朝ゴハンはキャットフード
                       志ヶ世
「ただいまー」
 玄関のほうからケイタの声が聞こえた。今日はいつもよりも帰ってくるのが遅い。何かあったのかしら?
『お帰りなさい』
 片足で逆側の踵を踏んで器用に靴を脱ぐケイタに声をかける。ケイタが学校から帰ってくる時間帯に家にいるのはアタシだけだ。もっとも今日はその時間帯を優に越しているのだけれど。
「じいちゃんたちはまだ帰ってないか。おいで、シロ」
 家の奥を覗き込んだあと、そう言ってケイタはアタシに手を伸ばしてきた。それに対し、アタシは一言
『どうして帰ってくるのが遅れたの』
 と言った。これは無駄なことだ。分かっている。その証拠に今の質問に対するケイタの答えは、
「どうした?腹でも減ったのか?」
 だった。アタシの言っていることはケイタには分からない。それもそのはず、アタシはネコでケイタはヒトだから。
 そうと分かっていても、ケイタがいつもの時間に帰ってこないで心配したアタシがバカみたいだから、一言言ってやったのだ。そんなことを思いながら、アタシは踵を返して奥へ向かう。
「なんだよ、つれないなー」
 ヘラヘラした顔でこっちに手を伸ばしていたケイタはそうぼやいたあと、アタシのあとに追いてくる。その足音を後ろに聞きながら階段を一段飛ばしで駆け上がり、ケイタの部屋のドアの前で座り込んだ。少しすると離れていた足音が近づいてくる。ケイタは階段を上りきるとアタシのすぐ後ろまできてドアを開けた。ケイタより先に部屋に入ったアタシはいつも通りベッドに登った。
 アタシはケイタの部屋にいるとき、殆どこのベッドの上にいる。だってこのベッドはケイタと同じ暖かさがするし、ケイタと同じニオイがするから。だからベッドの上をゴロゴロと転がり回りたいけれど、毛が散らばるし、みっともないからしなかった。それに本当はベッドじゃなくてケイタにくっついていたいけれど、そんなのは……は、恥ずかしいし……
「遅くなってごめんな。シロ」
 そんなアタシの気も知らないケイタは、やっと帰ってくるのが遅れた訳を話し始めた。
「今日は白石の家に寄ってきたんだ。しかも夏祭りに一緒に行く約束までしたんだ」
 瞬間、空気が凍った。えっ?どういうこと?アタシの聞き間違いじゃなければ、ケイタは今、シライシと言った。
 シライシ。シライシアユミ。アタシはその名前をよく知っている。なぜなら、ケイタがいつもシライシの話ばかりしてくるから。ケイタがシライシと知り合ったのは去年の四月、高校に入学して最初の登校日だ。ケイタとシライシは同じクラスで、座席も隣同士だったらしい。それから数回行われた席替えでも、常に近い席だったようだ。それは一年半たった今も続いており、二人は同じクラスで席も隣らしい。そのため二人は話す機会も多く、いろんな行事で共に行動することになり、結果、去年の秋からケイタはシライシに片思いの恋をしていた。そして最近、その関係が進展してきているという話をケイタにされた。複雑だった。
 アタシもケイタのことが好きだから。アタシが生まれたのはケイタがシライシと出会う二ヶ月前だった。それから今までケイタはずっとアタシの世話をしてくれた。ケイタにとってアタシは家族であり、アタシにとってもケイタは家族だった。その大切な家族を盗られるようで、アタシはシライシに嫉妬していた。夏祭りに行く約束もシライシから持ちかけられたらしく、ケイタの言うとおり二人の仲が進展していると思うと、尚更だった。
「それにしてもまさか白石が志郎のアパートに住んでるなんてな。明日、志郎に文句言いに言ってやる」
 シロウというのは、ケイタが昔通っていた英語教室の先生らしい。今でも仲が良いらしく、たまにケイタが遊びに行っている。アタシはまだ直接会ったことはないけれど、アタシと名前が被ってるし、アタシよりもケイタとの付き合いが長いこともあってなんとなく苦手だった。
 それよりも今、ケイタがとんでもない事を言っていた気がする。明日、シロウに文句を言いに行くって?つまり、明日も――
「だから明日も遅くなるけれど、お留守番頼んだよ。シロ」
 頭にきたアタシは返事のかわりに、ケイタが伸ばしてきた手にかじりついた。
 
