたその声はオレの話し相手、クロのものだ。もっともオレ以外の人間には
「ブニャアァーー!」
 としか聞こえないのだけれど。それはクロの飼い主の白石歩も例外ではなく、俺たちのアパートから一歩も外に出たことのないイエネコ精神の染み付いたクロにとってはオレが唯一の話し相手だった。クロがどう思っているかは知らないが、オレにとってはクロが唯一の話し相手という訳ではない。なぜならば、クロに怒鳴られた黒沢圭太もオレの話し相手の一人だからだ。
圭太とはじめて会ったのは七年前で、それはオレがあらゆる言語について勉強していた時期でもあり、そのときに外国語講師でもある従姉の可奈子さんの手伝いで英語を教えたのがきっかけだった。当時十歳だった圭太は兄弟のいないオレには歳の離れた弟のようで、とても仲が良かった。
今では十七歳になって歩と同じ高校の二年生の圭太は一年生の頃から歩と同じクラスだったようで、どうやら歩に気があるらしい。もともと歩とは話し相手だったようだが、年に数回行われる席替えでもすべて近い席だったことも手伝い、あらゆる行事で共に行動したことで他の友達よりも話す機会が多く、今では友達以上、恋人未満とのこと。
もっともこれは圭太の話すところによるもので、歩からはそんな話を聞いたことはなかった。むしろ歩にとってはよく話しをするが普通の友達で、最近、共通の話題が増えてきたとのことだった。だが実際、普通の友達というには二人でいることがいささか多いので、特別ではあるはずだが、歩にとって圭太はギリギリ友達の枠を超えないらしい。
「最近クロにあげてる朝ゴハンは圭太くんに教えてもらったんだよー」
 歩がクロに話している声が聞こえてくる。圭太がオレにとって弟のような存在であるならば、歩はオレにとって妹のような存在であった。
 五年前、不幸な事故で家族を失った歩は母親の茜さんの姉、伯母の可奈子さんに引き取られた。歩の伯母の可奈子さんとオレの従姉の可奈子さんは同一人物である。オレから見ると歩はギリギリ親戚ではないが、可奈子さんから見るとオレは従弟で歩は姪だ。つまり限りなく親族に近い他人というわけだ。五年前はもうすでに可奈子さんの手伝いをやめてこのアパートに住んでいたので、お互いたまに顔を合わす程度の関係だったが、歩の進学した高校は可奈子さんの家から遠かったため、二年前からこっちで面倒をみることになったのだ。こっちに移ったときには事故のショックからも立ち直っており、とても明るく元気な良い子だ。
 部活はしていないが運動神経は良く体育祭でも活躍している。らしい。これは圭太からの情報だ。どうやら圭太はかなり歩に惚れ込んでいるらしいので、オレが歩の面倒をみていることは今まで黙っていた。圭太はオレに会いにこのアパートに何回か来ているが、歩とは奇跡的に一度も会わず、歩がどこに住んでいるかも知らなかったのだ。なぜ圭太に歩のことを話さなかったのかというと、歩のことが好きなのは圭太だけではなく、クロもそうだからだ。歩はクロのことを事故で失った実の弟のようにかわいがっていたが、クロはその歩に対して家族以上の思いを持っている。
 けれども人と猫なので普通は結ばれないだろう。普通ならば。でもオレにはクロの言葉が聞こえる。もちろん聞いたことを歩に伝えても信じないだろうが、実はこれもどうにかなってしまう。オレは人以外の言葉を聞くことができるだけでなく、偽りのない言葉を相手に信じさせることもできる。つまりオレはクロの気持ちを歩に伝えることができるのだ。クロとは長い付き合いだし、こちらの都合としてもクロには幸せになってもらわないと困るなど、それを実行に移すための理屈は揃っている。しかしやはり圭太や歩の気持ちを考えるとどうしてもできず、結局オレは歩達の件にはできるだけ手を出さないようにしたのだ。まあその結果が今、壁一枚を挟んで隣で起こっていることなのだが。そんな向こう側からクロと圭太の気持ちなど知らない歩の声が聞こえてくる。
「そういえば今月の終わりは夏祭りだねー」
 その言葉を聞いてオレはカレンダーを見た。確かに月末の休日は夏祭りの日だった。こっちに来る前は秋に祭りがあったため、どうにも夏の初め=お祭りという考えに至らず、夏祭りの日を忘れてしまうのだ。だがそれも毎年となると話は別。習慣の違いだけでは説明できない。ならば何が原因なのか。答えは単純だ。オレの今までの人生で何か大きな出来事はすべて秋祭りに起こっており、あまりにも秋祭りの印象が強すぎるためだ。オレが可奈子さんに引き取られたのも、圭太やクロと初めて会ったのも秋祭りだった。そしてオレが今していることの期限も今年の秋祭りまでだった。
 ――もう時間がない――
 カレンダーから部屋の中央に目を移す。いろいろな国や地域の言葉で書かれた本が床に散乱している中、机の上に一冊だけ本が置いてある。その表紙には見たこともない言葉で題が書かれている。それは世界中のどの言語にも属さない言葉だった。けれどオレはその言葉が読めなくても聞くことができる。椅子を引いて腰をかけるとオレはその本のページを捲った。
 
 
――――――――――――
 
 
『オマエは誰だあぁ!』
 ボクは大声で言い放った。目の前にいるヤツはシロウ程ではないとはいえ、それでもアユミよりも一回り背が高く、ボクでは比べ物にならない。けれどここで怯んじゃいけない。アユミはボクの大切なヒトだ。だからアユミはボクが守る。どこの誰だか知らないけれどアユミがシロウ以外の男のヒトを家にあがらせる訳がない。きっとアユミを騙して何か企んでいるに違いない。アユミは優しいからヒトをあまり疑わない。そこにつけこんだんだ。アユミの優しさを利用する様なヤツを家に入らせる訳には行かない!
『オマエみたいなヤツを家に入らせる訳にh「家には私とクロしか居ないから楽にしていーよ」
 そう言いながらアユミは声を上げるボクをヒョイと抱えると部屋の奥に運んでいく。このままじゃだめだ。ボクは暴れて抵抗した。
『離せ、アユミ!アイツをあがらせる訳には……』
「もう、お客さんが来てるんだから暴れちゃだめだよ」
 困ったような顔をしてアユミが注意をしてくる。そんな顔をされたら暴れられないじゃないか……
渋々玄関から部屋まで運ばれるとやっとアユミが床に降ろしてくれた。もちろんボクはすかさずアユミと男の間に割って入った。
「この人は黒沢圭太くん。私のクラスメイトなの。仲良くしてね」
「キミがクロだね。白石からよく話をきいてるよ。よろしく」
 そう言いながらクロサワケイタは手をのばしてきた。その手にボクは噛み付いた。
「いてっ」
「大丈夫!?」
 それにしてもコイツは気に食わない。まず名前が嫌だ。クロのところがボクと被ってる。それにアユミとクラス
メイトだって?つまりはボクがアユミと会えない間コイツ
はずっとアユミと一緒にいることになる。冗談じゃない。
「ごめんね。圭太くん。もう、クロったら……」
「ははは……嫌われちゃったかな……」
 しかもコイツ、アユミにくん付けで呼ばれているのに自分は呼び捨てと来た!何様のつもりだ!ボクはコイツと仲良くできそうになかった。
 しばらく二人で学校の話をしていたようだけど興味がなかったし、さらにムカつくだけだからボクは聞いていなかった。するとアユミがボクに話しかけてきた。
「最近クロにあげてる朝ゴハンは圭太くんに教えてもらったんだよー」
 絶句だ。この男、ボクと同じぐらいアユミと一緒にいるだけじゃなくて、ボクから魚を奪った張本人だったなんて!
「家にあったキャットフードなんだけど気に入ってもらえたかな?」
『気に入るわけないだろう!この野郎!』
「クロのお気に入りだよ。大好きだよねー」
『ア、 アユミ……』
 今ほどアユミと言葉が通じないのを悔しいと思ったことはなかった……ボクはあんなの好きじゃないのに……
「それは良かったよ」
『良くない!』
「家で飼ってる猫もあのキャットフードが好きなんだ」
「シロちゃんだよね。一度会ってみたいなー」
「週末にでも連れてこようか?」
「ホント?やったぁ!」
『ちょっとまったぁ!』
 いきなり話が進んでるぞ!しかもコイツまた家にくる口実まで作りやがって!ボクは反対だ!
「それじゃあ僕はもう帰るよ。今日はクロの顔を見にきただけだし、シロも待ってるからね」
 やっと帰る気になったか。何でも良いから早く帰ってくれ。するといきなりアユミが話し始めた。
「そういえば今月の終わりは夏祭りだねー」
 たしかにそうだ。夏祭りはボクが初めてアユミやシロウと会った日だからよく覚えている。これからもきっと忘れはしないだろう。でもなんで今、夏祭りの話をするんだ?
「ねえ、圭太くん」
「なに?白石」
「夏祭り、一緒に行かない?」
 
 
                       《続く》
あとがき
 
日文一回生、志ヶ世です。今回はかなり大変でした。まず、原稿を書くためのワードが僕のパソコンには入ってないので親のパソコンで書いているのですが、仕事で使わせてもらえなかったりしました……言い訳です。一番の理由は某狩猟アクションのせいです。まさかあんなにのめり込むとは……いやもう本当に編集を担当した方、遅れてしまってスミマセン。内容も削っているのでページが少ないです。次回からは反省して早くから書きます……あと、まだ続きます。次回もよければ読んでください。ありがとうございました。
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