 
――――――――――――
 
 
「なんで志郎のアパートに白石が住んでるんだ」
部屋に入って開口一番に圭太はそう言ってきた。今まで説明を後回しにしてきたツケが回ってきた瞬間だった。
「歩ちゃんから聞いてなかったのか?あと、志郎じゃなくて志郎先生だろう。呼び捨てにするな」
その場しのぎの適当なことを言いながら、机の上の本を退け、床に散らばる本を退け、圭太に椅子に座るよう促す。
「一人暮らしをしているとは聞いていたけど、どこに住んでるかは聞いてなかったんだよ」
「聞かなかったお前が悪いんじゃないのか」
 少しずつ話を逸らしていく。この件に関しては追求されると面倒だから、なんとかしてこの場をやり過ごしたかった。たかったのだが。
「そうじゃなくて、どうして志郎に白石のことを話したときに教えてくれなかったんだ」
 どうやらやり過ごすことは不可能らしい。けれどまだ全てを話さなければ、最悪の事態は回避できるはず……
「まさか白石とつ、付き合ってるんじゃ……」
「そんなわけあるか!」
 余計な誤解を避けるため、事情を全て話さなくてはならなくなり、結果事態は最悪の方向に進んでいった。
 
――――――
 
「……そうだったのか」
 腕組みをしながらオレの話を聞いていた圭太は、そう言って暫く黙り込んだ。事情を話し終えたオレは声を掛けた。
「どうだ?」
「志郎が教えたくなかった理由は分かった。なんか無理に聞いて悪かったよ」
 圭太が謝る。こうやって相手の気持ちをちゃんと理解しようとするのが圭太の良い所だ。
「悪いのはオレのほうだよ。お前は謝らなくていい。それに歩ちゃんのことは教えたくなかったんじゃない。ただ、オレじゃなく、歩ちゃん自身から言って欲しかったんだ」
「俺も白石から聞きたかったよ」
 歩がアパートに住んでいることは言ってもかまわなかった。けれどそれはどうしても歩がどうして一人暮らしをしているかの話題に繋がってしまう。だから言えなかった。
 オレが圭太に黙っていたかったのは、歩の家族が交通事故で亡くなったことだ。そしてそれは歩から圭太に伝えて欲しかったことでもある。というより、てっきり伝えているものだと思っていた。普段明るく振舞っている歩を見て、事故から立ち直ったと思っていたが、それは間違いだったようだ。五年前の事故は歩の心に重くのしかかり、歩は今も悲しい記憶を引きずっている。あたりまえだ。大切な家族を一度に失ったんだ。簡単に立ち直れるわけがない。けれどそれを忘れさせるほど、歩は明るかった。その明るさは同時に、他人に知られたくないほどの、影の大きさも表していたようだ。
 予想していた最悪の事態なんて比べ物にならない現状に胃が痛くなってくる。
「なんにせよ黙っていて悪かった。オレにできることがあったら言ってくれ」
 こんなことでお詫びになるとは思ってもいなかったが、そう言わずにはいられなかった。
「別にいいよ。志郎だって悪気があった訳じゃないだろ。
それに、夏祭りに一緒にいくぐらいには白石に認めてもらってるんだ。そのうち話してくれるよ」
「だが……」
「じゃあ、週末こっちに車で来てくれよ」
「そんなことでいいのか?」
「週末にシロを連れてくる約束をしたのはいいんだけど、よくよく考えたら連れてくる手段が車しかなくて。でもまだ免許取れないし。ってことで頼むよ。志郎先生」
「了解」
 圭太はそうしてオレのことを許してくれた。
「歩はまだ帰ってきてないけどそれまで待つか?」
「いや、今日は帰るよ。早く帰らないとシロの機嫌が悪くなるんだ。それじゃあ、週末はよろしく」
「ああ」
 アパートの前まで圭太を見送って部屋に戻る。玄関のドアを閉めた音に混じって何か音が聞こえた。気のせいかと思って部屋の奥へ上がると、
――コツコツ――
 と聞きなれた音がした。その瞬間、背筋が凍った。まだ歩は帰ってきていない。という事はつまり、クロがこっちに来る可能性があるということ。――そういえば今日はまだ昼飯を食べに来ていなかった――さっきまで圭太と話していたときは、話に集中していて周りのことにまで気が回っていなかった。
 ……いったい何時から窓を叩いていたのだろう。丁度、部屋に帰ってきたときか。それとも話が終わってから。あるいは……
――コツコツ――
 今だに鳴り終わらない、いつもの音を聞きながら、オレはベランダの窓を開けた。
「ニャア」
 
 
                       《続く》
あとがき
 
 日文一回生、志ヶ世です。今回は早めに書き始めたおかげで8ページの作品を書き上げることができたんですが、
「○の明日から」という胃薬必須アニメを見て胃が痛くなっている内に、今回の展開を思いたので書き直しました。
 書き直す前は、圭太、歩、シロ、クロの二人+二匹がわいわいしている話でした。どうしてこうなった。僕は書き直してよかったと思っています。今回も編集を担当された方には迷惑を掛けました。本当にスミマセン……まだ続きます。去年の七月号から書き始めたのですが、一回生の内に完結させられませんでした……もしよければこれからも御付き合いください。ありがとうございました。
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